第102話 姉という生き物
「それで、残ったステラさんはなにをきっかけにあの家に?」
サキさんの話を聞いていた俺は、乗り上げるように続きを促した。
足が悪く、旦那さんの荷物になるかもしれないと、一緒に住む勇気のなかったステラさんがなにを思ってあの街の外の家に行ったのか。
どうしても聞きたい。
するとサキさんの口から出てきたのは意外な人物だった。
「実は私のおばあちゃんの言葉なんです」
「え……おばあちゃんってステラさんのお姉さんですよね」
「はい」
「どうしてです? 確かお姉さんはステラさんを嫌っていたんじゃ」
仲の良かった姉妹に亀裂が走っていたことを、サキさんは今いま教えてくれたばかりだ。
一方的なお姉さんからの軽蔑。ステラさんが引きこもるようになってしまった原因でもあるお姉さんの言葉がきっかけとなったとはどういうことなのか。
ついつい身を乗り出して聞いてしまう。
「おばあちゃん。実を言うとその段階ではもうステラおばさんのこと嫌いでもなんでもなかったんです。むしろ、屋敷にいてはいけない、庭師の彼と一緒に家を出た方がいいと本気で思っていたって言ってました」
「えっと、じゃあもしかして、サキさんのおばあさんがステラさんに正直に言ったんです? あちらに行った方があなたのためだって」
「いえ、その……」
「―――言わなかっただろうな」
そこで隣からアーシャさんの強い声が聞こえて来る。
終始黙ったまま聞いていたアーシャさんにしては珍しく、分かっているかのような確信が言葉尻にはこもっていた。
「はいそうです。おばあちゃんが言ったのはあまり公にも言いたくないぐらい酷い言葉だったそうです。あなたなんかいらない。早く出ていけ。そんなような言葉を続けて言ったとかで」
「どうしてです!? 嫌いじゃなかったんですよね!?」
話に聞き入っていた俺はつい大声を出してしまった。
だっておかしいじゃないか。嫌いじゃない。むしろステラさんのことを思っているのにどうしてそんな酷い言葉を。
俺には分からない。優しい言葉を投げかけてあげればどちらも幸せになる。姉に嫌われていないと知ればステラさんも楽になるし、なによりお姉さん自身が救われる。
それを自分から放棄するなど、俺には想像できなかった。
しかし、同じような状況のアーシャさんだけは違った表情を見せている。
抗議する俺を見ると、その眉を垂れさせた。
「姉としてのプライドがあったんだよ。きっとな」
「だけど、それでもおかしいんじゃ……」
「今まで突き放していた手前、優しくなんて出来ないんだ。なによりも、たぶんステラさんのお姉さんは自分の身勝手な嫉妬心で、小さい妹を1人にさせてしまったんだからな。今更どういう顔してっておもったことだろう。だからあえていつも通りの態度で接した」
「そんなのって」
「リュウカさんの気持ちもよく分かります。私もおばあちゃんからその話を聞いたとき、同じように詰め寄りました。でも、おばあちゃんはただ『妹に許してもらう資格はない。だったら嫌われ役をずっと続けよう』って言うだけで」
「後悔してなかったんですか?」
「たぶんずっと後悔してたんじゃないですかね。おばあちゃん。だからわざわざ街の外で暮らしているステラさん夫婦に、時折使用人を向かわせていたんだと思います。そのおかげで私はステラおばさんとは良好な関係を築けましたけれどね」
サキさんが嬉しそうに笑った。
姉としてのプライド。正直な話、男の俺には分からない。
俺にも一応妹がいる。いや、いたか。だが、性別が違ったためかそういった兄弟特有の嫉妬心というのはなかった。
妹が自分よりもかわいがられるのは当然だし、小さいとはいえ俺も男だ。しっかりしなくちゃという気持ちの方が大きかった。
だけど、ステラさん姉妹は違ったのだろう。アーシャさんも言っていたが、お姉さんはステラさんに嫉妬した。体が不自由なために、両親や使用人に優先されているのがどうしようもなく悔しかったんだろう。
