第3話 きっとみんな幸せになる

朝の薄日が窓から差し込んでいる。


決して広くはない部屋に配置された家具たちはどれも白を基調としていて、薄ピンクのカーテンを透した日光が弱くとも、部屋は十分に明るい。


「スマホよし、パソコンよし。あとお財布と……あ、水筒」


部屋の広さのわりに場所をとっている本棚の脇で、大きめのバッグを覗き込みながらこの部屋の住人が指さし確認をしている。


彼女はキッチンに向かうと、昨晩のうちに沸かしておいたお茶を水筒に注いだ。残りはポットに入れて冷蔵庫にしまう。


お茶も毎日買っていたら馬鹿にならない出費になる。手間でもこうして自分で沸かせば、ずいぶん節約になるのだ。


戻る途中、壁に立てかけられた姿見の前で立ち止まり、水筒を脇において今日の服装をチェックする。黒のニットに、カーキ色のロングスカート。ニットの袖口が少し毛玉になっていた。


「まぁ、よし」


そう独り言ちて水筒を手に取り、彼女を待つ荷物のもとに戻る。


バッグを開いて水筒を入れる。必要なものを思い浮かべながらもう一度確認して、すべて揃っていることを確かめるとそれを閉じた。パソコンを持ち歩くとどうしても荷物がかさばるけれど、それは仕方がない。


お気に入りのコートを羽織り、少し重くなってしまったバッグを肩にかける。


気付けば春休みもあとわずか。もう数日で大学生活も三年目に入る。そして今日は、彼女が自身に課した、「締切」の日でもある。


「今日もやるぞ」


小声でひとり気合いを入れて、彼女は家をあとにした。



*  *  *



――ひどい二日酔いだ。


水道をひねって、机に出したままになっていた安物のコップに水を汲み、一気に飲み干す。


二杯目を汲む前に、シンクの脇に置いてある電気ケトルに水を注ぎ、スイッチを入れる。


二日酔いというものは、水分と炭水化物を摂れば存外早く治るものだ。酒を知ってから、ずいぶん短い期間でそれを学んだ。


よく冷えた水道水を、今度は少しずつ飲み進めながら昨日のことを思い出す。田中の性癖を聞いた後は各人の将来の話になって、ミツネは自分の将来の夢を「神様になることかな」と答えた。


「宗教でも立ち上げるの?」


笑いながら発せられた香奈枝の問いには笑いながら、それも良いかもね、なんて答えた。


入信してくれたら、きっとみんな幸せになるよ。なんて。


田中の話の後だったことも手伝って冗談と受け止められたその夢は、いくらかは本気だった。少なくとも、それは夢とか目標とは言えないとしても、僕の希望ではあった。


神様になって、世界のみんなを幸せにする。素敵じゃないか。


カチッと音がして、ケトルがお湯の沸騰を告げる。


ぞんざいに床に置かれた段ボール箱からカップ麺を取り出し、封を開ける。シーフード味。まぁ良いや。


でも、僕が世界を幸せにしてやるだなんて、お節介だろうな。とも思う。

聖書に書かれた神様は人々を試す。人々を救ったかと思えば、気まぐれに突き放す。

世界に散らばる神々は、失敗したり争ったり。時に人を巻き込んで大戦争をしてみたり。

でもそんな神様は、きっと厳しいながらに人々を救っているからこそ神様なわけで。


人を試したりしない。泣いている人を見つければ涙を拭いて、苦しんでいる人がいれば寄り添って。僕がなりたい「神様」は、もしかしたら誰にも求められてなんかいないのかもしれない。


お湯を入れてから2分半ほど待ってカップの中身を胃におさめた後、シャワーを浴びてから僕は家を出た。



大学2年の春休み。とくにやることも無かったけれど、一日ベッドの上で伸びているのは勿体ないような気がする。なんてたって、もうすぐ大学生活が半分終わってしまう。


そんな日には、僕は図書館にいくことが多かった。


べつに図書館の本を全部読んでやろうとか、そんな天才児のエピソードみたいな真似をするつもりはなくて、ただ人が少ない空間で書物に囲まれているといくらでも時が過ごせるのだった。


そんな僕にとって、休暇中の大学図書館は暇を潰すのにもってこいの場所なのだ。


大学図書館というやつは試験前ばかり混み合って、長期休みには大した利用者もなく、その貴重な資料たちを遊ばせている。即戦力になりそうな実用書が開架閲覧室にあると思えば、作者が命を削って書いたであろう大著が書庫に眠っていたりする。そういう場所だ。


ミツネは書庫が好きだった。


なにより、閲覧室よりもいっそう人が少ない。


開架閲覧室にならぶ背表紙を視線で撫でながら、何度も通り抜けた書棚の間を抜けて階段を下りると、書庫のひんやりとした空気が彼を迎える。


そんな場所で出会った本は、いつも人目に触れているだろうの本よりも、何故か愛着をもって読めるのである。


この日もミツネは、閲覧室の隅の席に陣取ると、そこに荷物を置いて書庫に向かった。


この図書館の書庫は電動化されており、ボタンひとつで書棚が動く。普段は人が分け入る隙間もなく、つめて配置された書棚たちは、その側面にあるボタンを押すことで望む場所に通路を開ける。


ピーッピーッと近代的な警告音を鳴らしながらゆっくりと書棚が動いていく様子は、なかなかに心が踊る。


小説の、特に和書のならびの棚を適当に選び、ボタンを押す。そこを選んだ理由は特にない。なんとなく小説が読みたくて、海外の作家という気分でもなくて、なんとなく目の前にあった棚のボタンを押した。


書棚が動ききる前に隙間に体を滑り込ませる。誤作動で戻ってきたら一巻の終わりである。

さて、どれを読もうか。書棚が止まる頃になんとなく手に取った本のタイトルは、『ユートピア』というらしかった。

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