第2話


 第二章

 鳩の雛を呑んだ青大将は捕獲早々にこのベランダに並べられていた。二匹のうちの長い方は、百二十センチばかりのものであった。

 だいたい青大将は、雨模様の蒸し暑い午後などには、樹から樹へ渡って歩くものである。下半身で枝を巻いて歩く生き物である。身体を固定し、となりの樹に移る場所は、とうてい届かないと思われるような向かい側の枝の先端にまで首を伸ばし、ほとんど全身を下三分の一ぐらいの尾の部分を支えて宙に浮き、チロチロと舌を出し入れしながら移動し頭を動かしてあちらこちらととりつきやすい枝を探すのである。そういうふうにして動き渡って行くのである。キジバトの雛たちは、たぶん夜半あるいは明け方に襲われたのだと思う。カーテンの隙間から弱い陽が射し込んで、まだ私が寝床にいたとき、水やりに上がってきた雇人の叫び声でそれを知った。

 「図々しい奴だ。まだ逃げもしないでそこに寝てますヨ」と云っていた。竹の棒を伸ばして小枝を避けて覗くと、巣とは云えないようなひと掴みほどの貧相な藁屑の寝床が半分ちぎれたように壊れて引っかかっているばかりであった。

 青大将の細くて黒い尾の先端が出ていた。逃げようともしないと云うよりは身体が重くて動けないのであった。下に降りて木の根元を調べたが、巣の切れ端も見当たらなかった。

 その日の夕方、いつものようにデッキ椅子に背をもたせかけてぼんやり外を眺めていると、視野の下方のベランダの床に、灰色の太いゴム管の切れ端のようなものが転がっていた。私の胸を嫌な不快な影、忘れていた記憶が横切った。私が老人ホームに入った日にセルロイドの窓のついた三面鏡のそばからフニャフニャした灰色のゴム管がぶら下がっていた。それは三匹の雛で膨れ上がった青大将の身体であった。首はまだ鉢台の下に隠れていた。あの美しいキジバトの親鳥達も、もう二度と庭に現れることはないのだろうと、私は思った。

 七月の上旬に私は筑波山に登った。梅雨はほとんど上がって夏に変わろうとしていた。水蒸気が多く、肌はじめじめしていた。呼吸は乱れ、苦しかった。大気が深々としているので陽が昇るにつれて蒸し暑くなり、昼近くになると老人の私は気力が萎えた。しかし私は筑波山の山頂から、出来れば東京都心のビル群や富士の全容を眺めたかった。そして友人の用意してくれた車に乗って、午後の五時まではしり続けた後、ライトをつけて濃密な霧の中へ入っていった。車の前方の地表は濡れていた。ガラスの外側にこまかい水滴がくっついて、みるみると膨れ流れ落ちていった。

 海の方向に向かって聞けた谷の合わせ目の比較的広い平地で車が止まり、若い友人がハンドルに手をおいたままの格好で、「まあ、八合目といったところです。ライトが届きにくいから、ちょっともう危ないけどどうしますか」と言ってライトを消した。

 「やむを得ないな。先へ行っても眺めは同じことだろう、何も見えないだろう」

 後の崖を越え崩してちょっとした見晴らし台のような平地がこしらえてある。そこの眺め良い平地の危い端に立って海の方角を見ると目の前は一面の濃霧で見えず、上から射し込む薄日が万遍のない乳向色の空間となっている。形のあるものは、何も見えない。ドームの中にいるような感じがする。駿河湾の波音は全く私の耳へは伝わってこないが、足元の方角の遠い森のなかで鳴き交わす夏鶯の声がはっきりと、艷っぽく聞こえてくる。

 美しい鳥であった。

 まっすぐ、しばらく歩いて細い路を見つけて左手の植林の森の中へ入っていった。ははあ、この道はここへ入るための伐採の後の空き地だった。頭の部分だけに枝が残っていた。

 一本だけ転がっていて、こぼれるほどの花をつけていた木もあった。

 「・・・あれが大山木の花である」と知ったのは。6月中旬の雨の降る中で大きな白い花を切って来て観察本を見たからだった。私は、四季の移ろい行く花々を見るのが好きで、この秋は金木犀の花が甘い香りを風景に流して行き、私の心も落ち着くはずだった。

 私の胸に、いつも人生と和解できないで来たという思いがある。もうあとニ年もすれば満七十歳になる。悟ったようであってでたらめで、悪あがき以外のなにものでもない。元々私は自分のことしか小説に書くことができないのである。自分だけの狭い世界に閉じこもって孤貧で孤独を守っている。同じようなことを繰り返し生きている。じりじり痛む心を持って生きるしかない失敗だらけの人生だった。

 私には不満だけが残るのである。残りの時間も少ないのだから、時をじっと待ち構えていることも出来ない。セッカチの自分は他人から責められてもいる。


 筑波山へ登って十日ばかりした日曜日の暑い日、美術好きの川幅さんを連れて上野へ行った。私が絵のコレクターであることを言うと「恐れ入りました。それであんなに版画の肉筆の池田満州夫や宗方志功の絵にくわしいんですね!。私なんか、書以外何の興味も知らないで六十七歳になったが、鴻巣さんは小説を書き、その上絵も集めているなんて、ビックリするばかりです」と言っていた。

 上野へ行った。博物館の観音特別展の最終日でもあったし、また自分の眼が効くうちに常には開帳されぬ秘仏を見せてやっておきたいという気持ちもあって無理に出掛けたのである。私自身は離婚をした嫁に今でも情けない愛を受けてもらった三十年間は波乱だらけだった。別れて三年経つ。しかし、孤独の私の仕事はようやく軌道に乗ってきたようである。

 アルバイトの二十七歳の青年との共同作業になる。一作二万円だ。父が亡くなって十年になり、叔父チャンが亡くなって二年半になる。

 昨日、お盆で墓の前で頭を下げてきた。そこで私の家の新宅であった鴻巣武さんの十三回忌だと言っていた。その奥さんの時子さんは、

 「サッチャン、元気なようですネ!」

 「ええ」

 「どこが悪いんですか?」

 「脳梗塞で賢梗塞を持ち、こんなみっともない姿を見せて、申し訳ありません」

 「いいえ、私こそ、サッチャンのことは何も知らなかったワ」

 「じゃあ、お互い元気でいましょう」と言って別れた。武さんの死は突然だった。車の事故である。正願寺の住職にお礼を言ったが、大げさには出来ない。何しろ姉妹には仕事があり、弟も仕事がある。

 

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