第74話 寝ぼけ眼

「目的の場所は少々遠いですから。まだまだ時間がかかりますよ」


 出発してからすぐに、馬車の運転手からそう声がかかった。言った通り、アイリスタから出てしばらくしても、馬車は止まることはなく走り続けている。

 草原を走る馬車の揺れを感じながら、俺は自分の左手首を見つめた。

 シャルロットは気づいていないのか、あれからずっと俺の手首を掴んだまま離そうともしない。

 まぁ、美少女にずっと触られてると思えば興奮もする。なので、ある程度放置していたのだが、さすがにここまでだと気になる。

 俺はなるべく優しい声で、黙ったままのシャルロットに話しかけた。


「シャルロット。そろそろ離してくれる?」


 しかし、シャルロットには聞こえていないのか、いっこうに離す気配がない。

 仕方ない。もうちょっと我慢していよう。

 無理やり離すこともできたし、それこそ左手を動かせば一発なのだが、どうもそれはできないでいた。

 だって、握るシャルロットの力が結構強いんだもん。

 若干震えているし、こんな手を振りほどくなんて所業、俺にはできませんよ。

 だから、シャルロットが気づくまでは俺も無言で外の景色を見つめていた。

 ぼーっとしていると、なんだか馬車の揺れも心地よく、眠たくなってきたな。

 俺はそのまま瞼を閉じた。


        **********


「――………きてください。起きてください。リュウカさん」


 誰かの声が聞こえてきた。

 体を揺らし必死で起こそうとしてくれている声だ。

 俺はいつの間にか完全に眠りにおちていたようで、目を開けると俺の体を揺するかわいい困り顔をしたシャルロットの顔が飛び込んできた。

 困り顔も絵になるなぁ。


「幸せだわこれ……さいこー」

「なに言ってるんですか! 起きてください! つきましたよ!」


 そう言うシャルロットの言葉を受けて、俺は寝ぼけ眼のまま辺りを見渡した。

 確かに見たことない場所だ。

 草原なのだが、しかし、アイリスタとは少し違う。

 どちらかというと、ここの方が風が気持ちいい。

 魔物も見えないし、平和なことで。


「おはようございます」


 体を起こした俺にシャルロットがフードの中の顔を笑顔にし挨拶してくる。

 かわいい。天使か。

 今すぐに抱きしめてしまいたくなる。というかしました。


「おはよシャルロット。今日もかわいいね」

「ちょ、ちょっとリュウカさん。まだ寝ぼけているんですか? 恥ずかしいのでやめてください」

「うぅ~、そんなつれないこと言わないでもうちょっと」

「ダメです。運転手さんが困ってますよ」

「あ、あはははは……お構いなく……」


 そう言われ俺の視線の先で苦笑いを浮かべていたのは、俺たちをアイリスタからここまで運んでくれた運転手の人。

 俺は慌ててシャルロットを離すと、そのままの勢いで馬車をおりた。


「ご、ごめんなさい。なんか気持ちよくってつい」

「大丈夫ですよ。むしろ、良いものを見させて頂きました。これで、今日の仕事も頑張れそうです!」

「ほほう! それは良かった!」


 俺たちはお互いサムズアップした。

 なんだろう、この人とは仲良くなれそうだ。また馬車を頼むときはこの人を運転手に指名しよう。

 そんな制度ないかもしれないけど。


「では私はこれで。迎えは依頼書通り明日のお昼に。依頼、上手くいくといいですね」


 上機嫌に鼻歌交じりで帰っていた馬車を見送ると、俺はシャルロットから依頼書を預かった。渡したままだったな。


「ほんとだ。確かに明日の昼って書いてある」

「? 見てなかったんですか?」

「うんまぁ。そこまでは」


 でも考えてみれば当たり前か。

 手配したのだから迎えも用意してあるはずである。

 依頼書をストレージにしまう。

 その時、自分の左手の手首が目に入った。

 真っ赤になっている。


「ご、ごめんなさい!」


 俺の視線に気づいたのかシャルロットが慌てて頭を下げてくる。


「ああいいよ気にしなくて。大丈夫。それよりもシャルロットは大丈夫だったの? すごく力強く握ってたけど……」

「ああそうですよね! 痛かったですよね! すみません!」

「違う違う! そうじゃなくって」


 いったんシャルロットを落ち着かせてから、事情を聞いてみる。


「その……つい有名人の2人を見て舞い上がったと言いますか……恥ずかしくなって」

「それで逃げるみたいに立ち去っちゃったのね」

「はい……すみません」


 シャルロットはしゅんとしてしまった。

 まぁ、いたのが姉御と姫だからな。こうなってしまうのも仕方がないだろうとは思う。

 しかし、フードの下の耳は立っているのか、その存在を見えないながら主張してきている。

 なんというか、少し変な感じだ。

 感情によって変化する耳なら、ここは項垂れたように垂れるんじゃないのか。

 そこに違和感を感じたが、シャルロットが嘘を言っているとも思えないので、どうしようもない。


「本当にそれだけ?」


 だから、これだけで済ませておく。

 これでシャルロットの返答が詰まるようだったらなにかあるだろうし、別に普通だったらなにも問題はない。


「はい。それだけです。すみませんでした」

「そっか」

「ごめんなさい……」

「もう謝らなくていいよ。どうせ、あの2人も気にしてないと思うから」

「そうでしょうか……」

「そうだと思うな」


 たぶん、こういった反応をされるのは慣れている。

 有名人だもの。話しかけてくる人ばかりではないだろう。中にはシャルロットのような、恥ずかしくなって逃げだす人もいるはずだ。


「でも、名前言えなかったね」

「そ、そうですね」

「いつか言えるといいね」

「は、はい……そうですね。そうなるといいと私も思ってます……」


 自分のことなのにどこか他人事のようなシャルロットの言葉に、少し引っかかったがとりあえずは気にしないことにした。

 そんなことよりも今は依頼者を探す必要がある。

 依頼書の内容だと、すぐ近くに家があるんだが……。


「リュウカさん。あれ、じゃないですか? 目的の家って」


 シャルロットが指さす方を見ると、そこには立派な木造一軒家が立っていた。

 街の中でもなく、この広い草原の一角にどんと。

 周りを柵で囲っているが、柵の間から中の様子はよく見える。

 綺麗な花畑だ。色とりどりの花が咲き誇るそのさまは、まるで花の楽園。

 だがしかし、その一角が無残にも枯れていた。


「ひどい……」

「これが依頼の内容か」


 そう言いながら俺たちは2人して、柵の扉が取り付けられている場所から中に入る。

 近くで見るとさらに無残なものだった。

 原因はすぐに分かった。こんなに晴れているのに枯れている部分だけ地面が湿っている。水の与え過ぎだな。


「あら。珍しいわね。お客さんかしら?」


 すると、家の方から俺たちに声がかけられた。

 家のドアを開けて出てきたのは優しそうなおばあちゃんだった。

 足を悪くしてしまっているのか、車いすのようなものに乗っている。

 こちらに来ようとしているので、慌てて俺たちから近づいた。


「いいですよ。大丈夫ですから」

「ごめんなさいね」

「気にしないでください。それよりも、おばあちゃんが依頼を出した人で間違いないですか?」

「私たち、それを見てここにやってきたんです」

「あらまぁ、そうだったのね」


 聞いた途端、おばあちゃんの顔がいっそう優しさを増したように見える。

 そしてそのまま、俺とシャルロットは家の中に招待された。

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