第57話 姉御の葛藤

 アイリスタが魔物の襲撃から救われた記念として、もう恒例行事となったギルド会館での宴が今回も行われている。私は少しだけ参加したのち、席を立って自分の泊まっている宿屋へと戻るためにギルド会館を出た。

 始まりこそ全員が集まってからとなっているが、解散は各々の自由となっている。

 今回の宴、主役は私じゃない。リュウカだ。

 私はリュウカと少し話してから、すぐにギルド会館を後にしたのだ。

 心がモヤモヤしている。

 リュウカとみると、自然と目元が険しくなるのを実感していた。

 必死でこらえているつもりでも、リュウカのあの能天気な感じを見ると、ついつい悪い言葉が頭の中に湧き起こってきてしまう。

 それが申し訳なくて、耐えられなくて、誰にも一言も言わずで出てきてしまった。

 1人で夜のアイリスタの街を歩く。


「アーシャちゃん」


 すると、私の後ろから私を呼ぶ声がした。

 振り返るまでもない。

 私のことをこう呼ぶ奴なんて1人しかいないのだから。


「ミルフィ。どうしてここにいる」

「それは私のセリフだよ。なんで誰にもなにも言わずにギルド会館を出たの?」

 

 そう言って私の隣に来たミルフィが、私の顔を覗き込むように見てくる。

 頬が若干赤く、お酒の匂いがミルフィの体から漂ってくる。


「お前、飲んだのか?」

「もちろん。宴だったら一杯ぐらいいいじゃない」

「明日に響いても知らないぞ」

「いいのよ。私はアーシャちゃんみたいにお酒に弱くはないから」


 そう言いながらミルフィが私の隣を無言でついてくる。

 道からして私が宿屋に帰ろうとしているのはミルフィだってわかっているだろう。


「ねぇ、アーシャちゃん。どうして宴会場から出たの? 別にまだそんなに遅い時間でもないし」

「私はああいった雰囲気が苦手なんだよ。分かるだろお前だって」

「うん知ってる。でも、本当にそれだけ?」

 

 相変わらず鋭いな。

 いつものほんわかとした雰囲気からは想像できないだろうが、ミルフィは私よりも人の気持ちを見抜くのに優れている。


「あとは、明日だって朝早くから拠点にいかなくちゃいけないだろ。アイリスタが無事だったことを喜ぶのはいいが、毎日油断してはいけない。拠点の見張りも怠ってはいけないんだ」


 ミルフィにはこれが私の苦し紛れのいい訳だと分かっているだろう。それでも、私は自分の中に芽生えた感情を認めたくなくて捲し立ててしまう。


「だから、宴なんてしてる暇は」

「アーシャちゃん」


 案の定、ミルフィは私の言葉を途中で遮って、下を向く私の前に立ちふさがった。

 目線があげられない。


「知ってる? アーシャちゃん」

「……なんだ」

「アーシャちゃんって嘘をつくときっていつもより少し饒舌になるの。あと……」


 そう言って両手で私の頬を掴んでうつむいた顔を無理やりあげさせられる。


「いつもまっすぐ目を見てくれるのに、このときだけは目をまったく合わせてくれなくなるんだよ」


 ミルフィの穏やかな顔が目の前に来る。

 まっすぐに私の目を見て逃がしてはくれない。


「なにがあったの? アーシャちゃん、ちょっと前からおかしいよ。正確にはサキュバスが戦場に現れてから」

「それは……」

「アーシャちゃんがあんな無策で突っ込むなんてらしくない。それに、リュウカちゃんが捕まったとき。アーシャちゃんがあんな分かりやすい敵の誘導に乗るなんておかしいと思ったわ。いつもだったら、あんなのにつられるアーシャちゃんじゃないでしょ」


 やはり、ミルフィは気づいていた。

 私はあの戦闘で私らしくなく冷静さを失っていた。目を合わせてはいけないサキュバスに対して無策に突っ込んでしまった。サキュバスの誘導に簡単に引っかかってしまった。らしくないと自分でも分かっている。そしてその理由もまた、よく理解しているつもりだった。

