私の王様

 “二人”は対峙する。どちらが【エース】かを証明する為に。トップで仕掛ける秋永涼はいとも簡単に山岸洋介を抜いた。お互いにゾーン状態に入ったプレーは、間違いなく歴史上で最高と言える戦いとなっていた。会場の盛り上がりは最高潮に達しており、今この瞬間、秋永涼が山岸洋介を抜いたこの瞬間、その盛り上がりは最高峰の限界を超える。そしてそれは渦中の二人にも同じことが言えるだろう。二人は互いを認め、そして己の底無しの限界を超えようとしていた。

 たったの数十秒で九得点を上げた京都洛連高校きょうとらくれんこうこう。それは、通常では在り得ない現象であった。だが、彼達はそれを可能にする。いや、バスケットボールにはそれが起こり得る可能性がある。奇跡は起きる。それは充分に起こり得る。残り時間、二百六十秒、スコアは51-62。彼達がここからぶっち切りで勝つには余りある秒数である。


 しかし、秋永涼はそれを許さない。入れられたならば、入れ返す。やられたならば、やり返す。抜かれたら抜き返す。それの繰り返し。二人がやっているのは正にそれだ。バスケットボールの本質、真髄そのものだ。バスケットボールの素晴らしいところである。


『抜いたっ! 秋永が!』

『“あの状態”の山岸選手を抜かしますか、彼も化け物の一種ですよ、監督!』

『――そこから追い付くからこそ、彼も尋常ではない!』


 ゴール下にいた鷹峰壮のブロックを容易く躱すその様は、追い付いた山岸洋介でさえ届かなかったその最高到達地点は、やはり事実上、秋永涼がこの日本で“一番高く”飛んでいるのが彼でもある証でもあった。それは――圧巻するダンクシュートだった。

 すかさず反撃に出る洛連高校。お得意のカウンターである。いいや、明島川は最早自陣にいる。これではカウンターも糞もない。しかし勇猛果敢に突き進むのは山岸洋介である。全力で飛んだ秋永はここまでは来れない。だからこっちも全力で走って全力でやり返す。その気迫が見えた。決めたのはいつもは入らないレイアップシュート。試合は何時の間にかエース同士の応酬になり、二人だけのラン&ガンとなっていた。


『なんだこの試合……』

『すげぇな。あの二人の独壇場じゃねーか』

『お互い、一歩も譲らない』

『つーか、どっちもオフェンスに五秒くらいしか使ってねーぞ』

『でも、点差は変わらず。59-70と十一点差だ。いよいよ厳しいんじゃねーか、洛連は』

『一分半を切ろうとしている……さすがにここまでなのか、洛連は』

『私は“彼達”を信じる』

『この際、僕も』

『私は元から彼達を信じています』

『君達はどう思う? 水瀬みなせの君達は』

『だから黙れよ、桐村きりむらさん。俺達にだって分かんねーよ。分かんねーけど、マジで凄いよこの試合は。――ああ、どう思うかって言われたら、あそこに俺がいたらなぁって、そう思う。心からそう思う。ああ、もう……負けたくはないなぁ』




――あとですね。それで点差は変わらずの十一点差。さぁ、どうしますか、山岸洋介君。あともう少しで君の青春じんせいが終わるよ? もうこの局面で対偶理論は通用しない。近付くのは残酷なお知らせ。それを君はどうするのかしら。バスケットボールに愛されている君は、果たしてどう切り抜けるのかしら。私の、この私の愛を断った君は、どう悲しむの? 


