銀河を駆けて

 私は今でもあの日を覚えているなぁ。あれは真夏の蒸し変える様な暑い日だった。まだ六才だった私は、学校の帰りに近所の駄菓子屋で冷たいアイスを買うのが習慣になっていた。何時もの様に駄菓子屋に行きアイスを買おうとしたら、店の入り口でお菓子を大量に抱えた同い年ぐらいの少年とぶつかってしまった。


「いって……」

「おいカズキ! 何してんだ早く逃げるぞ!」

「お、おう! お前、確か同じクラスの……」

「こらぁー! 待たんかクソガキ共ー!」

「やっべ! 逃げんぞコウヘイ!」


 私とぶつかった少年はお菓子を抱えながら一目散に逃げて行った。私はその時の光景が何故かゆっくりと感じた。


「いたたた……なんなのよもう」

「大丈夫か嬢ちゃん? 怪我はねぇか?」

「あ、うん大丈夫。泥棒?」

「ああ、まったく困ったガキ共だよ。それも女の子にぶつかって詫びも入れねぇとはなぁ。次来た時は懲らしめてやらんとなぁ」

「次も来させるんだ?」

「あーゆうクソガキを叱るのが儂ら大人の役目ってもんだ。ところで、嬢ちゃんはいつものアイスでいいのかい?」

「あ、うん! ガリガリ君! 今日も暑くて死にそうだよー」

「夏は暑いもんだって。はいよ、これが最後の一本だ。後はあいつらが全部かっぱらって行きやがったんでな」

「えー! 当たりが出たらどうするの!」

「そん時は、未来の為に取っておきな」

「……意味わかんないから」


 そしてそれは、私の人生の中で一番忘れられない日ともなった。何故ならその日が私と彼との出会いだったから。あの真夏の照り返す様な陽射しの中で、私は梶浦一輝かじうらかずきと出逢ったのだから。私は今でも覚えている。真夏のあの日、一学期の終業式が終わったあの日、あの駄菓子屋で一輝とぶつかった日の事を。

 私は今でも鮮明に覚えている。風鈴の音が鳴る夏の午後に、アイスを食べながら無邪気に逃げる彼の後姿を。のちに、彼と過ごしたあの黄金の夏休みを。一輝と過ごした淡い思い出の日々を。もう戻る事も出来ないあの大切な時間を。私は今でも忘れる事ができないでいる。



「ありがとうヤスさん。でもビックリしたよ、家に帰ったら凄い古いソアラが止まってるんだもん。それも“瘋癲ふうてん仕様”の」

「ケンの奴がよ、急に招集掛けやがったからなぁ。あいつはいつも急なんだよなぁ、全く。……しっかしゼロと一世会もややこしい事になってんなぁ」

「うん……私も知らなかった。最近の子達って怖いね……昔みたいにはならないよねヤスさん?」

「どうだろうな。でもゼロの石上も一世会の槙島も聞いた限りじゃ、互いに相当な怨恨があるって話だ。梶浦はどうしてるんだ? あっ、別れたんだったな。すまねぇ」

「こっちこそ気を遣わしてごめんなさい。一年ぐらい前なんですけどね……一輝は何も変わらないから……」


「おう彩! 待たせたな! 今日に限って残業でなぁ、すぐに着替えるから待っとけ!」

はじめ兄! 待つって何を……あ、おかえりなさい!」

「おう、ただいま。俺等もよ、行くに決まってんだろ『大比叡』に。ってかヤス、久しぶりだなおい! 相変わらずヤスって顔してんなぁお前!」

「どんな顔だよ。創こそ元気そうじゃねーか。お前がスーツって似合わねーぞ」

「うっせーよ、それよりありがとな。俺ん家は別に大丈夫なのによ」

「ケンがどうしてもなってな。お前も行くのか?」

「ああ、バカな弟共もどうやら向かっているらしい。帰ったらお説教だ。後はバカな後輩共にきついの一発食らわしてやらねーとよ」


 村川創はそう言って、背広を脱ぎ捨て赤い特攻服を纏った。背中に施された刺繍にはこう書かれていた。『十一代目ノースゼロ参上 我等最速ニテ宇宙一』。そしてかつて関西中を走り回った愛車に跨った。


