第92話 悪魔憑きの未来

 シャルロットが去ったことで支部長室には重い空気が立ち込めていた。

 俺もミルフィさんもドアを見て言葉を失っている。

 アーシャさんに至っては手を伸ばしたまま、表情を歪めてしまっている。

 無理もないだろう。あんなに怒っている態度を取っていたが、シャルロットのことを一番気にしているのはアーシャさんだ。

 妹のあの顔を見てしまえば、姉としては放っておけない。それでも追いかけられないのはアーシャさんの今までの態度が原因だった。

 突き放しておいてここで追いかけるなんで出来ない。

 そう思っているのだろう。

 固まっているアーシャさんに誰も、何も言えない。

 そんな中、ヘイバーン支部長だけは違った。

 立ちつくすアーシャさんの背中に声をかけたのだ。


「アーシャ。もしかしなくても、シャルロットちゃんは君の身内かね?」


 ヘイバーン支部長は軽くそう言う。

 アーシャさんだけじゃない。俺とミルフィさんもヘイバーン支部長の言葉に驚き、その顔を見た。

 ヘイバーン支部長は柔らかい笑顔でアーシャさんと俺たちの顔を眺めていた。


「あの、支部長、どうしてそれを」

「なんとなくじゃよ。歳をとるといろいろと分かるようになるもんじゃ」


 ふぉっふぉっふぉと笑うヘイバーン支部長に対して俺たちは顔を見合わせた。

 なんだこの人。シャルロットとは初対面だったというのに、俺やミルフィさんよりも早く気づいた。

 支部長になっている人物だけはあるというか、俺のことを見破ったときのような鋭い観察眼だった。

 アーシャさんが観念したように頭を下げる。


「すみませんでした。隠しているつもりではなく」

「分かっています。悪魔憑きが身内など言いにくい」

「いえ、そうじゃなく。言わなくてもいいと勝手に判断しました。すみませんでした」


 アーシャさんは深く深く頭を下げる。

 支部長がそれに対し一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐにいつもの様な顔に戻った。

 視線をアーシャさんの頭に向けると、優しい声で呟く。


「アーシャとシャルロットちゃんはケンカでもしているのかな? シャルロットちゃんはずいぶんとアーシャを怖がっていたように見えるけど」

「ケンカと言えばそうかもしれません。あいつはまだ自分の運命を分かっていないんです。私の言うことも聞かずにこんなところまで」

「それはアーシャに近づくためなのでは?」

「分かっています! だけどあいつは……」


 徐々に涙声になるアーシャさんに俺もミルフィさんも自分の事の様に胸を痛めた。

 アーシャさんはシャルロットが嫌いなわけじゃない。しかし、シャルロットが背負ってしまった運命を考えると、突き放し、家で大人しくさせておいた方がいいのは事実だ。

 アーシャさんも言っていたがシャルロットが塞ぎこむと悪魔憑きの効果はなぜかおさまるのだという。

 それを利用するのが一番周りの人のためでもあるし、シャルロット本人のためでもある。

 人が塞ぎこむにはそれなりの理由がいる。大好きなお姉ちゃんというのはもってこいのものだった。人は誰だって大好きな人に嫌われればショックを受ける。

 だからアーシャさんはシャルロットに嫌われる道を自ら選んだ。シャルロットのために。

 しかし、シャルロットはそれに対し粉骨精神を芽生えさせ、お姉ちゃんの警告を無視して追ってきてしまったのだ。

 アーシャさんにとってそれは嬉しくも辛いものだったのだろう。

 しかも、シャルロットはアーシャさんが懸念していたことを起こしてしまったとなると、姉としてやるせない気持ちでいっぱいのはず。

 シャルロットの前で必死にこらえてきた涙も流れるというものだ。

 続く言葉を言えなくなったアーシャさんに、ミルフィさんが立ち上がりその背中をさする。

 そんな2人を見てヘイバーン支部長はアーシャさんに対して会話を続けた。


「アーシャ。突き放すだけが愛情ではないですよ」

「ですが……私にはそれしか……」

「こんな老いぼれの言うことなど信用できないかもしれませんが、姉妹、家族というのはどれだけ離しても、切っても切れないなにかで繋がっているのです。アーシャがどれだけシャルロットちゃんのことを想っても、本当の気持ちを伝えなければアーシャの態度はシャルロットちゃんには辛く苦しいだけですよ」


 ヘイバーン支部長の言葉は重くずっしりとした重量があった。

 そして、誰として意を唱えることの叶わない正論だ。


「シャルロットちゃんはすでにとてつもない運命を背負っています。あんな小さな体でどうしようもない辛いものを抱えてしまっているのです。そんな時、大好きなアーシャに突き放されてしまえば、シャルロットちゃんは支えを失ってしまう。悪魔憑きの効力がおさまるのはそのためです」


 ヘイバーン支部長は静かな声で悪魔憑きについて話してくれた。


「悪魔憑きは本人の感情に正直です。沈みなにもない無力になっている時、悪魔憑きもまた無力になる。だから、効力を失う。その代り本人が気分がいいと、悪魔憑きも活動を始める。嫌なことに、悪魔憑きは喜べば喜ぶほど、不運をまき散らしてしまうのです」


