第17話

横田さんは元エリートSPだった。


警護を担当していた場所に偶然居合わせた某大物政治家の娘から、一方的に一目惚れされたらしい。


AIのマッチングを無視してストーカーまがいの猛アタックを受けていたにもかかわらず、周囲から何の手助けも受けられないまま、ストレスをため込んで退職を余儀なくされた。


それ以来、女性が苦手だというのは、局内では有名な話し。


「だからマッチングを決めるメインサーバーの仕組みに、関心があったんでしょ」


「それを無視する存在も、許せないらしいよ」


ここに来る人間には、みんなそれなりの理由がある。


「あんたは、ここを出て行く気はないの?」


さくらは笑った。


「私は、別に……」


警報ランプが点灯する。


社外の人間が局員に伴われない状態で侵入した時の警告ランプだった。


だけど、この施設に侵入経路は一カ所しかない。


地上一階部分の正面玄関のみだ。


局員達は至って平穏に過ごしている。


どうせまた、受付ロビーにクレーマーがやってきたのだろう。


ハッキングや改ざんが出来ないと悟った奴らが、こうして時折、PP局へ強硬手段にうって出る。


案の定、ロビーでは三十代くらいの男性が、受付担当者に向かって何かを怒鳴り続けていた。


彼にとっては、何よりも貴重な時間を費やしてでも主張したい正義なんだろうけど、見慣れた私たちにとっては、いつも通りのお客さんだ。


簡単に食い下がろうとしない男に、受付担当者もいささかうんざりしている。


分かってないな。


逆にここを、どこだと思っているんだろう。


普通は簡単に他人の情報を盗み見ることは出来ないけれども、ここはそれを管理する専門機関なのだ。


ちょっと専用端末をかざせば、携帯が義務付けられた個人マイナンバーカードを感知し、全ての情報を閲覧できる。


「この経歴の、何が気に入らないんでしょうかね」


この男は普通に暮らし普通に生きている、全くの平凡な平均的人間だった。


だが本人にとっては、その平均的な経歴が気に入らないらしい。


PP860。


こんなところに怒鳴りこんできたりして、時折見せるそんな奇っ怪な行動さえ慎めば、簡単に1100代には戻るだろう。


彼の怒りの矛先は、どこにあるのか。


この手の人間は、カードの記録さえ書き換えることが出来たならば、自分の人生が変わると思っているらしい。


カードの記録は、自分自身が自ら選択し、歩んできた記録なのに。


「こいつも病気だな」


横田さんが、私の端末をのぞき込む。


その画面を彼は指先でスクロールした。いくら記録を書き換えたところで、本人がその記録にあった生活が出来なければ、結局元に戻るだけなのだ。


PPの数値は常に変動している。


例え一時的に2000代に書き換えられたとしても、2000代らしい行動が伴わなければ、すぐに本来の数値に戻ってしまうからだ。


「三年前から、PPの低迷が続いている。保健省の人間が感知しているはずなんだが、手の回らない状態か」


犯罪歴を有する人間や、PP値の明らかな低下が見られる人間は、現住所の担当地域毎に保険局が洗い出し、適切な対応をとることが義務付けられている。


個人の幸福が、全体の幸福に繋がる。


その理念の元に、PP値の低下した人間の洗い出しには、地域の安全対策として細心の注意が払われるのだ。


事件が事件になる前に、未然に防ぐ。


犯罪者予備軍を洗い出し、警察ではなく、保健衛生局が対応する。


PP活用の、もう一つの一面だ。


「行こう。ここは警備担当に任せるべきだ。俺たちには俺たちの仕事がある」


横田さんの手が、私の肩にたしかな重みを持って置かれた。


「職務怠慢は、許されないんですよね」


「そうだ」


全ての人間が、全ての行動を監視されている。


道を歩けば、その軌跡がしっかりと監視カメラに捕らえられ、随所に配置されたセンサーが、個人の行動を記録する。


改ざんも消去も許されない。


カードの不携帯は犯罪予備軍の証で、各地に設置された探知機が、不携帯者に警告を発する。


不所持が続けば、強制的に体内に記録装置を埋め込まれるが、最近では所持の手間を省くために、自ら体内埋め込み手術をしているケースも珍しくない。


手術も簡単で、安全性も保証付き。


「行こう」


横田さんの手が、私の背中を押した。


廊下を歩く私の後ろを、彼はぴたりとついて歩く。


「そんなに注意しなくても、大丈夫ですよ」


そう言ったら彼はすぐに真っ赤になって、慌てて肩から手を下ろした。


「なんとなく、クセなんだ」


「もう、17年も前の話ですよ」


「俺は運命とか、奇跡だとか、AIがかける電子の魔法とか、全く信じないタイプなんだが……」


彼は、私を見下ろした。


「君とこうしてここにいることは、本当に偶然なのかと、時々疑問に思う」


私は17年前、7歳の時に誘拐された。


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