愛と嘘のコンタクトレンズ
眩しい照明の下で、審判が放ったボールがコート中央の空に放たれた。その最初のボールを天空高く勝ち取ったのは、ミネだった。相変わらず背は高いし、手足が長い野郎だ。ミネとマッチアップしたのは、
「ナイス、ミネ! 速攻いくよ!」
ミネが勝ち取ったボールは自然と俺の手元に来た。あいつはとにかく巧いのだ。そういった些細なプレーから、なにからなにまで。時に緻密なプレーが要求されるバスケットに於いて、ミネの神経質は大いに役立った。ボールが俺の手に渡った時、縫い目は俺の好きな所になぞるようにきていた。ジャンプボールから俺に絶対に渡すと決めて、最初からミネはそれ狙いだったのである。ただの変態である。だが、これは十年以上一緒にやってきたからこそ成せる技巧でもある。
ハーフコートからの速攻。やる事は決まっている。ゴール付近に放り投げて、翔のアリウープだ。これが俺達の常套手段。こいつが一番相手に効くからだ。奇襲、先制、牽制、色々な意味合いが含まれるが何よりド派手だ。試合の最初の流れを掴むにはやっぱりこいつが一番。決勝までこいつに対策をしていても対策できたやつはいない。いなかったはずだが、やはり明島川だけは違った。いとも簡単に空中戦でとられたのだ。とった相手は、先程ミネにジャンプボールで負けた六番の大竹。身長は百九十センチメートルを超える大型選手、明島川のセンターだ。
「馬鹿みたいに毎試合アリウープで初めて、それがこの俺達に通用すると思ったか、馬鹿共が!」
「大竹! 行くぞ!」
「おうよ!」
奇襲失敗。というか、ここで俺達の常套手段が初めて破られる。見るにこの大竹、でかいのは背だけではないらしい。最初のジャンプボールで結構全力で跳んでいたはずなのに、いつの間にかゴール下にいて、俺から翔のパスを横取りしやがった。思うに、かなりの脚力と瞬発力。それから前方に一直線に伸びるパス。どうやら肩も良いらしい。この肩力、野球かドッジボールで培われた賜物であるはず。絶対にそうだろう。何故ならば、この俺達もそうだから。しかし、さすが明島川。今大会中に最初の点を奪われたことはないのだが、奪われそうである。
パスが渡ったのは七番の
「そんな簡単に打たせるかよ!」
すぐさま明が追い付き、すかさずブロック。が、相手のそれはフェイントであり中に切り込まれた。3Pラインの内に入りミドルシュートを放った――追い付いた
そしてこの流れは俺達の予想通りでもある。実は言うと、俺達は何も失敗はしてはいない。アリウープを止められるのも、ここまで自陣に攻め込まれるのも俺達の中では想定の範囲内なのだ。失敗を見越しての試合運び、そして相手が最初に狙うのは3Pではない。
(必ず最初は最後に
案の定、北原は秋永にパスを出した。そのパスの軌道、見るにアリウープである。向こうも最初からそれが狙いだったんだ。だが、これも想定の範囲内。ここで、俺達が止める。ここでエースを止める。これこそが俺達の本当の狙い。ここでエースを止めて相手の出鼻を突く。なに、止めるのは容易いさ。だって、止めるのはミネとこの俺なのだから。例えミネが駄目でもこの俺がいる。そもそも空中戦でこの
しかし、エースはやはりエースであった。それも唯のエースではない、今や日本中が期待するバスケットボール界のエース。ただの高校の一番上手い選手とかではなく、この【秋永涼】は国の威信そのもの全てを背負っていた。バスケットボールの未来を託され背負っている気迫があった。此の国のバスケットボール界を変革するという気迫が。その気迫に、俺は初めて上には上の存在がいるものだと実感してしまった。
そして秋永が背負っている重圧、この時の俺には無論分かるはずもない。
「まじか、あいつ……俺より高く跳んでた」
「落ち込むな、洋介。しかし、さすがとしか言わざるを得ないな、秋永涼」
「想定外か。おっとタイムアウトだ、悠花先生の」
「怒られるかな?」
「まさか。でもまぁ、感じた事は皆一緒だろうよ。だから気負うなよ洋介」
