スタンディングオベーション

「あ、お兄ちゃんだ! 兄ちゃん出て来た!」

「雄一兄ちゃん、頑張れー!」

裕二郎ゆうじろう桜子さくらこも気合い入ってるなぁ。そうだ、その調子で雄一郎ゆういちろうを応援しろよ? あいつの見せ場がやってきたんだ。きっとすげーことしやがるからな」

「そやけどあの子、あんな体で大丈夫かいな。半分麻痺しとるんやで、身体の左半身。バスケなんてできひんやろう、迷惑掛けるだけちゃうかいな」

「なーに言ってんだよ、お袋。ありゃあ島家の長男で、この俺の弟だ。麻痺なんて相手にとっては良いハンデだよ。それに見ろよ、あいつ中学から掛けていた伊達メガネを外した。あれは本気って事だ」

「そうなんか、そうか。眼鏡外したら本気なんかいな。けったいな子やなぁ、あんたのは。誰に似たんやろうかなぁ……」

「それはにだろう。そしてお袋の子でもあるんだ。ハイブリットだな、あいつは」

「そうかいなぁ。そやけど、あんた店は大丈夫なんかいな。こんな長いこと休んで。食材とかあかんようにならへんか? 蕎麦は鮮度が大切なんやで」

「ちゃんとしてきたって、大丈夫やで。それより雄一郎の活躍を見ようや」

「あんた……段々、訛ってきたなぁ。やっぱり蕎麦やって正解やったな。お父ちゃん、喜ぶよ。うん、本間に喜ぶ」

「お袋、いいから試合を見ような」


(鳴らせよ、雄一郎。お前のミュージックエアーホーンはまだ生きているだろう。クラッチ切って、ギア落として、それから一気に上げて、アクセルミュージックだ。そして、最後に心の鐘を鳴らせ、ミュージックエアーホーンを鳴らしやがれ)





 第二クォーター残り一分を切った頃、悠花先生は島とサトルを交代させた。スコアは10-24と劣勢であり、俺達はまじまじと明島川との実力の差(恐らく)に頭を抱えていた頃合いであった。交代の合図があり、島がコートに入る。今大会、というか、島が試合に出るのは、ミニバスの全国大会決勝以来である。

 島がコートに入った瞬間、歓声が起こる。歓声と言っても一部からだが、俺達の応援席の、その中でも沸き上がっていたのは島の家族がいる席からだった。見ると、島のお袋さんに、二人の親父さんの遺影、それに弟の裕二郎に妹の桜子ちゃんも見てとれた。そして伝説の、瘋癲のケンさんもいた。皆が皆、島の登場に沸きだっていた。

 島は何処かぎこちなく、小走りでコートに向かって走っていく。俺はその後ろ姿とか島の家族の嬉しそうな顔を見て、激しい後悔の念に押された。そして同時に、これ程嬉しい事はないと思った。島はもう一度、舞台に立ったのだ。最早、健常者ではないかもしれない。だけど、舞台に再び立ったのだ。しかし、会場からは冷たい声が聞こえ始めた。


『なんか、いま入った洛連の十一番』

『ああ、歩き方変だな。足、若干引きずって歩いているし』

『怪我か? なんでそんな選手を』

『焼け石に水か? まぁ洛連は負けるだろ、この試合内容じゃあ』

『つーか、確か洛連って、地元の中学が北辰だろ? 聞いた事あんだけど、あいつら中学の時は暴走族だったって話だぜ。だから全中にはいなかったって。あの十一番はバイクの事故でらしいぜ』

『そーいや、何かの記事でそれ読んだな。すげー不良だったって』

『なんだそれ、そんなやつが決勝にいるのかよ。訳分んねーな』

『見ろよ、あのヨチヨチ歩き。あれでバスケ本当にできんのかぁ? なぁ、おい!』


『出来るよ、彼ならね。しかし、弱い者は“良く吠える”』


『……それ俺等に言いました? おっさん』

『ああ、そうだ。君らに言った。決勝の舞台に辿り着けず、決勝の舞台にいる彼達をよくそんな風に言えたものだ。妬みや嫉妬を抱くのは勝手だが、言葉には出さない事だ。言う暇があれば、その思い心にしまい精進すればどうだ』

