音速を望む少年

 秋雨前線は珍しく日本列島の南側に停滞しており、ここ数日雨が止んだ事は無い。おかげで公園のグラウンドは水溜りと泥だらけになっている。いつも昼寝をしているベンチも雨風でバッチリ濡れている。これでは今日は寝れそうにないなと言っている場合でも無い。雨脚はさらに強く、激しくなってきていた。秋雨前線がどうやら本気を出してきたらしい。今年最後の大雨を降らさんとして。そして、俺の目の前にいるこの男もどうやら本気らしい。もうね、眼を見たら分かるんだ。俺ぐらいになるとさ。それに、もうこいつとは小学校一年からの付き合いだ。かれこれ九年ぐらいか? だから余計に分かるんだ。こいつが、ミネが何を考えているか何てさ。


「知ってるって……どー言う事だよ。泉先生のこととか全部分かってたって事?」

「三本先取でいいか? 昔みたいに。先攻か後攻選ばしてやるよ」

「聞けよ!」

「お前も俺の話聞けよ。どっちだ? 決めらんねーのか? だったら俺から行くぞ、洋介」


 でも、この日はミネが何を考えてるか全く分からなかった。きっとこの雨のせいだ。ミネの顔が何だかよく見えないんだ。視力だけは良いはず何だけどなぁ。やっぱり雨のせいだな。そうに違いない。


「懐かしい感じだな。このボールもこの公園も。昔はもっと広く感じたんだけどな。こうやって見渡すと意外と狭いな。このバスケットボールもガキの頃は大きくて重く感じたよなぁ。ゴールも高く感じたけど、今じゃ錆びだらけだな。ネットもねーし」


 ミネはそう言いながらボールを地面についた。手から離れた小さなバスケットボールは水溜りだらけの地面に着地したと思ったら、反動で明後日の方向に行こうとしていた。それも、バシャバシャと音と泥水を撒き散らしながら。明後日の方向に行こうとするボールをミネは上手にコントロールしていた。さすがミネだなと、俺は思った。

――雨は、さらに強く、激しく、声を掻き消す程に降り続いていた。そして一瞬。本当に一瞬だ。ミネは俺の目の前から消えて、気付いた頃には既にゴール下だ。気付いた頃には、ボールはネットの無いゴールの中心を通過していた。


「ネットが無いと入った気がしねーな。次、洋介オフェンスな。ってかもっと反応しろよ。このままだとすぐに終わっちまうぜ?」

「反応って……いきなりやり始めて何言ってんだよ。それに雨降り過ぎだろ、こんなんでバスケ何て出来る訳――」

「出来るだろ。雨だろうと何だろうと、ゴールとボールがあればバスケは何処だって出来るだろ。言い訳すんなよ」

「言い訳じゃねぇよ!」

「じゃあ、何なんだよ。俺達、昔からこうだったじゃねぇか。体育館でもねぇ、バスケットボールでもねぇ、普通の校庭で毎日やってたろ? それもバレーのボール使ってよ。雨の日も風の日も、雪の日もバスケやってたじゃねぇーか」

「何時の話してんだよ」

「小学校だよ。……来いよ、洋介。本気できやがれ」


 いいさ、やってやる。お前がその気なら俺もやってやるさ。そう息巻いた俺だったが、環境のコンディションの悪さからか簡単にミネにボールを盗まれてしまった。うーむ、こんなはずでは無い。これでは恰好がつかない。雨だ、きっと雨のせいだ。そもそも降り過ぎなのである。この土砂降りの中バスケをするアホが何処にいる? ……ここにいる。……あれ? バスケ?


「お前は爪楊枝かよ。オフェンス下手も相変わらずか。これで俺が決めたらリーチだぞ」

「言ってろ。次は抜かせねーよ」

「口だけは達者だな。じゃあ遠慮なく!」


 ミネの目線が左に向いた。これはフェイクだ。左から抜くと見せかけての右だろう? だがしかし! それもフェイクだ! 何故ならお前は左利きなのだから最終的にはやはり左で来るに違いない!

