エースは君だ

 俺は海が嫌いだ。湖も嫌いだ。池も嫌いである。水溜まりが嫌いだ。だから雨も嫌いだ。雪も、きっと嫌いだ。水そのものが嫌いだ。俺と言う人間は言ってしまえば、何もかもが嫌いであるのかもしれない。でも、特に水は嫌いだ。大嫌いなんだ。とにかく、俺から全てを奪った水が憎くて憎くてしょうがーねーんだ。



 あれは何時だったか? ああ、確か俺がまだ七歳か八歳かそこらへんだ。施設でTVを見ていたんだ。見ていたって言っても、施設内のTV番組の取り合いに勝つのは昔からの習わしで何時だって年長者であり、無理やり見せられていたに近いが、まぁとにかく偶々TV見ていたらアニメをやっていたんだ。

 きー坊(俺より三つ下のガキ)は、勝っちゃん(俺より三つ上の偉そうなガキ)の年上権力の行使によって、見たかった12チャンネルの教育番組だか何だか知らんが、それが見れず泣き喚いていた。泣き喚くきー坊に勝っちゃんは躊躇う事無く、蹴りを喰らわしていた。それはそれは、見事な上段蹴りであった。まぁ、施設の中何てものはそんなものである。目上には逆らえない、絶対的な縦社会があるのだ。だがそれも中学ぐらいまでで、施設を出たらやり返す何て日常茶飯事である。他の施設は知らないが、俺がいた施設ではそうだったんだ。


 下剋上。それが俺の好きな言葉だ。いつかきっと羽ばたいてやる。俺は俺の生い立ちを決して卑下しない。俺は飛べない鳥では無い。だからきっといつか誰よりも高く高く飛んでやるんだ。


 そう思っていた。そう思っていた矢先にさっきのTVアニメを見たんだ。どうやらバスケットボールのアニメらしい。初めてバスケを知った瞬間、俺はバスケットの虜になった。何でかは分からない。当時から背が高かったからか? いいや、違う。跳んでたんだ。アニメの中で主人公は鳥みたいに跳んでたんだ。だから俺もって、そう思ったんだ。この時ばかりは、大嫌いな勝っちゃんには感謝している。俺の人生観を変えてくれた『バスケット』に出逢わしてくれたのだから。そしてバスケットは、俺に宝物を与えてくれた。仲間と言う最高の宝物を。





「しっかし、よく見れば見る程この練習メニューすげぇ。何だよ、しょっぱなから毎日二十キロ走るって。毎日ハーフマラソンじゃねーか」

「しかも何故かの山道だしな。毎日山を越えて戻って来いと」

「さすが鬼。考える事が鬼畜生だ」


 季節は九月も終わり、十月に差し掛かろうとしていた。俺達はあの日、泉真理さんから託された練習メニューを見ていた。一冊のノート一杯に書かれている練習メニューをパラパラと捲りながら、翔と翔太がその内容に愕然としていた。


「でも、後半はちゃんとバスケの事書いてあるよ。最初はほとんどフットワークだけど」

「洋介、それな! またフットワークだよ! もういいつーっの! 飽きたから、俺フットワークには飽きたから! ボール触らせろいい加減!」

「急にでかい声だすな、この馬鹿」

「だからバカじゃねーよ! 何度言わせる気だ!」


「でもよー、これちゃんと考えて作られてるよな。ノートに書いてある一発目がこれだし」。騒ぐ翔をよそに、明が核心をつく事実を述べた。そうなのである。この練習ノートは、恐らく先生が入院してから先生が書いた物であることが推測できる。ゆえに、一番最初のページにはこう書かれていた。