試合開始早々のタイムアウト。とったのは悠花先生だ。切迫した時間だった。体感的には十数秒程に感じたが、実は一分近く経過していた。そして会場に響く声援は、俺達では無く明島川に秋永に向けられたものだった。
「ふぅー。やはり想定外できましたね、向こうは。みんな、どう感じましたか」
「いけると思ったんだけど、何かこう違うっていうか」
「やりづらいよな、なんか」
「なんか、コートが広く感じる。体も重くて」
「それが“アゥエー”です。それも君達が感じたこともない、とんでもない“アゥエー”」
「んなことはわーってるよ、でもよなんか、なんていうか……」
「完全敵地と言ったでしょう? それがどう意味か分かる?」
「だから分かってるって、先生よ」
「分かっていません。では教えて上げましょうか、君達が胸に引っかかるものが何か。いいですか、決勝と言う舞台に君達は慣れている。だから緊張ではないのです。それでもやりづらいのは、観客全員が君達を見ていないからです」
「そんなの、今までだってそうだったじゃねーか」
「うん、洛真の時だって」
「誰も俺達なんて見てくれてなんていなかったぜ」
「最後だけだよなぁ、俺達が勝つかもってなったその時だけ」
「そうよ。あの時ね、君達がやりやすくなったのは、観客の一部が君達を応援しだしたから。あとの人達は洛真を応援。当然、試合は盛り上がるし選手はそれに応える。でもね、今日は違う。今日の観客は全員『明島川工業高校』を応援している。それは何故か、『秋永涼』を応援しているから。あの秋永涼に期待して期待して、この試合に足を運んでいるの。程よく言えば、君達は秋永涼を盛り上げる為の材料に過ぎない。悪い言い方をすれば、この先に続く彼の踏み台……生贄みたいなもの。つまりそれがね、私が言う完全敵地というものなの。“圧倒的スター選手”の前に立つ場の、別名よ」
みな、しばし口を閉じた。先程まで試合で感じた心のモヤモヤが正にそうだと気付いたからだ。敵は本当に強かった。それだけの話だったんだ。俺達はあの洛真に勝ったからと言って、世間はそれを認めてはいないし、天狗になっている暇はないはずだ。しかし俺達はどこか天狗になっていて、世間はやはり俺達ではなく、中学生から名を轟かせていた秋永に期待するのだ。
やがてタイムアウト終了のブザーが鳴った。結局、試合内容については何も解決は出来なかった。出来なかったが、コートに入る瞬間に、俺達の中で随一を誇る“バカ”がこう吐き捨てコートに入った。
「つまらねぇ、つまらねぇなぁ、それじゃあよ。こんな俺達じゃよ! 泉先生はこんなん始まりじゃ許してくれねーぜ? 言われる事はみんな分かんだろう。つーか、ここに先生がいたら殴られてるぜ、マジで。アゥエーをホームに変えるって、生半可な気持ちじゃ出来ないだろ。俺達がやる事はただ一つだろうがよ!」
「どうした、あいつ急に」
「いつも、ああだろ」
「あれじゃない、今日は親父さんも見に来てくれているから」
「ああ、成程。格好つけてるのか」
「うるせー! 行こうぜ、俺達のバスケを見せによぉ、この観客たちに、全国によ!」
「あいつ達、何とか振り切ったみたいですね、遠藤先生」
「うん。でもそれが通用するかどうか、体現できるかどうかはあの子たち次第ですね。はぁー、疲れた。私の仕事は此処まで。あとは君達を応援するしか出来ない。だから後は任せたよ、
「はい、お任せください。キャプテンとしての務め、しっかり果たして参ります。この試合、天王山なのですから」
「関ケ原ではなく?」
「戊辰戦争やもしれません」
「中島君は歴史が好きなのね。では洛真に勝った時は何に例える?」
「もし……、が歴史に許されるならば、ミッドウェー海戦の勝利」
「面白いね。じゃあ“今日”は?」
「今日ですか、そうですね……遡って“池田屋事変”とでも言いましょうか。新撰組が好きなので」
「それは面白い。ちなみに、その後の近代史はどうなるのですか?」
「それは、僕達次第です」
試合は再開、攻めるは俺達である。ふと、みんなとのさっきの会話を思い出した。「親父も見に来てくれているから」。どうやら翔の親父もこの会場の何処かに来ているらしい。それは良かった。本当に良かったな、翔。
