第9話

当日の朝、リュックにはスポーツウェアと着替えを突っ込み、たけるを抱きしめて家を出た。


「そうだね明穂、市山くんは、もう車に乗ったみたいだよ」


「え? 本当?」


「そうだね明穂、明穂も急がなくっちゃ」


たけるに急かされて、小走りで道を急ぐ。


家から少し離れたところに予約しておいた、全自動運転の配車に乗り込んだ。


「市山くんに、車に乗ったことを報告したよ」


「うん、ありがと」


私と市山くんは、時間通り同時に、目指す施設の前に到着した。


理想的健康生活管理棟。


誰でも利用できる、まさに理想的な健康生活を管理してくれる公共の専門施設だ。


愛称はハイジア。


健康を司る、神さまの名前に由来する。


「散々迷って、やっぱりここですかね」


清潔感あふれる四角いお豆腐みたいな建物。


緑の芝生が広がり、植え込まれた木立からは、小鳥の鳴き声が聞こえる。


「職場からも無理なく通えるし、ここなら私も何回か来たことあるから」


全国各地にある、PP回復維持のための公的設備だ。


最近では豪華さや特殊性を売りにした民間施設も、いくらでもある。


私は市山くんを見上げた。


「嫌だった?」


「いえ。僕は明穂さんと一緒なら、どこでもいいです」


それだけを言い残して、彼は先に建物の中へと入って行った。


施設の中は白しかない空間で、壁も床も天井も、何もかもが柔らかなデザインになっており、余計なものは一切置かれていない。


「ようこそおこし下さいました。市山さま、保坂さま」


自動受付のガイドシステムボックスが語りかけてくる。


予約した段階で、住所などの個人情報もプログラムに必要な身体情報も送信済みなので、到着してから必要な手続きなんて、何もない。


真っ白なだけだった壁に、すーっと男女別の扉が開いた。


「せっかく一緒に来たから、一緒にプログラムを受けるやり方もあるのに」


市山くんが、入りかけた扉から視線だけを覗かせた。


「じゃ、終わった先で待ってますからね」


「うん」


ありがとう。


だけどゴメンね。


これは、市山くんの問題ではない、私の問題なのだ。


市山くんのことは、イヤじゃない。


むしろ、特殊なくらい平気。


私はこの場所の、ただ白しかない部屋が好きだった。


頭の中を真っ白にして、気持ちが切り替わる瞬間。


滑らかですべすべで、ひんやりとしているようで、冷たすぎない白の世界。


もし生まれ変わりがあるとしたら、その途中で通る道は、きっとこんな感じなんだろうなと、勝手に思っている。


「現在の、より正確な身体情報を確認します。荷物はこちらにお預け下さい」


壁が割れて現れたボックスに、大切なたけるをあずける。


「お着替えはどうなさいますか?」


ここでは施設専用のウェアが用意されているけど、私は自分の持参した服に着替えた。


「用意が出来たら、測定台にお乗り下さい」


柔らかなブルーのライトが光る、台の上に足をのせた。


五秒後には終了の合図がなる。


「管理プログラムを作成中です。そのまま前にお進み下さい」


継ぎ目なんて見当たらない、自由自在に変化する目の前の壁が左右に開いた。


エレベーターに乗って、階上へ進む。


開いた扉の先には、女性専用のトレーニング設備が揃い、何人かの利用者が、それぞれの器具で運動をしていた。


筋トレマシンの一つに、赤いランプが点滅している。


その下には、私の名前。ここからスタートということだ。


「それでは、運動プログラムから開始します」


応援モードに、女性ボイスと男性ボイス、優しく応援と叱咤激励コースが用意されていた。


私は女性ボイスの叱咤激励コースを選択する。


「さぁ! しっかり体を動かしていきましょう!」


器具の上に手を置く。


それから二時間、私はこのジムを巡回し、体を動かし続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る