おとめ心シティグッドバイ

『綺麗でいたいから』。姉は私にそう言って家を出た。そして姉は二人の男の人生を狂わせた。そしてもう取り返しのつかない業を姉は背負ってしまった。悲劇のヒロインぶっているけれども、私にはそうは思えない。唯の自業自得と、己の傲慢が招いた結果だと思う。それでも姉は綺麗でいたかったのだろう。せめて最後まで女らしく在りたいと思ったのだろう。


 美人姉妹と昔から言われてはいたかなぁ。確かに姉も私も良くもてていた。身長も高くスタイルも良い姉はまるで女優の様だった。仕草の一つ一つが絵になるような人だった。まぁ私もだけど。でもそれが私達の自慢だった。当時、私達は世界の中心だと思っていたし、手に入らないもの何て無いと思っていた。だって私達は可愛いかったのだから。二つ上の姉と私。小学校で私達に敵なんていなかった。世の男子は全員私達に夢中になっていた。あ、でも一人だけ私になびかない奴がいたなぁ。“昔から足だけは速いあいつ”。


 私より一足早く小学校を卒業した姉は、そのまま地元中学に入学した。そこで姉は出逢ってしまった。中学一年生にして一番の悪の不良に。そして彼は野球少年でもあった。名前は石上悟志いしがみさとし。不良の癖に曲がった事が許せない人だったと姉からは聞いている。その石上さんに姉はどうやら一目惚れしたらしい。あの姉がだ。惚れたのはいいのだが一向にこちらの誘いに乗って来ないし、姉は焦ったとかなんとか。今思えば、中学一年の女子が男子に色目を使うとかどうなんだろうとかは思うけれど、あの姉のことだから仕方が無い。姉の初体験は大分早かったのだから。一向に進展もないまま、それでも二人は親しい友人の間柄になったらしい。それで石上さんは不良だから二人で原付に乗って色々な所に行ったと言っていた。何回も言うけれど、中学一年生なのにだ。正に阿保と馬鹿で、クソガキだと思った。 

 十三才の冬。姉は石上さんの紹介で違う地元の人と遊ぶようになった。隣町の中学の人達で、何でも石上さんは昔に少しだけ其処に住んでたいたらしい。その紹介だった。でも……その出会いが姉を変え、更に二人の男の人生を変えてしまった。紹介された中に一人の男前な人がいた。石上さんと同じ元野球少年で、肌も白く背も高い。おまけに地元一有名な不良の出世頭だ。名前は槙島高志まきしまたかし。私でも知っている超有名人だ。そして確かに槙島さんは格好が良かった。カリスマもあった。不良でいるのが勿体ない人であった。

 そして、姉は二人に好意を抱いてしまった。それは致し方が無いと思う。石上さんも槙島さんも、それぞれが本当に格好が良かったのだから。二人は本当に似ていなくて、本当に似ていたのだから。槙島さんは顔も良いし喧嘩も強いし野球も上手い。石上さんは顔は男前では無いかもしれないけれど、性格が男前だ。同じく野球も巧ければ喧嘩も強い。中学一年生だった彼等二人はそれぞれ違うチームに入り、お互いが将来の総長だとも言われていたっけ。そして二人の“共通だった夢”が甲子園優勝。


 姉に興味が無い素振りをしていた石上さんだけど、実は姉が好きで好きでしょうがなかったらしい。それは槙島さんも同じで姉をずっと口説いていた。そして姉は二人に対してどっちつかずの態度を取っていた。それが悲劇の始りだったと私は思う。

 元々、二人のいるチームは折り合いが合わず抗争の歴史があった。特に京都市の北に在中するこの区では、三つの暴走族チームが中心となってひしめき合い、無益な闘争を繰り返していた。一つは私の地元である洛北の『ノースゼロ』。一つは槙島さんがいる修学院の『一世会いっせいかい』。最後が、下鴨の伝説『かも瘋癲ふうてん』。抗争と闘争の歴史があったとしても、それはもう大分前の事なのでほとんど関係の無い歴史にと消え果ようとしていた。“あの日”までは。二人が中学三年生になったある日、些細なOBの喧嘩でノースゼロと一世会は一気に険悪な状態になったらしい。


 そして姉がその険悪な状態を一気に最悪な方向に変えてしまった。理由は姉のだった。内容は、何が起こったかは、此処には書きたくはない。一つ言える事は決して良いエンディングでは無かったと言う事。


