第99話 祖母の遺志を受け継ぐサキ

「あんな表情のステラおばさんを見たのはずいぶんと懐かしいです」


 椅子に戻ると、サキさんが独りでに口を動かした。

 その声音はどこか懐かしむような、哀愁が漂っていた。


「旦那さんが亡くなってからは、あまり笑わなくなったというか、ずっと寂しそうだったので」

 

 顔を伏せてサキさんは悲しい表情を浮かべる。

 俺はそれに対してずっと疑問に思っていたことの正解を見た気がした。

 確かめるために聞く。


「もしかして、ステラさんの身の回りの世話をしていたのって」

「はい。私です」


 やっぱり。

 足が不自由なステラさんが、旦那さんを亡くして1人であの家に2年も住み続けるなんて無理だ。街からも遠くなにかを買いに行くことも難しい。

 あんな大きな家でさらには花畑も維持なんて、1人で出来るわけがないとはずっと思っていた。

 つまりはこのサキさんが定期的にステラさんの家に来ていたのだ。

 だから、きれいで保たれていた。


「昔から私はステラおばさんが好きで、よく両親に連れてきてもらっていました。一応これでも子供の頃は貴族の子供だったので、街から離れているステラおばさんの家に行きたいといったわがままも通りましたから」

「貴族?」

「はい。今は違いますが、昔はそれなりの身分があったんですよ」


 俺は正直驚いた。

 貴族。まさかそんなすごい身分の人だなんて、ステラさんからは感じられなかった。

 しかし、隣のアーシャさんは俺とは対照的に驚いていない。

 むしろ知っていたかのように冷静だ。


「やはりか。退魔の宝玉なんて一般の人間が手に入れられる代物じゃない。大方の予想はしていた」

「分かりますよね」

「ああ。だが昔はと言ったか。失脚でもしたのか?」

「違いますよ。私のおばあちゃん……つまりはステラおばさんの姉ですね。が、自分から身分を落としたんです」


 姉という単語に俺もアーシャさんも反応する。

 アーシャさんが理解できないと言ったようにサキさんを見た。


「なぜそのようなことを……貴族という立場を自分から捨てるなど聞いたこと」

「驚かれるのも無理ありません。過去の歴史を見ても不正がばれての失脚以外で、自分から身分を捨てた貴族は私たちの家系だけです」

「意味が分からない。家族から反論は上がらなかったのか」

「上がりませんでした。元々、私の両親は身分なんて気にしないタイプだったので。難なく貴族から普通の家系になりましたよ。生活は一変しましたが、私も大して困らなかったのでよかったんです。それに、あんな理由を聞いてしまっては断れませんしね」

「あんな理由?」

「はい。おばあちゃんが貴族を捨てると言ったとき、使用人や私たちにこう続けたんです」


 サキさんは1拍置くとその理由を口にした。


「妹の、ステラの帰ってきやすい場所にしたい。そのために身分を落とすと。妹が会いに来やすい場所にしたいんだって」

 

 それはどういう意味なのか。

 俺やアーシャさんにはそれだけでは分からなかった。

 身内なら貴族だろうと帰れるものだ。帰りにくいと感じることはないだろう。

 しかし、その言葉で断れなくなったということはなにかあったということだ。貴族のままでいることへの弊害が。

 俺たちが理解できていないのを分かっているのか、サキさんがさらに続けた。


「ステラおばさんの旦那さんが亡くなったとき、1度だけステラおばさんが家にきたことがあるんです。まだそのころは貴族でしたから」

「てことは、貴族ではなくなったのはつい最近なんですね」

「はい。きっかけはこのときにできたんでしょうね。家に帰ってきたステラおばさんは落ち着かないといったように、すぐに帰っていってしまいました。表情も固かったように思えます」

「なんで……」

「ステラおばさんにとって、貴族としてのあの家にいい思い出がなかったからです。旦那さんがいればまだ違ったんでしょうけど、もう2度と会えなくなってしまいましたから。おばあちゃんはそんなステラおばさんを見て決心したそうです。追い出すような真似をしてしまった自分を責め、今度は自分が妹を受け入れようと」