幼い子に身体的問題は関係ない。分からないんだ。仕方のないこと。
そう割り切って考えると、お姉さんから見てステラさんはどれだけ成長してもなにも出来ない赤子当然のように見えてしまった。当たり前のようにできる着替えさえ満足にできないステラさんを見て、どうして怒られないのかという思いがお姉さんにはあったのだ。だから、次第にいじめるようになってしまった。赤子だったころに感じていた優しさは影を隠して。
しかしそんなお姉さんも結婚もできる歳になれば、自分がステラさんに感じていた思いが、どうしようもなく幼稚でバカな思いだと分かったのだろう。
素直に謝ればそれでよかったはず。でも今までの態度と、姉としてのプライドが邪魔をして素直になれなかった。
そこで仕方なく追い出すような形をとったというわけだろう。
後悔がなかったわけがない。
実際に旦那さんが亡くなったときに家に呼んでいるのがその証拠だし、自分の孫と会わせたのも罪滅ぼしの1つだったのかもしれない。
俺は支部長室の奥の扉を見た。
中にいるであろうステラさんへと意識を向けて。
「ステラさん。お姉さんの思いは知っているんでしょうか……」
「たぶんですけど、分かっているんじゃないかなって思うんです。呼び出しに応えてくれたので。でも、屋敷を見るとどうしても過去の記憶が掘り起こされて、居心地悪かったんだと思います。おばあちゃんには言ってませんでしたけど、見送った私にステラおばさん謝ってきましたから。ごめんなさいって」
「そうなんですか……」
いたたまれない。お互い分かっていても歩み寄ることが出来ない。姉妹として、離れて暮らしているうちに、もうどうしたって修復できないまでに溝が深くなってしまっていたのだ。
サキさんのおばあさんは自分で作ってしまった溝をなんとか埋めようと、貴族をやめ屋敷を手放し、普通の民家に暮らした。
そうしてステラさんを受け入れる準備が整ったところで、病に伏してしまい帰らぬ人となってしまった。
「結局おばあちゃんは自分の口で言えてないんですよ。ステラおばさんへの本当の気持ち。ずっと大好きだったのに」
サキさんの声が震える。
俺もサキさんのおばあさんの気持ちを思うと胸が苦しくなる。
結局のところ仲たがいした姉妹の溝が埋まることは一生無くなってしまった。ステラさんも自身の姉の本当の気持ちを聞く機会を永遠に失ってしまったことになる。
互いに互いを思い手を伸ばしていたのに、最後のところでどうにもならなくなった。
サキさんは涙目のままにアーシャさんを見つめる。
事情を聞いているはずのサキさんにはアーシャさんとシャルロットが姉妹であることと、自分の祖母と同じようなことになっているのが分かっているがための視線だろうことは俺でも理解できた。
「アーシャさん。だからというわけではありませんが、二度と会えなくなる前にシャルロットさんには本当のこと言ったほうがいいですよ。あなたはどことなくおばあちゃんに似ている感じがしますから」
「アーシャさん」
俺もサキさんと同様隣のアーシャさんを見つめる。
ステラさん姉妹の話はアーシャさんとシャルロットとは似ていないようで似ている。ステラさんと同じようにシャルロットは体にハンデを背負っている。そのためきつい態度をとってきたアーシャさんだが、アーシャさんは元からシャルロットのことを嫌いでも何でもないのだ。嫉妬もなければ身勝手な想いもない。ただ不器用ながら妹のことを想っているだけ。
サキさんのおばあさんよりもハードルは低いはず。
頷くだろう。
俺はそんなこと思っていた。この場の誰もがきっとそれを望んでいた。
しかし、いくら待ってもアーシャさんは首を縦には振らない。
考えている素振りは―――見えなかった。
もう決まっている。そういった強い意思でサキさんの助言を受け取る。
