第63話 転生者の位置づけ

 もにゅん。

 とても幸せな感触が俺の両頬に押し付けられている。

 あぁ、癒されていく……。

 スッとするような、母親に包まれているような、とてつもない安心感が今の俺を包んでいた。


「……落ち着いた?」


 ミルフィさんの優しい声が俺の耳に届く。


「ふぁい……しあふぁせでふ……」


 俺は胸に顔を埋めたまま、口を動かした。

 もふぁもふぁしているのは許して欲しい。フローラルな香りとふあふあな心地で、顔を離したくないのだ。


「ふふ。よかった」


 微笑みを浮かべ、ミルフィさんが俺の体を動かす。

 幸せな時間が終わってしまった。


「……すみません。取り乱しました」

「ほんとよ。いったいなに言ってるのか分からなかったんだから」

「そうですよね。私も覚えていません。ミルフィさんの胸の感触しか」

「もう、エッチね」


 ミルフィさんが俺の顔を小突く。

 ちょっと昭和を感じさせる。平成生まれだけど。


「いったい何を話していたんでしょうか。記憶が……」

「転生者のことでしょ」


 ミルフィさんがゆっくりと分かりやすく教えてくれる。

 これははぐらかすためではなく、本当に忘れていたからだ。

 

「ああそうでしたね。仕方ありません。大人しくミルフィさんのお話を聞きます」

「そうしてくれると嬉しいわ。たぶん、リュウカちゃんにも悪い話じゃないから」

「取って食ったりは」

「しないわよ。それともしてほしいのかな?」


 ミルフィさんの目が怪しく光る。

 俺はぶんぶんと首を振った。


「いえいえいえ! 滅相もございません」

「ふふ、そうよね」


 そうしてミルフィさんはいつもの様に微笑むのだが、その笑顔が妙に怖かった。

 この人、意外と本当にやるかもしれない。

 侮れないからな。

 最初の時に比べて、俺の中でミルフィさんの印象ががらりと変わっていた。

 少なくとも、アーシャさんよりは危険な存在だ。


「……リュウカちゃんは転生者がこの世界でどういった立ち位置にいるか、知ってる?」

「いえ、知りません。ただ待遇が良すぎるので言わないほうがいいとは、聞きました。悪いことに使われるかもしれないと脅されましたね」


 俺はミルフィさんに正直に話した。


「そうね。私は別に話しても大丈夫だと思うけど、確かにあまり話さない方がいいのは事実よ」

「どうしてです? やっぱり危険が」

「違うわよ」


 俺の発言をミルフィさんがあっさり否定した。


「転生者、なんて誰が信じると思うの? 別の世界があるなんて言い出したら、それは頭がちょっとアレな人だって思われて終わりよ」

「確かに……」


 日本でもそれは変わらない。

 俺は別に世界から来た、異世界人だー……なんて言ったものならある意味有名人だ。二次元と三次元の区別がつかなくなった哀れなオタクというレッテルが貼られて、ずっといじり続けられる。もしくは……。

