エースは俺だ

 京都洛連高校きょうとらくれんこうこう秋田明島川工業高校あきたあけしまがわこうぎょうこうこうの試合は、終盤に於いての秋永涼の覚醒により、明島川の勝利がほぼ確定されていた。第四クォーターの残り時間は五分を少し切っていた。スコアは42-62と実に二十点差ビバインド。試合の残り時間から考えても、奇跡でも起きない限り、洛連高校の逆転は不可能な点差である。

 実に五十九回目を迎えた全国高等学校総合体育大会。毎年、夏に行われる事から通称――夏のインターハイと呼ばれている。その男子バスケットボール競技大会の決勝は大いに盛り上がりを見せていた。彼の王者を打倒し一世を風靡した洛連高校だが、才能を誠に開花させた、エース秋永涼にまるで歯が立たずでいた。再戦を誓い合っていたはずの親友は彼等に負けた。そして彼等は因縁の相手でもある。そのフラストレーションを秋永涼は爆発させた。結果、試合は終盤一方的な展開になり、最終クォーター五分を切った時には既に二十点差である。一時は三十点差近くもあり、猛追を掛けた洛連高校だがその点差が“劇的”に縮まる事はなかった。


 誰もが明島川の勝利を確信していた。そしてそう願った。その方がドラマがあるからだ。再戦を誓い合った嘗ての親友――村井徳史むらいとくしが率いる王者、洛真高校らくしんこうこうは彼等に敗れた。全ての高校男子バスケット選手が夢見ていた、史上最強と謳われた洛真高校との勝負と勝利。それを彼等はいとも簡単に打ち破り、葬り去った。しかしながら、その自分達の“夢”を秋永涼率いる明島川は代理で実行しようとしている。そして彼等は嘗ての王者である。『黄金世代――始まりの王者』でもある。“それ”を今日この日に打倒す。誰もがそのような筋書きを望んでいた。

 誰もが明島川の勝利を願い、勝利を確信し、嘗ての絶望を打ち消す希望を渇望していた。その希望を一身に背負うは、日本のエース『秋永涼あきながりょう』であった。





「“ベストメンバー”で行きます。ポジションをで言いますね。五番に鷹峰君、四番が星野君。三番が村川君で二番が上代君です。そして一番は山岸洋介君。いいかな、泣いても笑っても試合は確実にあと五分で終わる。この夏はあと五分で終わるの……。そして同じ夏は二度とやって来ない。君達の最後の青春がもう直に終わります。だから、だから勝ちましょうか。ぶっち切りはもう無理でも、勝ちましょう。残りたったの五分……でも君達の五分を三百秒という言い方、私は好きだな。そう、残り三百秒もある。“良い響き”じゃないですか、それは君達の青春は残り三百秒もあるという事。行っておいで、そして勝ってきなさい」



「“良い先生”だなぁ。洋介が惚れるだけのことはあるぜ」

「運命だよ、俺と先生が結ばれたのは。きっと泉先生がそう仕向けてくれたんだ。天国からの贈り物だね」

「噛まなくなってきたじゃねーか、頼むぜマジで。ディフェンス三秒だからな」

「ばぁか、はかかる。でも、エンドラインからはボールは出させないよ。そしてずっと俺達のターンだよ」

「何だっけその台詞、確か漫画の」

「今はどうでもいいだろう、そんな事。じゃあディフェンス五秒、オフェンス六秒で攻めるぞ」

「だな、それで行こう。残り三百秒の青春かぁ。なんか小説のタイトルみてーだな」

「本とか読まねーよ」

「それもそうだ」


「――なぁ、みんな。言いたい事がある。伝えたい事がある」


「ああ? 何だよ、洋介」

 残り三百秒の青春を謳歌すべくコートに入った四人を、山岸洋介は呼び止めた。

 そして彼は、至極、当たり前の事を四人に言い放った。彼は、笑いながら、何処か嬉しそうに、また清々しい顔をして、その瞳はキラキラと光輝いていた。

 

 その言葉を聞いて、四人は自分たちの“勝利を確信”した。



――明島川の攻撃から始まる最後の五分。洛連はこの時間に来て、ハーフコートから守るゾーンディフェンスの戦術を取っていた。これは洛連が一番に得意としているディフェンス戦術だ。しかし、これでは彼等が言うディフェンス五秒は成り立たない。

(時間ねーはずなのに、ここであえてゾーンディフェンスか……。なんかあるな、こりゃあ)

 明島川ガードの北原祐一きたはらゆういちは頭をフル回転させる。勝ちを真に望むなら、この戦術は捨て試合の形だ。しかし、向こうの目は死んでいない。この状況で尚のだ。そして彼の長年の直感がこう呼び掛けていた。“十番の雰囲気”が変わっていると。そして気付く。恐らく向こう十番は涼と“同じ境地”にいると。

(涼と同じになっても何も不思議ではないだろうな……だがスペックでは涼の方が上だっ! じゃねーと俺の立つ背が無いだろうが! 二番目に上手いのはこの俺なんだよ……涼以外には屈しねーよ!)

