人生にダブルテイクは必要だから

 その朝は始まる。やがて訪れる事となる、伝説の始まりの一ページ目が漸く開き始めたのだ。伝説は既に満を持している。まだかまだかと、燻り続ける小さな篝火の様に。だがまだである。その時はまだなのである。伝説よ、どうかもうしばし待たれよ。



あきらー! 今日受験でしょう! 何時まで寝てるつもりよ、早く起きな!」

「もう起きてるってーあと五分だけ」

「その五分は何回目よ! いいから、さっさと起きろ!」

「ああー布団取るなよ、起きてるっての」

「どう見ても起きてないでしょ! あんたインターハイ行くんでしょう。そんなんじゃ高校受かってもすぐ退学になるわよ」

「退学退学うるせーんだよ、朝っぱらからお前は。受かるしそもそも退学しねーし、インターハイも行くっつーの」

「誰がお前だ。あや姉様だろ、ぶん殴るよ。お弁当作ったからお昼に食べなよ。後、これ必勝祈願のお守りね。必ず受かりなよ、明」

「だから言われなくても分かってるつーの。ああー、眠い。もう一回寝ていい?」

「蹴っ飛ばす」

「……そんな口悪かったら彼氏出来ないよ。ところで兄貴は?」

「ほっとけ。創兄ならもう仕事に行ったよ。あ、そのはじめ兄から言伝。受かったらお寿司連れてってやるってさ」

「寿司かー。そこは焼き肉だろ普通」

「だから寝るなっての!」

「だから起きてるって」

「どう見ても寝てるでしょう!」



 平成十六年二月中旬、天候は快晴である。雪の匂いは薄れて行き、段々と香る春の兆し。比叡山ひえいざんからは雪解け水が徐々に大地にへと流れだす。入試の朝は始まり、皆各々の旅立ちの一歩を迎えていた。胸中、抱く思いは様々で在りながらも、この日本は必ず来る春へと移り変わろうとしていた。



雄一郎ゆういちろう、受験票忘れてないかい? 筆記用具も忘れなさんなよ。あとそれから……」

「もう大丈夫だってお袋。ありがとな。あ、親父にも挨拶しとかねぇとな。線香、線香っと」

「私は嬉しいよ、あの雄一郎が高校に行ってくれるなんて……バスケットもう一度やるんだろ? あんたは島家の誇りだよ。おとうもきっと喜んでいるよ」

「よせよ大袈裟だな。お袋、ちょっとばかり迷惑掛けてごめんな。足の事も……だけど、もう大丈夫だからよ」

「雄一兄ちゃん、がんばってねー」

「がんばってねー!」

「おう、裕二郎ゆうじろう桜子さくらこも学校遅れんなよ」

「雄一兄ちゃんこそ遅れんなよー」

「いつも遅れてるもんねー!」

「お前等……俺はもう遅れないの。じゃあお袋、行って来る」

「ああ、行ってらっしゃいな」


「おう、雄一! えらく朝早いと思ったら今日が受験か? 頑張れよ。それよりお前、俺のGPZに勝手に六連ミュージックホーン着けたろ」


「――ああ、けん兄ちゃんごめん! とりあえず行って来ます!」


「待てよ! いいんだぜ、別に。あれはもうお前にやるつもりだからだよ」

「何がやるつもりだよ、けん。雄一郎はもうバイクなんて乗らないんだよ。あんたが一生乗っときな。それよりあんたは早く働きなさんな! 毎日毎日寝てばっかりいて」

「今日もガヤがうるせぇなぁ、おい。雄一郎行って来い、お前は将来この島家しまけを背負って立つ人間だ。お前の心の六連ミュージックホーン……鳴らして来い。この日本中にな」

「何を訳の分からない事を言ってんだい、あんたは。背負って立つのはあんたでしょうが。長男なんだからもっとしっかりしな!」

「その長男が次男に託したんだよ。それより朝飯は何? 蕎麦が食いてー」


(まったくよー。朝から騒がしいな。でもこれが俺の家だったなぁ。――じゃあ親父、行って来るわ。“心の六連ミュージックホーン”鳴らしによ)



