第112話 女性は油断ならない

「あぁあああああ……! 砕けたぁああああ!!!」


 ナイルーンの街に俺の咆哮が木霊する。

 あれからそれなりの距離を歩き、目的の宿屋に到着した俺たちだったが、看板が見えてきた瞬間に、もう歩く気が起きなくなってしまった。

 そこには無情にも2つの文字が刻まれている。


『満室』


 この言葉を今日ほど重く感じたことはないだろう。

 本当に当たって砕けてしまった。

 最後の希望は無残にも崩れ去った。さようなら。


「宿無し、ですね」

「宿無しですよ。ええもう、紛れもなくね」

「どうしましょうか」

「どうしましょうね」

「あの……リュウカさん?」

「ん? なに? どうかしたシャルロット?」

「いえ、さっきから私の言葉をオウム返しするばっかりなので、気になりまして」

「ごめん。なんかもう話す気力もなくて……」

「まぁですよね。ナイルーンに来てから歩きっぱなしですもんね」

「むしろ、なんでシャルロットは平気そうなのか気になるんだけど」

「慣れてますから」

「慣れてるって……」


 俺はすぐさまその理由に気づき、自分の言葉を撤回しようとした。

 しかし、シャルロットは憂い顔を浮かべると、自虐するように笑い、自分の胸に手を当てて話しだしてしまった。


「私悪魔憑きなんで、門前払いなんて当たり前なんですよ。アイリスタでも何軒も宿屋をまわって、最後の最後でリーズさんに出会いましたから」

「そっか……え? でも、リーズさんの宿屋ってギルド会館のすぐそばでしょ。俺なんて最初に教えてもらったけど……」

「お姉ちゃんに出くわしたくなかったんです。だから、会館に行く前に宿屋を見つけようとしたので」

「ああなるほど。それで」


 ギルド会館の近くといっても、街の入り口からはリーズさんの宿屋は遠い。

 会館を避けていたのなら尚更見つけづらかったことだろう。

 最後の最後という言葉も合点がいった。


「はい。それにこんなことは何度もありましたから。むしろアイリスタでは運がいい方だったんですよ。泊まれる場所を見つけられて」

「そうだったんだ。ごめんね。なんか気づけなくて」

「いいですよ。それよりもこれからどうしましょうか。一応、ちょっとだったら野宿の経験もあるので、最悪それでも……」

「ううん。野宿は最後の手段として取っておいて」


 俺はそう言って力を失っていた体をなんとか起き上がらせて前を向く。


「え? でも、宿屋はもう」

「もしかしたらギルド職員でも知らない場所もあるかもしれないでしょ」

「かもしれませんけど……それって、ここが満室じゃない可能性よりも低いような……」

「気にしない気にしない。せっかくこんなきれいな街来たんだからさ。野宿なんて出来ないよ」

「でも……」

「大丈夫。言ったでしょ。私にとってはシャルロットは幸運の女神だって。女神がいて野宿にはならないよ」

「リュウカさん……」

「……って思っておかないときつい」

「……ですよね」


 お互いに苦笑いを浮かべ合って、俺たちは歩き出した。

 目的地のない散歩は、夜までに終われるだろうか……。


        **********


 あれから数時間。

 ナイルーンの入り口から真反対な場所まで来ていた俺たちは、海の向こう側、水平線に沈みゆく太陽を横目に見ながら、海岸から少し高い場所を歩いていた。

 崖のようになった場所には、建物が見受けられない。

 もちろん、少し歩けば白塗りの地中海風の街並みがあるのだが、今はそこから少しそれた場所にいる。

 なぜかというのは言うまでもないだろう。

 つまり、数時間歩いて収穫はゼロ。宿無し継続中である。


「もしかしたらって思ったけど、さすがにこんな場所に宿屋なんてないよね」

「はい。人が寄り付きませんから」

「客が来なきゃ意味ないよなぁ」


 街中じゃあ認知されてない店がないと思って、街外れまで歩いてきたが、俺のその考えは空振りに終わった。

 これは野宿コースか……。 

 俺もシャルロットもそんな空気を醸し出していたときだった。

 目の前に絶壁に立つ大きな家が見えてきた。

 普通の民家で、白塗りではなく、2階建ての木造一軒屋。なんとなく別荘といった印象を受けるその家はこの街にはどこかあってない気がして、俺とシャルロットの足は自然とその場に止まる。