 ミルフィは逃がしてくれない。

 そんなのよく分かっていただろう。私が無言でギルド会館を出るなんてことをすれば、ミルフィが気づいて追ってくるのも、全部わかっているつもりだった。

 きっと、話してしまいたかったのだろう。誰かに聞いてほしかった。

 この気持ちを。自分だけでは手に負えない気持ちを、ミルフィに聞いてほしかったのだ。

 私は自分の本当の気持ちを理解したのち、一度息をはいてから、素直に話すことにした。


「ミルフィ。私は器が小さいのかもしれない」

「アーシャちゃん……どうしてそう思うの?」

「戦場でリュウカの力を見た。ギルドメンバーの実力者の私たちでも苦戦していた魔物の群れを、リュウカは1人で壊滅させてしまった」

「うん。それは私も見てたわ。すごかったわね」

「しかもだ。リュウカは今日初めて剣を振ったといっていた!」


 徐々に感情が昂ってくるのは自覚していた。

 声が大きくなるのも、口調が強くなるのも、すべて自覚したうえで止めることが出来ない。


「どうすればいいんだ! 私はこれまでずっと必死で槍を振るってきた! 姉御なんて言われて、アイリスタでは近接戦で私の右に出る者はいないと、そこまで自分は強くなったんだと思っていた! これでみんな守れると思っていたんだ!!」


 これはおごりではない。

 れっきとした事実だ。

 私は努力に努力を重ねて、ギルドメンバー誰もが認めるトップレベルまで立った。呼び名が出来るというのはそういった意味を持っている。

 どの街にいるギルドメンバーでも、トップに立つような人には尊敬を込めて呼び名がつけられる場合が多い。

『姉御』 男勝りではあるものの、呼び名が出来たことは自分が認められた証拠でもあった。ミルフィとパーティを組んでからは姉御と姫なんて呼ばれ方をして、それこそ自分の女の子らしくない呼び名に愚痴をこぼすこともあるが、でも嬉しかったんだ。ミルフィと一緒に、この魔界に近いアイリスタで呼び名が出来たことを喜んでいた。

 呼び名に恥じないように毎日訓練にも励んでいる。

 なのに。

 今日、私はどうしようもない圧倒的な力を見てしまった。

 勝てないと思った。直感で無理だと。自分ではそこに到達できないと思った。


「私は嫉妬したんだ!! リュウカの強さに! リュウカの圧倒的な力を見て自分はなんて小さい存在なんだ、弱い人間なんだと思った!」


 私の今までの努力とはいったいなんだったんだと思ってしまった。

 自信が無くなったといってもいい。世の中にはどうしたって勝てない存在がいる。神に選ばれた天才が。

 リュウカの実力はまさにそれだった。

 いくらなんでもあの強さがあり得ない。大陸ロンダニウスに時折現れる天才的な能力を持った人間。リュウカはその1人だとして間違いない。

 天才に嫉妬した自分がいた。

 

「でも、それは当たり前じゃないかな。強い相手に嫉妬するのは誰でもあること。ギルドメンバーであれば誰だってそうよ。アーシャちゃんのそれも同じこと。そこまで卑下することじゃ」


 ミルフィは優しく私をフォローしてくれている。

 だが、私が本当に嫌なのは続く自分の気持ちだった。

 この嫉妬。純粋な勝てない実力に対してだと思っていた。そう思ったからどうにか隠せてはいたんだ。

 だが、よくよく1人になって自分の気持ちに向き合うと、底にどす黒いものが眠っていることも自覚してしまった。

 私にはそれが許せなかったのだ。

 だから、耐え切れなくなって私はリュウカから逃げる様にギルド会館を出た。


「違うんだミルフィ! 確かに私はリュウカに嫉妬している。でも、それは純粋なものなんかじゃなかった!」

「どういうことアーシャちゃん。落ち着いて、冷静になって」


 感情のままで話す私をミルフィは諭してくる。

 私の体を心配したように優しくさすってくれた。

 そのおかげか少しだけ冷静を取り戻した私は、ゆっくり自分の声で本当のことをミルフィに話す。


「嫉妬しているのはリュウカの強さじゃない。私は、何の努力もせずにあんな力を持っている能天気なリュウカに対して、嫉妬しているんだ」


 それが私の心の奥底に眠っている感情だった。

 私の嫉妬はリュウカの能天気さを憎むといった方向に向いていたのだ。

 なんの努力もせず、初めて持った武器で誰もが劣るほど圧倒的な力を見せてみせた。しかも、リュウカは魔法も何にも知らない、本当に朝まではただの一般人だったんだ。

 それが、武器を持った途端、天才という言葉がついてくるような人物へと変わってしまった。

 世間知らずなお嬢様だとして、下に見ていたわけではない。しかし、目の前でそんなリュウカが自分でも苦戦していた魔物の群れを圧倒している姿を見てしまって、急に追い抜かされた気分になってしまったのも事実。