『私は綺麗でいたかったから』。そう言って、姉は久方ぶりに家に帰って来た。そしてただただ泣いていた。私も一緒に泣いた。


「私って何なんだろうね」

「しょうがないよ……」

「好きだった、本当に。二人とも」

「うん、知ってる。お姉ちゃんは悪く無いよ」

「二人とも“本当に格好良いからざぁ”」

「うん」

「本当に、好きで好きでしょうがなくて、私あんな気持ち初めてで」

「うん。女子って皆そうだよ。小学校は足が速い奴を好きになるし、中学では不良に憧れるよ。大人になったらお金持ってる男の人を好きになるってお母さんが言ってたよ」

「お父さん稼ぎ少ないけれどね」

「たしかに、そうだね」

「ごめんね、沙也さや

「うん、お姉ちゃん。私がいるから。家族がいるから。だから死なないでね?」

「うん」

「私の好きな人がね、石上さんは必ずインターハイに来るからって。そん時はお前の姉さんも必ず呼んで来いって。そう言ってたよ」

「それって上代かみしろ君?」

「うん」

「好きなんだ」

「……うん」

「あはは。沙也は可愛いなぁ。頑張るよ、私」

「うん」

「でもあいつ来るかなぁ? あいつらは甲子園に行くんだーって勘違いしてたけれど」

「石上さんらしいね。それでもきっと大丈夫だよ。山岸君っているんだけど、ちゃんと甲子園じゃなくてインターハイに行くって伝えてたって」

「そっか」


 あの時の姉はきっと人生のドン底だった事であろう。私も親もそうであったから。でも救いの言葉は、やっぱり昔から馴染のあいつからだった。足の速い、顔の大きいエイみたいな顔しているあいつからだった。昔から大好きだったしょうからだった。





 東京、新宿。明日からの決戦を迎え全国を勝ち抜いた各校が各々の前夜祭を楽しんでいた。都会に流れる人々の波はまるで何時もの如く流れてはまた流れ、七月最後の夜を謳歌していた。ある者は真っすぐ家路に着き、ある者は何かやり残した事はないかと酒を煽っていた。ある者は愛する人が待つ家に、ある者は孤独が待つ家に、ある者は周り続ける環状線を今宵の終の住処とした。此処は大都会東京、日本の首都である。明日をも知らない者達で埋め尽くされているのだ。今宵も人々は、それぞれの皮算用で生きていた。明日をも知らない未来に不安と希望に心を躍らしながら。


美代みよはお昼は何処に行ってたの?」

「上野の動物園。パンダ見に行ってた。香澄かすみは?」

「私は原宿。クレープ一杯食べたよ」

「いいなぁ、村川むらかわ君と?」

「うん、そう。美代はしま君と?」

「うん。香澄と村川君、何だかんだで良い感じだねー」

「美代だってそうじゃん。もう仲直りしたんでしょ?」

「まぁうん。終業式の“アレ”はびっくりしたけれど……まぁ私を思っての事だし、それに本当に見てなかったって。いや見えなかったって言ってた」

「あはは。島君らしいね」

「そーいや、山岸君も叫んでたじゃん。『香澄さんの太ももだー』って」

「叫んでたね……」

「嬉しかった?」

「まさか。もう明君と付き合ってるんだよ? でもやっぱり少しだけ嬉しかったかも」

「山岸君、もう少し早く香澄の気持ちに気付いていればね」

「うん。それでもやっぱりあの人は“バスケット”だよ。それに私は遠藤先生で良かったって思ってる。二人は似た者同士だから」

「確かに。あの二人見れば見る程似ているよね。波長が合っているのかな」

「何か、言葉に重みがあるんだよね。何て言えばいいんだろう?」

「少し分かるかも。あ、“甲子園”。もう始まるんだ」

「ほんとだ。明日が開会式って一緒だね」

「うん。でも凄いよね、同じ高校の野球部とバスケ部が全国に行くって」

習田しゅった君も野球上手かったもんね。山岸君と親友だし」

「ねぇ、どうする? どっちも“優勝”したら」

「えー、それってかなり凄くない?」

「うん、凄いよ」

「なんかさー、甲子園見ると夏が始まったって気がしない?」

「確かに。はぁー、明日からかー。緊張するな」

「きっと勝てるよ。だって皆強いんだもん」

「明君もいるしね」

「何よ、やめてよ」

「照れてる照れてる」

「……そう言えばさ。島君って中学生の時の覗き、眼鏡が無いから何も見えなかったんだよね?」

「え? うん。掛けてないと視力かなり悪いよ」

「それなのにドリブルが上手いよね。中学生の時とか凄かったよ、吹奏楽部の私の所からも聞こえてたもん」

「雄一君のドリブルが?」

「うん。体育館の床が壊れるんじゃないかってくらい鳴り響いていたよ? 美代知らないの?」

「私、帰宅部だったから」

「あ、そっか。出られるといいね、島君」

「あるかなー? あったらいいんだけどなぁ。ねぇ、香澄。この夏は最高の思い出にしようね。きっと皆でいられる最後の夏だから」

「うん。そうだね、最後の夏だね」





 午前九時丁度、選手宣誓が行われた。宣誓に選ばれたのは東北山形を勝ち抜いた水瀬工業高校みなせこうぎょうこうこう。是により全国の雌雄が決する舞台の幕が上がった。全国高等学校総合体育大会 。通称“インターハイ”。その“高校男子バスケットボール”大会の決戦の火蓋は今この瞬間に落とされたのだ。奇しくもこの日は、あの『夏の甲子園』と同日となる開催であった。全ての高校生スポーツ選手による、最初で最後の夏が始まった瞬間である。