――これ又瞬間である。ずっと頭の中でミネがどちらから来るか考えていた瞬間である。ミネは半歩下がってシュートモーショーンに入りやがった。距離的には3Pシュートだ。


「あっ――卑怯な!」


 ミネが放ったシュートは、綺麗な放物線を描きながらネットのないゴールの中心に吸い寄せられるかの様に落ちて行った。


「卑怯も何も、誰がドライブで行くって言った? ディフェンスもからきしになったか?」

「うるさい。次は俺の番だ。行くぞ」

「おお、来いよ」


 ああ、そうだ。バスケだ。俺は今をしているんだ。懐かしい感じだ。このボールもこのゴールもこの公園も。一年振りか? いやもっと前か? ミネとこうやって二人きりでバスケをするのは。本当に本当に――。


 一度右にフェイクを入れる。でもそれもフェイク。結局右から抜く。何故なら俺は右利きだからだ。でも半歩下がってみる事にした。さっきのミネの真似って言われてしまえばそれで終わり何だけど、オフェンスは確かに苦手なんだ。でも一番の理由は“久しぶり”に3Pシュートを打ってみたくなったんだ。だってさ、だってさ――本当に久しぶりにバスケットをしているんだ。楽しくて楽しくて、しょうがないんだ。高鳴るなぁ、胸がさ。まぁ止められたんだけどね。


「お前、考えが安直過ぎるだろ。いや、昔からそうか。攻めのレパートリー少ねーもんなぁ。で、次俺が決まれば勝ちなんだが」

「まだ、決まってねーだろ。早く来いよ」

「急に強気じゃねーか」


 胸が高鳴る。心が躍る。俺はいま、心がドキドキしている。バスケット……やっぱり好きだな。どうやら本当に大好きみたいだ。


「所で“ソウちゃん”さぁ。これって俺が勝ったらどうなるの?」

「……あぁ? お前が勝つ訳ねーだろ。でもそうだなぁ、もしお前が勝ったらお前の言う事何でも聞いてやんよ。負けねーけど」

「何でも? じゃあさ、一緒の高校行こう。それでもう一回バスケしよう。インターハイ皆で行こう」

「お前、まだ勝ってねーだろ」

「勝つさ。俺はもう負けない」


 気が付くと雨の音は聞こえなくなり、見えなかったはずのミネの顔が見える様になっていた。それもはっきりとしっかりと。何故か体も軽い。雨が心の熱を冷ましてくれたみたいだ。ああ、俺はずっと風邪を引いていたのかな。もうなんかね、全てがバッチリさ。五感の全てが良好なんだ。特には冴えているぜ。


「確かに懐かしいな。懐かしい感じだ。お前、もう俺を抜けねーよ。絶対にさ。来いよ、ミネ。あの日、四年前のあの時、最後に勝ったのはどっちだった? 最後に勝つのは何時だって俺なんだ」

「……えらく自信ありげじゃねーか。一体、その自信は何処から来るんだ?」

「何処からって、俺だからだよ。俺がそう言ったら絶対なんだよ」

「何だそりゃ、訳分んねーな。……行くぞ洋介!」

「――来なよ“ソウちゃん”!」





 上代翔と星野翔太はコンビニで温かいおでんを買って食べていた。今日の勉強も終わり、腹が減ったのだろう。時刻は午後六時過ぎ。空はもうすっかり暗くなってきていた。日の入りの時間も早くなってきており、秋の夜長真っ只中である。


「おでん美味いな」

「ああ美味いな」

「雨、やべぇな」

「ああ、やべぇな」


 コンビニ横の屋根の下に座りながら、二人は雨宿りをしていた。学校を出た時は小雨だったが急に強く降り出してきたのだ。腹も減って来たので雨宿りも兼ねてコンビニに行こうという話になった。