『ちょっと、桐村きりむらさん! なに揉めてるんすか! 高校生相手に、やめてくださいよ!』


『いい年したおっさんが、俺達にバスケの説教かぁ? いちいち口出すんじゃねーよ。それに見ろ、周りを。みんなあいつを見て嘲笑してるじゃねーか。こっちは楽しい気分で試合を見てるんだ、邪魔すんじゃねーよ。いいか俺達はなぁ、明島川が負けるのを待っているんだよ、期待してんだよ』

『……ほう、それは失礼したな』

『それに、知っているよ』

『ん……?』

『洛連の“十一番”が、どれだけ凄いかって。この状況で出て来るような奴だ。只者ではないだろうなって事くらいは分かる。オーラがあるからな。怪我をしてなかったら、多分相当な選手だったんだろう、あれは』

『さすが、水瀬工業みなせこうぎょうのキャプテンだ。まだ二年生なのに“あわれ”が分かるか』

『なんだ、おっさん。俺達を知ってるのか。来年は俺達が優勝だからな。覚えとけよ、この野郎』

『というか、俺はまだおっさんじゃねーよ。まぁ、覚えておくよ』



『おーおー、至る所で盛り上がってんねー。さすが決勝だ。なぁ、石上いしがみ

『おう、高校バスケもすげーな。面白いじゃねーか』

『お前、一応バスケ部だったじゃん。感慨深いか?』

『抜かせ、アホ。でも、あいつらはすげーよ。あの夏に言った事を本当に実行しやがった』

『ああ、あいつらが辞めるって言った時か。お前、嬉しくて泣いて飲んで二日酔いだったなぁ』

『……懐かしい夏だ。なぁ、間中まなか。やっぱよぉ、俺は“野球”やってりゃあ、良かったかなぁ』

『それこそ抜かせ。やってたら、この俺と出逢ってねー。そしたら、お前は此処にはいないだろう』

『はは、それもそうだな』



勝太郎しょうたろう、お前の弟のところ、負けてるなぁ』

『なぁ。まぁ、これからだろう』

難波なんば横山よこやま、緑茶だ』

『おお、ありがとうな、日岡ひおか

『しっかし、あれだな。この大会終わったらやっと一息つけるかなぁ』

『何言ってんだ、日岡。此処からだろう、俺達はよ。なぁ、勝太郎?』

『ちげぇねぇ。サン・フラワーズは今日も明日も明後日も絶好調だぜ。曲がらない止まらない真っすぐ走らないのさ』

『何だっけ、それ。バイクか、ヤマハ』

『カワサキだ。確かZ2』

『ちげーよ、マッハⅢだ』

『ああ、“カワサキマッパ”。お陰で中型免許出来たやつか』

『昔、カストロのオイルも流行ったよなぁ。甘い香りがするやつよ』

『ってか日岡。これ緑茶じゃーねー』

『ああ、これは緑茶の色ではない。似てはいるけれど』

『なー。これ実は緑茶じゃーねーんだ。まぁ、飲もうや。中学三年生の時、何時もこれで乾杯してたじゃんか』

『やっぱ、これかぁ。まぁ、これだよなぁ』

『仕事も終わったし、後は観るだけだし、いっちゃう?』

『塩とレモンもある。“カン”と叩いて飲みますか、テキーラ!』





 一歩また一歩と、島が歩く度に、嘲笑の音が半分。もう半分がただ黙って見ている。ほんの少しが、割れんばかりの歓声だ。


 『島雄一郎しまゆういちろう』。最初で最後の登壇で在る。


 何時ものトレンドマークの眼鏡は掛けておらず、臨戦態勢だ。眼鏡を外した島は本気モードである。伊達眼鏡だと知ったのは、中学一年生の時。というか、その頃の前にコンタクトレンズにしていたらしい。ならば何故眼鏡をしているのかと、聞いたことがある。答えは、ずっとしているから落ち着くらしいだった。自分の体の一部みたいの物で外す時は風呂に入る時か、ここぞ、という時らしい。その島が眼鏡を外したのは、『六月一日プール開き事変』以来である。

