第8話
「中途採用でこちらにまいりました。今までは、学校教師をしていました。ここでは一番の新人になりますので、皆さんのご指導のほど、よろしくお願いいたします」
所作も優雅で、大人の女性ってかんじ。
市山くんは、早くも視線をくぎ付けにされてる。
「はいー、よろしくお願いしますぅー」
にっこり笑うその笑顔からも、フェロモン満載、PPは?
2135?
こりゃお手上げだ、完敗。
「ちゃんとマッチングを受けて、この部署に指定されたんだ。浜岡くんのこともあったし、君たちとなら、うまくやっていけると思うよ」
「当然ですよ、局長。だからこそ、ここに配属が決まったんです」
横田さんは立ち上がった。
「よろしくお願いします」
差し出した手で、しっかり握手。
彼女自身も、ほっとした表情に変わった。
「分からないことだらけなので、よろしくお願いします」
とりあえず一番PPの高い横田さんが、このチームのリーダーなので、新人教育係りもこの人かな。
横田さんはぶっきらぼうに横向いて仕事再開したけど、彼女との握手が照れくさかったのか、顔が真っ赤だ。
「じゃ、あとはよろしく頼んだよ」
いつもにこにこ笑顔の局長が、いつものように、にこにこと去って行く。
彼女はさっそく、横田さんの隣の席をあてがわれ、コーヒーを自主的かつ積極的に運んだ市山と一緒に、仕事の説明とかいう会話のコミュニケーションを楽しんでいる。
「私も早く、ああなりたいですぅ!」
七海ちゃんが、目をキラキラさせて言った。
「そうかな?」
今の私が言えるどうでもいい精一杯の強がりは、それだけだった。
「やっぱPP2000越え女子は強い」
さくらはため息をついて、椅子に戻った。
張り合ったところで、負けると分かっている勝負をわざわざしにいく必要はない。
無理なものは、無理。
PPには、こういった無駄な争いを避ける役割もある。
ため息をついて、いつもそばにいてくれる、たけるを抱きしめた。
なんとなく、AI執事のたけるから送られてきた、私自身のPP計算の詳細に目を通す。
たけるのアドバイスは実に多岐に渡っているので、とりあえず私の嗜好にあった、回復させやすい項目順に並び替える。
行動パターン別の項目をクリックすると、トップに上がってきたのは、外的志向性の低下。
その項目に関連している購入履歴から、全消費におけるファッション関係の購入率が低下していることが分かった。
そう言えば、最近化粧品買ってないし、通っていた料理教室も、規定回数が終了してから継続してないし、ジム通いもサボってるな。
年上新人格上女子の芹奈さんは、清楚で飽きのこない定番スーツをあでやかに着こなしている。
メイクもナチュラルメイクで、とにかく何もかもが完璧なのに、そこに一切の無理がない。
「聞きましたよ~、PP1800目指してるって!」
市山くんが戻ってきた。
「僕も今1600代なんで、1800目指そうかと思ってるんです」
「市山くんも1800目指してるの? そのレベルまでいったことあるの?」
2000越えの皆様を前にして、随分レベルの低い会話だ。
「実はないんですよ~、1760ぐらいが最高ですね」
普通に過ごしていれば、私も1600ぐらいが標準値だ。
エキサイティングしてるっていうか、毎日の生活に、確かな充実を感じている時期には、1800代になってる。
ちょっと落ち込んだり、疲れたりすると、1500~1600代。
本当は自分は、そのくらいの人間なのだ。
「1300ぐらいが、気楽に付き合えて、ちょうどいいレベルなんだけどねー」
「はは、でもそれくらいだと、友達止まりにしかならないって、こないだ明穂さん、自分で言ってたじゃないですか」
「まあねー」
ちらりと視界に入った横田さんは、なぜかタブレット端末で自分の顔を半分隠しながらしゃべっている。
あれじゃあ、聞いてる方も聞き取り辛いだろうに。
芹奈さんは普通に対応してるけど、あの人はいつまで顔を赤くしているつもりなんだろう。
仕事の説明なんだから、普通にしゃべってればいいのに。
「僕も1800の会、行きたいです!」
「じゃあ、一緒にがんばろっか」
正直、2000越えの世界は、私には分からない。
もちろん、PPは回復させておいた方がいいに決まっている。
だけど私の場合、それが今度の交流会が目的ではない。
元医師の経歴を持つさくらに言わせれば、それが私にとってのリハビリになるらしいんだけど、私自身、本当はもう、そんなことはどうだっていいのだ。
市山くんとふたりで、身の丈のあったもの同士、あーだこーだと話しが盛り上がっているところに、後輩女子の七海ちゃんがやってきた。
そういえば、この子には彼氏がいたっけ。
「あぁ、そういえば七海ちゃんの彼氏のPPって……」
「1900です」
「あっそ」
私と市山くんの顔が一気に曇る。
充分ハイスペックな数字だ。
「どこで知り合ったんだっけ」
「大学ですよ、そこで普通につき合うのが、一番自然で長続きするっていうじゃないですか」
それでうまくいくなら、苦労しないんだけどなー。
「七海ちゃんは、今は……」
「1600ですけど、なにか?」
そのセリフが放つ、彼女のこれ以上なにも言うなよオーラが威圧感マックス過ぎて、私は市山くんとふたりの、現実世界に逃げる。
「で、市山くんは、なんかスポーツでも始めるの?」
「そーなんですよ、僕も最近運動量が落ちて、疲労物質がたまり気味、体重もやや増加傾向にあるんで、考えてもいいかなと」
「一緒に行く?」
「いいですね、お互いの会話スキルも上がりそうですし」
七海ちゃんは手にしたカップを持ったまま、余裕の表情で立ち上がった。
「あ、私はそういうの興味ないんで、彼とふたりのお出かけサイトを検索してきまーす」
他人をうらやむ時間があるなら、自己研鑽に励むべし。
かくして、私と市山くんの奮闘記が始まった。
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