「行くぞ、彩。梶浦を止めたいんだろう? あいつ死ぬ気だぞ? 乗れ後ろに。最速で行ってやるからよ」

「……うん」

「はは、懐かしいなぁおい。“創のZ2”だ。ってかよ、最速は俺達瘋癲だぞこの野郎?」

「黙れヤス? おめーらは所詮京都で最速だ。俺等ゼロは宇宙一なんだよ。格が違うってんだ」

「そうかよ。まぁ事故んなよ? 何かあったら連絡くれ。落ち着いたらまた皆で飲みに行こうぜ」

「おう、ありがとうな。じゃあ行ってくるわ」


 創と彩が乗るZ2はヤスを残して大比叡にへと走り出して行った。嘗て、京都市中を震撼させた生ける伝説がここでもまた走り出そうとしていた。ノースゼロ十一代目総長、村川創むらかわはじめ。彼が掲げた最速は確かにその通りとなった。そしてその最速は確かに下の代へと引き継がれていた。……やがて十二代目となるノースゼロに所属する末端の”中学生達”は、その最速と言う信念をバスケに取り入れる事となる。その速さは誰もが圧巻する速さなのだが、まだ先の話であるゆえ今は割愛しとくとしよう。


 彩は最速で進むZ2の後ろで昔を思い出していた。初めて梶浦一輝と出逢った日の事を。冬の夜空が彼女の真上を通り抜ける。風の音が耳を駆け抜けた。彼女は前に乗る兄の腰をぎゅっと掴んだ。どうか間に合って欲しいと願った。でも何が間に合って欲しいのかが分からなかった。行ってどうしたらいいかも分からなかった。ふと、夜空を見上げると沢山の星が見えた。それもいつもより綺麗に。ああ、あれが天の川なのかなと、彼女は思った。それは、大比叡まではもう直である証でもあった。





「石上、今連絡があった。……鈴木すずきが死んだよ」

「…………」

「槙島どもは大比叡で俺達を待っている。もう行くしかねーぞ」

「ガキ共は?」

「動くなって言ってある。聞くかどうか知らねーけどな」

「梶浦さんは?」

「幸平さんと大比叡に向かったって話だ。ゼロのほとんどが大比叡だ。一世会の奴らも」


『白線を踏んだら負けな! あ、ほら鈴木の負け! お前弱いなぁ!』

『白線を踏んだら負けじゃないよ、白線を踏み外したら負けなんだよ石上君』

『あ? うるせーなお前はよ! とにかくお前の負けだから!』

『石上君、さっきから言ってることがめちゃくちゃだよ』

『だまれ鈴木! お前は俺の言うことをずっと聞いてたらいいんだよ!』


「そうか……。なぁ間中まなかよぉ、どうして俺等っていつもこうするしかねぇーんだろうなぁ?」

「俺だって分かんねーよ。でもよ、もうこうするしか他に道はねーじゃねーか。もう戻れないだろ……」

「“もう戻れないかぁ”。そうだよなぁ。俺は踏み外しちまったもんなぁ」

「石上?」

「一人で行く。お前はそこで寝てろ」

「何を言って――」


 立ち上り様に、石上は間中の腹にキツイのを一発。鉄と謂われた拳は青年一人の体の自由を奪うのには充分であった。「――ッいって……ぉぃ、いしがみぃ、まてよ、いしがみぃぃぃ!」

「無理すんな。しばらくそこで寝てろ。じゃあな間中、行って来るわ」


 部屋から出て、アパートの階段を駆け下りる。ゆっくりしている場合ではないが、別に急ぐ理由も無かったので単車に跨り煙草に火を点けた。恐らくこの世で吸う最後の煙草だ。おもむろに空を見てみた。快晴の夜空である。

 再び空箱になった煙草のパッケージを見てみた。それを見て石上は少しだけ微笑んだ。そしてそれを放り投げてキックでZ400FXのエンジンを掛ける。真紅のFXがその場所へと向かった。後のしじまに爆音の木霊が鳴り響く。風に揺れる煙草の空箱にはくしゃくしゃの文字で、ラッキーストライクと刻印されていた。





「――小沢おざわ、ポリ公の様子は? 分かるか?」

「何人か代わりに出頭させてっけど、時間の問題だろうな。直に此処にくるだろう。……それから、俺等が轢いた鈴木が死んだよ」

「そうか。あいつもさぁ、ばかだよなぁ。石上のやろーなんか選ぶからよ。……大馬鹿野郎だよ」

「石上の野郎は本当に来るのか? 来なけりゃ俺等は犬死だな」

「来るさ。“あいつ”は必ず来る。全部終いだ、ぜーんぶ今日で終わらそうぜ? 小沢よぉ、今日は俺等の“最後の打席”だ。ホームラン打とうぜ」


『みんなー、はいはい席に着いてー!今日から一学期の間だけどお友達になる、石上悟志君だよ。さ、石上君。みんなに自己紹介して』


――初めて会った時からイケ好かねぇ奴だった。それでも、初めて殴り合った時からどこか惹かれていた。初めて秘密にしていた夢を語ったのも何故か“あいつ”だった。イケ好かねぇ奴だった。たった三か月間の間で“あいつ”は俺達の心を鷲掴みにしやがった。それが俺は許せなかった。どうしても許せなかったんだ。