『まずは全員適当な高校に行く事。ここに書かれてある練習には高校に行ってから行う事』


「それそれ! 何だよ適当って! 何処でもいいんかーい! もし俺がハーバードとか行ったらどうすんだよ!」

「ハーバードって何処だっけ?」

「しらね。ってか翔が行ける訳ないっしょ」

「はい、そこの眼鏡! 少しだまらっしゃい!」

「誰が眼鏡だよ、島だよ。ってか翔この間から随分と元気だよなー」

「泣いてスッキリしたんじゃない? 膿が出たって言うか」

「泣いてねーよこの緑茶野郎!」

「何だよ緑茶野郎って。もうあの時から飲んでねーよ」

「え? 洋介、緑茶飲んでねーの? マジで?」

「だって翔太がもう飲むなって言ったじゃんか」

「いやいや、遅刻しなければ飲んでいいからな?」

「え、そうなの。早く言ってよ」


「眼鏡も緑茶も馬鹿も少し黙れ。とにかくこのノートに書いてある練習内容は置いといてだ。俺が聞きたいのは、一ページ目に書かれてある最後のこの事だよ」。明がノートを俺達の目の前に差し出した。確かにそうなのだ。明が言う通り、最後だけは本当によく分からなかった。


「おおー、それな。確かに訳わかんねぇ。インターハイには“高校三年”になってから挑む事ってか? 何で三年? 一年からでよくね?」

「何でなんだろうな。俺達には早過ぎるって事か?」

「かもな。そんでもって、これって俺達全員が同じ高校に行く事が前提で書いてある。島はどう思う?」

「んー。泉がどういう思いで書いたのかは分からないけど、皆の予想通りなんじゃねーかな。と言うか、まるでこうなる事を予測してたみたいな感じだよな」


「……やっぱりそう思うよな、これ見てる限り。誰がキャプテンやれとか書いてあるし。ってか島。お前……バスケ出来んのか?」


「あ? ……ああ、前みたいには出来ないよ。医者に聞いたらもう爆弾になっちまってるってさ。まぁ、そんな顔すんなよ! “全力”で出来ないだけだ。それに練習メニューにも書いてあるだろ?俺だけ抑えてやれって書いてある。……それに試合には出れなくても俺に出来る事はあるだろう?」


「うん……。ごめんな、島」


「何だよ急に、汐らしい顔しやがって。俺は気にしてねーよ洋介。もう起っちまった事はしょーがねーだろ。それより高校だよ、高校! 洛連に行くんだろ俺達? お前等勉強してんのか?」

「ああー、それな勉強な。先ず、何から手をつけたらいいかが分んねぇ。因数分解って何だ? 分かるか翔太?」

「俺が分かるかよ。何で数学なのに英語が出てるんだよ。いつから数学は英語の授業になったんだ? XとかYってそもそも何なんだよ」

「お前等、そこからかよ! 大丈夫か本当に? どーするよ明?」


「安心しろ、もう頼んである。ちなみに俺も一番数学がわかんねぇ。暗記は自信あるんだけどな」


「ち、ちょっと待って。明、頼んであるって誰に?」

「ん? 誰って生徒会長だよ。放課後とか毎日教えてくれるってさ。土日も用事がなければいいってさ。良かったな」

「いやいやいや、お前喋ったの? 香澄かすみさんと!?」

「いや、まぁ。喋らないと頼めないだろ」

「はぁ!? 俺、まだ喋った事もねーのに!」

「それは知らねーよ。ああ、好きだったんだっけ? ってか喋った事も無いのに下の名前で呼ぶって、お前相当気持ち悪いぞ」

「しかもさん付けだし」

「気持ち悪くねーよ! ってか勝手な事すんなよ! マジで!」

「まぁまぁ、落ち着け二等兵殿」

「だから二等兵じゃねーから! もっとこう、上だよ上! 上のやつにしろ!」


「だから落ち着けって、よーく考えろよ山岸二等兵? これからは毎日香澄さんが勉強を教えてくれるんだぞ? 喋った事もない香澄さんにだぞ? つまり毎日一緒って事だ。しかも明の話では土日もだそうだ。分かるか。土日もだぞ? 週七日、毎日年中会えるんだ。しかも休日だから、かすみさんの私服姿も見れるんだ」