 “一つだけ言える事は、君は負けたらもう二度と、両方から愛される事は無い”。


 だって私がそうだったから。――『将来は、結婚がしたい! でも、バドミントンも好き! そして幸せになりたい!』――そう思っていた。だけど私は、全てを失ってしまった。私は頑張り過ぎたのかなぁ? あはは、まるで君達と一緒だ。でも、私の努力が報われる事は無かった。……そう、頑張りが“過ぎた”。純粋と言う気持ちはこの世で一番捨てなければならない気持ちです。君はきっとその壁に必ずブチ当たる。。色んな大人の事情が絡むから、必要と言っていいくらいに絡んでくるから。それを、私は中学生で“知らされた”。八百長、賭博、既得権益、純粋な人間程、潰される世界がある。スポーツだってそうです。

 嫌な世界だよね。本当に心底、吐き気がするくらい嫌な世界ですよね。どれだけ実力があっても、それに私達は潰される。どれだけ自分が強くなっても、自分以外の誰かが変わりに消えていく。そして次は自分の番。私はね、何時の間にかバドミントンが大嫌いになってしまいました。あれだけ好きだったのにね。苦しいよ、辛いよ、辞めた時は凄く凄く後悔したよ。でもね。

 あっ、そうそう、一つ嘘をついていました。私が『泉広洋いずみこうよう』先生と初めて出会ったのは、“私がバドミントンを始めた時ではなく、私がバドミントンを辞めた時です”。その時にね、先生に、こう言われたの。


『俺は自分の才能に驕っているいる奴は大嫌いや』と。邂逅一番がそれ。その言葉。正直、救われたよ。この意味、今の君なら、その言葉がどういう意味か分かるでしょう――?



「島君。いけますか?」

「ええ、何時でも。しかし……悠花先生は、悪い先生だ」

「言ってるじゃないですか、私は良い人間ではないです。でも、私は見たいんです。私を良くしてくれる奇跡を」

「今でも十分奇跡ですけどね。この点差、既に範囲内です」

「私は何度だって見たいんです、奇跡を。更なる奇跡を、ぶっち切りを」

「それは、独裁者が望むものですよ」

「ええ、私はそれになります。だから、だから、私に良心の呵責は無い」

「それは先生、洋介とはもうダメって事ですかねぇ」

「そうしないとね、私の中のバドミントンが消えてくれないの。洋君は輝きが過ぎます」

「そうですか。でもまぁ、あいつはきっと先生の“ソレ”さえも巻き込んじゃいますよ。だから、だからこその“今に”俺なんでしょう?」

「あくまでも、“勝つ為”です」

「任されましたよ」



 洛連高校に選手交代の合図が鳴った。ここまで脅威のオフェンスリバウンドを取っていた星野翔太ほしのしょうたがベンチに下がり、入ったの島雄一郎しまゆういちろう。少し“びっこ”を引きながら歩く彼だが、そのドライブの異様さは最早会場の誰もが感じていた。島雄一郎、再びの登壇である。

 それと同時に雄叫びを上げたのは、上代翔かみしろしょう。彼はコートに入った島雄一郎を抱き締め、熱く拳を交わした。二人が思うのは残り九十秒の。彼等こそ、彼達の中で最初の“ゴールデンコンビ”なのである。


「行けっかよ、島君よぉ」

「このチームで、誰が“最速”かは知ってんだろ、翔」

「ああ、俺だよ。でも、ドライブだけは“お前”だ。で、それに合わせれるのも“俺だけ”。つまり、俺が最速」

「相変わらず、鹿だな。まぁいいよ、行こうぜ翔。元祖を見してやろうじゃねーか」

「見してくれんのかよ、俺にお前の今日一番よぉ。だったら、俺も見せてやんねーとな、お前に世界一の速さを」

「だな。そもそも、最速とは俺達二人だけの言葉だ。世には偽物が多過ぎて困るぜ」

「洋介とかな」

「それ言ったら怒るぜ、あいつは」



 さぁ、いっちょやってやろーかい。久しぶりだな、本気のバスケットは。

 後悔はしてねーかって? あの時、事故をしなければもっと全力で出来たのではないかって? ばーか、後悔なんかしてねーよ。するだけ無駄だ。確かに俺が怪我してなけりゃあよ、“エース”は間違いなくこの俺だったよ。日本中のエースはこの俺だったよ。でもよ、今でも俺は最速だ、ドライブの最速だ。だからいい加減よ、その“汐らしい顔”をやめやがれよなぁ洋介。