「サキさんのおばあさんの話。ステラさんの話。考えさせられることばかりでした。ですが私たち姉妹とは関係のないことです。私たちには私たちのやり方があります」
「……分かりました。ごめんなさい。不躾なことを申しまして」
「いえ、サキさんが私やシャルロットのことを想ってくれているのはよく分かりましたから。ありがとうございます」
アーシャさんはそう言い、今度は俺の方を向く。
「リュウカも。心配してくれてありがとな」
ニコッと笑うアーシャさんの顔に俺はなにも言えなくなった。
決めているんだ。もうその気持ちは揺るがない。
俺はかぶりを振ると、アーシャさんは頷いてくれた。
「サキさん。ストレージは持っていますか?」
「は、はい」
話が終わったことを悟ったアーシャさんがおもむろにサキさんにそう言うと、テーブルの上に自分のストレージを取り出した。
サキさんも慌てて自分のストレージを手に持つ。
「ささやかながら私が出来ることをさせていただきました」
そう言いアーシャさんがサキさんのストレージに自分のストレージをかざす。中に入っていたあるものをサキさんへと譲渡した。
「これって」
サキさんがストレージに表示された文字を見て驚いたようにこちらを見てきた。
見なくても分かる。アーシャさんが渡したのはステラさん用の新しい車いすだ。襲撃の影響でダメになってしまった代わりというもの。
アーシャさんが朝俺のとこの来たのは、ステラさんが足が悪いかどうかの確認だったのだ。助けたときに近くに車いすらしきものが落ちていたが、ステラさんだけを抱えて出てきてしまい、回収できなかったそう。
一応俺たちと会ったときに調査も兼ねて家の中に入ったが、きれいに焦げてしまい使い物にならなかったらしい。
わざわざ俺を呼び出したのは、シャルロットにばれないようにするためと、車いすだけでいいかという確認だった。他に必要なものがあれば買うつもりだったらしいが、車いすだけで目立ったものはなかったことを伝えると、俺も一緒に買い物に付き合った。俺たちが昼頃にギルド会館に着いたのはその買い物を済ませたからだ。
「車いすです。一応アイリスタで一番良い物を用意しました」
「そんな……! こんな良いものもらえません! 助けていただいただけでも感謝しているのに、こんなものまで」
「貰って下さい。妹のせいでステラさんは家も車いすも失いました。姉としてはこれぐらいしかできませんから」
アーシャさんは有無を言わせない笑顔でそういうと、自分のストレージを体の中にしまった。
「本当であればステラさんに直接渡すべきなんですが、支部長に断られまして」
「ふぉふぉふぉ。アーシャの気持ちも分かるが、シャルロットちゃんと約束してしまいましたからな。一番最初に伝えるのはシャルロットちゃんと」
「ですのでサキさんにお渡ししておきます。まだ、シャルロットが出てくる気配もないので」
アーシャさんは扉を見つめる。
扉が開く気配は一向にない。笑顔だったのを確認しているから問題はないが、中に入るのは気がひけるだろう。
アーシャさんが立ち上がる。
「私はこれで失礼します。シャルロットに見つかっては面倒ですから」
「……やっぱり、会わないんですね。自分のお姉さんがここにいることをシャルロットさんが知ればきっと喜びますよ?」
「かもしれませんがこれが私の姉としてのやり方です。すみません」
アーシャさんはサキさんに一度頭を下げて支部長室を後にした。
誰もなにも言わない。
これが私のやり方だと言われればどうしようもなくなってしまう。
シャルロットはまだ中にいることだろう。
サキさんもアーシャさんには思うところがあるのか複雑な表情のままストレージを見つめている。
俺はヘイバーン支部長に目配せし、アーシャさんの後を追うように椅子から立ち上がった。
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