第100話 ステラさんの過去

「私はね。昔から足が悪かったのよ」


 髪の毛を梳かれながら、昔話を始めたステラさんの言葉を私は静かに聞いた。

 懐かしむように穏やかな言葉だったが、内容は穏やかとは程遠く、辛く苦しいもの

だった。


「先天性の病気でね。生まれてすぐに一生歩けないでしょうって言われたそうなのよ」


 それはどうだろうか。

 他の人が当たり前にできることができない。聞いたときの親の気持ちなど、考えたくもない。


「それでも、生まれて間もないころは幸せだったと思うのよ。だって歩けなくて当然だもの。なにも違いはないわ。ただ、ちょっと下半身が動かないだけ。でもそれも長くは続かなかったわ」


 子供がどれだけで立ち上がるのか、育児の経験もなく、下の妹弟もいない私には分からない。けど、生まれてから1年とかそこらへんなような気がする。

 1年の内に、ステラさんは普通から外れてしまったのだ。


「物心ついたときには車いすでの生活が当たり前で、周りのことは使用人の人たちにしてもらっていたわ」

「使用人?」

「ええ。これでも一応、貴族の娘ですもの」


 私はその発言に正直驚いた。

 まさか貴族だったとは思いもしない。

 しかし、退魔の宝玉なんて貴重なものを持っていたり、あれだけ大きな家を街の外に建てたり、ステラさんの気品ある振る舞いを見ていたら、変な違和感はない。むしろ、なんで今まで気づかなかったのだろうと思うぐらいだ。

 それだけ、私の心には余裕がなかったのだということだろうか。


「使用人のおかげで生活には困らなかった。両親も優しくて、足が不自由な私のことをよく気遣ってくれた。外に行きたいといったら母がつれだしてくれたし、本当にお姫様の様に大事に育てられたわ」

「幸せそうですね。良いご家族です。ステラさんは大事に大事に育てられた。私とは違ってお荷物だなんて考えようもありません」

「いいえ。そうでもないわ。本当の話はこれからなの。なぜシャルロットさんと私が似ているなんて言ったのか。それはこれからなのよ」


 そう言ってステラさんは話の核心に入っていった。


「誰からも大切にされて、当時は本当に幸せだった。足が動かなくても胸を張って自分というものを表現できたわ。順風満帆。幼かった私はそう思って疑わなかった。でもね、大事に大事に、特別に扱われることの危うさに気づけなかったの。ほころびはすぐそこにあったのよ」

「ほころび?」

「ええ。姉よ」


 その単語に私の体は嫌にでも反応してしまう。

 ステラさんはそんな私の気持ちを察してか、落ち着かせるように髪を梳く手を一定に保ち続けてくれた。


「私には歳の離れた姉が1人いたの。もちろん、私も姉のことが好きだった。小さな私を母の様にかわいがってくれたわ。足が不自由な私をお風呂に入れてくれたり、一緒に寝たりもした。楽しかったのは今でも覚えているの。でも、姉も思春期の女の子。次第に特別扱いされる私をいい目では見なくなったのよ」


 ステラさんの声が下がる。

 横目でステラさんの顔を盗み見ると、悲しそうに眉を下げていた。


「ついには姉は私に構うことが無くなった。あれだけ仲が良かった私たち姉妹は、もう口も利かないぐらい敬遠な仲になっていた。私はよく分かったわ。姉が私に愛想を尽かしているって。どれだけ成長しても自分じゃ着替えも満足にできない。お風呂だって1人で行けない。なのに、足が動かないだけで特別扱い。姉には我慢ならなかったのね」

「でもそれは仕方がないことじゃ……」

「そう。仕方のないこと。足が動かないのは誰のせいでもない。それがいけなかったのよ。姉だって分かってたはずだわ。でも我慢ならなかった。両親は私に気を使いすぎて姉をほったらかしていた。使用人も私優先。家の中で一番優先だったのは私だったの。姉はどちらかというと目を離しても大丈夫だということになっていた。たぶんそれがいけなかったのね。姉は私に対してコンプレックスを持つようになったわ」