 ええっと、忘れ物はないよな。受験票持った、シャーペンある、消しゴムもある。まぁ書き間違える事はないけどな、ふふん。一応だ、一応。備えあれば憂いなしって言うしな。おおっと、カンニング用のメモ用紙入れ忘れてるぜ。危ない危ない。まぁこれも使う事はないだろうけどな。いざって、時だ。いざって時に必要になるはず。あとはー、昼飯はどうするかな。まぁコンビニで何か買っていくか。じゃあ行くぜ、俺。


 ふと、汚い部屋の汚い机の上に目線をくれてやった。その真ん中に見慣れぬ物が置いてあった。これ又きたねー皿の上に、握り飯が三つ程置かれている。形も其々いびつだ。


「おう起きたか。それ、食ってけや。塩おにぎりだけどな」

「……んな時間ねーよ」

「そうか。まぁ、好きにしろや。お前、今日受験何だろう。受かるといいな」

「……これ、親父が握ったのか?」

「ああ」

「昼に食うわ。どうするか考えてた頃だし」

「そうか」


 珍しく、親父が朝から起きてやがった。それも酒臭くねー。おにぎりも作ってくれたみたいだ。親父は椅子に掛けるとゆっくりと煙草に火を点けた。


「……母さんとのぼるなぁ、戻って来るってよ」

「戻って来るって急だな、おい」

「俺なぁ、入院する事にしたんだよ」

「入院ってどっか悪いのか?」

「まぁな。……酒、辞める為にな」

「……そっか。じゃあ行って来るわ。これ、ありがとう」

「おう。あ、しょう

「なに?」

「受験、頑張れよ。あと、今迄すまなかったな」

「今日は富士山でも噴火すんのか? ……親父はよ、帰ってくるのか? ちゃんと帰って来いよな。お袋と昇と三人で待ってるからよ。インターハイも行くから……応援来てくれよな」

「それは楽しみだな。お前も受かれよ、高校。もう悪い事するんじゃねーぞ」

「もうしねぇよ。じゃあ」

「おう、またな」


 少し泣きそうになった。家の扉を閉める瞬間、親父の方を見るとあいつも少し泣いてる様に思えた。コンビニに寄って、朝飯だけ買った。昼飯は買わなかった。俺には親父が握ってくれた塩おにぎりがあったからだ。ついでに、極小のカンニング用紙をゴミ箱に捨てた。人生に、いざって時なんかねぇ。必要なのは、“いざになる前のいざだ”。俺はもう悪い事はしない。先生が、親父をがそれを教えてくれた。行くぜ、俺。今日は何だか良い事がある気がするんだ。ああ、これは受かるな。そんな気しかしねぇや。それに今日の俺は今までのどの俺より速いぜ。今までで一番と今日の俺は速いぜ。来たわこれ、今日一番がよ。



 ここ『ひまわり』の朝は早く、朝から賑やかでもある。特にこういった日はその喧しさも一層と強まる。まだ小学校低学年のガキ共はいまいち訳も分らずはしゃいでいるし、高学年はまだ眠そうにして園長に飯はまだかまだかと催促している。中学生となると、毎年の恒例行事にも慣れてきてか早く終われよ言わんばかりに気怠そうにしていた。去年迄は俺もそんな中学生の一人であったか。

 