 ――あいつは、あの日。藤代美代ふじしろみよの裸体をがっつり見ていた。今でも覚えている。俺と島が小さい窓の取り合いをしている時、翔が“天敵”が来たことを叫び、一瞬のうちに犠牲になったあの瞬間。あいつは俺にこう叫んだ。『い、泉だ。逃げろ』と。が、それがあいつの作戦。瞬間、俺は視線を窓から外に映してしまう。身構える俺、視線を島に戻す――あいつは逸らさなかった。逸らしてはいなかった。

 しかし、翔の次にターゲットにされたのは俺ではなく、島。それもそのはず、あいつだけが見ていたのだから。そう、あの日。あいつだけが楽園を見ていた。あいつだけが――。



 第二クォーター、残り五十八秒。オフェンスは俺達だ。対する明島川は、相変わらずのゾーンディフェンス。明に最大警戒をしつつ、ミネに注視していた。士郎にはべったりと同ポジションの五番の北原きたはら。だけど、明島川はやはり島の存在に浮ついていた。それも、そうだろう。俺もそう思う。まともに歩けない選手がコートに入っているのだから。無知は、愚かだ。恐れは、人を本能的に退かせる。明島川のディフェンスラインがほんの少し“下がって”いた。

 士郎は、空いたスペースにいた島にパスを入れた。相手はカット出来ただろう、そのようなパスを放った。だが相手はカットをしなかった。島を見たかったのだろうか、それとも遠慮をしたのだろうか、それは分からない。だが、もし後者だとしたならば、大いに間違っている。もう一度言う、その選択は大いに間違っているのだ。島は健常者ではない、なくなってしまった。それでも島は、あくまでも島で在る。


 島にボールが渡り、より一層会場が静まり返った。一瞬の、本当の少しの静寂。誰かが声を出そうとした合間、その瞬間である。


 それは、いかずちの音。去った音は、燃え尽きた流星のように儚く耳に焼き付いた。そして会場の全域にそのドライブは確かに鳴り響き、空気を一変させていた。ノーモーションからの高速ドライブ。初手から最速であり、勿論、対峙している者には見えるはずがない。

 だが、島は抜けなかった。抜こうとしたらバランスを崩し、ボールは手から離れた。その隙を突かれ、カウンターを取られる。だが効果は抜群だ。明島川は、その絶好のカウンターを外した。それもそうだろう。相手は聞いた事も無い音を聞いたのだから。


「ディフェンス! 十一番!」

「分かってる!」

(ノーモンションからの、高速ドライブをしようとしたのか? ……んなのNBAでも見たことがねーぞ。ビックリ人間多過ぎだろ、洛連は!)


 すぐさま、島にマークが二人。明島川はここで島が只者ではないと気付く。だけど、島は気にしていなかった。俺も気にしていなかった。むしろ二人で足りるのかと、気になった。士郎はもう一度、島にパスを放った。今度も簡単に通った。

 つくづく思うが、この後輩、横井士郎よこいしろう。天性のガードである。勝負所を分かっているし、その場を盛り上げるのが上手い。誰も気づいちゃいねーだろうが、士郎は空気が読める。空気が読める奴がガードを出来る。俺はそう思う。そして今のこの舞台、主役は確実に島である。そう、謂わば“ガード”はそのワンプレーで主役を決める。いうなればコート上の演出家だ。そして一瞬の判断で、二十四秒の主役を決める。これが、士郎は上手い。


 そして鳴り響く二度目の爆音。ここで、観客は気付く。島のドライブの異常さを。その、天性の才を。



『……。村井君を軽々と超える逸材ですか。見ていて、つくづく嬉しそうではありませんか、監督』

『彼がもし怪我をしていなかったらと思うとね。はは、私達は一溜まりも無かったなぁ。嬉しくなるだろうよ、そりゃあ、“あいつ”は。これ程の子達。これ程の欠陥選手。私にすぐに電話をしたくなる気持ちも分かる。あいつの桂馬は格別だ、格別だったんだよ』

