124.原体験

 創作に携わっている方なら、覚えがあるかと思います。

 自分の作品の中に盛り込まれた考え方やキャラの想いの中に、自分の体験やそこから得た考えが存在しているのではないでしょうか。特に、幼少期に刻まれたもの、影響を受けたものの度合いが濃いのではないでしょうか。

 今回の「ミサキ」ではその体験、いわゆる原体験が関わっているシーンがいくつかあります。


 例えば「第26話 偉大なる長ネギ」では、海斗が母親と祖母の死について語るシーンがあります。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887360511/episodes/1177354054888077397


 本編中では美波の母親は小学校一年生の頃に、海斗の祖母が小学校四年生の頃に亡くなっています。当初、海斗は「死」という概念を理解していませんでしたが、祖母の死の時は出棺の時になって初めて「死」と言うものを意識して、大泣きを始めてしまったとなっています。


 実はこれ、自分の体験が元になっています。

 私が小学一年生の時に曾祖母が亡くなりました。ですがその時の記憶はあいまいで、夜に火葬場へ向かう記憶しか残っていません。「死」と言うものも「おばあちゃん、苦しかったのかな?」と言う言葉を発したことしか覚えていません。

 海斗と美波がその時の「死」を理解していない、美波が母親を失ったのにその記憶が曖昧と言うのはそこから来ています。むしろそれに付随する記憶の方が鮮明だったりしています。


 また、本編とはずれがありますが私は小学校五年生の時に祖父を亡くしています。その時も本葬の時まで全く泣きませんでしたが、出棺の時になって「もう会えない」と言う気持ちがどんどん強まり、「死」と言うものの恐怖に耐えきれなくなって泣いてしまいました。その時まで、葬儀会場で走り回ったりもしていたんですけどね。


 今回、「ミサキ」で現代ものを書くことになり、「死」や「心の闇」がキーワードとなって行く中で昔のことをたくさん思い返しました。考えてみれば自分の作品(コメディ除く)に共通する「辛いことを味わってもその中で希望を見つけ出し、皆の想いで最良の未来を勝ち取る」という「機械仕掛けのデウス・エクス・マキナ」が介在する余地がない作りなのも、そう言った「辛い物から逃げず、向き合うことで成長のきっかけが生まれる」という意思の表れなのかもしれません。


 元々、創作を始めた時に書き始めたのだっていじめを受けた経験から「自分が経験できなかった理想の世界」を作り上げたかったという気持ちが強くなったからでもあります。イメージを膨らませる癖は一人っ子だったので一人遊びでストーリーを考えながら自然に。

 きっかけは偶然だったかもしれませんが、下地は昔からできていたのかもしれませんね。


 さて、「ミサキ」も色々と話が動いてきました。最後の勾玉の事件を越えた先に待つものは何か。ミサキの正体は未だ謎。薄々感じて来た方もいると思いますが、まだ隠している要素があります。それが明かされる時こそ、感動のラストへ向かう時なのです。

 第四章「渇愛かつあい奇魂くしみたま」(連載中)

 終章「えにしの言霊」

ご期待ください。

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