転移者編

第106話 あの日あの時

 年が明ける。

 ゴーンゴーンという鐘の音が鳴るはずの今年は、違う音が私の地域を包み込んでいた。ドンッという強烈な音にリビングで年が明けるその時を待っていた私は、びっくりしてスマホを手から落としてしまった。

 ゴトンと机の上から音がする。

 慌てて拾った私は、すぐさま画面に傷が入ってないか確認して、変わらないスマホの画面にホッと一息ついていた。

 すると、年越しそばを持ってきたお母さんが、机の上にどんぶりを置きながらさっき鳴った音に反応するように口を開く。


「すごい音だったわね。落ちたのかしら」

「かもね。雨ひどかったし」

「嫌ね。こんな天気の年越しなんて」

「まぁまぁ母さん。仕方ないさ。こういう1年の始まりも悪くない」

「雷が落ちた年越しなんて嫌よ。あなた、適当なこと言わないでちょうだい」

「すまんすまん」


 リビングのソファーの座っていたお父さんがそう言って適当に謝りながら立ち上がると、私の斜め前の椅子に座る。

 よっこらしょといういかにもな言葉を言いながら、目の前の置かれた遅めの年越しそばを眺めた。


「うん。いい匂いだ」

「当たり前でしょ。お母さんのそばなんだから」

「あははは。雫は相変わらず母さんの料理が好きなんだな」

「別にいいじゃんか。美味しいんだし。悪い?」

「いやいや全然。父さんも母さんの料理に胃袋をつかまれたからな。人のことは言えないよ」

「やめてよ。雫の前で。恥ずかしいじゃないの」

「そうか? もう雫も慣れてるよな」

「まぁ、生まれてからずっとこんな感じだからね」


 私は呆れながら、いただきますと言ってお母さん特性のそばを食べ始めた。

 お父さんもお母さんも隣同士でそばを食べる。

 うちの家族は仲のいい方だと自覚してる。友達と家族の話になっても、雫の家族はいつも仲良しだよねってよく言われる。正直小さい頃まではそれが当たり前だと思っていた。でも、中学や高校といき他の子の家のことを聞くと、うちが異常に仲がいいということは嫌でも理解した。だからと言って恥ずかしいと思うことはないけど。

 なによりもこんな両親だからこそ、私はストレスなく笑顔で過ごせているし、ご近所付き合いもいい。おかげで隣の栗生くりゅう家とも知り合いになれた。

 まぁ、私の出産の時にまったく同じタイミングで、病院で出産していた家族がいて、さらにはお隣さんだと分かれば誰だって仲良くなっただろうことは想像できる。

 そんな経緯もあってか、私桐沢きりさわしずくと彼栗生拓馬たくまは幼馴染として、家族ともどもの付き合いになった。私の家族が世間で言う仲のいい家族だと気づけなかったのは、彼の家族も同じように仲が良かったからだ。

 同い年の子供を持った仲ということもあってか、出かけたりするときも誘い誘われるような仲になり、必然的に私と拓馬も姉弟のように仲良くなった。

 たぶん、私が拓馬に惹かれ始めたのはその時だ。

 近くに同い年の仲のいい女の子もいなかったし、遊び相手も拓馬の仲のいい男子ばかりで、私は中学まで活発な今の清楚なイメージとはまるでかけ離れた少女だった。しかし、密かに拓馬に惹かれていったのも事実で、乙女心をひた隠しにする日々が続いたのだ。

 その間に私も拓馬も中学生という思春期をむかえた。拓馬はこの時からちょっとおかしくなっていた。いや、ちょっとどころではない。明らかにおかしくなった。

 彼女が欲しいだの、エッチな本を買いたいだのと言いだして止まらなくなったのだ。私はよく分からなかった。それが思春期男子特有のモノだと知るのにはそれなりの時間がかかった。