『はい、何回も聞いています』

『……押切君。どっちが勝つと思う?』

『どっちが、ですか。分かりませんよ』

『では、質問を変える。どっちが“愛されている”かな』

『そんなの、監督に決まっているじゃないですか』

『君は良い子だなぁ』



 二度目の爆音は、三度目の爆音に掻き消される。四度目が三度目を掻き消した時、島雄一郎は六年ぶりの“フルドライブ”を決行した。利き手では無い“右手”である。フェイクは必要なかった。島は抜けるからだ。過去に先述したが、バスケットに於いてフェイク(嘘)を入れるのはドライブ時にスティールされるからだ。簡単な話で、ボールは必ず手から離れる。コンマ数秒の話ではあるが、必ず離れるのである。そして、ここに動体視力の化け物がいれば簡単に取れるのだが、指先の微妙なコントロール等によって軌道は逸らされる。それを読んで、読み抜かれてのスティールの駆け引きになるのだが、初速の速さはどれだけ目が良くても、どれだけ瞬発力があろうとも反応が出来ない。これは学術的に証明されている。人の反射神経は限界があるのだ。人体の限界たる所だ。そして、ドライブは“重力”も加わってその限界の速さを超える。


 その“身体のバネ”を使えば、人は神速となる。それが島だ。内蔵された骨肉は、日本人の内なる脅威を今この瞬間に、すべての世界に、見せつけている。


 五手目となるドライブで島は既にゴール下、そしてレイアップは出来ないから、ゴール前にボールを放り投げた。すかさず、ミネがアリウープ。決まったその瞬間、会場からゴットファーザーのラッパが鳴り響いた。六連ミュジーックエアーホーンだ。バッテリーはどこから? と考えている暇はない。第二クォーター終了まで二十四秒を切った。スコア12-24。


(士郎、分かってんだろ。終了までに点差は一桁だから。頼むよ、マジで)



『知っているかい、押切おしきり君』

『はい、何でしょう』

『バスケッボールを愛する事は誰でも出来る』

『ああ、知っています』

『だがなぁ。のは、ほんの一握りの人間だ』

『それも、知っています……。監督は愛されていますよ、きっと』

『誰もが、そのような願望を持つ。だが、見たまえ押切君。あれが天才だ。あれが、そうなのだ。そのような者達だ。そして見ろ、その中で一際、輝くと主張しているあれを』

『あれですか、あれは何です?』

『王だよ、王様。あれが中心となるのだよ、結局。勝てない、勝てないんだ。ああいう存在が時代を作る。だが、挑むのだ。挑まなければならない。時代のルールを作るのは何時だって、この私達凡人なのだから。そして時代の最先端を往かねばならないのだから』

『……監督も作りましたけどね、私の時代の最先端』

『先ほどから、口説かれているのかね。私は』

『はい、口説いています。ずっと前から』



 士郎の勘が、残り数十秒で閃き正解に近づく。お前だけはオールコートマンツーマンで良い。そう、それでいい。起点を潰せ、プレッシャーをかけろ、秋永涼にボールを渡すな。その為には、ガードを潰せ。攻撃の原点となる起点を潰せ。演出家はお前なんだぜ、横井士郎よ。舞台が始まっちまったら、演出家が一番偉いんだ。TVで誰かがそう言ってんだ。


「やられた、スティール! 戻れ!」


 士郎はスティールしたのち、一直線にパス。“トップ”にいた島がボールを持つ。相手ディフェンスが島の眼前に立つ。それも二人、勢いは完全に殺されていた。

 構わぬと言った素振りで、島はその日二度目のフルドライブを実行した。それは勇気ある行動であった。体の麻痺なんてを感じさせないそのプレーは、確実に観客を魅せ、心を動かしていた。


 島は最後に、右足で跳躍。そして、利き手である“左手”でレイアップを放った。それは、俺達だけが知り得る最上で最高の確定事象。つまり、奇跡である。シュートが決まった瞬間。“古臭い六連ミュージックエアーホーン”の、ゴットファーザーの音は、勇ましく、雄たけびのように誇り気高く、会場内に鳴り響いていた。


 会場に、小さきながらも喝采が起る。――あの瞬間。確かに世界は、島雄一郎のものになっていた。

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