そう、忘れ物してない? 緊張したらあれだよ、あれ、何だっけ?」

「お前が緊張してんじゃねーか。ってかお前は俺の親かよ」

「だって家族みたいなもんでしょ。皆応援してるんだからね」

「皆ねー。ガキ共が腹空かしてるぜ? 早く飯食わせてやれよ。大体、毎年大袈裟何だよ。たかが高校受験じゃねーか」

「だって皆中学卒業するとこのひまわり出て行くじゃん。それに壮は皆の中では久しぶりの高校受験何だよ? 応援してるから……インターハイ行けるといいね」

「行けるといいねじゃねーよ、行くんだよ。それより由利ゆり姉は? さすがに今日は来ないか」

「なによ……由利姉、由利姉って。私がいるじゃんか」

「何だお前、もしかしてやきもち焼いてんのか? もう少し成長したら女として見てやるよ。それまでに胸に栄養貯えとけよ」

「へ、変態! 信じられない!」


優良ゆら姉の胸小さいもんなー。もう中学一年なのに。由利姉の胸はもう既に大きかった」

「お、きー坊はよく覚えてるな。お前も胸好きなのか? 素質あるぜお前」


「何の素質よ! 虎吉とらきちは早くご飯食べてきな! 壮も早く行かないと遅れるよ! 友達と駅で待ち合わせしてるんでしょ!」

「はいはい、まぁ大体いつも三人ぐらい遅刻してきやがるけどな」

「あ、それからこれ。勝太郎しょうたろうから壮にって」

「勝っちゃんから? って、これ安産祈願のお守りじゃねーか! 俺男だつーっの……舐めてんのかあいつは」

「勝太郎も素直になれないだけで、応援してるんだよ。だって私達は“家族”でしょ? 頑張ってね……行ってらっしゃい、壮」

「おう、ありがとうな。じゃあ行って来るわ」


 家族か。確かにそうかもしんねー。血は繋がってはいないけれども、ずっと一緒にいたんだ。この『ひまわり』で同じ釜の飯を食って、同じ場所で寝て、喧嘩して仲直りして、そうやってみんな巣立って行くんだ。今日の俺みたいに。

 此処は本当に良い所だったよ。きっと他の施設じゃこうはいかなかった。心地良かったなぁ。あいつ等とも出逢えたしよ。まぁ、勝っちゃんだけは今度会ったら殴っておこうかな。じゃあな優良。元気でやれよ、風邪は引くなよ。俺が抜けたらお前が一番年長者何だからな。きー坊も優良の事を支えてあげろよ? もうお前も中学生になるんだからな。

 じゃあ行って来ます園長先生。じゃあ行って来るぜ『ひまわり』。今までありがとうな。高校サクっと受かって、すぐに全国一という名の向日葵持って帰ってきてやるからな。それから、お父さんお母さん。そして沙也さや。鷹峰壮は入試と言う戦いに行って参ります。だからどうか……天国から武運長久をお祈り下さい。


 さぁ――行くかな。今日は、本当に良い天気だ。





「遅い、遅すぎる。あいつら今日が何の日か分かってんのか!」

「まぁまぁ。さすがにもう来るっしょ。所でミネ、何で安産祈願のお守りなんだ?」

「ああ、子供出来たんだよ俺」

「え、まじで! 相手は? もしかして大学生の姉ーちゃんか!?」

「嘘だよ。まぁ色々あってな」

「嘘かよ、嘘つくなよ。ってか何だよ色々って。あ、明と島のやろー来たな。今日は早いじゃん」


「おーす。しかし今日寒みぃな。早く春になんねーかな」

「なんねーかなじゃねーだろ島! お前、五分遅刻な! 五分!」

「相変わらず朝からうるせーな翔太。カルシウム足りてないんじゃね?」

「それより洋介は? また遅刻か?」

「おめーも遅刻してるからな明!」

「洋介ならもう来るだろ」

「おおー出た、ミネと洋介の謎の意思疎通。心を通わしてるねー」


「――おーい! ごめん、ちょっと遅れた! ってか皆早いな! そして今日は寒いな!」

「ごめんじゃねーよ! お前また緑茶飲んでたろ!」

「痛って! 殴んなよ! ってか飲んでねーよ! ちょー急いで来たから!」

「じゃあ何で遅れてんだよ! お前今日受験何だぞ!」

「分かってるって……いや、その公園でさ」

「また寝てたのか!?」

「寝てねーから! 公園でさ、何時も犬の散歩してるババァがいるんだけどさ、いるんだよマジで。そいつと話してた。今日は受験何だーとか、そうか頑張れーとか色々とさ。ずっとそのババァとは毎日色んな話してたからさ。で、気付いたらこんな時間になってた」