 なんにも知らない私は、拓馬の家に行ったときにあるものを見てしまった。ベットの下。なにかのアニメではトレジャー、宝物なんて言われている代物を私は見つけてしまったのだ。そこには色とりどりのたくさんの女性の―――裸が映っていた。

 男性とあんなことやこんなことをしている。

 こんな本どこで手に入れたのか分からないが、初めて見る18禁本に目が釘付けになったのを覚えている。

 拓馬が部屋に帰ってくる前にすぐにしまったが、私の脳はまったく追いついていなかった。

 初めて見た男女の行為。私の脳はパニック寸前。でも、そんな私でも唯一の記憶に残ったのは、その本にのっていたのがきれいな清楚系の黒髪のお姉さんばかりであるということと、全員巨乳だったということだけだ。

 拓馬は大人なお姉さんが好みなんだと、純粋だった私は思った。今にしては拓馬のよこしまな最低な好みだったのだが純粋無垢だった私は、私とは真逆の好みに、鏡の前で自分を変える決心をしたのだ。

 律儀にも拓馬に宣言までして。

 そうして高校生になった私は、自分でも驚くほどの変身を遂げた。一番驚いていたのはお父さんだった。高校の制服を着た私を見て、顔を真っ赤にさせてお母さんにからかわれていたのは記憶に新しい。

 これで拓馬もイチコロと思ったのだが、現実はそう甘くなかった。黒髪清楚な、自分で言うのも気が引けるが、かわいくなった私は年齢問わず好かれるようになった。告白の回数は気づけば数え切れないほどであり、これは誰にも言ったことがないが、同性にも告白されたことがある。

 私にとってそれは嬉しいことでもなんでもなかった。ただ拓馬に好かれたかっただけだったから。サッカー部のイケメンと呼ばれている人の告白も断った。だって私はかっこいいと思わなかったから。友達にはもったいないと言われたけど関係ない。拓馬にさえ好かれればそれで。

 しかし、そんな拓馬はと言うと、だんだん嫌でも注目を集める私と一緒に帰ってもくれなくなった。それが一番悲しかった。拓馬は恥ずかしいからやめろと言ってずっと誘いを断るようになってしまったのだ。別に私は気にしないのに。