 ああ、そういやとっくにやめてたっけか。お前は何時だってその、前だけを向く顔が似合っているぜ。自覚はしていたんだろう? そうさ、洋介。お前はお前だけしか持っていない物があるんだ。けけけ、其処だけはマジで羨ましいし、妬んでいるよ。『なんで俺じゃなくて、お前なんだ』ってな。でもこればっかりはどうしようもねー。持って生まれた“才”と謂うものは確かに在る。努力や環境じゃ培われない、何かがこの世には在る。



(十一番が出てきたか……さぁ、どう来る! この状況で来るとしたら、十番との連携、いや、九番か!)

 北原祐一は、長年のガードによる経験で直感した。それを阻止すべく動く、して明島川全体が瞬時に北原に合わせる。が、山岸は逆の手を出した。パスの先は七番である村川明。六秒のオフェンスの主役を、瞬時に彼に決めたのだ。そして今の彼は確実に3Pを取る。残り九十秒で十一点差、追い付くなら二点より三点である。


「ばーか。お前、翔と島の存在に気押されて、明の存在を忘れていただろう。大局を見ないとガードは務まらないぜ、北原祐一」

「涼が言ってた通り、確かによく喋りやがる。黙ってろ、次は止める」

「はいはい、それ負け惜しみ! それにな、俺が今の翔や島にパスを出す訳がないだろう」

「なんだそれ、心理戦かぁ?」

「んなんじゃねーよ、“今のあいつ達”にパスを出したら俺より目立っちまう」

「じゃあ、そう願っとくよ!」


 間髪入れずに、明島川は攻撃に出る。段々と洛連のプレッシャーを抜けてきてはいるが、やはり最終地点には山岸洋介が悠然と立っている。現状、抜けるのは秋永しかいないが、それでも五分五分の確立である。その五分が明島川を襲った。今大会中、今試合中、誰もが何度も喰らっているスティール。ここまで来るとそれはもはや達人の域に達いしている。


(考えろよ、大局を見るんだ。真上からコートを見ろ! 本当に十一番を使わない気か? 自分の為だけに? 否! 必ず使う! こいつは、山岸洋介はそういう奴だ!)


『――なぁ。覚えているか洋介? 中学三年の六月に、俺が渡り廊下でお前に言った事を』


 山岸洋介、そのパスセンスは高校生の中でも随一を誇る。彼は再び村川明にボールを放る。再度3Pを狙ったのだ。シュートモーションに入った村川を全力で止めんと、ブロックに入る猪俣敦之だが、これがフェイクだと、途中に気付く。しかし気付いた時には遅かった。既に全力で飛んでいたからである。それもそうだ、先ほどのプレーとファウルもある。それが猪俣の判断を鈍らした。ここで止めないと相手の逆転が見えるからだ。今やスコア62-70と八点差。試合はまだ一分近くもある。村川のパスの軌道を目で追う猪俣。その行く着く先にはやはり、十一番、島雄一郎の姿があった。


「十一番だ! 涼!」

「分かっている! 必ず止める!」


『――もうバスケやらねーのか? 俺はあの時、お前にそう聞いたんだ。なんでなんだっけっか? ああそうだ、確かプール開きの日で、翔が女子更衣室を覗きに行こうっていって、泉先生にこっぴどくやられた日だったなぁ。あの後、夕方まで先生に殴られて説教されて、翔を背負いながら三人で渡り廊下を歩いてるときだった。ふと、遠くにある体育館から“音”がしてよ、ああ俺は何をしているんだろうって思ったんだ。校舎からは下手な吹奏楽部の音、運動場からは、サッカー部とか野球部の清々しくて、憎い掛け声。その奥にある体育館から、“バスケットの音”だけは俺の耳に鳴り響いていたんだよなぁ。きっと洋介もそうだったんじゃねーか? だから聞いたんだよ、お前に』