「勉強疲れたなぁ。これ毎日とか無理じゃね?」

「たった一日で音を上げんなよ。しかしさすが生徒会長だな。教えるのちょー上手い」

「それな! 俺も思った! おでんも美味いけど会長も上手い。それにしてもよく引き受けてくれたよなぁ。俺等に勉強教える何てさ」

「お前馬鹿か? ああ、馬鹿だったか。会長、あれどう見ても明の事好きだろ」

「え、そうなの? ってか今バカって言った?」

「言ってねーよ。島の奴も藤代と仲よさげだったし、あいつ等付き合うんじゃね?」

「それはねーだろ! だって島だぜ? 確かに良い感じではあったけど。それよりさっきバカって言ったよな?」

「いや俺の経験上、あいつ等は付き合うな。そしてそのまま結婚するタイプだ」

「マジで? ってか翔太、女子と付き合った事とかあんのか?」

「あ? あ、あるに決まってるだろ。お前こそどーなんだよ」

「マジかよ、知らなかったわ。俺はないよ」

「いや、ごめん嘘。俺もない」

「……嘘つくなよ」

「お、おう。すまん」


 雨はさらに強く降り、お互いの声を掻き消す程となっていた。道路の脇は川の流れの様になっており、マンホールからは水が溢れ出ていた。走ってコンビニに入り雨宿りする人もいれば、これ又走って車まで行く人もいる。十月の雨はこれでもかと言わんばかりに降り続けている。まるでこの雨で世界の全てを洗い流すと叫び続けているかの様であった。


「なぁ、翔太。あの二人は大丈夫かな」

「洋介と鷹峰の事か? 多分大丈夫だろ。何だかんだで仲いいからな、あの二人」

「……翔太はさ、俺等の中で誰が一番バスケ上手いと思う?」

「誰がって、皆ポジション違うし得意としてる分野はそれぞれだろ」

「まぁそうなんだけどよ、何ていうかこいつだけには敵わねーってのあるじゃん? バスケのセンスって言うの?」

「んー……そりゃお前、やっぱ“鷹峰”だろ。背も高いし身体能力も半端ねぇ。ダンク出来るだろあいつ? 3Pも撃てるし」

「そうだよなーやっぱ。じゃあさ、『エース』は?」

「エース? 決まってんだろそりゃ。昔も今も、そしてこれからも。『洋介』以外在り得ねーよ」

「だよなぁ。調子良い時のアイツ化け物だもんなぁ」

「あいつの言う、心と体のバランスだっけ? 俺は良く分かんねーけどな。でもそれが最高潮になった時、確かに洋介は無敵だ。実際、俺達は目の前で見てるしな。そうなったらさすがの鷹峰も敵わないだろう」

「だよなぁー。ま、ミネの事は洋介に任せるか。というかさ」

「何だ?」

「雨、やまねぇな」

「ああ、やまねぇな」





 雨はピークを過ぎたのか、段々と雨脚を弱めていった。辺りはすっかり真っ暗で、公園の街灯のおかげで何とかボールもゴールも見えると言った状況だ。強く降ったせいで地面はさらに水溜りだらけだ。というか泥水で出来た湖だ。水深一センチメートル程の湖である。こんな状況下でバスケをする奴等が何処にいる? ここにいる。俺達だ。


「はぁはぁ……」

「止んできたな、雨。どうする、もう一本やる?」

「……もういい」

「じゃあ俺の勝ちだな、ソウちゃん」

「お前、相変わらずムラありすぎ。むかつく」


 結局、あの後三本連続で俺がミネを止めて三本連続で俺がゴールを決めた。どんなもんだい。楽しかったんだ、本当にバスケが楽しかったんだ。早く体育館でやりたいなぁと、俺は思った。あの音が懐かしいぜ。


