第19話「守るべきものを手放してしまった罪を認識してしまったのさ……」

チコナが話していた通り、グラディウ荘はアイテム屋の奥に入居者向けの共用のキッチンとリビングがあった。思っていたよりも広く、暖炉やソファ、テーブルや椅子が置かれており、調度品なども控えめに配置されていて、居心地が良さそうな空間だ。


 そして、広間の隅には階段があり、それを上ると各部屋があるという。ちなみに、階段下のデッドスペースは物置として大家さんの秘密道具が収納されているらしい。開けようとしたら大家さんに笑顔で手首を掴まれ、その握力に思わず悲鳴をあげた。一体あの人は何者なんだろう。


 階段を上ると廊下がまっすぐ伸びており、部屋は計五つ。現在はチコナの一部屋しか使われていないという。


「ここがケイタさんの部屋になります」


 案内されたのは廊下の右側にある三つの部屋のうち、真ん中の部屋だった。その向かいの部屋の扉に「チコナ」と書かれたプレートが掛かっていることから、チコナの部屋は向かいのようだ。


 チコナに促されて部屋に入る。

 こう言っては悪いが、あの大家さんが管理しているのだから、奇抜な部屋ならどうしようかと思っていたが、ベッドとテーブルと椅子が置かれたシンプルな部屋だった。


「どうですか」

「あぁ、文句のつけようがないな。きれいに片付いてるし、窓もあるし。気に入ったよ」

「それは良かったです。お風呂とトイレは廊下の一番奥にそれぞれあるので自由に使ってください。なにか不備はありませんか?」

「んー、特にないなぁ」


 この世界に関して無知である上に、無一文である俺の現状として、この部屋で過ごせるのは贅沢すぎるほどありがたい。不備なんてあるはずがなかった。それに、この部屋は日本の俺の部屋よりも広い。これだけ広ければ俺のメガネコレクションも狭い思いをせずに-――。



「――ってあああああ!?」



「ひゃっ!? ど、どうしたんですか!?」



 しまった。俺のメガネコレクションはもう……。

 膝から崩れ落ちた俺に、チコナは心配そうに顔を寄せてくる。


「どうしましたか? 随分とショックを受けているようですが……」

「守るべきものを手放してしまった罪を認識してしまったのさ……」

「何言ってるかちょっと分からないですが、もう今日は早く寝てはどうですか?」

「ああ、そうするよ……。その前に、何か食べたいな」


 こちらの世界に来てどれだけ時間が経ったのだろう。寝る所が見つかって安心したのか、急に空腹感に襲われた。


「残り物でよかったら温めてあげますよ。先にお風呂に入って、そのあとで一階に降りてきてください」

「ありがとう」


 チコナに促されるまま浴室に向かうと、脱衣所にはすでにタオルと着替えが置かれていた。着替えをどうしようかと頭を悩ませていたが、それすらもあっさり解決した。

 チコナが用意してくれたのだろうか。なんてできた幼女なんだ。


 浴槽にはお湯が張られており、高めの温度に設定されていた。てっきり低めの温度かと思っていたが、この世界の人間は日本人に似た面もいくつかあるのかもしれない。熱い湯船ってのはやっぱり最高だ。疲弊していた身体が癒されているのが実感できる。


 風呂から出た後もチコナのもてなしは続く。

 階段を下りる途中から食欲をそそる香りが漂ってきた。一階のリビングのテーブルに並べられた料理はとても豪勢だった。


「長風呂でしたね」


 チコナがサラダが入った器をテーブルに並べながら俺に話しかけてきた。

 ニコニコとした表情はとても輝いている。なにやら嬉しそうだ。


「長風呂になってしまうのは、遺伝子レベルで刻み込まれた習慣だからな。仕方ない」


 軽い冗談のつもりで言ったが、チコナの動きがピタッと止まる。



「……やっぱり、あなたは……」



 皿を並べる手を止めて、チコナがこちらをじっと見ている。


「ん? どうした?」

「……いえ、何でもありません」


 チコナは再び手を動かし始め、様々な料理が並べられていく。

 その様子に違和感を感じたが、それ以上に目の目に並べられている料理に目も心も奪われていた。サラダ、スープ、よく分からない肉のステーキ、焼きたてのパン……。どう見ても「余り物を温めた」だけではないことが明らかな、豪勢な食事だ。腹の虫も盛大に鳴く。


「あ、ごめん」

「いえ、なにも食べてなかったんでしょう? かわいいと思いますよ」


 幼女にかわいいとか言われちゃった。


「さぁ、いただいちゃってください。私はギルドで食べてありますから気にせず食べてくださいね」

「ありがとう。それじゃ遠慮なくいただきます」


 椅子に座って、夢中になって食べる。

 どれもこれも、お世辞抜きでうまい。異世界に来て初めての食事なわけだが、味付けも悪くない。いや、むしろ俺好みだ。どうやったら日本に帰れるかもわからないこの状況で、もし異世界の料理が舌に合わなくてホームシックになっていたら大変だと心配していたが、これなら異世界での食生活に悩まされる心配はなさそうだ。


 チコナは両手で頬杖をついて手で頬をムニムニさせながら、俺が食べている様子ををじっと眺めている。


 ……なんというか、ペットの気持ちだ。初めて飼うペットに餌をあげて、食べる様子をニコニコしながら眺める幼女と、その視線に気づいていながらも夢中で餌にありつくペット。でも、俺は犬や猫よりも繊細だからどうしても気になってしまう。


「チコナ、あんまり見られると、なんというか恥ずかしい」

「あ、すいません」


 視線を横に逸らすチコナだが、ちらちらとこちらの様子を横目で伺っている。



「と、ところで、その、味の方は……?」



 あぁ、そういうことか。

 食べるのに夢中で感想を何も言わずにいた。舌に合うかどうか気になっていたのだろう。

 本当、良い子だなぁ。


「とってもおいしいよ。ありがとう、チコナ」

「ほ、本当ですか? こ、こちらこそありがとうございます」


 なぜか深々と頭を下げるチコナ。だが俺は気づいていた。その顔は真っ赤に染まっていることに。それを隠すために顔を下に向けたのだろう。……かわいい。


 その後、あっという間に完食すると、満腹感と疲れで眠気が一気に襲い掛かってきた。 

 食器類の後片付けはチコナが進んで引き受けてくれたので、甘えさせてもらって自室に戻ってすぐに布団に入る。


 今日は本当に長い一日だった。これでまだ異世界生活初日。これからの生活に不安があるものの、チコナの笑顔を見ていればそれで幸せだなぁ、なんてことを思いつつ、あっという間に眠りについた。

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