第18話

「だけど、私がこの仕事を選んだことが、自らの自由意志であるのならば、それは偶然なんだと思います」


誘拐犯は、親友の父親だった。


「あぁ、そうだな、確かにそうだ」


彼女は、父親の趣味で一緒に出かけた登山で、滑落して死亡した。


父親も重症を負ったが、自分だけが助かった。


そのことを、彼は激しく後悔していた。


「悪いのは、君じゃない。不運な事故と、悪い偶然が重なった結果だ」


そのお父さんに、事故現場となった山麓にある公園へ、一緒にお参りに来て欲しいと頼まれた。


私の他にも、他に2人の子供が行く予定だった。


「でも、起こってしまったのは、事実ですから」


そのうちの一人は、前日に体調を崩して欠席し、もう一人も、急な用事で来られなくなった。


そのことを我が家に連絡してきた人間はおらず、私は一人で待ち合わせ場所に向かった。


おかしいなとは、欠片も思わなかった。


ただ、他の子は来られなくなったけど、今日は命日だからどうしても一緒に来てほしいと言われて、確かにそうだと納得した私は、その人と一緒に車に乗った。


事前予約された自動運転の車から発信される信号で、私の両親は無事に出発したことを知ったが、それがその父親と二人きりだということまでは、伝わっていなかった。


車を降りた私たちは、枯れ木で見通しのよくなった山道を黙々と歩いていた。


最初に行く予定だと告げられていたふもとの公園は、とっくに通り過ぎていたけれども、子供の私にはそんなことに気づきもしなかった。


秋の終わりの、冷たい風が吹くどんよりとした雲の下を、私たちはただ歩いていた。


それは、突然の出来事だった。


急に振り返った彼女の父親に、自分と一緒にあの子のところへ行ってほしいと言われ、首を絞められた。


抵抗のしようもなく、私は簡単に意識を失った。


驚きの方が大きすぎて、苦しいと思う、そんな瞬間さえなかった。


当時、私の所持していた個人情報アプリから緊急事態を告げる信号が、両親、学校、警察各所に一斉に送信され、私の危機は瞬時に伝えられたはずだった。


しかし、そのことを知っていたその人は、私の持つ発信器の端末を持って逃げた。


彼はそのまま娘の事故現場となった同じ場所から飛び降りて自殺し、私は山中に放置された。


捜索の手がかりとなるはずの端末は、犯人である男の捜索には役にたったが、私を探す目印にはなってくれなかった。


「どうしてこんなことになったのか、なぜ事件が防げなかったのか、それだけが、私の疑問なんです」


この事件は、大きな話題となった。


どれだけ行動を監視していても、それだけでは事件の早期発見と証拠保全になるだけで、未然に防ぐことは不可能だと騒がれた。


政府が集める個人行動ビッグデータの運用のあり方が、転換期を迎えていた。


「PPの導入が、君の事件がきっかけだったなんて、初めてその本人を見たときには、正直驚いたよ」


「普通すぎたでしょ?」


「生ける歴史の伝説が、幻の珍獣に見えた」


「なにそれ、ひどい!」


それ以来、私は一人で見知らぬ場所に行くことと、大人の男の人が怖くなってしまった。


少しずつリハビリと訓練を重ねて、ようやく一人で外を歩けるようになった。


PPの導入と、当時と比べはるかに高性能、多機能化したたけるの存在が、その支えになっている。


今でも、見知らぬ人の群に飛び込むのは苦手だけど、ここなら大丈夫。


みんながそのことを知っていて、みんなが見守っていてくれる。


私が怒ったフリをしたら、横田さんは笑ってくれた。


「あなたが、楚辺山高原誘拐事件の被害者だったの?」


振り返ると、廊下にいたのは芹奈さんだった。


見開いた目が、じっと私を見ている。


「あ、ゴメンなさい。立ち聞きするつもりはなかったんだけど」


彼女は立ち去ろうと、さっと背を向けた。


「いえ、いいんですよ。どうせすぐに分かることですし」


私は駆け寄って、彼女の横に並ぶ。


「だから私は、ここではなんとなく特別扱いされてるんです。だけど、芹奈さんはそんなこと、気にしないで下さいね!」


「特別扱い?」


「特別っていうか、なんというか、腫れ物に触るようなかんじ?」


私の言葉に、芹奈さんは眉をよせた。


私はそんな彼女に対して、どういう返事をしたらいいのかが分からなくて、おろおろしている。


「特別扱いか。そういう何ものにも代えがたい付加価値って、経験か個性のどちらかなのよね。うらやましいわ」


彼女はふーっと大きく息を吐くと、やっぱり背を向けて、もと来た廊下を引き返した。


「大丈夫よ。私の口からその話題が、何も知らない他人に向けて、最初に出てくることはないわ。ただ、ちょっと驚いただけ」


背中でひらひらと手を振って、彼女は立ち去って行った。


それからも彼女はとくに態度を変えることはなく、ごく普通に接してくれていて、私も平穏な日々を送った。

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