「ところで、ソウちゃんよ。敗者のルール覚えてるよね?」

「……分かってんよ。行ってやるよ、俺も」

「絶対だぞ! ちゃんと勉強しろよ? 高校に行くんだからさ。それともう一つ!」

「何だよ?」

「ミネ、知ってたの? ……あのその、泉先生の事」

「さぁ、どうだろうなぁ。いつか教えてやるよ」

「何だよそれ、卑怯だぞ! 言う事聞くって言ったろ! 教えろよ!」

「だから聞いてんだろ、高校行くってさ。お前それしか言ってねーじゃん」

「はぁぁぁ? ナシだろそんなの! 教えろよ!」

「そんな事より、銭湯行こうぜ。体冷えてきてやばいわ」

「あ、行きたい。というか、こんな雨でバスケ何てするからじゃん。風邪引いたらどうしてくれるんだ」

「言ったろ、昔はよくやってたって。だから銭湯に行くんだよ。今度は風邪引かねーさ」

「それもそっか。早く行こう」



 なぁ、洋介。思い出したか? あの頃のお前を。お前は俺達のエース何だよ。そうじゃなくちゃいけねーんだよ。お前は自覚しているのか? しているに決まっているか、その顔見ればよ。お前、何だかんだで自分が一番上手いと思っているだろう? そうだよ、それでいいんだよ。皆の中心なんだよお前は。がお前には在る。周りに在るもの全てを巻き込む力がお前にはあるんだよ。嘗ての俺がお前に魅かれた様に。泉広洋いずみこうようの奴も俺にそう言ってたんだ。『エースはお前』だってな。





「はぁー、生徒会の部屋って何かすげーな。色んな本がある。漫画はねーの?」

「勉強に飽きるな、翔。教えて貰ってるんだぞ。さっさと座れ」

「ミヨちゃん、ここが分かんねーんだけど」

「どこどこ? あ、島君ここはね……」


「なーんかさ。あの二人良い感じじゃね、明」

「どうでもいいだろう。勉強に集中しろよ、洋介。今のところお前と翔がぶっちぎりで一番やばいぞ」

あきら君もだよ! 昨日言った課題ちゃんとやってきた? 苦手な理科と数学はちゃんとやらないと駄目だからね。いくら覚えるのが得意だからってさ」

「ああ、ごめん会長。やってねーわ。俺一人じゃ分かんねーからさ、教えてくんね?」


(あきら君……? 会長、何で明のことを下の名前で呼んでるの? ってかあの距離感は何? 近くね!?)


「残念だったなー、洋介。ま、お前はこの俺が教えてやんよ」

「いや、いいから。ミネだけはいいから。俺も香澄さんに教えて貰うから」

「でも、その“かすみさん”明にべったりだぜ?」

「かすみさんって呼ぶんじゃねーよ! ってか何でお前が俺に勉強教えてるんだよ! 意味分かんねぇ!」


「山岸君、うるさい。皆の邪魔になるでしょ。鷹峰君、山岸君の事お願いね。あ、上代君! あんまり本棚いじらないでよ!」


「だってさ。しっかり勉強しなさいよ、山岸君。何なら俺の事、かすみさんだと思ってくれてもいいんだぜ?」

「少し黙れ。……お前卑怯だぞ。勉強出来る何て」

「まぁな。施設出た大学生の姉ちゃんにずっと教えて貰ってたからなー。遊んでた訳じゃないのさ、お前等みたいに。それにこーなる事分かってたし」

「……むかつくやつ」



 季節は十一月も終わろうとしていた。晩秋も終わりを迎える頃、俺達は毎日毎日生徒会室で勉強を教えて貰っていたんだ。憧れの生徒会長である、香澄かすみさんはどうやら明の事が好きみたいである。眼を見れば分かるさ、彼女は恋をする乙女の眼をしていた。俺、視力だけは良いんだ。だから分かるんだ。俺の恋は叶わないだろうって。いいさ、いいさ。俺にはバスケットがあるもんね。俺はバスケを愛するもんね。一生大切にするさ。

 驚く事と言ったら、この時ぐらいに島と藤代が付き合った事だ。二人の仲を見てたらこうなる事だけは分かっていたけども、翔だけは驚いてたな。まぁ、あいつは馬鹿だからしょうがない。とにかく島は俺達の中で一番に彼女ができやがった。羨ましい限りである。童貞を卒業するのもきっと島が一番早い事であろう。

 肝心の香澄さんと明の恋の行方であるが、明は恋に盲目だ。鈍感過ぎる明だが、翔太の的確な一言で香澄さんの気持ちを知り、揺れ動いている様であった。まぁ、この二人もその内くっつく事であろうさ。