 そしてこの日。平成十八年、八月一日。高校男子バスケットボールの黄金世代と称された天才率いる各校が、そのいただきを目指し激突した。Aブロックシード校の秋田明島川あきたあけしまがわを筆頭優勝候補として、それに挑む歴戦の優勝候補校。絶対王者たる京都洛真きょうとらくしんが落ちた今、その栄光は誰が掴み取るのか。皆が皆、一陣の風と威信を纏い、汗と涙と努力の結晶を、この三年間の全てをぶつけんと対峙していた。

 特に一回戦注目カードは、早くも嘗ての同窓対決となった、福岡天神ふくおかてんじん東京第一とうきょうだいいちだろう。優勝候補の二校がいきなり“初戦で当たった”のだ。そして福岡天神の主将キャプテン川崎努かわさきつとむと、東京第一の同じく主将である中村信也なかむらしんやは全中(全国中学バスケットボール大会)を優勝したチームメイトであった。同じ釜の飯を食った者達が、今再び相見えようとしていた。


 全国インターハイ出場校、が初日の第一回戦を飾ったのだ。それは大会を盛り上げるには充分であった。


『初戦からお前かよ、なんの因果かなぁ。なぁ努』

『中村ぁ、準備はいいか? 監督がお呼びだ』

『ああ、今行くよ。……まぁ楽しむかぁ。最後の夏だからよ』



『努? 大丈夫か?』

『ああ、大丈夫じゃねーよ。よりによって初戦が信也だぜ。星野ほしの監督の言い付け破って有名校来たってのに、やっぱり当たるんだよ。“あいつ”とは』

『なんの話?』

『昔の話。勝とうぜ、あいつに勝てば次は涼だからよ』


――そして二人は激突する。互いの矜持を懸けて。恐らくだが、日本史上初の熱く、滾り、燃え上がり、誰もが心から待っていた躍動する夏が始まった事は、誰もが薄々気付いていた。そして確かな事に後世ではこう語り継がれている。日本の維新回天がバスケットボールによって起きたと。





「はいよ、自慢の十割蕎麦だ」

「ありがとうございます」


『あーっと! ここで中村の3Pが入りました! 逆転です、逆転! 東京第一高校、延長試合に為り残り時間二十秒を切った頃に主将である中村信也の3Pで逆転しました!』

『凄い展開ですね。でも福岡天神も負けていませんよ。見て下さい、あの川崎の目。必ず入れ返さんとしている』

『確かに、川崎選手物凄い気迫です! さぁ恐らく最後の攻撃か、福岡天神!』


「美味いか?」

「美味いですね、少なくても“中より”かは」

「小生意気は変わらないな。あの時は中学一年生だったか?」

「へへ、すいません。あの頃のはあんた等は伝説だったなぁ。憧れたよ」

「“そんな伝説”は“いらない伝説”だ。ビール飲むか?」

「はい、頂きます」

「本当の伝説ってのは、あのTVの中のように眩しくて輝いている連中の事を言うんだよ」


『川崎が行った、ドライブで攻める! どうだ!』

『ブロック! ファウルでは!?』

『笛は鳴りません! 時間は…! ああ試合終了! 試合終了です! この激戦、制したのは東京第一! 東京第一に軍配が上がりました!』

『いやぁー、凄い。一回戦から凄い試合でいたよ、これ。福岡天神おしかったなぁ、一点差ですよ、一点差。しかも延長で。本当に良い試合だった』

『最後の川崎選手のドライブ、決まれば逆転だったのかも知れません』

『最後、あれ絶対ファウルですよ』



「そうですねぇ」

「……煙草は?」

「あ、頂きます。酒も煙草も久しぶりだ」

「これからどうするんだ?」

「んー、先ずは一番の親友に会いに。墓参りもまだなもんで……」

「そうかい。仕事は決まってるのか?」

「へへ、それもまだでして。はじめさんは紹介してくれるって言ってくれてはいるんですけどね。俺はもうこれ以上、あの人達には甘えれねーや」

「そうかよ」

「じゃあ行きます、御馳走様でした」

「ああ、じゃあまたな。いつでも来い。蕎麦屋中園屋は“何時でもやっている”」

「はい、ありがとうございました」


「――墓参りに行ってからは、どうする!」


「――俺には会わなきゃあ、いけない奴等が沢山いるんです。……だから甲子園インターハイに! それにね、まだ俺の夏は終わらんですよ! 賢一郎けんいちろうさん!」  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る