第19話 なんにも持ってない俺
アーシャさんの言った通り、馬車の揺れは程なくしておさまった。
「うう……気持ち悪い……」
しかし、俺の体は激しい揺れにより三半規管がやられたようで、さっきから吐き気が止まらない。恩恵で疲れない体になったとはいえ、吐き気などはしっかりと感じるようだ。
死に直結しないところは、日本にいた時となんにも変わらなかった。
「あらあら大変ね」
俺の様子を見てミルフィさんが慌てる。
隣に腰を下ろして俺の背中をさすってくれた。なんて優しいんだろう……。思わず涙目になった。
「無理しないでね。辛かったら吐いても構わないから」
「い、いえそういうわけには……」
実際は油断したら胃液が出てきそうだったが、ここは意地でも吐かないと決めた。だって、こんなミルフィさんの前でみっともない姿見せられるわけがない。ここは男の心で意思をしっかりと持つ。
「ふむ。やはりお嬢様には辛かったか」
アーシャさんも俺を心配してくれる。
でも、アーシャさん。忘れていませんよ。あなた、揺れに戸惑う俺を『住む世界が違うな!』と楽しそうに笑っていたでしょう。
心配してくれるのは大いにありがたいが、だったら乗る前から教えてほしかった……。
「ん?……ああすまんな。事前に話しておけばよかったな」
俺の視線を察したアーシャさんは謝ってくれる。
こうして普通にしていればアーシャさんはとても気が付く人だ。なのになぜあんな時々ねじが外れたようなことを言いだすのだろうか。不思議だ。
「初めてならばてっきり魔法を使うと思ってな。大丈夫と高をくくっていた」
「はぁ……」
俺はまだおさまらない吐き気と戦いながら、アーシャさんの言葉に反応する。
ミルフィさんのおかげか少しずつ気分も回復してくる。
「あ、ありがとうございます。もう大丈夫ですから」
「そう? 分かったわ」
ミルフィさんは俺の感謝の礼をうけて、俺の体をさするのをやめる。しかし、心配なのかずっと俺の隣から離れようとはしなかった。
天使のような人だ……。体を密着させてくれているのも、俺を心配してのことだろう。同性だとこうも普通にスキンシップをしてくれるのかと、感動する。
だから俺もミルフィさんの体に体重の少しを預ける。言っておくが決して、ミルフィさんの柔らかい体を堪能したいとか不純な動機など―――少ししかないから。ここ重要な!
「ふふっ」
俺がミルフィさんに体重を傾けたことに、ミルフィさんは穏やかな笑みを浮かべ少し嬉しそうに声を上げた。
よし、大丈夫そうだな。変に思われていない。
「だが、魔法を使ったことがないとはな……」
アーシャさんも俺がミルフィさんの方向に体を傾けたのを気にすることなく、会話を続ける。これが男だったら今頃、アーシャさんの拳をくらっていたかもしれない。
「住む世界が違うとあの時は気にしなかったが、冷静になって考えるとおかしいことだ」
「そ、そうなんですか?」
俺は少し焦る。
「ああ。いくらお嬢様とはいえ普通は魔法を教わるだろう。自分で身を守るためにも、小さな魔法は誰だって覚えているものだ」
「へ、へぇ」
なんだかやばい気がする。話の方向が良くない方へと進んでいるようなそんな危機感が俺の背中にひしひしと感じた。
気づかれないようにしているが背中を冷や汗が伝っている。
このまま追及されたりしたら切り抜ける自信はないぞ。
「使ったことないってどれぐらいなの? 軽い回復魔法ぐらいはさすがに……」
ミルフィさんも俺に視線を向けている。
俺はなんとか平静を保ってミルフィさんの言葉に返答した。
「えっと……な、なにも……」
「魔法自体使ったことないってこと?」
「は、はい……」
やばいやばい! なにか! なにかいい理由を考えないと! このままだと、疑いをかけられない!
とにかく、今の俺はバルコンドという国のお嬢様という設定になっているんだ。これをうまく使って、理由をでっちあげるんだ。
上手くいけばアーシャさんが得意の天然を発動してくれる。
それを狙おう。
「え、えっと……父が過保護で……魔法とかいっさい教えてくれずに……」
「…………」
「…………」
どうだ!? ダメかこれじゃあ!