「お前、ぶっ飛ばすぞ。しれっとよく平気でそんな嘘つけるな」

「嘘じゃねーよ! マジだから! そのババァいい奴何だって! 犬はチワワな! ちょー可愛いから!」

「何がチワワだ! そこはコーギーだろ! ぶっ飛ばーす!」


「あの二人ほっといて早く行こーぜ」

「だな。あ、そうそう。受かったら兄貴が焼き肉奢ってくれるってよ」

「マジで! 創さん太っ腹だなー。行っちゃうぜぇ俺、極上カルビ」

「翔だけ落ちたら面白いのにな。一回落ちてみれば? ほら、中落ちカルビ」

「黙れ、眼鏡!」

「眼鏡じゃねーよ、島だから」


 朝はまだまだ寒い、二月の事である。俺達は中学校のすぐ近くにある駅に集合していた。その鉄道は、比叡山の麓を走る鉄道から名は叡山鉄道と呼ばれていた。終着駅から五駅程手前に俺達の地元はある。そしてその駅は何時もの駅だ。嘗て、俺達が集会の集合場所にしていた何処にでもある田舎の駅である。嘗て、この駅でこの六人がこうやって揃うとは誰もが思ってはいなかったであろう。この場所にもう単車はいらない。特攻服もチームの旗も必要無い。再び2ストエンジンの音とカストロールオイルの匂いに包まれる事もないだろう。それはそれで、少し寂しい気持ちはするが致し方ない。もう俺達にそれらの一切は必要と無いものだ。求めているものは唯一つ、唯一つだ。あの音だ。あの体育館のあの音こそが、俺達の原点なのだから。

 洛中北端に位置している駅の名は、叡山鉄道洛北駅えいざんてつどうらくほくえき。俺達が目指す高校の名は京都洛連高校きょうとらくれんこうこう。いい感じではないか。あのバスケの名門、京都洛真高校きょうとらくしんこうこうは丁度市内の南にある。あの時みたいに下って行くのさ、北から南にへと。打ち倒しに行くんだ。でも今度はバイクで行くんじゃない、バスケで行くんだ。あの音を響かせながら、京都一番の高校と為ってまたこの北に帰って来る。その後は……全国だ。さぁ、行こう。インターハイが俺達を待っている。爆音鳴らせて行こうじゃないか。





 受験会場に着くと、それそれはいろんな奴等がいた。大半は同じ中学の奴等だったけどもう半分は他の中学の奴等だ。翔はすぐに可愛い女の子は何処にいるのか探してたな。普通ならば一緒に俺と島も加わるんだけど、島は藤代と付き合ってからというもの、彼女一筋になってしまっていた。それが結構気持ち悪かったりもする。俺も勿論、バスケ一筋である。バスケが俺の人生の伴侶だ。と言いつつも、横目で必死に探してたりはするんだけど。でもまぁ、バスケの次に好きなのは香澄かすみさんしかいないし、その香澄さんより可愛い女の人なんてそうそういない事であろう。

 洛連高校の校門前には各中学の先生が来ていて、俺達の中学からは古藤ことう先生が来ていた。それでさっそく翔が色んな女の子に声を掛けまくるから、一番に古藤先生に怒られていたな。やっぱり何時だって一番は翔であった。俺達が古藤先生に軽く挨拶をしつつ、怒られている翔を置いていざ校門を突き進もうとした時である。もう本当に真正面に、これでもかという真ん中に知っている人物がいた。忘れる事もできない風貌に、懐かしい特攻服姿。其の眼は相変わらず鋭すぎた。そしてお決まりのうんこ座りである。


『切れたらヤバイ石上悟志』さんが俺達の目の前にはいた。何故だか知らんけども、何故かいた。


 一瞬みんなの心臓は止まった事であろう。俺も止まりかけた。一体何故? ここにきて何か気に食わない事があったのか? 何か粗相をしてしまったのか? ってか一人だし。周りからは、何なのあの人ーとかの声だし、古藤先生からはとにかく無視しろとのお達しだし、案の定お前はなんだ帰れ警察呼ぶぞとの怒声が響き渡っていた。というか、俺達が門を潜ろうとする頃に丁度警察が来ていて石上さんは連れていかれそうになっていた。しかし、石上さんは頑なに動こうとしない。腕を掴まれても精一杯に抵抗していた。それも、俄然と悠然と前だけを見て無言を貫き通していた。


