第90話 本当の気持ち

 ギルド会館を目指している俺たちに会話という会話は一切なかった。

 馬車を出てすぐにシャルロットはフードを被り、顔を隠してしまったし、アーシャさんはずんずんと進んでいってしまっている。

 そんな2人を見守るように俺とミルフィさんが後ろを歩いているのだが、いかんせん前を歩く2人の空気が重く、そう易々と話しかけることはできなかった。

 周りの人たちもそれを感じ取ったのか、姉御と姫が通っているのに歓声の1つもあがらない。

 みな、先頭を歩くアーシャさんの鋭い空気に苦笑いを浮かべ、上げた手を下ろしている。

 最終的にはミルフィさんの笑顔のフォローでなんとかなっているが、それでもいつもよりも姉御と姫に近づく輩は少なかった。

 俺はそれを後ろで見ながら、ある意味ではこの状況も悪くないかもしれないと思った。

 シャルロットのことを思えば人から注目はされたくないだろう。

 フードで顔を隠しているなんて目立ちまくってしまう。下手をすると悪意ない善意で、姉御と姫の知り合いだからと、顔を見せてほしいと言う人も出てくるかもしれない。それを思うと、誰も近寄れないこの状況はむしろ意気消沈のシャルロットにはちょうどいいのかもしれなかった。

 すると、不意にアーシャさんの纏う空気にもなんだか暖かみを感じられるようになってきた。

 不思議な感覚にとらわれていると、俺の隣のミルフィさんが俺の変化に気づいて話しかけてくる。


「気づいた?」

「やっぱり、そうなんですね」


 ミルフィさんのひと言で俺の感じていた不思議な感覚があながち間違っていないと分かる。

 アーシャさんのあのとげとげしい雰囲気。まるで誰も近づけないようにしている空気はわざとだ。

 わざとあんな感じの空気を出している。

 その理由は考えるまでもないだろう。

 後ろを歩くシャルロットだ。

 アーシャさんはシャルロットのために自分が怖がられても構わず、近づけないような空気を周りに振りまいている。

 それはただの妹に対するものとは少し違った。嫌いな妹に対してあんな態度をとるだろうか? 俺には考えられなかった。

 しかし、下を向いているシャルロットはそれに気づけない。

 ずっとアーシャさんを見ていた俺でさえ気づいたのだ。シャルロットも気づいてもおかしくないが、シャルロットは一向に顔をあげようとはしない。そのため気づけるものも気づけない。

 言ってあげたい。

 シャルロットに顔をあげて前を歩く姉を見てあげてと言いたい。

 俺ははやる気持ちを抑えられず若干足早になっていたのだろうか。ミルフィさんの手が俺の体の前に来る。塞ぐように伸ばされた手をおっていくと、ミルフィさんはその先で首を振っていた。


「ダメよ。これは姉妹の問題だもの」

「だけどこれじゃ」

「確かに、このままだったらどっちも幸せになれないわ。アーシャちゃんの好意は気づかれないし、シャルロットちゃんは勘違いしたまま」


 ミルフィさんはそこまで分かっていても、俺を先にはいかせてくれなかった。

 確固たる意志を持って俺を止めている。


「だけど姉妹の問題に私たち部外者が口をはさんじゃダメよ。それに、きっとアーシャちゃんはこういうのをわざとやってる。シャルロットちゃんが気づかないと分かっててね」

「それって、つまり……」

「アーシャちゃんはわざと妹を突き放してるのよ。なんでかはだいたい想像つくわ」


 ミルフィさんは弱弱しい声になりながら、前を歩く親友の背中を見る。

 どこか悲しく、それでいて妹を守るお姉ちゃんとしての背中を。

 

「辛いわね」


 ミルフィさんの口から馬車の中で聞いたのと同じ言葉が出る。

 あの時は姉に正論を突き付けられ、あまつさえ突き放されるような言い方をされたシャルロットに対するものだとばかり思っていたが、今聞けばそれが誰に対するものかよく分かった。

 ミルフィさんはシャルロットではなくアーシャさんを見ていたのだ。

 そして辛いとはっきり言った。

 俺はついつい聞いてしまう。


「ミルフィさん、いつ気づいたんです? アーシャさんが実はシャルロットのこと嫌ってないって」


 俺には分からなかった。

 今やっと分かっただけで、さっきまで本当にアーシャさんがシャルロットのことを嫌いだと思っていた。

 しかし馬車のときの発言からして、ミルフィさんは俺が気づくもっと前から分かっていただろう。だから、なにも言わなくてもミルフィさんはアーシャさんが近寄りづらい雰囲気を作っていると分かった。フォローも出来ていたのだ。