 これ以上は言わないでおこう。分かってくれ。

 世界が変わってもそれは変わらないということだ。


「だったらなんでミルフィさんは知ってるんです? おれ……私が転生者だって」

「それは簡単よ」


 ミルフィさんが人差し指を立てて、俺を指さしてくる。

 若干しゃがむ形になり、大きなお胸がたゆんと揺れた。


「私が転生者に会ったことがあるから」


 その事実に俺は一瞬驚いたものの、すぐに思い直す。

 カタログ1位の世界だ。俺の他に転生者がいてもおかしくはない。

 ロンダニウスで暮らしていれば、転生者と会っていても不思議はなく、むしろ当たり前だ。結局はその人が話すか話さないかの違いだけで。


「その人が私に教えてくれたのよ。この世界には私の知らない別の世界から来た人間が存在する。転生者と呼ばれ、異世界転生だと嬉しそうに語ってくれたわ」

「その人はどこまで?」

「なんでも教えてくれた。特別待遇でお金に困らないことも、寿命以外で死なないことも、神様からの特別な恩恵もあるってね。チートだって喜んでたんだから」


 なんだろうか。たぶんだが、その人日本出身だ。俺と近しいものを感じる。


「信じられたんですか? それを」

「まさか。冗談だと思ったわよ。もちろん。あり得ないって」

「でも今は信じてるんですよね」

「そうね」

「どうやって確かめたんです?」

「私がその人を武器で刺したの。心臓をこう……ぶすってね」


 ニコニコしながら俺の胸に握られた手を押し付けてくる。

 いや、笑えませんよ。


「もちろん私がすすんでやったんじゃない。その人が試してみろって言ったのよ」

「それで、結果は」

「死ななかったわ。ていうか、刃がそこまで届かなかったのよ。まるで見えない力が働いているかのように」


 ミルフィさんがふふっと微笑み、俺から手を離していく。


「だから、信じるしかなかったんですね。転生者だって」

「ええそうよ。それに、次の日にストレージを見せてもらったら、所持金が増えてたの。5万ルペもの大金が。その人、前日は私に刺されてしかいないのにね」


 呆れたように嘆息するミルフィさんだったが、その気持ちはよく分かる。

 金額が金額だけに、呆れたくもなるだろう。


「リュウカちゃんもそうなんでしょ?」

「ええまぁ一応」


 たぶん、今頃俺の所持金欄はとんでもない額を表示していることだろう。

 毎日の5万ルペに始まり、襲撃の時に一掃した魔物の討伐金も上乗せされている。もう見てない。あり過ぎてなくなることもない。見る必要がなくなった。

 きっと、普通の人に見せたら卒倒するんだろうなとは思っている。


「いいわよねぇ。羨ましい」

「う……」


 心が痛くなってくる。

 なんだかすいません。ほんと、こんなんで。


「ああ気にしないでね。ただ、転生者って知識がある人にはすぐに分かっちゃうものだから、リュウカちゃんも気をつけた方がいいって教えておこうと思って」

「確かにそうですね。ありがとうございます」

「……その力もチートって言うものなのよね」

「はい。そうです。純粋な実力じゃないんですよ。だから、天才なんておこがましい。アーシャさんにもそう言いたいんですけど」

「きっと謙遜って思われちゃう」

「そうなんですよねー」


 天才が謙遜するなんてムカつく以外ないだろう。

 特にアーシャさんはこの力に嫉妬している。そんな人に、私の実力じゃないですと言っても言葉そのままには受け取ってもらえるわけがないのだ。


「まぁ、それも仕方ないのよ。この世界にはと言われる人が多いんだから」


 ミルフィさんが軽く言う。


「リュウカちゃんと同じように、突然現れては強すぎる力を使う人っていうのは珍しくないのよ。知っている人が聞けばそれが転生者ってわかるんだけど。知らない人には天才という括りになっているの」


 転生者や別の世界から来たとは言えずに、天才をいう二文字に収めたのだろう。

 もちろん、中には本当の天才がいるのだろうが、そのほとんどが俺と同じ転生者。別の世界から来た人間に違いない。

 神様という破格な存在から、恩恵という誰も勝ちえない力をもらった人間に、純粋なロンダニウス人は勝てない。勝てるわけがないのだ。

 なのに……。


「なんだかアーシャさんに申し訳なくなってきます。私の力に嫉妬して、あまつさえそれを謝り、修行まで増やして。明らかに私がおかしいだけなのに」

「言ったでしょ。アーシャちゃんは天然だって。そして真面目なのよ。だからきっと、アーシャちゃんは好かれるんだろうけどね」

「……確かにそうですね」


 なんだかんだ言って、アーシャさんもミルフィさんもアイリスタのみんなから好かれている。

 ギルドメンバーとしての実力だけでは、歩いている度に声をかけられるなんて状況生まれない。2人の人間性が好かれていると言ってもいいだろう。


「アーシャちゃんはあれでいいの。必死に頑張るのがアーシャちゃんなんだから」


 そう言って微笑むのはいつものミルフィさんだ。

 俺からも警戒が消える。


「リュウカちゃんもその力、強いけど私のように分かっちゃう人もいるから、あんまり大勢の人の目に映るところでは使わない方がいいわよ」

「そうですね」

「今更かもしれないけど、ね」

「あははは……」


 俺から苦笑いがもれる。

 初めての使用が大勢のギルドメンバーの前だったのだ。

 もうアイリスタでは遅いといってもいい。


「まぁ、逆に私に教えてくれた人みたいに、言ってしまうのもいいかもしれないけどね。こういった秘密って話したくなるでしょ」

「分かります。誰かに話したくなる気持ち。他の人が知らないことを知っている特別感というのは、どうしても話したくなるものですね」


 人間の心理というやつだ。

 特別なことは自慢したくなる。特にそれがより現実味がないことであればあるほど。多分、俺の持っている情報はそれの最上級だ。


「でもまぁ、とりあえずは隠しておきたいですね」

「それでいいわよ。私は忠告しておこうと思っただけだから」


 そう言って話は終わりというように、歩き始めたミルフィさんの背中を俺は追っていく。

 ミルフィさんはアイリスタの入り口に向かっていることは分かる。

 隣に並ぶと俺はその顔を見上げた。

 怖いと思ってしまったが、ミルフィさんはミルフィさんだった。

 天使のような人だ。


「ああそうだ。もう1つだけ、リュウカちゃんには言っておくね」

「はい?」


 ミルフィさんが歩きながら俺の耳元に口を近づけてくる。

 あれ、これって……なんか嫌な予感がするんですけど……デジャヴというか、なんというか。

 そしてまたしても、俺の耳元でミルフィさんは驚愕の事実を口にした。


「いくら感情が昂ってもあんまり俺って言わない方がいいわよ。ばれちゃうから」

「…………」


 俺の体からこれまでにない程の冷や汗が噴き出していた。

 ……ああやっぱりこうなるんですねぇえええ!!!!!

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