いかにもな高い身分の理由を作ったが納得してくれただろうか。
アーシャさんもミルフィさんも何も言わない。
これはいけなかったのかと額に汗をかいていた時、唐突にアーシャさんの目が輝きだす。
「聞いたかミルフィ! 過保護で魔法を教えない親というのがいるんだな! やはり私達とリュウカではこれまで見てきた世界が違うようだ!!」
……よーしさすがですアーシャさん! そうなんですよ! 俺の見てきた世界は違うんです! そう、世界がね!
うまくアーシャさんの誘導に成功した俺は、心の中でガッツポーズをとる。
この人、見た目とは裏腹に案外単純だな。最初のクールなイメージはすでにもう俺の中でなくなりかけている。
アーシャさん=天然という方程式が完成しつつあるぞ。
「だけど、喜んでいる場合でもないわよ。魔法を使ったことがないなんて、今のこの状況では全くよくないわ」
しかし、アーシャさんの様に天然ではないミルフィさんは冷静にそう言う。
「私達がいるうちは大丈夫だけど、ずっと一緒にいるわけじゃないでしょ。街に着けばリュウカちゃんは1人になるのよ」
「……確かにそうだな。すまない」
ミルフィさんの言葉を受けアーシャさんも元のクールな顔に戻る。
「アイリスタに着いたらどうするんだ?」
「どうって……」
「バルコンドに帰るのよね」
「えっと……」
「ん? 帰らないのか?」
歯切れの悪い俺の態度に、アーシャさんが体を乗り出してくる。
「ていうかその前に、リュウカ」
「は、はい」
「お前、金は持っているのか?」
「え? お金ですか」
「ああ。バルコンドに帰るにしても、馬車を使うのに金は必ずいる。この馬車は特別でアイリスタまで無料で連れてってくれるが、普通の馬車は乗車料をとるのが当たり前だ。まさか、そんなことまで知らないとは言わないよな」
「……え、ええ。分かっていますよ。さすがにそれくらいは」
「まぁ、だろうな。金のことまで分からないとなっては魔法よりもおかしなことだからな」
「それで? リュウカちゃんはいくら持ってるの? お嬢様だったら結構持ってるんじゃ……」
ミルフィさんは聞いてくる。
そして俺はこの時、初めて自分がなんにも持っていないことを知った。
ズボンのポケットも、上着のポケットにもなんにも入っていない。いつもなら左のポケットに入っている携帯ですら存在しなかった。
転生の際に服意外の地球のものは持ってこれなかったようだ。服だけはさすがに道徳上仕方がないのだろう。全裸で転生は聞いたことないからな。
「……まさか、何も持っていないのか……?」
「あ、あはははは……」
アーシャさんの驚きの声に、俺は苦笑いを浮かべるしかない。
だって、本当に何もないんだもん。
「笑い事じゃないぞ……つまりあれか。リュウカは魔法も武器も金も持たず、ただ体1つで魔界からやってきたってことか」
「そうなりますね」
俺のあっけらかんとした答えに、さすがの2人も呆れたようなため息をつく。
「いったいどんな家のお嬢様なんだ……本当に過保護なのか……?」
「さすがの私も驚いたわ。リュウカちゃん本当に何も持ってないのね」
「じゃあ、アイリスタについてもリュウカはバルコンドに帰ることもできないじゃないか」
「お金、貸してあげれればいいのだけど、それはさすがに……」
「根本的な解決にはならんだろ。第一、魔界に放り出された手前、ただ帰っただけではまた今のようになってしまう可能性もある」
「そうよね……」
「なんか、ごめんなさい」
思いのほか沈んでしまった2人を見て、つい申し訳なくなってしまう。
やっぱ、ゲームみたいに行き当たりばったりはいけないな。
恩恵があるから普通に冒険者になるだろうと思っていたが、はたしてそう簡単にアーシャさんやミルフィさんのような、この世界の冒険者であろう『ギルドメンバー』になれるのか、今になって不安になってきた。
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