「島ッ!」

「よ、涼。久しぶり」

「全力で来い!」

「ああ、全力で行く」


 前のめりに、深く深く姿勢を取る島は、低くかなり低く“ドライブ”した。島の真骨頂だ。そして鳴り響く爆音。もう一度言おう。島のドライブは初手から最速である。それも今回はノーモーションではない。体全体を使って低く構えている。あえてこそもう一度言おう。これこそが“島雄一郎”というである。それは、正に地を這ういかづちである。止める術は最早無い。


(涼が抜かれた――!?)

(やはり、こいつも化け物か!)

(しかし、その体で、その低さでシュートは!)


「十一番だっ! 大竹ッ!」


『こんな体になっても、お前を恨んではいないさ。これは自業自得だ。お互い様だろう? だけど、バスケットだけは辞めたくなかったんだ。皆もそうかもしれないけど、俺だってこれしかねーんだ。俺にはバスケットしかなかったんだ。でもお前がいないバスケットボールほどつまらないものはない。だから、だから“あの時”こう言ったんだ。希望を込めて、お前にこう言ったんだ。なぁ洋介、お前バスケもうやらねーのかってな。なぁ良いだろう? 俺の“音”も。俺からの最後のだっ! しかと受け取れよ!』


 それは“ありえない”アリウープだった。秋永を抜いた島は低く敵地の中を突き進んだ。そして、最後は彼のお得意でもある“バウンドパス”である。その強靭の指からなるバウンドパスは、空中にいる上代翔の格好の餌である。それに合わせられるのも、また上代翔だけであった。


 そして、電光掲示板によるスコアボードの試合時間が残り一分を切った頃、その五十九秒を刻んだ瞬間。同時にスコアは64-70と表示されていた。明島川を追いかける洛連高校、その差は六点である。一時は二十点差以上離されていたが、その差は残り六点である。両校とも、ここから一切な些細なミスも許されない状況に来ているのであった。





 素晴らしい、その一言に尽きる。やはり君は“天衣無縫の者”ですね。両者とも一歩も譲らないこの展開。これこそ私が求めていた試合です。この展開に誰もが心奪われるでしょう、動かされるでしょう、燃やすでしょう。もうこうなってしまっては、“どちらが勝っても、みなからしたら些細なこと”。私はね、これを待ち望んでいたの。私はね、こういう舞台を待ち望んでいたの。此処に立ちたかった。君がいる舞台にね。でも出来なかった。その変わりが君なんだよ。そのスイッチたる者が君なんだよ。

 悪い女でしょう? ええそうよ。私利私欲の為にしか私は生きていません。正直に言うと、泉先生や真理先生でさえ、私は私の為に利用しています。利己ですよ、所詮。世の中はそれで回っている。私はきっと独裁者ですよ。いやそれすらにもなれていない。でも、その利己中心の世で、偶に現れる“君みたいな存在”もいる。敵味方関係なく、巻き込む存在。全てを己の利己に巻き込む存在。歴史に名を刻んだ名君たちも、きっと君みたいな存在だったのでしょう。“ゾーン”ですか。名君もきっとよく入ったのでしょうね。頭の可笑しい人しか入れませんからね。素敵です、とてもとても素敵です。ねぇ、知ってるかな? 人々はね、それを【カリスマ】と呼ぶのですよ。


 己が中心と思い、それを頑なに実行する能力。この私の我儘でさえ巻き込む、その傲慢さと不遜。山岸洋介君。君はね、私が一番大嫌いな人間です。私は君になれなかったから。でも、君はあの日、私を巻き込むと言った。あの夕日が指すグラウンドで、君は私にプロポーズをした。だからこそ、いまこの瞬間に、あの時の答えを言いますね。



 あなたこそ、私が求めていた王様です。洋君――。

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