そして、それはみんなも同じであった。みんなの親も見に来てくれているのだ。今日のこの試合に……この俺の親と兄もだ。ならば、情けない姿は見せれない。そして見せなければならない、この俺が泉先生に教わった日々の全てを。だから俺がこの場所に立っていることを、俺は家族に披露すべき義務がある。この俺が此処にいることを声に出して叫ばなければならないのだ。“あの日”、母と兄に託された、勇猛果敢の言葉は俺の胸に刻んである。
俺は高速のドライブをしながら相手自陣に切り込んだ。このドライブ、
さらに視界が広がる。その横や縦には多数の色鮮やかな横断幕。
『捲土重来・最速のバスケットボール部』
『不撓不屈の泉広洋』
『頑張れ、お兄ちゃん!』
励みになった。そして体中の血が沸いた。もう相手を抜ける自信しかなかった。左にフェイント二回、右に一回、そして結局右から抜く。これが俺のドライブの常套手段。さらに中に切り込んでレイアップ、だが相手のカバーが速い。理想的な“ゾーンディフェンス”を明島川は実行していた。躱すか、パスか、悩んだ挙句俺は後者を選択した。シュートをすれば入るかもしれないが、入らない確率の方が高いからだ。フリーでも外すこの俺、今の集中戦場で、入る確率はゼロパーセントをマイナス方向に向かって超えている。フリーになっていた翔太に横のパスを放る。ノールックパスだ、どんなもんだい、と思った瞬間にはカットされてあっという間も無くカウンターによる反撃を喰らった。完璧に読まれていたのだ。中に入った俺がパスしか出来ないと言う事を、確率の悪さを、俺がシュートが決められない事実を……。
ボールカットをしたのは秋永涼。すぐさま走り追い付いたが、トップギアに乗った秋永を止められる筈もなく、呆気なく抜かれ4点目を入れらてしまった。すぐさま反撃、相手がディフェンスに着く前にと思い速攻を仕掛けるが、相手は既に陣取っていた。当たり前である、先のカウンターオフェンス走っていたのは秋永だけなのだから。
ここで俺達は気付く、想定外だと。そう、相手は今まで俺達がしてきた事を俺達にしてきている。オフェンスもディフェンスも俺達の常套手段を真似ているのだ。それも恐らく俺達より高度に……。同じ様に、五番の北原が俺と同じ戦法をとってきた。左右のフェイント合わせて三回、低いドライブ。全ての仕草が洗練されていた。はっきりと違うのは自分できっちり決めること。理想的なポイントガードであった。そして俺達は気付く、明島川の対策は半端な対策では無く、俺達を潰しに来ている対策だと。第一クォーター開始五分、スコアは0-6だが、明島川は堅実に俺達を崩し始めていた。
「やり辛いだろう、自分達の真似をされるのは。いいや真似ではない、これが正しいゾーンディフェンスの形だ。とくに洛連高校、それに対するにはこれが一番だ。秋永、あとは一気に潰せ。向こうも最初からそうだったんだ、ぶっちぎりで突き放せ。東北根性を舐めるなと言ってやれ」
走るバスケットもできない。というか、向こうは乗ってこない。これは非常にまずい。まずすぎる。つまる所、スペックでは向こうの方が完全に上だった。そして相手は俺達の欠点を嫌という程に突いて来る。メンバーチェンジ? と考えていた頃に、本当にメンバーチェンジである。俺達は下がる事になった。そして早くも二度目のタイムアウト。
「上代君、星野君、村川君、洋介君。交代ね。中に中島君が入って。後のポジショニングは中島君に任せます。任せたわよ」
「はい、励みます」
「……ごめん、ゴリポン。なんか――」
「分かってる、言うな。というか今までとんとん拍子に行き過ぎたんだ。本来、こういった戦術は必要だ。見ろよ。それが今のお前達の仕事だ。それに俺達は巧い。巧いから、余計に分かり易いだろう? まぁ見とけ、キャプテンとしての務め果たしてくるからよ」
「偉そうに……でも任せたよ、ゴリポン」