 不思議な存在感の家に目を奪われていると、その家から少し離れた場所でボロボロの服を着た女性が座り込んでいるのが見えた。

 俺たちは互いに顔を見合わせるとすぐさまその女性に駆け寄った。


「あの、大丈夫ですか?」

「ああ……あなたたちはいったい……」

「通りがかりのギルドメンバーです。なにかあったんですか?」

「ギルドメンバー……そうですか……」


 項垂れる女性にシャルロットが屈みこむ。


「よければ事情を話してくださいませんか? 協力できるかは分かりませんけど、その身なり、ただ事ではないと思いますので」

 

 シャルロットの歩み寄る様な優しい声に、女性は少しだけ戸惑った様子を見せたが、すぐに俺たち2人の顔を見て口を開いてくれた。


「それが……少し前に、最愛の夫が他界しまして。あの家で1人で住んでいたんです。でも、私にはこの家を維持するお金がなくて……借金がどんどんと溜まっていってしまったんです……」

「それは……退去できないんですか?」

「しようと何度も思いました。ですけど、退去するにもお金がかかるらしく……私、どうしていいか……」


 女性は顔を覆い泣き出してしまった。

 嫌な現実だな。手放したいのに手放すにもお金がかかる。絶望もするだろう。


「それで自殺しようとおもって何度も何度も崖から飛び降りようとしましたけど……できなくて……それで……」

「こんなボロボロに」

「はい……退去金さえあればよかったんですけど……そうすればこの家ともおさらば出来て、自由なのに……」


 居たたまれない現実に俺は胸が締め付けられる思いになった。

 奇しくも愛しい旦那さんが亡くなったのが少し前に出会ったステラさんと被る。放ってはおけないだろう。

 俺は自分のストレージを見る。

 金はいらないほどあった。


「……いくらですか?」

「へ?」

「退去金。いくらなんですか?」

「ええと……10万ルペですけど……」

「リュウカさん。まさか」

「払います」


 俺はストレージを持った手を女性に向ける。


「そんな……悪いですよ」

「構いません。これでもそれなりにギルドメンバーの中でも強い自覚あるので。10万ぐらい払えます」

 

 実際、10万ルペなんて2日あれば溜まる。

 別に肩代わりしても問題ない。転生者ってすばらしい。

 そのまま俺は女性のストレージに10万ルペを譲渡した。


「……ありがとうございます」

「気にしないでください。人を助けるのもギルドメンバーの仕事ですから」

「お優しいんですね」

「そんな」

「本当に、お優しい」


 女性がニコッと笑う。

 ニコッと……ん? なんだか不思議な違和感を感じる笑みだぞ。

 この感覚……どこかで覚えが……。

 俺がそんなことを想っている間に、女性は立ち上がりそのまま俺から背を向けて去っていく。


「リュウカさん!」


 すると、シャルロットが大声で俺の名前を呼ぶ。いつの間に行っていたのか、シャルロットは先ほどの家の前に立って、玄関先に張られている何やら紙みたいなものを読んでいた。

 俺も駆け寄るとその紙を見つめる。


「どうかしたの?」

「いえその……なんか変だなって思ったんです。退去金なんて聞いたことないから。で、見てみたら……」

「これって……」

 

 そこにはこう書かれていた。


『空き家のため立ち入りを禁ずる。もし入居を希望するんであれば、ギルド会館まで申し出てください。別途説明いたします。ナイルーンギルド会館支部長より』


「空き家ってことは」

「あの女性の話が本当ならおかしいです。この紙は何ですか?」

「まさか……!」


 俺は慌てて振り返った。

 すると、先ほど去っていったはずの女性がこちらをみて手を振っていた。

 それはもう笑顔で。


「ありがとねー! 優しい優しいギルドメンバーさん! おかげで儲かっちゃったわ~!!」


 脱兎のごとく逃げた女性は、そのまま姿が見えない場所まで行ってしまった。

 思い出した。あの笑顔、ミルフィさんが俺の正体に関して鎌かけてた時の顔に似ている。

 つまり……。


「騙されたぁあああああ!!!」


 またしても俺の叫び声が木霊する。本日2度目。

 そのまま地面に膝から崩れ落ちた。これも本日2度目だ。


「リュウカさん、やっぱり払っちゃったんですね……」

「うぅ……私の10万ルペ……」

「ごめんなさい。私がもっと早く気づいていれば……」

「いいの。私の軽率な行動が招いた結果だから」


 まさか異世界で詐欺に会うとは。予想にもしてなかった。

 なんという悪魔的不運。宿無しのあげく詐欺られるとは思ってもみなかったぞ。

 くそう。

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