第52話 魅了
(サキュバス……サキュバス……なのか?)
俺は心の中で首をかしげながらそう思った。
いやまぁ、確かに立ち姿やら服装やらは完全にサキュバスのそれだ。悪魔らしい角と尻尾もあるし、その尻尾の先なんてハート形なんですよ。誰がどう見たってサキュバスというのがしっくりくる。
そんなサキュバス(仮定)は草原を見渡して、魔物の姿が1匹もないのを確認したのち、魅惑的な唇に細いすらっとした人差し指を持ってきて、誘惑するような余裕の笑みを浮かべた。
「私のかわいいかわいい下僕ちゃんを殺った悪い子は、誰かなぁ」
下僕!? 悪い子!?
そのらしい物言いに俺は終始反応してしまう。
体がぴくついていたからか、サキュバス(仮定)が俺に視線を合わせた。
下等な人間を見下すようなその視線―――興奮します!!
視線が合わさった瞬間、俺が興奮で顔を赤らめたのに気づいたのか、サキュバス(仮定)はなぜだか一瞬ひるみ、俺から視線を外し、隣のアーシャさんを見て止まる。
すると、サキュバス(仮定)の目に力が入った。
俺を見たときよりも、明らかに険しい目元。くっそ、その視線俺にも下さいよ!
「姉御と呼ばれるあなたがいたなんてね。アーシャ」
「……私を知っているのか」
アーシャさんは俺をサキュバス(仮定)から守るように、間に位置を移動させてから対峙する。
槍を持つ手が震えているのは見間違いじゃないだろう。
「ええ知ってるわよ。魔界でも有名人。人間の拠点にいる鬱陶しい奴としてね」
「そう思われているなんて光栄だな。魔王配下の悪魔、サキュバス」
アーシャさんが目を細めてそう言った。
やっぱり。これで目の前にいる悪魔さんはサキュバスに決定だ。
お互いに睨みあう2人。
するとそこへ、さらにもう1人やってきた。
「まさか、サキュバスが出てくるなんてね」
そう言ってアーシャさんの隣に立ったのは姉御同様、アイリスタの街での有名人。姫と呼ばれているミルフィさんだ。
ミルフィさんもまた俺をかばうように立ち位置を調節している。
「ミルフィ。姫か」
姉御と姫。2人そろったところで、サキュバスに焦りの表情は見えない。
終始余裕の笑みを口元にたたえているというのは、それだけで薄気味悪い。
アーシャさんはいつもだが、サキュバスと同じようなニコニコしているタイプのミルフィさんまで口調にどこか固い印象がある。
それだけサキュバスがどういった悪魔なのか分かる。
きっと相当厄介な相手なのだろう。
他にギルドメンバーが多くいるのだが、あんなに血の気の多い人たちが無鉄砲に突っ込まない。そういった緊張感が今のアイリスタ近郊の草原に漂っている。
「サキュバス。あなたが関わっているから、魔物たちがあんなにも統率がとれていたのね」
「ええそうよ。正解。よく知っているじゃない」
「当たり前だ。サキュバス。性を司る悪魔。その特性は他の悪魔より厄介で、特に自分から戦おうとしない。催眠洗脳を得意として、下僕と呼ばれる配下をたくさん作り、そいつらを使って攻撃してくる。しかも、サキュバスはその全ての下僕を」
「操れる」
口角を上げて、アーシャさんの続く言葉をとるサキュバス。
「説明ありがと」
挑発するかのようにサキュバスが歯を見せて笑う。
それにアーシャさんとミルフィさんは表情1つ変えることなく対面している。
アーシャさんの槍を持つ手に力がこもった。
そう思った時にはすでにアーシャさんはサキュバスに飛びかかっていた。
速い!
敵のすきをつく攻撃。転生者として身体能力全般が跳ね上がっている俺でも、一瞬アーシャさんを見失いかけた。それだけ速い初速ではサキュバスでさえも捉えきれないだろう。
アーシャさんの攻撃が地面を揺らす。
土煙が上がって、サキュバスの姿が見えなくなる。
やったか……?
