第122話 栗生拓馬の隠していた本音
クオリアさんが帰ってからしばらくの間、俺はなにをするでもなくただただリビングにある椅子に座りながら何を見るでもなくぼーっとしていた。
シャルロットはお風呂からまだ出てこない。いいのか悪いのか、俺には1人の時間が与えられていた。
普段であればシャルロットのお風呂でも覗こう―――まぁ、そんな気はまったくないんだけれども―――裸の付き合いをと思って、悪ふざけでお風呂の扉の前で手を伸ばしたり伸ばさなかったりと、俺の心に住むヘタレを遺憾なく発揮しているところなのだが、今はそんな気が起きないぐらいに頭の中がぼーっとしてしまっている。
というのも、ここ最近なぜだか雫のことを思い出すことが増えているのだ。
ナイルーンに来たときもそうだし、今だって、俺や誰かの口から雫の名前が出ることが多くなった。
それだけだったらまぁ別に、元気にしているのかなぁ程度にしか考えないのだが、どうも今は気になって仕方がない。
「拓馬、か」
俺はクオリアさんの去り際の言葉を思い出す。
なぜあのタイミングで俺の本名を言ったのかは分からないが、おかげで今まで気にも止めてなかったことが思い出されてくる。
家族、友人、幼馴染。そんな奴らの顔が頭の中に出ては消え、出ては消えを繰り返す。
あいつらは地球で元気にやっているだろうか。妹は、千夜は大丈夫だろうか。悲しんでないだろうか。いや、それはあり得ないか。
そんなどうしようもないことばかりが頭をよぎっては、ため息をつくばかりだ。
「俺が考えても意味ないことなのにな」
俺は背もたれに体を預け、木造一軒屋の天井を見つめた。
しかしこれがまた、日本の自分の家を思い出すようで、またしても昔の記憶が刺激される。
新年か。新しい年、俺はむかえられなかったな。どっかの変な神様のせいで。
雫はどうしてるだろうか。今頃さらに告白される回数も増え、下手したら3桁までいっているかも知れない。
羨ましい……。モテるってのはどんな気分なんだろうか。ぜひ俺にも教えていただきたい。
あいつはどこかめんどくさい風に装っていたけど、内心は嬉しかったりしてな。もう聞くことも叶わないことだけど、ちょっと気になる。
正直に言って、高校生になってからの雫の変化には驚いた。めちゃくちゃかわいくなっていた。
男勝りで、俺の友達と混ざって遊んでいる方が似合っていた桐沢雫は、もうどこにもいなかった。顔が熱くなった。
あいつは変わったんだ。宣言通り短かった髪も伸ばし、大人のお姉さんのようになった。
だけど同時に少しだけ寂しかったような気がする。よくは覚えてないけど。ただ、雫が遠くに行ってしまったような気になって。
高校入学してすぐに、雫はその容姿から有名になった。学年問わず告白され、俺は雫から距離を置いた。そこははっきりと覚えている。
隣を歩かない方がいいとそう思った。きれいになったあいつはきっと幸せになる。必死に努力して、必死にかわいくなって、女の子らしくなって、そして手に入れる幸せ。俺がいたらきっと邪魔だろうと思った。中学の頃からなんにも変わらない、思春期真っ盛りの男となんて一緒にいたらいけないんだ。
雫には言ってないが高校に入った当時の俺はそう思って、そして雫から距離をとった。恥ずかしいからやめてくれとそう言って。
別に嘘だったわけじゃない。実際かわいくなった雫の隣を歩くのは恥ずかしかったし、いやでも注目を集める。嘘じゃないさ……半分は。
だけど不思議と雫は俺と離れようとはしなかったんだ。中学のときよりも逆によく俺に絡むようになった。
なんでだと思った。幼馴染だから無理なんてしなくていいのにとも思った。別に義務で仲良くしてるんじゃないんだからこんな男切り捨てれば。
そんなことを思ってたら、ある日雫に言われた。
『結構つらいんだからね……避けられるの』
そう言った雫の顔は今でも鮮明に覚えている。
嘘なんてなかった。演技なんてしてなかった。見た目が変わろうと雫の内面は変わってなかったんだ。
バカだな俺は。変に自分の思い込みを押し付けて、雫を傷つけていた。
それからは今まで通りに一緒に帰るようになった。もちろん注目は集めた。時折嫌味な視線を感じることもあった。
幼馴染だからって調子こいてんじゃねぇぞ! なんて言われたこともあったっけ。
雫にフラれたイケメンたちに睨まれることなんて日常茶飯事だ。
辛く苦しいと思ったことは何度もある。俺は彼氏じゃない。ただの幼馴染だと言いたかった。でも……一緒に帰っている時の雫はとても楽しそうで、きれいながらも中学までの面影もちゃんとあって、俺はそれを見るたびに睨まれてもいいかと思うようになった。
雫には笑ってほしい。あいつは笑顔が一番似合う。幼馴染の俺が一番よく知っている。
気づけば俺はシリアスが苦手になった。辛い映画を見ている時の雫の顔が嫌いだったから、どうしても笑わそうとしてしまうようになった。だからだろう。こんなよく分からない性格になったのは。
高校での告白の回数、口では羨ましいと言っていたが、本音は別に回数なんて気にしてなかったんだ。確かに告白されているのを見ると羨ましくなる。俺だってモテたいんだ。でも、告白されている雫を見ているのは辛かった。あいつは告白をされると途端に寂しそうな顔になる。相手はいいのかもしれない。告白なんてのは言ってしまえば自分勝手な行動だ。自分の気持ちをぶつければそれでいい。それで相手がどう思うかまでは気が回らない。仕方のないことだ。緊張して緊張して勇気を振り絞ったんだから。そこを責めるつもりはない。