石上悟志いしがみさとしです。この学校には夏の終わりぐらいでいなくなるけれど……みんなよろしく。あ、野球が好きです! 何時かは甲子園に行きたいです!』


 許せなかったんだ。俺と同じ夢を抱いていた“あいつ”を俺は何時の間にか許せなくなっていたんだ。何時からそう思ったんだっけ? もう思い出せねーなぁ。


「しっかしゼロの奴等、わらわらと沸いて来やがるじゃねーか。そうこなくっちゃよぉ……行くぞ、おめーら? 此処は日本シリーズ第七戦目だこの野郎共!」

「おう! 行くぞ一世会! ゼロぶっ潰せ! 数に臆すんな! 全員がホームラン狙えや!」


――来いよ、石上。早く来やがれ。最後の試合はもう始まってるぜ? 最速で来やがれ。そろそろ決着をつけようじゃねーか。お前がピッチャーだこの野郎。打ってやんよホームラン。場外満塁ホームランだ、ばぁーか。





「なんか雄叫びみたいなの聞こえね!?」

「ああ? 分かんねーよ! ってか市内中で爆音聞こえんだけど! ポリもやたらといやがるし!」

「おい翔! スピード緩めろ! 洋介が凄く遅い!」

「あいつ、だから言ったのに!」

「お前ら早過ぎな! 考えろよ、俺ベスパだぞ! 上り坂は無理だって! 空気読めよばか!」


(いやいやいや、こいつマジで殴りてー)


「置いていくか? さっきから止まるの何回目だ?」

「そうしようぜ。今追われて捕まったら洒落になんねーし」

「だな。おい翔、最速だ、最速。最速で行け」

「おう、合点!」

「あ、おい待てよお前ら! 待てって! 信じらんねー……。あいつら俺をマジで置いて行きやがった。いいよいいよ、本気出しちゃるかんねー。ベスパの本気を見せちゃるかんねー。こうなったらワコーズのオイル入れてやる。でもガソリンも一緒に入れないとだよな……でもガソスタなんてないしな……。ええい、ままよ! 論より証拠! 何より思い込みが大切だから! 速くなれー速くなれー、エースは君だよー? ベスパ君ー」


 ベスパを思い込みで速くさせようと、オイルを入れようとしていた瞬間。目の前に一台の単車が止まった――。


 その単車、見た目はボロいが見る者が見れば心を奪われる程に美しい。2ストエンジンに三気筒のマフラー。白い塗装が所々剥げたタンクにKAWASAKIのエンブレム。“500SSマッハⅢ”である。曲がらない、止まらない、真っすぐ走らないと謳われた最速を追及した単車である。


 そして俺はこれが誰のマッハⅢなのかを知っている。梶浦さんだ。非常にやばい。別にやばくはないかも知れないけど、多分やばい。俺がここにいると言う事は、大比叡に向かうのが一目瞭然なのである。一応何もするなと間中さんに念を押されているのだからこれでは言い訳が出来ない。いや、結局行ってしまえば一緒なのだけども今じゃないし、ここではない。ここで殴られ帰れと言われてしまえば帰る他ない。非常に困った。本当に困った。よし、気付いていないフリをしよう。


「おう、お前“山岸”じゃねーか。なにしてんだこんな処で」


 うーん、駄目だ。バッチリ認識されている。これは駄目だ。非常に駄目だ。どうする俺? 考えろ、考えるんだ。頭をフル回転させるんだ。


「あ、あっ、か、梶浦さん! こんちわっす!」

「おう。なんでどもってんのお前?」

「えっ、あ、いや、普通っす!」


 いやー噛んでるよ、俺。俺、噛んじゃってるよ。駄目だよこれ。もうほんと全然駄目、というか無理。この人怖すぎ。もうね声が怖いから。低すぎでしょ、ドス効きすぎでしょ。ウーハーですかあなたは。