 でも、誰もがうらやむ美少女がフツメンの男と一緒に帰ろうとする構図を傍から見たら、やっぱりいい印象は受けないみたいだ。

 同じ学園のイケメンと呼ばれている人から呼び出されたとき、拓馬のことを話しに上げた。

 彼はあんなブサイクと一緒にいると私の価値が下がると言ったのだ。

 我慢できなかった。私が誰と一緒にいようが関係ないじゃないか。私は憤りそのまま肩を怒らせて彼の言葉を聞く前にその場を去った。

 そんな時だった。拓馬が校門の前で壁に背を預けて誰かを待っている姿を目にしたのは。すぐに誰を待っているか分かった。私だ。

 私が校門に差し掛かると待ってたとばかりに隣を歩く。


「どうして隣を歩いてるの」

「まぁ、帰り道が一緒だからな」

「恥ずかしいんじゃなかったっけ」

「まぁな。こんな俺と一緒にいたらお前の価値が―――」

「悪いけどその言葉は聞きたくない。価値価値って人をまるで物みたいに」


 私は怒りにまかせて歩くスピードを上げた。

 すると、拓馬も同じように隣を歩く。生まれたときから一緒の私達は嫌でも相手の気持ちが分かってしまう。歩幅も嫌なぐらい同じだ。


「やっぱり、あいつになにか言われただろ」

「だったらなんだっていうのよ」

「俺のこと、だよな」

「……そうよ。ブサイクだってね。笑える」

「確かにあいつに比べたらブサイクだろうな」


 あははという拓馬の渇いた笑いを、私はモヤモヤとした気持ちで聞いていた。


「なんで分かったの」

「あいつが俺に言ってきたんだ。今日雫を呼び出すって。別にいいよなって。お前のものじゃないんだからってな」

「最低ね」

「ああ。だから見てたんだよ。雫がなにかされないかってな」

「じゃあ、校門で待ってたのは」

「雫が怒ってこっちに来るからあわてて下がったんだよ。見てたのばれたくなかったし」

「ぷっ、あははは! なにそれ。じゃあ言ったら意味ないじゃない。せっかくかっこよかったのに」

「うるせぇな。今の雫見たら言うしかないだろ。マジで怒ってるしさ」

「まぁそりゃあね。私にとっては拓馬は幼馴染だし……大切だし……」

「ん? 悪い。最後の方あんまり聞こえなかったんだ―――」

「―――別になんでもない!……ただ嫌だったのよ。拓馬のこと、なんにも知らないで見た目だけでいろいろ言って来て。何様って感じ」

「イケメン様だろ。ただしイケメンに限るが通用する数少ない奴だ」

「ああそれね。オタクがよく言う」

「ちなみに、お前もただし美少女に限るの部類に入るらしいぞ」

「らしいって。拓馬はそう思ってないの?」

「さぁな。俺は昔のお前も知ってるし。別にそうは思ってないけど……」


 そう言って拓馬が肩をすくませた。

 でも、私は見逃さなかった。拓馬が顔をちょっと赤らめそっぽを向いているのを。嘘を言ってるときの拓馬の癖みたいなものだ。

 私はチャンスだと思って詰め寄った。


「じゃあその美少女がお願いするね。これからは私を避けないで。一緒に帰ってよ」

「それはな……」

「結構つらいんだからね……避けられるの……」


 沈んだ声で私は拓馬を見上げた。

 見つめ合うちょっとした時間の後、拓馬は大きなため息をついた。


「はぁ~……分かったよ」

「ほんとね。しっかりと聞いたから」

「もう別にいいよ。どうせお前は引かねぇし、友達にいちいち彼女かってからかわれるのも面倒だからな。この際、一緒に帰った方が説明しやすい」

「彼女として?」

「ばっ。違うわ! 幼馴染としてだよ! お前を彼女とか……殺される!」

「そう。まぁそれで許してあげる。これからまたよろしくね拓馬」

「ああいいよ。どうせ今更だしな」


 渋々といった感じで拓馬はこの日から私を避けることもなくなり、昔のように仲良くなって今に至るというわけだ。

 お母さんのそばを食べ終わったところで私のスマホが鳴った。

 拓馬かと思ったら、それは高校の友達からだった。


『明日、初詣がてらお稲荷さんいかない?』


 画面をスライドさせメッセージアプリを起動する。


『いいよ』

『よし決まりね! 雫の家ちょうどお稲荷さんいく道の途中だからよってくね』

『ありがとう。何時ぐらい?』

『うーん……まぁ、10時かな。それぐらい』

『分かった』

『じゃあまた明日ね! 近くなったら連絡する!』


 私はそれにOKというスタンプを押して、やり取りを終わらせる。

 時間も時間だということもあり、私はリビングから自分の部屋に戻ることにした。


「お? 雫もう寝るのか? 今日ぐらい夜更かししても許されるのに」

「明日予定があるから。寝とこうと思って」

「あらそうなの?」

「うん。今さっき決まった」

「拓馬君か~? お前達仲良いもんな」

「違うってば。高校の友達。女の子の。それじゃ、私寝るから」

「そうか。おやすみ」

「おやすみなさいね~」


 お父さんとお母さんに手を振られ、私はそのまま2階の部屋に行く。

 隣の拓馬の部屋には明かりが灯ってない。 

 カーテンを閉めると私は眠りについた。

 だがしかし、この時の私には少しだけ心配事があったのだ。それは友達とのやり取りを終わらせた後のこと。なんとなく見た拓馬との会話の、私の返信に対して、未だに読んだという表示がついていなかったことだ。珍しいこともあるもんだなと流したが、私の胸はなぜだか落ち着かない感覚にとらわれていた。

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