 ミルフィさんは俺の質問を受け、うーんと手を顎に当てながら悩みながらも答えてくれる。


「いつからって言われると難しいかな。なんとなくって感じだもん」

「なんとなくですか。長い付き合いだから分かるって感じですかね」

「かもね。実際私だってアーシャちゃんに妹がいたなんて初めて聞いたもん」

「え? 話してなかったんですか?」

「ギルドメンバーなんてそんなものよ。訳アリの人が多いからね。下手に相手のことは聞かない。それはリュウカちゃんも分かるでしょ?」

「まぁ、確かに」


 俺なんて訳アリのトップランクに所属しそうだ。

 ミルフィさんの返答に迷いなく頷いた。


「アーシャちゃんは特に家族については話さなかった。私は何回か話したけど、それでもアーシャちゃんはしなかったから、私も聞かなかったの。でも今日、その理由が分かったわ」


 ミルフィさんがアーシャさんとシャルロットの背中を交互にみる。

 そしてシャルロットの頭でその視線を止めた。


「悪魔憑きが身内にいたのね」


 そう言うミルフィさんの声は同情するようなものだった。

 俺はそんなミルフィさんにつられ、1人俺たちとアーシャさんの間を歩く、華奢な体をさらに小さくしているシャルロットを見つめた。

 その奥にある表情を想像すると俺も辛くなる。


「あの耳ってそんなにひどいんですか?」

「そっか、リュウカちゃんは知らなくても当然ね」

「はい。まさかあの耳にそんな物騒な名前がついてるなんて想像もできませんでした」


 まぁ、シャルロットが何かしら隠しているとは思ってたけど、予想よりもはるかに上をいくものだ。

 悪魔憑き。

 かわいらしいケモミミには似合わない名前にさすがの俺もびっくりした。


「悪魔憑きの話は有名よ。大陸全土で関わってはいけないとされているんだもの」

「どうしてそこまで」

「アーシャちゃんも言ってたと思うけど、悪魔憑きの周りには不運が伴うの。リュウカちゃんもシャルロットちゃんと一緒に行動してたから思い当たるふしがあるでしょ?」

「はい。だけど、それだけで悪魔なんて思えませんけどね。単に偶然ってことも」

「最初はそう思われてたの。だけど、偶然じゃなかった。確かに獣のような耳がついてる人と関わると、ほとんど100%の確率で不運な事故に遭ってた。ひどいときは人が死んだこともあったわ」

「それは……」


 確かにひどい。

 しかもそれが例外なく起こるのだとしたら、確かに近寄りたくはなくなるし、忌み嫌われるかもしれない。

 シャルロットはそんな運命を背負わされたのだ。

 その小さな体に、望まぬ耳を生やし。


「いずれ、獣の耳が魔界に住む魔物と同じだとして、魔物が憑いたんだ。悪魔が憑いたんだとされた」

「それで悪魔憑きなんですね」

「そういうこと」


 ミルフィさんは深く頷いた。

 俺はシャルロットを見つめる。

 世界に忌み嫌われる悪魔憑きとして生まれてしまった彼女。いったいこれまでどんな目にあってきたのだろうか。どんな不運にあってきたのだろうか。

 それを想像するだけで胸が痛んだ。

 俺は自分の胸に手を当てながらたまらずミルフィさんを見た。


「ミルフィさん。悪魔憑きの本当の被害者って周り人たちじゃないですよね。確かに耳の生えた人と関わるとひどい目にあう。死ぬかもしれない。だけど、結局その場に絶対にいるのって」