 え、俺? 俺の気持ちはどうするんだってか? 俺はいいよ。香澄さんは確かに俺の天使であったけどさ、好きな人が幸せなら俺はそれでいいんだ。好きな人が好きな人と一緒にいるのが俺の一番の幸せさ。なにより俺も“好きな人”と一緒にいるんだ。もう言わなくても分かるだろう? バスケットさ。バスケが俺の一番好きな人さ。もう離したりはしない。ずっと一緒にいるんだ。受験が終わってさ、高校に行ったら毎日ずっと一緒だ。もう俺から離す事は二度とないだろう。俺は絶対に行くんだから。インターハイに、皆と一緒に、泉先生の想いを受け継いで。



――そして十二月。その月の二十五日に泉真理いずみまりさんから連絡があった。どうやら先生が危篤状態に入ったらしい。今夜が峠だそうだ。その日はクリスマスだった。願いもむなしく、先生は十二月二十五日。十一時三分に息を引き取った。皆、泣いていた。でも一番泣いていたのは、真理さんとその子供達であった。当たり前である。愛する人が、父親が亡くなったのだから。そう言えば泉先生の葬式の帰り際、真理さんにこう言われた。


「あなた達、頑張ってね」


 一言。その一言だけだったが、その一言が俺は嬉しくて嬉しくて仕様が無かった。俺達を憎んでいた真理さんだったが、其の眼に最早憎しみは無かった。俺さ、何回も言うけど、視力だけはいいんだよね。この時の真理さん、俺達の中に泉先生がいるって分かったんだろうな。

――いるよ? 先生はここにいる。先生とは短い付き合いだったけど、確かに俺達の中にいるんだ。先生の言葉はずっと俺達の心の中で生き続けている。決して消える事無く、燃え滾る様に、熱く激しく響き続けているのだから。


 そうそう。何時の日か先生に言われた、親への感謝の思いとか色々。それも段々と分かってきたんだ。大嫌いな家族ではあったけれど、今迄の有難味も分かってきたんだ。今思うとそうだよな、母はお腹痛めて死ぬ思いをして俺達兄弟を産んでくれたんだ。そしてその傍には親父もいたんだ。きっと心配してたんだろうなぁ。一体、寡黙な親父はその時どんな顔をしていたのだろうか? 想像もつかないな。

 そしてこの時ぐらいからか、俺の家の中に新しい風が吹いた。先生が亡くなってから数日後、家に帰ると母が手料理を作っていたのだ。俺は忘れていたけど、この日は“あの兄”の誕生日であった。家族四人揃っての久しぶりの食事である。食卓の上には高そうなシャンパンが置いてあった。兄は今年で二十歳だ。成人のお祝いも兼ねていた。久しぶりで皆、無言であったけど確かに四人揃ったんだ。俺は嬉しかったよ。久しぶりに温かい母の手料理を食べたのだから。家族皆で食べたのだから。


 慌ただしく過ぎて行った平成十五年は終わりを迎え、年は明けて平成十六年となった。そしてあっという間に高校受験の日となる。まだ寒い朝、家を出ようとする俺を母が呼び止めた。渡されたのは、手拭いで巻かれた弁当箱と必勝祈願の御守りだ。どうやら早起きして作ってくれたみたいだ。御守りもである……。そして、その手拭いには見覚えがあった。昔、母がバレーボールをしていた兄の為に拵えた物だ。刺繍で施された文字は『勇猛果敢』の言葉。



――西暦にして二千四年である。その年の二月の事。入試たたかいは始まる。俺達が目指す高校は京都洛連高校きょうとらくれんこうこう、そこ一本である。必ず受かってやる。そして必ず行くのだ。夏のインターハイに、あの体育館に、あの頂きに、あの音と共に。俺達の枯れた栄光の花を凛として再び咲かせるために、何よりも泉広洋いずみこうよう先生のためにも。


 冬よ、音速超えて夏となれ。 

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