第136話 再会

 雫のおかげで……いや、雫らしき女性のおかげで俺の中に湧き起こった怒りは、徐々に姿を消していった。

 チンピラ3人衆がいなくなったことにより周りにあった人垣も消えていく。みな市場での買い物へと転じていた。

 俺は手に持ったエターナルブレードをストレージにしまうと、彼女と向き合った。

 どこをどう見ても桐沢雫だ。声も背も顔も、着ている服も全部俺は知っている。

 でも信じられない。


「し……」


 俺は自分の口から出る名前をどうにか押さえると、シャルロットとクオリアさんが合流してくるのを待った。

 ここで俺が彼女の名前を言うのはどう考えてもおかしい。

 彼女と俺は今初めて出会ったんだ。名前なんて知らない。


「リュウカさん。大丈夫でしたか」


 シャルロットが俺を気遣うように体に手を沿わせてくる。

 俺は笑顔でそれに応えた。


「うん。問題ないよ」

「あっと、怪我とかじゃなくって……その……」

 

 シャルロットは気まずげに俺の表情を伺う。

 うるうるとした上目遣いに心がトクンと高鳴る。


「うっううん!」


 すると、助けた女性―――雫らしき人から咳払いが聞こえて来る。

 俺もシャルロットもそちらの方に向くが、当の本人はなにごともなかったかのように、1人の人に目を合わせていた。


「クオリアさん」

「シズクさんだったのですね。ご無沙汰しています」


 助けた女性はクオリアさんと親し気に話していた。

 ……ていうか、やっぱりシズクって名前なのか。驚きはしないが、俺はどう表現していいか分からない心境になった。

 だが、ずっと黙っていては不自然だろう。俺はさもいつもの様に振る舞って、親し気に話す2人に声をかけた。


「クオリアさん、お知り合いですか?」

「はい。彼女はええっと」

「あははは、自己紹介がまだでしたね」


 そういって照れ笑いを浮かべると、シズクさんはまるで日本人の様に慣れた感じで頭を下げて挨拶してくる。


「桐沢雫っていいます。先ほどは助けていただきありがとうございました」


 ずきりと俺の中でなにかが痛む。

 知りたくなかった名前を彼女が口にした。桐沢雫。やはり、間違いなく、目の前にいる彼女は俺の知っている雫だ。

 なぜ、どうして、どうやってここに来た。聞きたいことは山積みだ。だけど聞けない。聞くわけにはいかない。だって俺は栗生拓馬じゃない。

 バルコンド出身のリュウカなのだから。

 

「私はシャルロットって言います。こちらは」


 俺の葛藤など気づくわけもなく、雫の挨拶にシャルロットが律儀に自己紹介をすませた。

 俺を紹介するようにアイコンタクトをしてくる。


「こちらは?」


 雫の目が俺を捉える。

 変な感じだ。生まれたときから知っているのに自己紹介なんて。したことがない。

 俺はなんとか動揺を隠すと、普通に、初めて会ったていで名前を口にした。


「リュ、リュウカって言います」

「そうですか。シャルロットさんにリュウカさん」

「はい」

「改めて、助けていただいてありがとうございます」


 雫はまたしても頭を下げた。

 俺を見ると顔をほころばせる。


「いえ、私は見ていただけで助けたのはリュウカさんです。お礼ならリュウカさんにだけ言って下さい」

「そうですか?」

「はい」

「分かりました」


 シャルロットが謙遜を示すと、雫は納得したのかその顔をこちらにだけ向けてくる。


「リュウカさん。先ほどは本当に助かりました」

「そ、そんな、ただその、我慢できなくて」

「かっこよかったですよ」


 不覚にも俺の顔に熱が帯びる。

 こんな雫の顔、今まで見たことがない。真剣なその表情に俺はついつい顔を逸らしてしまった。

 そんな顔をクオリアさんが目ざとく見つけてくる。


「リュウカさん、もしかして照れてますか?」

「っ……ダメですか?」

「いえ。ダメとは言っていません。ただ……」

「ただ?」

「なんというか新鮮で」

「照れるのが新鮮って失礼じゃないですか。私だって恥ずかしいときは照れます」

「では、あの時も実は照れていたんですか?」

「あのときって」

「ほら、私と初めて会ったと――――むぐ……」


 俺は急いでクオリアさんの口を塞ぐ。

 突然の行動にシャルロットや雫がきょとんとこちらを見ていた。

 