「そう。悪魔憑き本人なのよ。しかも本人はなりたくてなった訳じゃない」

「なのに、悪魔憑きって言って避けるなんてひどいじゃないですか。それじゃああまりにも悪魔憑き本人が救われない」

「でもね、それが一番安全なの。不運の元凶を遠ざければ、誰だって幸せになれる。

もちろん犠牲がないわけじゃないけど、悪魔憑き数人と数万人の命を比べたら、軽いものよ」


 非情なまでの世の中の仕組みをミルフィさんは口にした。

 それは現代日本でも例外じゃない。人というのは1人の敵を作ってしまえば、一致団結する。そういう残酷な部分がある。

 俺だって見たことがないわけじゃない。クラスというものに所属すれば嫌で一度は見ることになるあの光景を。

 なにも出来ず、自分が標的にならないように、その人を遠ざける。

 いわゆるシャルロットはそれだ。悪魔憑きというのはそういったイメージがある。

 もちろんそれが何なのかは言わなくても分かるだろう。

 シャルロットの場合がそれがクラスメイトから大陸中になっている。

 俺は拳を握りしめた。

 悔しいという思いもある。酷いとする思いもある。しかしそれよりも、ミルフィさんの意見に一瞬納得しかけた自分が許せなかった。

 別に自分が聖人だと思わないが、せっかく転生までして違う世界に来たというのに、これでは何も変わらない。

 そこで納得してしまっては栗生拓馬のまま。なんでも笑う美少女チート持ちのリュウカじゃ決してない。

 俺は拳に込めた力を弛緩させると、地面を見ながらミルフィさんに対して言葉を紡いだ。


「私は軽いだなんて思えません。命に数なんて関係ないですよ」


 俺の言葉を聞いてミルフィさんはどう反応するのか。

 しばらくしてからミルフィさんが口を開いた。


「……そう思えるリュウカちゃんはすごいわ。普通は無理よ」


 それは思っていた答えとは違った。

 俺は顔をあげてミルフィさんの顔を見る。そんなことをミルフィさんには言ってほしくなかった。俺のことを受け止めてくれたような広い心で、シャルロットのことも受け止めてほしい。自分勝手だと分かりながら、俺はそんな心情でミルフィさんの横顔を眺めた。

 シャルロットやアーシャさんを見るミルフィさんの横顔は無表情だった。

 しかし、納得はしているようにしてはあまりに無表情すぎるとも思った。そうみたいがための俺の脳が勝手にミルフィさん表情をそう解釈しているのだろうか。ただの願望だろうか。

 そう思いもしたが、これが俺の願望ではないことはすぐに分かった。ミルフィさんが自分の言ったことに対して否定するように首を振ったのだ。


「ダメね。こんなこと言っちゃ。リュウカちゃんを怒らせちゃう」

「ああいや、そんな」

「今言ったのは一般論よ。私の本当の気持ちじゃないわ」

「じゃあ」

「ええ。もちろん私だって命を数で考えるのは嫌よ。特にシャルロットちゃんを見てると思うわ。こんなかわいい子がどうしてこんな辛い運命を背負わないといけないのって」

「ですよね……ただ獣の耳が生えてるだけで、シャルロットはいい子なのに」


 あんな依頼主のことを想うギルドメンバーはいるだろうか。 

 真摯に思い、時には後悔し、それでもシャルロットはステラさんと抱き合った。

 あんないい子が嫌われるなんて思いたくない。


「でもこれが現実よ。いくらシャルロットちゃんがいい子でも理解してくれる人の方が少ないわ。外に出る時は絶対に隠さないといけない。ああやってね」


 ミルフィさんがシャルロットのフードを指さす。

 綺麗な白い髪には似合わないぼろきれのようなフードか、シャルロットの運命を物語っているようで、俺は目を細める。


「きっとアーシャちゃんも辛いでしょうよ。でも突き放す方がシャルロットちゃんのためになるのよ。ああやって突き放して無理やり家に帰らせようとしてる。それが一番シャルロットちゃんを周りの人から守る唯一の方法だもの」


 辛い運命を背負った妹を持つ姉の苦労だろう。

 シャルロットやアーシャさんの話を聞く限り、2人は決して仲良くない姉妹じゃない。むしろ仲はいい方だ。引きこもりがちの妹を外に連れ出すお姉ちゃんは、それだけでお互いがお互いを好きだと伝わってくる。

 しかし、成長するにつれ無視できない問題が出てきた。

 そしてアーシャさんは突き放すことがシャルロットのためだと判断したのだろう。

 それを思うと、掴みかかってまで怒ったアーシャさんの態度や、ひどすぎるんじゃないかと思ったシャルロットに対する言葉も、全部愛情の裏返しだと分かってくる。

 アーシャさんはそれを言うつもりはない。

 それを言ってしまえばシャルロットが甘えてしまうからだろう。

 お姉ちゃんはお姉ちゃんなりに妹のために頑張っているというわけだ。

 俺とミルフィさんが無言で妹を守ろうとしてるアーシャさんの背中に集中する。

 すると、その視線を感じたのだろうか、アーシャさんが振り向いた。

 目が合う。


「なんだ、2人して私を見て」

「ううん。なんでもないわよ」

「はい。気にしないでください」

「ニヤニヤして変な奴らだな。まぁいい。そろそろギルド会館だ」


 アーシャさんが前を向く。

 その先には見なれた会館が見えてきた。

 相変わらず人がよく出入りしている。

 アーシャさんは近づくほどに纏う空気をさらに鋭く、変な騒ぎを起こさせないようにした。

 そして固くなった声音で後ろのシャルロットに話しかけた。


「シャルロット。行くぞ。いつまでも下を向いていいわけじゃないからな」

「分かってるよ……そんなこと……」


 姉妹のぎこちない会話で、俺たちはギルド会館に入っていった。

 アーシャさんの空気のおかげか、入った瞬間ギルド会館は緊張感に包まれ、誰一人として余分な声をあげなくなった。

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