「おい、とにかく行くぞ。俺達があの人と繋がりあるなんて知れ渡ったら絶対に受かんねーから」


 明がそう言って校門を突き進んだ。俺達もその後について行った。確かにその通りだ。一体この人は何を考えているんだ? 何がしたいのかが分からない。ここはほっとくしかないし、無視を決めるしかない。他人の振りをする他ない。そう決めて、頑なに動こうとしない石上さんの横を通り過ぎた。そして、ふと後ろが気になって振り返って見てみたんだ。よく見ると、懐かしい特攻服と思えたが新しい物だって分かった。汚れ一つない、真っ白な特攻服であった。その背の部分には縦真っ直ぐ綺麗にこう刺繍されていた。


『岩晴レ』


 うーん、意味が分からない。マジで分からない。何がしたいんだこの人は……。邪魔をしに来た訳では無さそうだけど。そうこうしている内に、石上さんは警察官に連れられて行った。しかしその背中は誰がどう見ても堂々たる後ろ姿をしていた。


「石上さん、何だったんだマジで。ってかお前等、俺を置いて行くなよ」

「あの人、偶に本気で訳分んねーからな。岩晴レって書いてあったよな」

「いや、無視すんなよ翔太」

「うん。書いてあった。でも何だか去り際は格好良かったよ。何だかだけど」

「だから無視すんなって。そして俺を置いて行こうとするなよ、洋介」


「“がんばれ”だろ。多分」


「……ああー成程! 当て字か! 鷹峰よく分かったな!」

「いやあれ、当て字って言うより真剣だろ」

「真剣って?」

「真面目に間違えてるって事だ。石上さん馬鹿だからな……翔と同じかそれ以上に」

「いや俺バカじゃねーから! バカって言う方がバカ何だぜ、明ちゃんよー」

「でもいいじゃんか、岩晴レ。俺は好きだなー。がんばれは今日から岩晴レにしようぜ」

「いや、なんねーよ。がんばれは頑張れだからな。お前等テストとかで間違えんなよ。マジで受かりに来てるんだからよ」

「島だけ落ちるんじゃね? ほら、中落ちカルビ……っておおおい! だから俺を置き去りにするなって! ってか無視するなって! おい、眼鏡この野郎! 誰が眼鏡だよ、島だよって! 何一人ノリ突っ込みさせてんだよ! ――ってかマジで無視すんなって! もう誰にも声掛けないから! おおーい!」



 その日、俺達は人生の中で一番頭をフル回転させた。もうこれでもかと言わんばかりにフル回転させた。頭が疲れると甘いものが欲しくなるとは本当の事で、試験が終わってから俺達はコンビニで大量のお菓子を買った。寒空の下食べた、ガリガリ君の味は今でも覚えている。斯くて入試たたかいは終わり、後は合否の結果を待つだけとなった。

――そして二月の月末。運命の合格発表の日は来た。勿論皆で見に行ったさ。香澄さんと藤代も一緒だ。道中、島と藤代は気持ち悪いくらいにいちゃついていたので、本当に気持ち悪くなった。いや別に普通だったんだけど、さり気なく手とか繋いでいたので、それが気持ち悪かったし殴ってやりたかった。この気持ちが嫉妬からきてるものだと言うのならば、俺は認めよう。だがそれでも気持ち悪いものは気持ち悪いし、羨ましいものは羨ましいのである。

 香澄さんが何でこの高校を受けたかは深くは聞かない事にしていた。もっといい高校に行けたはずなのにとは思ってはいたけれども。まぁ、多分……明の事がそれ程好きなのかも知れない。いいよいいよ、俺はいいもんね。俺にはバスケがあるもんね。と、つい三ケ月程前まではそう思って誤魔化そうとしていたが、どうやら無理みたいである。好きな人は人、好きなものはもの、である。俺は香澄さんの事が諦めきれずにいた。未練タラタラの男とはこの俺の事だ。いいもん、いいもん、俺はのだから。昔からそうなのだから。


 合格発表会場に着いたら、沢山の人でその場が埋め尽くされていた。人波を掻き分けて、俺達は前に進んだ。間近で見る為だ。そして自分の受験番号を今一度確認し、大きい掲示板に張られた紙の中に記されている無数の番号の中に自分の受験番号があるかを探す、探す、探す。数字は小さい方から順番にだ。探せ探せ探せ、あれ、あれ、どうかあれ!


