第101話 母娘のような2人

「屋敷で1人だった私の目に飛び込んできたのは、部屋の窓から見える庭の様子だけだった。変わらない緑ばかりの風景。生まれてから何年と見てきたその風景が、でもある日を境に変わっていることに気づいたわ」

「変わった、ですか?」

「そうなのよ。緑一色だった庭にある日から色とりどりの花が咲くようになった。赤から黄色、白、たくさんの花が緑だけの庭にアクセントを与えていたの。どうして。なんでって思ったわ。家族から使用人まで庭に関しては別段気にした素振りも見せなかったから。それで気づいたの。庭に見知らぬ人がいるって」

「もしかして、それって」


 花が好き。その情報が当てはまるとしたら、私の知っている人でステラさんと関わりのある人は1人しかいなかった。

 亡くなった旦那さんだ。

 ステラさんは私の言葉に満足いったのかニコッと笑って見せると、愛おしそうな声で思い出を語ってくれた。


「ええ。未来の私の旦那よ。私が引きこもっている間に両親が雇っていたらしくってね。あの人が来てから庭は変わったわ。緑だけの変わり映えのしないところに、パッと明るい光が差したようでね。私は自室でじっと庭を眺めていたのよ」

「本当にお花が好きだったんですね」

「そうね。男にしては女々しかったという印象は拭えなかったけれどね。実際、庭が変わっても誰として反応は示さなかったわ。姉も両親も使用人さえも。唯一、メイドの人とは話が合ったみたいで、よく仕事の合間に話しているのを見たわ」

「あ、あの、嫉妬とかは」

「ええ? 嫉妬? ないわよ。だってその時は私は引きこもってて、ろくに話したこともなかったのよ。旦那とは面識すらなかった。恋をするにはあまりに違っていた」

「でも、こうして結婚までして、街の外で一緒に暮らしたんですよね。いったい何があったんですか!?」


 私はついつい大きな声で聞いてしまった。

 恋バナは嫌いじゃない。こんな自分がいたことに少しだけ驚いてたけど、聞きたくて仕方がなかった。耳なんてずっとぴょんぴょんして止まらない。

 ステラさんはそんな私を面白そうに見てから、笑顔のままで続きを話してくれた。


「旦那を好きになったきっかけは覚えてないけど、話すようになったきっかけは覚えてるわ。ある日、いつもの様に私が自室の窓から顔をのぞかせていると、旦那とばっと目が合ったのよ。私はびっくりしちゃってすぐに顔を引っ込めたのだけれど、気になってまた覗き込んだ。すると、旦那はずっと私の部屋の方を見てたわ。目が合うとニコニコっと笑顔を向けてくれていた」

「ステラさんがいることに旦那さんは気づいていたんですね」

「ええみたいね。たぶん、聞かされていたんじゃないのかしら。雇われる時に私のことも。それで、なんだか腹が立ってきて。だって嫌じゃない。こっちは顔しか知らないのに、あっちは私のことを知ってるなんて」


 ステラさんの口調がちょっと若返る。

 たぶん、その時のことを思い出しているのだろう。今のステラさんでは想像もしない理由で腹を立てていたことに、私の顔がにやけてしまう。


「それでね。私はそのまま部屋を飛び出して庭に行ったのよ。引きこもってばかりで筋力も衰えてたから行くのも精一杯で。でね、息を切らせて庭に出ると、まるで待ってたとばかりに旦那がそこにいたの。変わらないニコニコッとした顔を私に向けてきた。飲み物と花を1輪持って。なんだか思ってたよりも背丈が大きくてびっくりしたけど、悪い印象ではなかったわ」

「かわいいですね。庭師って感じがしません」

「実際、本人もそう言っていたわ。僕は男っぽくないでしょって。女性との方が話しやすいんだとも言っていた。変な人って思った記憶はあるのよ。でも不思議と彼の前では自分を取り繕う必要がなくて……きっとそういう雰囲気を持ってたのよ」

「……リュウカさんみたい」


 私の口から咄嗟にでた名前に自分でもびっくりした。

 勝手に口から出た。ステラさんの旦那さんの話を聞くと、なんでかリュウカさんが頭の中に出てくる。

 どうしてだろうか。リュウカさんは女性だし、旦那さんのイメージとは違う。花も好きじゃない。でもなぜか、同じような気がしたんだ。

 取り繕う必要を感じない。安心できる。

 リュウカさんもそんな雰囲気を持っている気がする。

 実際にステラさんが私の呟きに頷いていた。


「そうかもしれないわね。ちょっとタイプは違うけど、纏ってる雰囲気は同じ気がするわ」

「じゃあ、ステラさんのがあのとき、別れるときに私に対して言ってたことって」

「ええ。旦那と同じような雰囲気を纏った彼女なら、私と似た苦しみをしているシャルロットさんを救ってくれるかもしれないって。いえ、違うわね。救ってくれると確信してるといった方が正しいわね」


 私はその言葉でポケットの中にある手紙を触った。

 紙なのに暖かい。触るだけで勇気がもらえる不思議な感覚が私の体を包み込む。

 私が何も言わないでいると、ステラさんが続きを話し始めた。


「しばらくのあいだ旦那と話していたわ。毎日のように私は外に出るようになって、旦那と話した。楽しかった。旦那はね、私の体に対してなんにも触れなかったのよ。それがなによりも嬉しかった。花を近くで見たいといえば、当たり前のように車いすを押してくれた。ためしに、必要ない、1人で出来るって突っぱねたこともあったけど、旦那は普通に分かったって言ってなにもしなかった」