誰もがそう思ったことだろう。しかし、逆に俺はそう思ったことにより、アーシャさんの勝利は無くなったと判断した。というか出来てしまった。
やったかという言葉。これは完全にフラグである。やったか=やっていないの図が想像できてしまった。
俺のその考えを読んだかのように、唐突にアーシャさんの背中側にあの紫色の体が現れた。
ニコッと笑いアーシャさんの耳元に口を近づけていく。
「ざんねーん。速さは問題ないけど、そんな直線的な攻撃、上級悪魔の私に通じるなんて思わないことね。それと、焦り過ぎ♡」
サキュバスが笑う。
逆にアーシャさんの表情が凍り付いた。
まずい。アーシャさんは攻撃後で背後はがら空き。そこに一撃でも食らおうものならひとたまりもない。直感でそう感じた。なによりも、圧倒的な迫力を今のサキュバスから溢れ出ている。
飛び出すか? でも相手は悪魔。返り討ちにあうような……いや、大丈夫だろう。今の俺は恩恵で強くなっている。誰もが驚くような力を手に入れている。
上級悪魔だろうがサキュバスだろうが勝てないことはない。
それに死なない俺が飛び出したほうが何よりも安全だ。
そう思い、俺が足に力を入れようとした時、寸分違わぬタイミングで目の前にいるミルフィさんが動き出した。
手に持ったお札を自分の周りに展開させ、サキュバスに向かって何かを放つ。
飛んでいったのは氷の破片。先が鋭く尖っており、勢いも貫かんとするほどに速い。
一直線にサキュバスに向かって飛んで行っている。
サキュバスがこちらを向いた。目でしっかりと飛んでくる氷が見えているような反応だ。
実際見えているようで、とっさの判断でアーシャさんにしようとしていたことをやめ、飛び上がってミルフィさんの攻撃を避ける。
行き場を失った氷がまっすぐそのまま地面に当たり、消えてなくなった。
それでも氷が当たった部分の草原には大きな穴が出来ている。当たったらひとたまりもない。強力な魔法だった。
「はぁ~危ない危ない」
サキュバスが空中にとどまったまま出来た穴を見つめて呟いている。
その間に体勢を立て直したアーシャさんがこちらまで戻ってくる。
「助かった」
「いいのよアーシャちゃん」
お互いに隣に立つ2人。
アーシャさんの攻撃からミルフィさんの援護まで、一切の迷いがなかった。信頼を寄せているからこその対応だと言ってもいい。姉御と姫の2人だからできること。普通の人がやったら、アーシャさんは今頃死んでいたかもしれない。それだけ、サキュバスがアーシャさんに発していた気配というのは強力だった。
上級悪魔。その言葉がしっくりくるだけの雰囲気をサキュバスからは感じる。
「嫌ねぇ、せっかく姉御の方は
そう言いながらミルフィさんに視線をやるサキュバス。
空中にいるから見下すような感じになるのだが、しかしまたこれも絵になること。そしてなによりも、下から見上げる形になるので、俺としては非常に興奮する。これで服装がスカートとかだったらどれだけよかったことか。その一点だけが残念でならない。
サキュバスだったらそこら辺分かっていてほしい。淫魔という異名もあるんだから、ちゃんとしてほしいものだ。チラリズムって大事だよ。
「アーシャちゃんは殺させないわ」
「ほんっと、あんたら2人は目障りねぇ」
ふざけた思考をしている俺の前でアーシャさん、ミルフィさん、そしてサキュバスがシリアスなやり取りをしている。
俺も少しだけ気合を入れ直して話に耳を傾ける。
「姉御と姫。あんた達が私のかわいい下僕ちゃんを全滅させてくれたのかしら?」
目を細めて睨みつける様に見てくる。
今にも飛びかかってきそうな勢いだが、それでも辺りを見渡して空中から動こうとはしないサキュバス。
アーシャさんの不意打ちが通用しなかった今、空中にいるサキュバスさんに対して攻撃をしようとするものは現れない。
その瞬間、アーシャさんが俺のことを見たような気がする。
なにも間違っていない。魔物の群れを全滅させたのは2人じゃなく、恩恵の力を行使した俺である。