 見つける。見つけてしまう。恐らく一致している。もう一度自分の受験番号を確認。そしてもう一度前を見る。今度はかなり近付いて見た。視力だけはいいが、この日ばかりは自分の眼を疑う事にした。何度も確認する。しかしどうやら一致している様である。見間違いでは無さそうだ。この瞬間、俺は勝ちを確信した。そして“もう一度確認”。やがて確信は希望となり、そして歓喜へと変わり果てる。見事『合格』である。俺は受かったのだ。どうやら受かってしまったのだ、高校に、あの高校に!

 きっと人生でこんなにも二度見をしたのはこの時が初めてであろうさ。誰でもそうなのかも知れないけど、人生で二度見をする瞬間はこの時だったと誰もが言うに違いない。ふと周りを見ると、全員無事合格。皆、様々な表情をしていた。翔は一番に飛び跳ねてたなぁ。その後に俺達も続いたんだけどね。島と藤代は抱き合っているし、翔太も喜んでいるし、明は相変わらず澄ました顔して、香澄さんと話している。三回ぐらいしねと思ったが、今の俺は寛容である。ミネは、多分喜んでいるんだろうな。嬉し過ぎてよく分んねーや。そーいや、少し離れた所にゴリポン達の姿が見えた。顔を見たら分かったな。ゴリポン達もどうやら受かったみたいだ。すると目が合って、ゴリポンがこっちに向かって来た。


「洋介、その様子じゃ受かったみたいだな」

「まぁな。どんなもんだい」

「ははは、昔みたいに笑う様になったな」

「何だそれ、偉そうに。ゴリポンも受かったんだろ? サトルもタマも」

「ああ、受かったよ」

「部活、どうすんだ。バスケだろ?」

「当たり前だ。インターハイ行くんだろ?」

「うん、行くよ。一緒に行こーぜ、キャプテン」

「また俺がキャブテンかよ」

「ゴリポンしかいねーって。知ってんだろ」

「休んだら、容赦しねーからな」

「もう休まねーよ。じゃあまたな」


 斯くして、俺達は全員入試と言う戦いを勝ち抜いて見せた。見てくれているかな、泉先生は? ここからだよ、ここから始まるんだ。果たせなかった俺達の野望ゆめを、先生の願いを、今一度呼び戻してやる。呼び起こしてやるんだ。伝説はここから始まる、始めさせてもらおうじゃないか。





 有頂天が続く俺達を待つのは、最早卒業式のみである。皆、その日を待ち望んでいた。今こうして振り返ると、色々とありはしたが良い中学生活だったと思う。“良い青春”を送れたと思う。

――でも、そう思ったのは“本当に驕り”であったともこの時初めて気付かされた。いくら道を正そうとしても、寄り道をしてしまった俺達にはそれ相応の罰が待っている。抜け出せたと思ってはいても、嘗て片方の足はあっちの世界に踏み入れてしまっていたのだから。勝手に抜け出せた気になっていただけで、その世界は常に俺達の後ろから襲い掛かってきやがる。

 春もいよいよ目の前となった早朝の事だ。卒業式を間近に控えた俺のクラスに、明が血相を変えて飛び込んで来た。それもHR中にもかかわらずだ。


「――おい洋介! さっき島が病院に運ばれた! あいつ意識が……ない。……藤代も一緒に!」

「こら村川! お前HR中だぞ! って藤代?」

「なんで古藤先生はまだ何も知らねーんだよ! 警察から連絡なかったのか!?」

「お、おい明、それって――」


「やられたんだよ! “一世会いっせいかい”の奴等に!」



――嘗て、情けない青春を送っていた代償が、今頃となって俺達を迎えに来やがった。当時、それに抗う力と精神も俺達は持ち合わせてはいなかった。


 

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