「そうか。それなに? ワコーズ?」

「あ、ああこれ! い、いやこれ入れたら速くなるかなー! なんて……なんないですよね……」

「いいんじゃねーの? 俺もワコーズだしよ。2ストにはワコーズだろやっぱ」

「で、ですよねー! いやーははは、じゃあ僕はこれ入れたら失礼します」

「待てよ。オイルだけ足したらプラグかぶるぞ?」

「いやーですよね! やめときます! もう帰ろうかな、帰ります! 帰りたい!」

「だから待てって。ツレに置いてかれたか? お前も行くんだろう? 『大比叡』によ。何しに行くんだ」

「はいそうなんです! って……はい。行きます……。何しにって――」

「止めてーのか、山岸」

「はい」

「お前……急につら変わるじゃねーか。なら一緒に行くか? ついて来いよ、俺のマッハⅢに。おめーの風除けになってやるからよ。それなら行けんだろ、ベスパでも山頂によ」

「いいんですか?」

「おう。死に物狂いでついて来いよ。俺は速いぜ?」

「俺だって負けません。俺は宇宙一ですから」

「ははっ。そうかよそうかよ。いい後輩じゃねーか、なぁ幸平」

「馬鹿なだけだろ。昔のお前にそっくりだ。山岸、来るなら覚悟決めてんだろーなぁ? どうなっても知らねーぞ? お前等高校受かったんだろ?」

「覚悟は決めています。それに高校にだって絶対行きますから。”絶対に行かなくちゃならない場所”だって俺にもあるんです」


「なら俺に連いて来い! 大比叡までお前を引っ張ってやんよ! 俺をわだちだと思え!」


 梶浦さんはそう言ってから、俺の目の前でマッハⅢのアクセルを吹かした。その音は何処か低く甲高い音を出しはじめた。高音と低音が絶妙なバランスで音を奏で始める。そして、三気筒のマフラーからもの凄い勢いで排気ガスが噴出した。それは、ベスパとは比べ物にならない程の音と量だった。カストロールオイルの甘い匂いもしなかった。どうやら、俺の目の前には本物の“暴走族”がいるみたいである。

 俺は必死にベスパで梶浦さんのマッハⅢの後を追った。風の抵抗がないせいか、ベスパでも山道を走る事が出来そうだ。ふと、夜空を見上げてみた。満天の星がそこにはあった。それは見た事もない星空であった。





勝太郎しょうたろう。そろそろ行こうぜ、俺等の出番だ」

「おう、行くか。景気付けにテキーラでもいっとく?」

「おお、いいねぇ。にしても、今日はヤケに外が騒がしいな。時代遅れの奴等がやたらと走り回ってるじゃねーか。何かあんのか?」

「しらねー。さぁ、今日もステージを盛り上げてやろうぜ? 時代の最先端を行く俺等がよ」

「だな。行くかー、俺等のJazzHiphop流しに!」


(ミネ……お前死ぬんじゃねーぞ。必ず戻って来い。俺は待っているからな)


「よっしゃ、行くぞ難波なんば! 今日も最先端担ってさぁ! 『サンフラワーズ』は今日も調子良いぜ! 絶好調だ!」


 横山勝太郎よこやましょうたろうは喉にテキーラを流し込んではそう叫んだ。弟分である鷹峰壮がいるであろう大比叡を見つめながら。そして彼は地下のライブハウスにへと身を寄せて行った。鷹峰壮の身を心から案じて。



「彩、もう直山頂だ。寒くねーか?」

「寒いよ! 凍えそう!」

「まだ三月の頭だしな。それよりさっきから何握りしめてんだ?」

「これ? アイスの当たり棒」

「なんだそれ。きたねーな」

「きたなくないもん! これは、願掛けみたいなもの。“私の未来への一歩”かな?」

「お前、意味分かんねーぞ。まぁいい、もう着くぞ大駐車場に! しっかり捕まっとけよ!」

「……うん!」



 西暦にして二千四年である。其の三月五日。少年達はその場所にへと向かっては集まっていた。それぞれが様々な思いを抱いて――。

 比叡山ひえいざん山頂付近に位置するドライブコース入り口前の大駐車場。嘗て、何人もの若者が其処で命を落とした。憑いた異名は暴走族の墓場――通称『大比叡』。


 時刻は深夜零時。天候は快晴である。南風はやや強く、星空はこれでもかと云わんばかりに光輝いていた。少年達が集まっていたその空の上は、確かに天の川銀河がその輝かしい姿を見せていた。

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