 ステラさんの手から力が抜ける。


「次第に姉の態度が顕著になっていったわ。怒るようにもなったし、あからさま私を敵視するようにもなった。そんな姉の態度に、両親も使用人も困っていたわ。でも、わがままな子と割り切ろうにも、貴族である家の長女がこのまま成長していけば問題にもなる。それを恐れた両親は使用人に、私を特別視するのをやめさせたわ。両方同じように見る。それが常になった」


 ステラさんの言っていることは普通の人が言えば当たり前のことだ。当たり前にできることを当たり前にする。使用人は家の清掃や身の回りの世話をする仕事であり、誰かに肩入れするなどあってはならない。そういったことだ。

 だけど、ステラさんの場合はそう簡単なものじゃない。足が不自由で車いすの生活を余儀なくされ、着替えもお風呂も満足にできないのはどうしようもないことだ。ステラさんの意思じゃない。

 平等ということはお姉さんにしないことはステラさんにもしない。そういうことになる。

 それは今まで周りのサポートなしでしか出来なかったことも、次からは自分でしなければいけないということ。

 どう考えても無理だ。無理がありすぎる。


「家族としてこんなこと言うのもあれだけれど、姉としてもそれが狙いだったのね。自分もこの家の子供だと認識してほしかったのよ。寂しさを埋めたかっただけ。だけど、私はそんなこと知らなくて、ただ姉は意地悪で一方的に嫌っていて、そんな姉の態度に悲しくもあり、悔しくもあって、どうにかこうにか私は1人でなんでもこなそうとしたわ。着替えも、お風呂も、誰の手も借りずにやってのけて見せた。最初こそ全然できなかったけど、次第にできるようにはなった。でも、出来るようになったらなったで弊害もあったわ」

「それは…いったい……」

「一度でも出来ると見せてしまっらた最後、今度は完全に放っておかれるのよ。あの子はできるから大丈夫だって思われてね。誰も手を貸してくれなくなったわ」

「ひどい」

「いいえ。ひどくはないわよ。それが人間だもの。それに、原因は私にもあったしね」


 そう言ってステラさんは自嘲気味に笑った。


「1人でなんでもできると分かった私はおごってしまった。自分は何でもできるんだ。手を貸してもらわなくても大丈夫。姉に下に見られるのもお終いだと思ってね。悪い方向に反骨精神がいってしまい、手を貸してくれようとした人に対して高圧的に当たってしまったわ」


 今のステラさんからは信じられないような言葉だった。

 まるで想像が出来ない。

 しかし、語られているのは嘘偽りない、ステラさんの過去だ。


「すると、本当に1人になってしまった。誰も手を貸してくれなくなった。そしてさらに自分の限界も知ってしまったわ。車いすではどうしたって1人で外に出ていけない。高いところの物も取れない。だって立てないんですもの。背伸びも出来なければ、なにかの台を利用することも出来ない。そして失敗して使用人に迷惑をかける。何度かそんなことが続いたわ。すると人間って不思議でね。自分がどれだけ無力で小さな存在なのか悟ってしまうのよ。あれだけ自信に満ちていた私から、どんどんと自信が無くなっていった。そして最後には、部屋に閉じこもってしまった」


 それはまさしく私とおなじだった。

 惨めで悔しくて、迷惑ばかりかける自分が嫌になる。

 ステラさんの体験したことは経緯は違えど、私に似ている。


「生きていくのがつらくなったわ。どれだけ成長しようにも、立てない私には限界がある。絶対に迷惑をかける。歳を取って、いい歳になっても迷惑をかけ続ける。私はお荷物でしかない。そう思っていたわ」

「……分かります。嫌になるんですよね。どうして自分なんかが生きているのかって。世界で一人取り残されているかのように。外で普通に生活している同じぐらいの歳の子とかを見ると余計に苦しくなる」

「ええそうね」

「でも、今のステラさんはとても幸せそうです。そんな過去があったなんて分からないぐらいに。なにがあったんですか?」

「聞きたい?」

「はい。ぜひとも。参考になるか分からないですけど……」

「いいえ大丈夫よ。ちゃんと参考になるから。絶対にね」


 なにかの確信をもって、ステラさんは強く頷くと続きを話してくれた。

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