 北原は強気に攻めた。この試合をより決定づける為にだ。無謀にもトップにいる山岸洋介のディフェンスの範囲内に。気付いてはいた、十番の背番号を背負う山岸洋介の何処か可笑しい変貌に。しかし攻めた。この世で二番手は自分であり続ける為にと、その矜持が彼を駆り立て、歩を前に進めた。


 だが、やはりそれは間違いであった。

 このワンプレーで全員が“知る”結果となってしまった。

 

 一閃、北原の手からボールは消え、敵陣のゴールリングを通っていた。“十番”によるスティール、そしてカウンターからのレイアップシュート。一見、文字で書き起こすとそれは普通ではあるが、その速さは誰もが見たこともない速さであった。あまりにものである。かつ、十番である山岸洋介は今試合で“初得点”を上げる。熱気に包まれていた会場は一瞬にして静寂となる。そして誰もが頭によぎった。彼等が今大会に掲げていたチームのキャッチコピー……その意味を。『最速のバスケットボール』と言う言葉の誠の意味を。



『……十番は“入ったか”。押切おしきり君の言った通りになったなぁ』

『はい、シュートが決まった、というこはそう言う事なのでしょうね。しかし圧倒的ですね、色々と。想像以上です』

『あいつが言う“エースの資質”が分かったよ。確かにあれは周りを変え、そして巻き込む。敵も味方もな』

『エースの定義も難しいものですね。秋永選手みたいに全てを喰らう子もいれば……まるで正反対な選手もいます。山岸選手は全ての選手の希望になるような、

何処かその様に感じます』

『彼の今のワンプレーでそう感じたなら、君は過去にそう言った選手に負けているのだろう』

『何も言いませんが、そうなのかもしれません。監督は?』

『私もそうさ。努力の天才、天才の天才、周りを巻き込む天才……色々な天才を見てきたが、最後者は最も劣っている、そう思っていた。でも彼等は何時だって“スター”だった。普段は誰よりも劣っているのかもしれない、誰よりも情けないのかもしれない、だけどほんの数分間だけ“誠のヒーロー”に成れる。山岸洋介は正にそれだ。そして、時代の最先端を行くのは何時だって彼のような人間だ』

『ああいうタイプは引くことを知りませんからねぇ、厄介です。でも羨ましいです』


『そして厄介な事に彼は、バスケットボールの天才の中の天才でもある。断トツでバスケットボールに愛されているだろうなぁ、彼は』



「祐一、何が起こった?」

「分からん、速過ぎた。ってか」

。涼と一緒か」

「お前等、マジで仲良しかよ。困るぜこっちは」

「仲良しじゃない。でもいいよ、そうでなくちゃ。勝ってやる、やっと“あの状態のあいつ”と戦える。夢に見ていたんだ、この日を。やっと



 一閃のカウンターからの山岸洋介のプレーは確実に空気を一変させた。また明島川のオフェンスで始まるが、洛連は“オールコートマンツーマン”のディフェンスに打って出ていた。彼等の『ディフェンス六秒』がはじまる。

 通常、相手にシュートを決められたら敵陣のエンドラインからボールを五秒以内に出さないといけない。そして五秒が立つと同じ位置から敵にボールが渡る。つまり、五秒以内にボールをエンドラインから出せないと相手陣地ド真ん中に、ボールを相手側に渡してしまう事となるのだ。故にボールは素早く出すのがセオリーだが、オールコートのディフェンスだとまずを死守される。自陣でボールの主導権を得る、それが決定的なこのディフェンスの利点だからだ。

 だが、彼等はそれをしなかった。彼等はパスを“敢えて通さした”。五秒も待てば、攻めの時間が消費されるからだ。故に敢えて出させる。勿論、欠点もある。カウンターを喰らいやすいのがこのディフェンスだ。行きつく先が、ラン&ガンとなるのだが、洛連高校はこれにはもう飽きていた。