 ヘイバーン支部長の言ったことは俺だけじゃなく、アーシャさんやミルフィさんも驚愕の表情を浮かべている。

 つまり、悪魔憑きとよばれる人たちは皆そのジレンマと戦うことになると言うことだ。生きている限りずっと。

 それがどれだけ辛いのか、想像しただけで心が考えるのを拒否する。

 あんまりだった。

 ヘイバーン支部長が視線を落とし、アーシャさんにとってつらいと分かっていつつも口を開きさらなる事実を口にした。


「私は長く生きている中で悪魔憑きと言われる人たちに会ってきました。まだ幼い子から、もうすでにアーシャぐらいの子まで。ですが不思議と大人の悪魔憑きには会えなかった。それがなんでか分かりますかな?」


 嫌な質問の仕方だと思った。

 答えなど分かり切っている。しかしあえてそれをアーシャさんに口にさせるのがヘイバーン支部長の目的だ。

 アーシャさんが結構な間を使って悩む。簡単に口にしたくはない。そんな気持ちが痛く伝わってきたが、ヘイバーン支部長は見逃してはくれなかった。

 言うまで待つつもりでいる。

 しばらくの静寂をはさんでアーシャさんは弱った声で答えた。


「……みな、自分の運命に耐えられなくなった。そういうことですね」

「そうです。周りの友人、家族から見捨てられ、心を閉ざしてしまった悪魔憑きは皆例外なく自身の死を望む。しかも悲しいことに、悪魔憑きがいなくなったことを周りの人は喜ぶのです」


 非情な現実に全員が目を伏せる。

 ミルフィさんが自分の胸の前でぎゅっと手を握り、呟いた。


「最終的に周りに振りまいてしまった不運は自分に向くのね……あんまりよ。自分で望んでなった訳じゃないのに、そんな終わり方」

「アーシャ。君がこれからどうするのか、それは君自身が決めることです。どうしようと私もミルフィも、リュウカさんも口をはさむことはできない。だが、覚えておいてください。ステラさんの件は確かに残念なことだった。しかし、それだけシャルロットちゃんも心が沸き上がったと言うのも事実なんですよ。彼女は嬉しかったんでしょう。リュウカさんと一緒に依頼を受け、それを達成させたのが。ギルドメンバーとして、人として認められたと思ったのかもしれない」


 アーシャさんの沈んでいた顔が上がる。

 俺には背中しか見えないが、そこが小刻みに震えているのだけは分かった。

 隣に立つミルフィさんの顔がアーシャさんを気遣ってか穏やかなものになる。


「あんなかわいい子が心を閉ざし、他の悪魔憑きと同じ運命をたどることを、私含めこの場にいる全員望んではいない」

「そうよアーシャちゃん。私は嫌だわ。シャルロットちゃんもそうだけど、もしそうなった時のアーシャちゃんを見るのも同じぐらいね」

 

 ミルフィさんが目を潤めながらアーシャさんの顔を覗き込む。

 俺もたまらずアーシャさんに声をかけた。


「そうですよ! シャルロットはいい子です。一緒に依頼を受けてよく分かりました。あんな子が心を閉ざすなんていいわけがない! 悪魔憑きだとか関係ない! そんなのどうでもいいんですよ! アーシャさんはシャルロットのことをただの妹として接すればいいんです! 分からないところで支えるんじゃなくて、しっかりとシャルロットを支えてあげてください!」

「リュウカ、お前……」

「人はいつ死ぬのか分からないんですよ! もしかしたら明日には会えなくなるのかもしれない。くだらない理由でも死んだら会えないんですよ。もう2度と会えなくなるその前に、ちゃんと伝えるべきなんです!!」


 俺は本音をぶつけた。

 俺だってまだまだ死にたくはなかったさ。くそみたいな神様に殺されこうしてここにいるが、本当だったらまだ日本にいて、父ちゃんや母ちゃん、妹、雫、学校の友達。そんな奴らとバカやりたかった。

 でももう叶わない。美少女になっていろいろと良い思いもしたが、日本の奴らとはもう会うことはできないんだ。どれだけ願ってもそればっかりは無理なんだ。

 それが嫌でも分かってしまうから、アーシャさんにはそうなってほしくなかった。

 シャルロットはアーシャさんを追ってアイリスタまで来た。

 あんな健気でかわいい子を、それを愛しているお姉ちゃんを悲しみで埋めるなんてごめんだ。

 俺の真剣な目を見てアーシャさんはなにを思うのか。

 俺の素性を知っているミルフィさんとヘイバーン支部長は、俺の言ったことに頷いてくれていた。

 アーシャさんも頷いてくれればうれしかったが、しかし、長年続けてきた態度を簡単に変えることはできなかったようで、俺の言ったことに納得してくれたものの、頷くことはしなかった。

 アーシャさんは俺の顔から視線をそらした。


「……すまないリュウカ。分かっているつもりなんだ。私だってシャルロットがこのままなのは嫌だ。だけど、今以上にいい方法は思いつかない」

「アーシャさん……」

「悪いな。私はやはりダメな姉なのかもしれない。妹を一番に考えればいいのだろうが、これからシャルロットが関わる人たちのことを思うとどうしてもな」


 それはアーシャさんの包み隠すことのない言葉だ。

 妹のことを一番に考えたい。しかしそれでもここでシャルロットのことを甘やかしてしまえばまたしても被害者が出てしまう。そしてそのたびにシャルロットは傷つく。

 それを思うとアーシャさんは頷けなかったのだ。

 姉として、身内としてのジレンマ。

 そのジレンマがアーシャさんの今の表情をつくっている。

 俺たちはそれ以上何も言わなかった。

 そっとアーシャさんの背中を押して支部長室を出ていく。

 ヘイバーン支部長は穏やかな表情で俺たちを見送ってくれた。

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