「なんだか意外ですね。家に雇われている庭師だったら無理してでも手伝いそうな感じがしてしまいます。一応じゃないですけど、ステラさんもお嬢さんですから」

「ええそうね。でも、旦那のその態度が私にとってはなんだかより一緒にいて心地よかった。だからかしらね。私の顔にだんだんと笑顔が戻ってきたの。そのときに、旦那が初めて言ったのよ。やっと笑ってくれましたねって。不意に気になってどうしてそんなこと言うの?って聞いてみたら予想外の言葉が返ってきたのは今でもはっきりと覚えているわ」

「なんです? 言葉って」


 気づけば私はステラさんの方に振り返っていた。

 ステラさんの髪を梳くのをやめると、櫛をおき、頬を触ってニコニコと言った顔で応対してくれる。


「部屋から見える風景が変わらないと嫌でしょ。だから、花を植えたって」

「それってもしかして」

「ええ。彼は最初っから私に見せるために花を植えていたらしいの。驚いたわ。なんで、どうしてって強く質問した記憶があるのよ。そしたら困った顔で、自分には花しかなかったって言ってたけど。おかしくって何年ぶりかに心から笑ったわ」

「優しい人なんですね」

「違うわよ。ただ不器用なだけ。でも、そんな不器用な優しさが私には嬉しかった。彼と一緒にいる時だけは惨めな自分を忘れられた。すると、次第に惹かれあっていたのよね。お互いがお互いのことを好きになり始めていた」

「なんだかわくわくしてきました」

「ふふ。シャルロットさんも女の子ね」

「それからどうなったんです!?」

「すぐにくっついた……とはいかなかったわ。だってそうでしょ? 私は車いすがいるような人間。誰かの手を借りないと何もできない惨めな1人の女。彼にはもっといい人がいるはずだって思って。好きだからこそ、彼には幸せになってほしかったから」

 

 私はステラさんの言葉に何も言えない。

 そうかもしれない。自分に置き換えたとき、そう思った。

 乗り出した体が元に戻る。

 恋とかでは比べられないけど、リュウカさんのことを思うと、確かに自分が一緒に居て迷惑をかけたくないという思いが大きくなる。

 別の、なんのしがらみも持たない人と一緒にいてほしいと思う。こんな自分とは離れた方がいいと。大好きだから。大切だからこそ、その思いが強くなる。

 ステラさんもそうだったんだ。


「でも、そういう私に彼は引こうともしなかった。むしろ、そんな身体的なことは関係ないって言ってくれたわ。嬉しかったけど、私はどうしても自分に自信が無かったから素直に受け入れられなかった。するとね、彼は私の両親に私を下さいって言いに行ったのよ。もう、驚くとかじゃなくって」

「意外と強引だったんですね。もっと、大人しい人だとばかり」

「私だってそう思ったから、どうしてそんなことをって詰め寄ったの。そしたら、僕が幸せにするってね。涙が出そうだった。嬉しかった。両親は了承したそうよ。彼なら私を任せられるって思ったんですって。すでに家は長女の姉が継ぐことが決まっていたし、姉も反対しなかった。多分、厄介者がいなくなることが嬉しかったんだと思うのよ」

「…………」

「人に対してコンプレックスを持つ私に、旦那はある提案をしてくれた。それが街の外で暮らそうというものだった。退魔の宝玉は私の屋敷にだいだい受け継がれてきたもので、手に入れるのは簡単だったのよね。宝玉とはいえ普通に生活していたら必要ないものだから。両親も姉もすぐにくれたそうよ」

「それで、ステラさんはあの家に?」

「いえ、行ったのは旦那だけ。私は……まだ自信が無かった。一緒になってもいいのかってね。優柔不断。今にして思えば行けばいいのにって思うけど、当時の私はまだまだ自信が無かった。荷物になる。そう思って疑ってなかったのよ。旦那は待ってるって言ってた。ごめんなさいって謝ったら、気にするなって。可愛い子を待つのは悪くないって。辛いくせにかっこつけちゃって」

「いい人ですよ。そこまで言ってくれてる人、私にはいませんから」

「あら、そうでもないわよ」

「いませんよ」


 私ははっきりとそう言った。

 でも、ステラさんはニコニコとしてあることを教えてくれた。


「リュウカさん」

「え……?」

「彼女はシャルロットさんがなにかを自分に隠していること、あの依頼の段階で知ったいたのよ。それでね、2人で話してるときに旦那と同じことを言っていたわ」

「それって……」

「かわいい子を待つのは苦痛じゃない。はっきりとした言葉でそう言った。あのときのリュウカさんはまるで男の子みたいな顔だったわ」


 私は視界が歪む。目頭が熱くなる。

 リュウカさん、知ってたんだ。私がなにか隠してるの。それでもずっと一緒に……待ってくれていた。悪魔憑きだと分かってもなお味方でいてくれた。私を庇おうとしてくれたことに、今になって気づけた。

 涙ぐむ私をステラさんが優しくなでる。

 まるでお母さんの様に優しい顔だ。

 しばらく私は静かに泣いた。泣き止まなかった。まだステラさんの話は途中だというのに。止まらない。

 ステラさんはそっと私を抱き寄せてくれる。

 あの家で別れたとき、そして今。私は2度ステラさんに抱きしめられた。娘になったような気分で、私はステラさんの好意に甘え泣いた。

 そのまましばらく部屋は私のすすり泣く声以外なにもない静かな時間が流れた。

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