 狙うはカウンターのカウンターである。そしてそれを出来る人間が、一人だけいた。確実に実行出来るチームが此処には存在していた。


「よぉ、寄越せよ、それ」

「こんなで守って、抜かれたらどうするんだよ」

「お前は、あほなのか。もうお前は“俺”を抜けねーよ」

「なんだ、それ」

「俺がそう言ったら絶対なんだ。が宿るから」


 瞬間、秋永涼の手中にあったはずのボールは消え果て、山岸洋介の手に渡っていた。残り三百秒の最初の彼等の対決は一瞬にして山岸洋介に軍配が上がった。一手目からのスティール。そうそうに出来る事ではなく、成功させるにはかなり高度な技術と相手の心理を読み抜く経験が必要である。だがそれを山岸洋介はいとも簡単にこなしてみせる。“ソーン”がそれを可能にする。

 ハーフラインギリギリでスティールされたボールは在りもしないスピードで逆サイドにいる村川明むらかわあきらに渡る。パスを出した方も、受け取った方も、そして周りでさえ直感する。『これは入るシュート』だと。そして奇しくも村川明の得意分野は3Pシュートである。カバーに入った明島川の猪俣敦之は阻止すべく全力でブロックに入った。決して焦る事は無かった、全力で止めに入る必要もなかった、しかしこの後の“未来”を彼は想像してしまった。これが決まれば事になると。直感的に“負ける”と思ってしまったのだ。

 飛ぶ猪俣に対して、村川は打つタイミングを敢えてズラした。ファウルを誘ったのだ。結果、3Pシュートモーションからのディフェンスファウルを取られ、洛連は一本のフリースローを勝ち得た。無論、最初の3Pは決めている。つまり四点プレーである。


「マジかこいつら……」

「たったの十数秒で四点、いや六得点あげやがった」

「涼、十番の体感は?」

「今までの、二倍。いや恐らく三倍近くは速く感じる」

「それも問題だが、全員の動きが段違いに良くなってる。しかもモチベーションの良し悪しで決まる変わり様じゃねーよ。何しやがった」

「……タイムアウト後、コートに入る瞬間、十番が何か言ってたみたいだけど」

「何か言ったらあそこまで変わるのかよ」

「どちらにせよ、その十番がゾーンに入ったいま、対処出来るのは涼しかいない。任せたぜ、エース」

「ああ。分かっているさ、任せろ。エースは俺だ、俺なんだ」





――昔から、気分の浮き沈みで悩まされてきた。元気な時は凄く元気なんだけど、落ち込んでいる時は凄く落ち込むんだ。例えば毎年、九月頃から気分が落ち込んで十一月はもう最悪。それで段々と立て直してきて、夏になると逆に物凄く元気になるんだ。俺の心の一年模様は毎年そんな感じだった。でも体はそれと反比例していた。心と逆で、秋が一番元気なんだ。それで夏が一番最悪。単に涼しくて暑いからって理由もあるんだろうけど、そんな二極化に四六時中悩まされていた。

 それで無理に頑張ろうとすると、どっちかがかなり疲れてしまう。例えば心が元気な時に頑張ると体が起き上がれないくらいに疲れた。逆もそうだった。死にたいくらいに心が疲れるんだ。だから、だから俺はを目指した。ゼロとは心と体のプラスマイナスを足して丁度ゼロ地点にするという、俺が考えた精神統一である。これが功を奏した。すこぶる調子が良くなったんだ。もう浮き沈みに悩まされる事は無くなった。

 あれはミニバスの全国決勝試合だったかな。そのゼロ地点がゼロ地点ではなくなった。同時に心と体が最高潮に元気なってしまったんだ。そして不思議な感覚に包まれた。何をやっても上手く行くしかない気がして、“未来”が見えた。空間全てを把握しているような全能感に包まれた。俺はこの状態の時を“ゼロ地点の中のゼロ地点”と自分の中で勝手に名付けた。勿論、恥ずかしいので誰にも言ってはいないけど。何時しか、その領域に自力で入れるようになった。条件はいくつかある。バスケットボールをしている時だけ。もう一つは周りから『この俺が必要とされている』と感じた時だけ。つまり愛である。この状況になるには愛とバスケットボールが必要不可欠だった。