 サキさんは泣き出しそうな表情でどんどんと話してくれる。

 それを一番真剣に聞いているのは隣のアーシャさんだ。姉や妹、家から追い出されたステラさん。状況は違うが、どこかアーシャさんとシャルロットの姉妹と重なる部分が存在する。

 サキさんが上を向き、涙を流さないようにしながら言う。


「旦那さんが亡くなり、ステラおばさんが1人で住むには限界がある。だから、おばあちゃんは貴族を捨て、普通の家の普通の家族になり、ステラおばさんが来るのを待った。死ぬまでずっと……」

「死ぬまでって」

「まさか、君のおばあさんは」

「はい。1年前に急な病気で。結局、生きている内にステラおばさんを迎えられなかった。だから、私がその遺志を継ごうと思ったんです。ステラおばさんと旦那さんの影響で花が好きになり、そのまま花屋を経営している、ステラおばさんの旦那さんとよく似た、花の様に優しい人と結ばれた私が」


 サキさんが涙目を強くして、俺たちを見つめる。

 目をこすると、不意にその手を自分のお腹にあてた。


「私のお腹の中には新しい命があります。いずれお腹が大きくなりこれまで通りに通えなくなる。だから、夫と相談して家にステラおばさんを迎えることにしました。夫も私と一緒にステラおばさんの家に行ったこともありますし、問題はありませんでした。私たち夫婦は私の家のすぐ隣に家を借りて住んでいますから、おばあちゃんの遺志も達成できるだろうと思って」


 愛しくお腹を触るサキさんは、またしても俺たちに頭を下げてきた。


「だから、感謝しかありません。近いうちに取り壊す予定だったんです。こんな形で失ったことは確かに私もステラおばさんも望みません。ですけど、リュウカさんとシャルロットさんは最後にとっておきのものを見せてくれました。ステラおばさんはそう言って笑っていたんです」

「そう言ったってことは、話したんですか」

「はい。あの家が魔物に襲われる前日の夜に。あんなに嬉しそうなステラおばさんを見たのは、2年ぶりでした。まるで旦那さんが帰ってきたかのように、その日の夜には花畑が満開になりました。あり得ないことです。こんなうれしいプレゼントはありません」

「そうだったんですね。よかった……」

「ありがとうございます。リュウカさん。依頼を受けてくださって」

「そんな。ただ私は」


 マフラーにつられた。 

 さすがにそうは言えなかった。

 黙っていると、サキさんは顔をあげてステラさんとシャルロットがいるドアの向こうを見る。


「それにシャルロットさんには2重の感謝をしなければいけません。ステラおばさんの夢を叶えてくれましたから」

「夢、ですか?」

「はい。ステラおばさん、実はずっと子供が欲しかったんですよ。ああやって髪を梳いたりしたかったと常に言ってました」


 その言葉に俺は頭の中でなにかが引っかかった。

 

「気づきましたか? あの家にはおかしいところがあったと思います。もし旦那さんが生きていたとしても、おかしなところが1つ」


 俺の反応を見ていたのかサキさんが微笑みながらそう言ってくる。


「……変だなとは思いました。ステラさんは旦那さんと2人。なのに、リビングの椅子は2つだった」

「そうなんです。車いすのステラおばさんには椅子は必要ありません。旦那さんの分を考えても1つでいいはずです。私が定期的に行ってたいとしても、2年も経てば椅子は1個取り除くはず。それをしなかったのにはステラおばさんの夢があったからです」


 そう言ってステラさんの代わりにサキさんが微笑んだ。


「少しだけ昔話を聞いてくれませんか? 私の聞いたステラおばさんとおばあちゃんの過去です。こんなこと言うのも変ですけど、きっと参考になると思いますよ。アーシャさん」


 サキさんはアーシャさんに意味深な表情を向けると、そのままステラさんの過去を話してくれた。

 なぜ街を離れてあんな所に住むようになったのか。

 どうしてそこまでサキさんのおばあさんが、妹のステラさんのことを気にしていたのか。

 そしてなによりも、どうしてシャルロットが悪魔憑きと聞いても怒らず、ステラさんもサキさんも穏やかな表情を浮かべているのか。

 全てをサキさんは話してくれた。

 それをアーシャさんは終始、黙ったまま真剣に聞いていた。

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