第28話 宿屋

 アイリスタに来て初めてのひとりぼっち。というか、この世界に来て初めて本当の意味で1人になってしまった。

 アーシャさんやミルフィさんに非はない。

 あるとすれば、あの2人が有名すぎることだろう。

 なぜだか分からないが、アーシャさんとミルフィさんはアイリスタで『姉御』と『姫』と呼ばれ、行きかう人々から声をかけられるぐらいの有名人だった。

 魔界から近いあの拠点にいただけに、2人ともそれなりに実力を持っているのだろうが、まさかここまで有名人だとは思わなかった。

 おかげで、2人の横に並んで街を歩けなかった。しかし、今思えば姿を隠しているのは間違ってなかったんじゃないかと思う。

 じゃなければ、俺の容貌は2人と一緒に有名になり、こうして落ち着いてギルド会館や街中に立てていなかったような気がする。

 来て早々有名人とはよくある物語の展開上、ありがちっちゃあありがちだが、やはり誰にもなにも言われない状況というのは精神的に安心するところがある。

 

「つってもな。どうしよう」


 今が何時かもわからない。

 だいたい時間という概念があるかどうかも分からないのだ。

 太陽は当たり前に天にあり、街を明るく照らしているが、これもいつまでかは分からない。暗くなってからではいろいろと危ないだろう。

 それだけは感覚で分かる。

 男とか女とか関係なく、なにも知らない街で1人、夜出歩くというのはあまりにも危険だ。

 ましてや、この世界には魔物がいる。

 さすがに街に入っては来ないだろうが、いざとなって戦うにしても武器を持ってない俺はただのか弱い女の子。

 非常に危険だ。


「まずは宿屋か」


 俺はポケットにあるストレージを意識しながら、そう呟いた。

 アーシャさんとミルフィさんを探すというのも手だったが、それこそ道に迷ってしまう可能性は高い。

 ならば、俺が今できることというのは、ギルド会館の左右に1つずつあるという宿屋に向かうことのみ。

 どうせ宿泊できることは約束されているんだ。

 なにも不安がることはない。

 俺はひとまず左へと歩きだした。

 風はちょっぴり冷たくなっていた。


        **********


 ギルド会館を出て、レンガ造りの道をひたすらにまっすぐと歩いて行くと、先に小さな看板が見えてきた。

 文字の類は何も書かれていないが、よくある家のマークが看板に描かれている。

 たぶん、宿屋だろう。

 ゲームとかでよく見る表記だ。

 この時すでに辺りは薄暗くなっており、宿屋らしき建物からは照明がもれ出ており、外の道までも照らしていた。

 俺はレンガ造りの建物に相違ない、日本じゃ見たこともないような重厚な扉に手をかけると、ゆっくりと扉を押していく。


「へい! いらっしゃい!」


 俺が扉を開けた途端、中から男の野太い声で迎えられた。

 俺は驚いて扉の前で動きを止める。


「おうおう。若い嬢ちゃんが来るとは珍しいこともあるもんだ」


 にかっと笑ってこちらを見ているのは、この建物の従業員だろうか。

 コップのようなものを両手で持ち、エプロンまで身に着けている。

 ん? ここって宿屋だよね? あれ?

 俺は辺りを見渡す。

 様々な人が椅子に座り、お酒を楽しむかのように笑いあっている。机の上には料理が並び、思い思いの過ごし方をしていた。

 ほとんどが男ばかりだ。

 もちろん中には女性もいたが誰もが男勝りのような雰囲気がする。

 逆に俺のような可憐な美少女はこの場にいない。浮きすぎている。

 よって、もれなくたくさんの視線にさらされることになった。


「はぁ、この店にあんな可憐な嬢ちゃんがくるなんてな!」

「つか、この街にあんなかわいい子がいたのか!?」

「なんてつややかな黒髪ですこと」

「胸が、胸がいい!!!」


 各々、好き放題いってくる。

 ていうか最後の奴! 胸がいいだと! 話が合いそうじゃないか。

 ……って、そうじゃない。

 今はそんなこと言っている場合じゃない。

 俺はこの店の従業員であろう男に声をかけた。


「あの……」

「おう。すまねぇな嬢ちゃん。驚かせただろ。俺の店にようか?」


 俺の店といった男がコップ(というか完全にジョッキだけど……)を近場の机の上に置き、腕を自分の腰にやり聞いてきた。

 でかい。とにかく男はでかい。

 腕なんて筋肉で俺の可憐な細い腕の倍以上はあるぞ。


「えっと、ここって宿屋じゃ」

「おうそうだ。宿屋でもあり今の時間は酒場でもある」

「酒場……」

「なんだ嬢ちゃん知らねぇのか?」

「な、なにがです?」

「アイリスタじゃあ、宿屋と一緒に飲食店を経営するのが当たり前なんだ」

「はぁ、そうなんですか」

「ああ。客が食に困らないためにな。夜になってくるとうちじゃあこうやってお酒も出すから、毎晩こんな感じになっちまうがな」


 ガハハハッ! と笑う店主の男。

 まぁ、理屈は分かる。

 確かに、泊まったところに食事処があるのとないのじゃ全然違う。

 便利だし、毎日の食事に困ることもない。非常に便利だ。

 便利なんだけど……。


「お前それはねぇよ!!」

「ええ。そうかな?」

「当ったり前だろうが!! アハハハハ!!!」


 うるさい! うるさすぎる!

 これじゃあ、休むこともままならないじゃないか!

 こっちは泊まるための宿を探しているのに、こんなに騒がれたんじゃあ、たまったもんじゃない。

 それに第一、男ばかりだ。

 こんなところに儚い可憐な美少女がいていいわけないぞ。

 せっかく女になったんだから、こんな生前でも味わおうと思えばできるような場所にいたくない! もっと平和的な場所にいたい!

 俺は無言でその店を後にする。


「あ、おい!……行っちまいやがった」

「残念だったなマスター。せっかくのかわいい子だったのに」

「……誰のせいだと思ってるんだ!」

「お~恐い恐い」

「うへー、マスターが怒ったぞー」

『ギャハハハハハ!!』


 扉の向こうではそんな会話が繰り広げられてた。

 ほんと、お酒出すのやめましょうよ。

 そしたら、きっと女の子も寄ってきますって。きっと……保障はしません。

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