しかし、今のこの緊迫した状況でその動きは命とりだった。
「へぇ」
サキュバスが笑ったような気がする。
しかし、そう思った時にはすでに俺の目の前にあの妖艶な笑みをたたえる顔が迫っていた。
「―――!」
あまりのことに息をのむ俺。
サキュバスはそんな俺の首元を掴み上げると、そのまま一緒に空中に持ち上げる。
「リュウカ!」
「リュウカちゃん!」
アーシャさんとミルフィさんが切羽詰まった声をあげた。
ミルフィさんがまた魔法を発動させようと、お札を展開させた。
だが。
「あら。ダメよ攻撃しちゃ。私を攻撃したらこの子にまで当たっちゃうわよ」
俺を楯のようにするサキュバスの行動に、ミルフィさんは悔しそうに顔を強張らせると、お札を手に戻した。
首元を掴まれたあげく、エターナルブレードを持っている俺の体重は相当重いはずなのに、サキュバスはまるで重量なんてないかのように軽々と俺を空中で捕まえている。
女性とは思えない腕力だ。細い腕によくそんな力がある。悪魔だからだろうか。
「ねぇ、かわいいかわいいお嬢ちゃん」
「は、はい?」
「まさかとは思うけど、あなたが私の下僕を倒したのかしら」
サキュバスの顔が近くに来る。それはもう、キスするかのように近い。
恐怖から来るドキドキか、顔が近くにあるドキドキか分からないが、とにかくこの時の俺の心臓はち切れんばかりに動いていた。
「え、えっと……」
俺はなんとかサキュバスの視線から逃れるように、顔を横に動かそうとする。だがしかし、すぐにサキュバスの謎の力により無理やり元に戻された。
なんだこれ……!
「あらいやよ。お姉さんとよーくお話しましょ」
サキュバスと目が合う。目は真ん丸でまるで吸い込まれそうになる。
目が光る。黒目が紫色に発行している。
その光を見ていると、徐々に思考が遅くなる感覚にとらわれた。眠たくなると言うか、とても心地がいい気分になっていく。
「リュウカ! サキュバスの目を見たらダメだ!!」
アーシャさんが叫んでいる。
でもそれだけだ。言葉は聞こえているはずなのに、頭で理解できない。まるで水の中にいるかのような浮遊感が俺を襲う。
外の音は水に阻まれ反響しない。
「なにか聞こえるかもしれないけど、気にしたらダメ。あなたは私の言葉だけ聞いていればいいの」
俺の中にサキュバスの声が響き渡る。
水面に水滴が落ちる様に、サキュバスの声だけが波紋を起こし、俺の心を揺らしてくる。
これがサキュバスの得意とする魅了スキルなのだろうか。
よく分からないが、ただ言えるのは今は物凄く心地のいい感覚にとらわれているということだけ。心を簡単に開いてしまいそうになる。
本当のことを話してしまおうと思えてくる。
「あなたが殺ったの?」
サキュバスの質問。
俺の口が勝手に動き出す。
「は、い……」
気づけばそう言っていた。
サキュバスの表情が変わる。笑みをさらに深くして俺の顔を、全身を見てくる。
「へぇ、あなたがねぇ。そんなに強いんだ」
感心したように呟いた。
すでに魅了に掛かっている俺にはその表情までもが、自分が褒められているようで嬉しかった。
もっと言ってほしい。
もっと話して欲しい。
もっと、もっと。
高ぶる感情がピークに達した時、サキュバスがダメ押しのように俺の目を見てこう言う。
「あなたのこと私欲しくなっちゃった」
「え……?」
「だから嬉しく思いなさい。あなたを私の下僕にしてあげる」
笑みを浮かべ、サキュバスの目がさらに光を増す。
どんどんと吸い込まれていく俺の意識。奥へ奥へ、どんどんと落ちていく感覚。
「いい夢、見させてあげるわ」
その言葉を最後に俺の意識は完全になくなった。
体から力が抜け、だらりとする。持っていたエターナルブレードが地面に落ち、大きな音を立てる。
誰もが悲痛な表情を浮かべる中、サキュバスだけが唯一空中で、そんな俺の姿を見て満足げに口角をあげた。
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