「あはははは」


 苦笑いでなんとかごまかすと、クオリアさんの口からそっと手をどかした。

 口を塞がれてからクオリアさんの目線が怖いこと怖いこと。

 後で制裁されるかもしれない。


「ほ、ほら、もう終わったことはいいじゃないですか。それよりもシズクさんは人を探しているんでしょ。こんなところで時間を使うわけにもいきませんよね。私たちはもう行きますから、人探し再開させてください」

「え、ええっとその」

「ああそうですよね。あんなことあって1人じゃ怖いですよね。じゃあクオリアさん。クオリアさんが着いていってあげてください」

「リュウカさん。突然なにを、きゃ……!」


 クオリアさんの体を押す。

 雫の方へとやると、俺はすぐさまシャルロットの手を取ってその場からさろうとした。


「あ、ちょ、リュウカさん。どうしたんですか突然」

「シャ、シャルロット。人探しを邪魔したらダメだよ。早く行こう」


 足早で俺は市場へと向かい歩いていく。


「リュウカさん! リュウカさん! ちょっと待ってください」


 しかし、シャルロットが地面に力強く踏ん張り俺を止めた。

 嫌がる女の子を無理やり引きずるのはさすがにためらわれる。俺は足を止めると、その場で立ち止まっているシャルロットに向き合った。


「な、なにかなシャルロット」


 と言いながらも俺の背中には冷や汗がたれる。


「人探しなら私たちも手伝いましょうよ」

「い、いや、そうだけど」

「ギルドメンバーの目的は困った人の救済ですよね。だったら、シズクさんに協力してあげるべきです」


 シャルロットの強い視線が俺の体に突き刺さる。

 正論も正論だ。反論なんて出来ない。

 だけどそれでも、彼女と、雫と一緒に行動するなんてことはできるだけ避けたい。俺は割り切ったんだ。なんで彼女がこの世界にいるのか。そんなのはどうでもいい。ダメなんだ。彼女の顔を見ていると、彼女の笑った顔を見てしまうと、願ってしまう。

 またあの時みたいに隣を歩きたいと。

 でももう、俺は栗生拓馬じゃない。リュウカだ。雫とはどうしようもないぐらい離れてしまっている。

 希望は捨てるべきなんだ。俺がリュウカであるために。

 しかし、心優しいシャルロットは雫に協力すると決めてしまったようだ。頑として動く気配が見えない。

 すると


≪きゅるるるぅぅ……≫


 とかわいらしい音が響き渡った。 

 音の発生源は俺のお腹だ。先ほどのチンピラ3人衆の撃退により、エナドリで抑え込んでいた腹の虫が目を覚ましてしまったらしい。

 なんとも言えない空気が俺とシャルロットの間を流れる。

 それを断ち切ったのは、意外にも雫だった。

 遠くで見ていたはずの彼女はすぐさまシャルロットの隣まで来ると、俺を優しい目で見つめてこう言う。


「お腹、空いているんですか?」

「え、ま、まぁ。朝から何も食べてなくて」

「そうですか」


 そして雫は驚きの提案をする。


「だったら私にお昼ごちそうさせてください」

「で、でも、人探してるんじゃ……」

「別にそこまで急を要するわけじゃないんですよ。第一、見つかるかどうかも分からない相手なので。昼食するぐらい構いませんよ」


 構わないと言われれば断る理由はなくなってしまった。

 俺が口をわなわなと困ったようにしていると、雫はすぐに言葉を付け足した。


「助けてくれたお礼です」


 ……ああダメだ。そんな笑顔で提案なんてしないでほしい。

 断るなんて出来ないじゃないか。

 俺は力なくこくりと首を縦に振る。

 何が嬉しいのか、雫はとびきりの笑顔で笑っていた。

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