 それが抑えきれなかった。

 サキュバスに襲い掛かったのも、自分の方が強いとリュウカに見せつけたかったから。サキュバスの誘導にのってしまったのも、ピンチになって助ければ私が強いと証明できると思ってしまったからだろうと思う。

 どうしようもなく稚拙ちせつな人間だった。

 自分の強さを証明させるために、私はリュウカを危険な目にあわせてしまった。


「友人だと思っているリュウカに対して、一方的に恨みを持っている自分が嫌でならないんだ! 姉御なんて呼ばれる程、私は器の大きい人間じゃなかった!!」


 私は心からの叫びをミルフィに対してした。

 こんな事ミルフィに言っても仕方がない。そんなの分かってる。だが、自分のこの気持ちの消化場所が分からない私は叫ぶことしか出来ない。

 これは私と一緒に姫と呼ばれているミルフィにだからできることだ。

 こんな情けない姿、誰にも見せられない。


「私もね。アーシャちゃんと同じようにリュウカちゃんに対して嫉妬してるところがあるよ」


 ずっと黙っていたミルフィが、不意に話し始めた。

 私の叫びに答えるまでもなく、ただ自分の思っていることを話してくれる。


「アーシャちゃんほどではないにしても、あんな力を間近で見たんだもの。そりゃあ、嫉妬するわよ」

「ミルフィもか……」

「ええ。私はアーシャちゃんみたいに自分を厳しく律して日頃から訓練してるわけじゃない。そんな私でも嫉妬したんだもの。アーシャちゃんは相当なんだろうなって思ってたよ。なんとなくね。宴も最後までいないと思ってた。だから、ずっと私はアーシャちゃんを見てたの。いつでも駆けつけられるようにって」

「やっぱり分かってたんだな」

「当たり前じゃない。姉御と姫なんだから。分かって当然。まぁ、そのせいでリュウカちゃんとまともに話せなかったんだけどね」


 あはははっと小さな笑いを浮かべるミルフィ。

 きっと今頃、リュウカはいなくなった私たちを探しているんじゃないかと思え、またしても心が痛んだ。

 

「リュウカちゃんは大丈夫なんじゃないかな。ギルド職員の人とも仲良く話してたし、1人でもどうにかなるでしょ」


 私の心を読むようにミルフィがタイミングよくそんなことを言ってくる。


「でも、悪いことをしたな。お前にも、リュウカにも」


 私はなにもかも申し訳なくなり謝った。

 謝ったところで嫉妬の感情がなくなるわけじゃないのに、そうするしか私には思いつかなかった。


「悪いことをした。そう思ってるならアーシャちゃんはもう大丈夫よ」

「え……」

「言ったでしょ。ずっとアーシャちゃんを見てたって」


 ミルフィは後ろで手を組みようにし、くるりと私に背中を向け前に歩いていく。

 私はその背中を追う。


「酔った感じのリュウカちゃんにアーシャちゃんは普通に対応してた。普通、嫉妬でいっぱいだったら如実に態度に出るでしょ。でも、アーシャちゃんはリュウカちゃんと普通に話してた」

「それは、必死に抑えていたから」

「抑えられるなら十分だよ。ひどいと抑えることも出来なくなるものなのよ」


 そうして振り向いた。

 そこにはいつもの穏やかな、大人びた笑みを浮かべるミルフィの顔があった。


「アーシャちゃんは大丈夫。そこまで強い嫉妬を持ってるのに抑えられるって、それだけで器が大きい証拠だよ。だから、卑下しすぎたらダメ」

「…………」


 私はミルフィの顔を見て何も言えなくなる。

 歳もそこまで変わらないというのに、どうしてそこまでミルフィは強いのだろうか。ある意味、ミルフィが1番アイリスタでよくできたギルドメンバーだ。


「行こっか」

「どこに」

「宿屋よ。明日も拠点の見張り、あるでしょ」


 いつも通りのテンションに戻ってミルフィは私たちが泊まっている宿屋に向かって歩いていく。

 私は足早にミルフィの隣に向かった。そのときには不思議ともう、リュウカに対するどす黒い嫉妬の炎は薄れていた。

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