スコア2-10で再開する第一クォーター。残り時間は僅かで、結局2-14で終了。すかさず第二クォーターは始まった。明島川のメンバーは変わらず、俺達はミネとゴリポンの二枚センターに、パワーフォワードにタマが、シューティングガードにトオル、ガードには士郎がついた。それでも明島川のやることは変わらず、俺達を真似た。全く一緒ということではないが、そのプレースタイルが似ていた。
ゾーンディフェンスによる、一極集中に持ち込むエース勝負。所謂“ボックスワン”。違うのはその相手エースが一番の点稼ぎであったこと。こちらがディフェンス特化だとしたら明島川は真逆のオフェンス特化の試合運びをしていた。エースの質が問われたような気持になった。
完全敵地による試合は、早くも第二クォーターの終盤に差し掛かった。歓声は明島川が点を入れる度に沸き、大いに盛り上がっていた。三回連続全国出場の名は伊達ではなく、会場を味方につけるのも上手い。おまけに日本が誇るスター選手だ。かたや俺達は、ただの成り上がりでしかない。相手を盛り上げるには確かに良い素材なのだろう。成り上がりで結構と思ってはいたが、この歓声の響き、そして空気には気押される物が確かにあった。
それに明島川はまだ実力を隠している節があった。それが見て取れたのだ。これは相対しないと分からないかもしれないが、心の余裕が向こうにはあった。ただ俺達は、ゴリポン達の試合を見る他なかった。今はただ見るしかなかった。
「みんなが、上手いとは思っていてはいたけれど、明島川はやはりその上をいっていますね。とくに秋永君。全てに於いて完璧です。高校生であの実力、全盛期の私と同じくらいかも」
「……洛真が歴代最強? こいつらだろ、歴代最強は」
「なー。成長し過ぎ、伸びしろありすぎ」
「一体、一年で何があった」
「スター選手がいたからよ。圧倒的なね。その違いは大きい。バドミントンでもそうだったから、片方が強いとね、もう片方も強くなるの」
「相乗効果ってやつか」
「というか悠花先生、もう自慢はいいよ。俺達はどうすればいいの?」
「私はもう何も出来ないよ。でも中島君が言っていたでしょ? 見ろよって」
「うん……」
「癖を見抜けってかー、わっかんねーよ」
「でも見るしかねぇ」
「だな。気付くしかねー」
「しかし、相変わらず速いな秋永涼は。ドライブが段違いだ。テクニックもある」
「洛真の
「緩急のつけかただ。いやな所、ありゃあストリートだぜ」
「軸足の重心狙ってくんだもんなー。アイバーソンかな」
「秋永君は全てに於いて上手いです。ドリブルもね。だけど私もやはり村井徳史君には劣ると思います。上手く見えるのは村井君より、視野が広いから。でも視野が狭いと言うのも時には敵陣を突破するには有効だと思います。それに……村井君のあの轟音のドライブより、素晴らしい音を君達は知っているはずです。ね、藤代さん?」
「え? あ、はい……。うん。私、知っています」
悠花先生は真剣な眼差しで言葉を発した。それは深く胸に突き刺さる言い方であった。急に話を振られた相手は、スコアの記録をとっていたマネージャーの
第二クォーター、残り時間一分を切った頃、遠藤悠花先生は最後の務めを言い果たした。それは、俺達がぶっちぎりで勝つ為の最後の懇願でもあった。負けず嫌いな人なのだ。
「私からの最後の指示を出します。行きましょうか、きっと君が一番フラストレーションが溜まっているはずだから。本大会中に君が出ることはなかった。何故ならば私がここぞという時の為に温めておいたから。今がその“ここぞ”です。実力は知っています、聞いた限りだけどね。――行っておいで、
「承知致しました。出来る限りの事を致します。それから本当の“ドライブの音”というものも。きっと皆はしばらく聞いてはいないだろうから。此の場所から高らかに鳴らしてみせましょう。自由の鐘、心のアクセルミュージックというやつを」
毅然とした態度で、島は伊達眼鏡をとった。レンズの奥に、コンタクトレンズをしていることは、俺達だけは昔から知っていた。
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