だけどやっぱり、それを受けている雫は表情を曇らせる。なぜってきっと、あいつは誰とも付き合うつもりがないから。どんなイケメンに告白されても、どれだけ優しい男に告白されても、雫の表情だけはずっと一定だった。眉を下げ、目を下に向け、どこか申し訳なさそう。
俺はそれを見るのがつらかった。あいつには笑ってほしいんだ。嫌だったら行く前に断ればいいのに。そう思っても言えなかったのは、俺に言う資格がないと思ったからだ。
彼氏でもなければ好き合っている同士でもない。ただの腐れ縁の幼馴染。
色恋に反対する資格なんてない。だから自由に、邪魔にならない程度に。静かに見守り、ときには無干渉を装ったり。そうやっていい意味で友達以上恋人未満の距離を保ってきた。
これからもずっとそれは変わらないだろう。そう思ったのに。
「まさかこんなことになるなんて」
俺は目を細めた。
ごめん雫。距離、離れすぎちゃったね。友達以上恋人未満。会おうと思えばいつでも会える距離にいた俺たちは、もう2度と会うことのない距離まできてしまった。
目を閉じ、俺はあいつのことを思い出す。くだらない思い出ばかりが蘇ってくる。どこか懐かしい。それでいて、俺がもう体験することのできない思い出ばかり。
こんなに地球のことを思い出したのは初めてだ。
だからだろうか、俺は自分に近づいてくる音になにも気づかなかった。
気づいたのは俺の頬に誰かの指が触れたとき。
驚いて目を開けると、そこにはフードをとったシャルロットの顔があった。
「シャルロット……?」
「あ、えっと、その……ごめんなさい!」
突然目を開けた俺に驚いて、シャルロットは飛ぶように後ろに下がると頭を下げた。
「どうして謝るの」
「いえその勝手に触ってしまって……」
「別にいいのに。そんなこと気にしなくて」
俺はそう言うと伸びていた体を元に戻して、シャルロットを見つめた。
ほんのりと温かい空気がシャルロットの方から伝わってくる。
「でも確かに珍しいね。シャルロットが自分から私に触ってくるなんて。なにかあった?」
「なにかあったといいますかその……リュウカさん泣いていたので」
「え」
シャルロットの言葉で俺は右手を自分の頬に触れた。
確かに、シャルロットが拭ってくれたからか、涙らしき水分が横に流れている。
俺はそっと自分の目に指を近づけると、擦るように目をかいた。涙は確かに目に溜まっていた。
「気づいてなかったんですか?」
「う、うん。全然」
「そうですか」
シャルロットは俺の隣に座る。
そのまま顔を俺の方に向けると真剣な目で俺のことを見つめてくる。
「よかったら話、聞きますよ」
「え……」
「なにかあったんですよね。1人で座っているリュウカさんの雰囲気、いつもとちょっと違ったので」
「そう、かな」
「はい。なんだかとても寂しそうでした。だからそのつい、放っておけなくて」
シャルロットは恥ずかしそうに目を伏せながらも、はっきりとした口調でそういう。
妹みたいだと思っていたシャルロットからは予想もしなかった言葉に、俺は少し驚きながらも心に暖かみが戻ってくるのを感じた。
さっきまでの悲壮感は嘘みたいに無くなっていく。
「……シャルロットがお風呂に入っている間に、クオリアさんといろいろと話してんだ。そしたらさ、少し昔のことを思い出しちゃって」
「昔のこと……前に呟いてたしずくさんのことですか?」
「まぁね。今まで考えたこともなかったんだけど……なんでだろう。無性に寂しくなって」
「分かります。何かのきっかけで突然寂しくなって会いたくなること、私にもあります。1人でアイリスタを目指していたときなんて、頻繁にありました」
ニコッと笑うシャルロットだが、その目は潤んでいた。
「仲良かったんですね」
「腐れ縁だよ。お互い生まれたときからずっと近くにいた。だから仕方なく」
「それでもそこまで想うってことは、少なからずリュウカさんにとってしずくさんは特別なんですよ。腐れ縁だけで涙を流すまで思い詰めませんよ」
「特別か……確かに特別なのかもな」
生まれたときから家族以上にそばにいた。
なにをするにも俺がいたら雫が隣にいた。いずれ離れる。そんなこと分かっててもこんなに早くその時が訪れるなんて思ってなかった。俺も雫も。
すると隣のシャルロットの表情に不意に光が灯った。
強く確かな口調で、俺に詰め寄ってくる。
「大丈夫です! 生きている限り必ず会えます! どちらかが会いたいと願い続ければ絶対に叶います! 私はそう信じています!」
「シャルロット……」
「だから安心してください」
シャルロットはにっこりと笑う。
無理な強さじゃない、本当にそう信じていると思っている顔に、俺も少しだけ勇気づけられた。
「ありがと」
「いえそんな。そ、それにその……」
「うん?」
「しずくさんとまではいかないまでも、今は私がいますし……1人じゃ、ないですよ」
もじもじ恥ずかしそうにしながらシャルロットが上目遣いで、俺の服の袖をつかんでくる。
そのしぐさがあまりにもかわいくて、俺はおもむろにシャルロットに抱き着いた。
「シャルロット! ありがとう! 大好き!!!」
「い、いえ、喜んでいただけたならよかったです」
謙虚な言葉も100点満点。
もうなんなのこの子。天使かよ。
俺はしばらくシャルロットを抱きしめ続けた。ただただシャルロットの体から感じる温もりと、髪から漂ういい匂いを体感しながら。
(でもごめんねシャルロット。俺のこの願いはきっと叶わない。どれだけ本気で願ったとしても、ね)
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