トワイライト・メモリー

キジノメ

トワイライト・メモリー

 気が付けば、電車内は橙色の光でいっぱいだった。

 昼頃から電車に乗っていたはずだ。何の目的も無かったけれど、ふらりと乗った電車がぐるぐる回る環状線だった。だから、ちょうどいいや、と空いていた角の座席に座っていた。

 それから寝た記憶も無いのに、時間があまりにも経っていたから驚いた。周りには遠い座席で寝ている学生ひとり、それしかいなかった。

 東側の席に座っているから、西日が直接、目に当たる。目を細めても光は眩しくて、目を瞑っても、瞼が赤く焼かれた。


 穴が開いたように視界が所々暗くなる中、誰かがそこで歌っている。


 淡い色のチュニックを着た少女。腰から下は、窓枠が邪魔で見えない。長い髪は、電車の風圧に煽られるように踊っている。気持ちよさそうに目を瞑る顔が、夕日でしとやかに照らされていた。

 高速で走る電車の外に、歌う少女なんているわけが無い。あり得ない、と呟く理性の声のおかげで、これは僕の記憶か、と思いたった。

 どこかで見た顔だろうか。この子は、誰だったか。声が聴ければ、思い出すかもしれないのに。

 そう思った途端、奥底から響くようにゆっくりと、少女の声が聴こえ始めた。次第に音量は上がり、遂には目の前にいるかのような大きさになった。

 その声には、とても覚えがあった。いつもパソコンから流れていた声。何をする時も聴くのを止めず、それが礼儀だと思い、聴き続けた声……




「ある女性シンガーを、歌えなくしてほしい。物理的でも、社会的でも」


 いつものようにやってきた理不尽な仕事だけど、僕は眉を潜めた。その名前を、僕は知らなかった。さして有名ではないんだろう。どうしてそんな人を、「歌えなく」しなければならないのだろう。割く労力が無駄だと思ったし、あまりやる気がしなかった。

 けれど、会社のトップが誰なのか分からないと言えど、一応は勤めているグループだ。仕事をしなければ、本当に消されてもしょうがない。仕事だ、仕事だ、と割り切って、ともかく検索をしてみた。

 顔は出さずにネット上で、歌ったものを動画にしてあげている人らしい。これでは物理的にはどうにかするのは難しいだろうな、そう思いながら検索を進める。

 そうして行きついた、1枚の画像。彼女が生放送に出た時、手違いで一瞬だけ映ってしまった顔。とても小さく不鮮明なものを、めいいっぱい引き延ばした画像。

 その顔には、見覚えがあった。高校を中退する前、1年間だけいたそこで、不登校気味だった少女。席が隣だったから、少しだけ喋ったことがある。内気で、静かな子だった。

 へえ、あの子が今やこんな、堂々と。

 感動すら覚えたけど、彼女だと分かったことで、仕事をどう進めるかも決まった。

 ――そう、元は内気な子だ。まだひどく有名でないから、誹謗中傷に弱いだろう。徹底的に、何か月にも渡って、噂も流して実際にメッセージも送って。そうすればいつか折れる。歌わなくなる。歌えなくなる。こんな仕事で、殺す必要はないだろう。自分の手を犯罪に染めてまで、こなすものではないはずだ。

 ごめんな、と微かに思う。でも仕事だから。


 罪滅ぼしの代わりと言ってはなんだけど、その頃は彼女の歌を、毎日聴き続けた。初めたばかりなのだろう、あげている動画数は30もいかない。それを永遠にループして聴いていた。

 綺麗な声だと、素直に思った。高校の頃は、どんなに話を振っても小声でしか喋らなかったのに。今やこんなに朗々と、高音も綺麗に歌うなんて。

 そう思いながら、ツイッターで、動画のコメントで、ブログで、書かれているメールアドレス先で、取れるネット上のコンタクトは全て使って、彼女を責めた。責める時、何も本質を言い当てなくていい。単純な中傷も毎日続けば、人はいとも簡単に折れる。

 彼女の歌う時の息遣いも覚えた頃、彼女はネット上から消えた。それは突然だった。確かに、最近どの場所でも浮上の回数は減っていた。けれど、止めるの一言も無しに、消えた。

 消えたなら、「歌えなく」なったということだ。これで十分だろ、と僕は言葉を送る作業を止めた。


 その数日後、とある徹夜明けの朝、リーダーに呼ばれた。仕事の報酬が与えられるらしい。明細を貰った時に呟かれた言葉で、一瞬にして目が覚めた。

「結局その子、死んだらしいな。上司が喜んでたよ。料金割り増ししてるって」

死んだ?

 ネットから消えただけじゃ、なかったのか。

 少し驚いたけど、気にしてもしょうがないことだった。生きるためには、仕事をしなければならない。仕事を。





 今なら、思う。

 あの時、僕が殺していれば良かったのだ。殺して、罪を背負わなければならなかったのだ。仕事を理由に逃げてはいけなかった。あの子の何かを絶ってしまう、その行為のために、代償を。僕も賭けられる同じ重さのものを賭けなければ、ならなかった。

 もうすぐ日が暮れる。日暮れが近づくほど、西日は鋭く、明るく、全てを焦がそうとしてくる。

 少女がその中、泣いていた。泣きながら、何度も何度も聴いたあの声で、歌を歌っていた。



 駅に着く。ドアが開く。魔法が終わり、少女の姿がオレンジに溶けた。

 焼けた網膜のせいで、外の様子がおぼろげにしか分からなかった。よたよたと、頼りない足取りで電車から降りる。

「先輩」

なんで君がそこにいるんだい? 仕事の後輩がいた。声で分かる。でも姿は、ぽっかり空いた視界の真ん中の穴に、吸い込まれていた。

 何も見えない、何も。

 突っ立っている間に、がちゃりと重たい音がして、ぱんっ、と破裂音がひとつ。衝撃で傾く身体。


 後輩に頭を撃たれている自分の様子が、容易に想像出来た。


 今まで、幾度もその光景は見てきたのだから。でも、撃たれる側は初めてだ。

 仕事で何か、ポカをやったのだろうか。上が要らないと判断したか。ひとつ分かるのは、後輩も仕事だから僕を殺したということだ。



 今更、彼女を鮮明に思い出した。

 きっと僕は地獄に落ちるから、天国にいるだろう君には会えないと思う。けれど、ずっと先、いつかの未来、何回も繰り返した来世の先。

 いつか、君に会えたら。君を「殺した」のに、虫が良い話だけどさ。「ごめんね」と謝りたい。そうして、「歌を聞かせて」と笑いかけても、いいかな。

 彼女の歌声が、最後まで鮮明に聴こえていた。元気に感謝の言葉を述べて歌い終わる彼女の声が、煌めいていてしょうがなかった。

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