 ずっと『ゼロ地点の中のゼロ地点』と呼んでいたけど、さっき悠花先生から正規名称を教えて貰った。どうやら『フロー』とか『ゾーン』とか言うらしい。そういや、泉先生もそんな事を言ってたっけかな。





「とにかく、向こうハーフラインを突破する!」

「おうっ! 行くぞ!」

「来い、祐介! 俺が抜いてやる!」


 渾身の北原のパスが秋永の手に渡る。洛連が展開するオールコートディフェンスの穴を突き、明島川はハーフラインを突破した。ラン&ガンでよく見る光景だ。しかし独走する秋永に追い付き、ドライブ中に後方からカットしたのは言わずもがな山岸洋介である。すかさず戻り、カウンターに対応する明島川だが、彼を止める術は最早無かった。先述した通り、速過ぎたのである。その速さ、上代翔を置いてけぼりにする速さである。

 そして彼はドライブを3Pライン外側で急停止、シュートを放った。誰もがゴール下のレイアップ、もしくはダンクシュートと感じたドライブであった。だが彼はその予想を裏切ったのだ。放ったのは3P。綺麗な放物線を描き、空中を舞う“それ”は正に魂の叫びある。『俺は此処にいる』という叫びであった。スコアは51-62となり、たったの数十秒で九得点を上げていた。それは“超攻撃型チーム”の名を冠するには充分であった。

 そう、彼等はあくまでもぶっち切りで勝とうとしているのだ。オフェンスは六秒と決めてはいるが、あくまでも最低でも六秒である。無論、最速で決める。可能ならば一秒を実現させる。そうすれば、時間は余りある。彼等の三百秒の概念は恐らくそれ以上に相当している。あと五分と思うか、あと三百秒もあると思うか、彼達は教え込まれてきた。


『最速を誇示しろ』と言葉を賜り、それを受け継いできた、嘗ての恩師と先輩達に。





「マジかよ、お前。どんなトリックだよ、それは」

「心と体の同一解放だよ。お前もやってんだろ」

「ゾーンのことか? それでそこまで変わるかよ。周りも変わってんだろ」

「それはきっと、お前と“この俺”との違いだよ。お前さ、負けず嫌いだろう? 知ってるよ、俺もそうだから。お前は俺と同じ眼をしている。だから俺はお前を嫌いなんだ。俺と似ているから」

「そんなの、誰だってそうだろう。違いなんてない」

「そう、違わないよ。でもお前は負けず嫌いだけど、俺に勝てていない。唯一この俺に、勝てていない」

「だからこそ、今日“勝つ”んだよ」

「だからこそだよ。俺は誰にも負けない。負けたくないんだ、俺も負けず嫌いだから。負けるのは……自分自身でもうお腹一杯だ」

「訳の分からねーこと、相変わらずほざきやがる。哲学者かよお前は」

「愛しているものを“嫌い”になったことないだろうって、言ってんだ」


「あるわけがない。俺はこの世で一番、誰よりも、宇宙一として、バスケットボールを愛している。この思い、誰にも負けはしない。貴様に負けてから、俺はもう誰にも負けはしない。貴様にもだ。この俺が一番なんだよ。バスケットボールでのエースは俺だ。この俺なんだ」


「そう。でもそれでは、お前は俺に勝てないよ。俺は愛されているから。どうやら愛されているみたいだ。だからもう二度と離しはしないんだ。“求心力”って知ってっかぁ? 俺はそれだ」


「知らねーよ、勝手になっとけよ。俺は今日、お前を打倒す。それだけだ」

「お前のを俺は授かってんだよ」


「大層な、言ってろ! 俺は貴様より速くなる、貴様より上手くなる、貴様の上を行く。それだけだ! エースはこの俺だから!」

「アホ抜かせ、に決まってんだろ! 遥か昔の相場から、そう決まってんだよ!」





 在り得ない現状を変えろ、固定概念に囚われるな、“心と体の同一解放”をしろ。さすれば今は変わる。お前が言った言葉を信じろ。言葉には言霊が宿る。在り得ない瞬間を想像してみろ。クリスマスツリーは夏にあってもいい。夏の空から雪が降ったっていい。とにかく想像しろ、それがお前の力となる。向日葵が海の上で咲いていたとしても何も可笑しくはない。いいか、山岸やまぎし。お前は【何か】を持っている奴や。それを信じろ、その“何か”を信じろ。



 【何か】とは――其れは即ち“求心力”や。山岸、だからこそ、エースはお前だ。

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