「私服……?」

「そうだ! 私服だ! 見たいよな?」

「それは、見たいな!」

「だよな! 俺も見てぇ! スカートなのか、はたまた何なのか……ああ、何で今は十月なのか! 何故、夏ではないのだ!露出は、麗しの露出は何処にいったんだ!」

「分かるよ、露出! スカートがいいよな! 短い奴とか特に! 俺もミヨちゃんの私服見てーよ!」


「ああ、島。藤代も教えてくれるってさ。会長と仲いいし、香澄さん一人じゃ大変だろうからってさ」


「まじで? マジかよすげえ! これは夢か? 夢なのか!?」

「島伍長、夢ではないぞ! 今日からは毎日女子に勉強を教えて貰えるんだ!」

「やべーよな島!? 私服だぞ、私服! 胸が高鳴るわー! あっ! ってか明、勝手に香澄さんって言うじゃねぇよ! 香澄さんって言っていいのは俺だけ何だよ!」


「何はともあれだ、諸君! 私は今声を大にして言おうと思う! これこそが青春であると!」

「おおおお! 青春な! それな! 万歳、青春万歳!」

「上代軍曹ー! 良かったです軍曹に着いて来て! 俺は良かったです! これでようやく故郷のおっ父とおっ母に報告出来ます!」


「いや、頼んだの俺何だけど。俺を讃えろよこいつら」

「まぁまぁ明、こいつら三馬鹿だから。それで教えて貰うって何時から?」

「ああー、今日から。真剣にやらねーと厳しいだろ。絶対に洛連行かねーとさ」

「え、今日からなの?」

「どうした洋介。何か用事あんのか?」


「……ああ、うん。今日さ、あいつと、『ミネ』と会って来る――」


 鷹峰壮たかみねそう。俺の小学校からの友達で、俺達のエースだ。チームを抜けて以来、ミネとは会っていない。昔から一匹狼な奴だったが、俺達がバスケに行かなくなってからその頻度も増えていった。翔の話では、最近女子大生と遊んでいるらしい。

 チームを抜ける時、ミネにも連絡を取ったが返って来る事は無かった。もう随分とミネとは会ってない気がする。きっとバスケに行かなくなったあの日から、まともに話してはいない。そして高校に行こうと決心した時、俺は心に決めたんだ。“ミネ”とちゃんと向き合うって。あいつは、あいつは俺達の中で一番バスケットを愛していたから。俺には一番分かるんだ。あいつのバスケに対する思いが、どれだけのものかって事が。でも俺は裏切ってしまった。あの日、俺は友達を裏切ってしまったんだ。一番大切な友達から、一番大切な物を取り上げてしまったんだ。俺が事故を起こさなければ、俺がバスケを続けていれば、ミネとこんなにも距離を取る事にはならなかったはずなんだ。


 だから会いに行くんだ。ちゃんと話さなければ。泉先生はきっとそう望んでいるはずだから。全員で行くんだ。皆で、あの時の皆でもう一度必ず――。





 俺と親との最終記憶は、俺が五才の時だ。雨が降っていた。土砂降りの雨が。親父は震える手で車のハンドルを握っていた。後部座席に座っていた俺の隣で、お袋はまだ幼い妹を抱き抱えながら泣いていた。ごめんね、ごめんね、と何度も呟いて。親父が車のヘッドライトを消して、アクセルを勢いよく踏み込んだのがわかった。加速してゆく俺達の目の前には、真っ暗闇の海が待ち構えていた。

 一家心中。少し成長してからその言葉と、あの時お袋が言った意味が分かった。原因は知らない。最早知る由も無い。一つだけ言える事は、俺だけが助かってしまった。親戚中をたらい回しにされて、俺は今の施設に落ち着く事となる。


 昔から何処か斜に構えている俺だったが、一人になったおかげでそれも酷くなっていた。誰とも喋りたく無かった。誰とも仲良くなりたく無かった。もう、何も失いたく無かった。だから何にも関わらず生きて行けば、もう失わないですむと思っていた。もう誰とも関わらない――だけど、そう決めていた俺に平気で声を掛けてくる奴がいた。


「おい、お前。おまえさーいつも一人ぼっちだよな。一緒に遊ぼーぜ? 楽しいぜ、ドッジボール。しっかしお前、背高いのな。何センチあるんだ身長?」小学一年の時。満面の笑みで、そいつは俺に話しかけて来た。廊下の方を見るとクラスメイトの奴等が俺の悪口を言っているのが聞こえて来た。


「ほっとけよ。俺と関わるとお前もわるぐち言われるぞ」

「何だそれ? ああ、あいつ等か。まぁ、気にすんな! あいつ等お前の事が怖いんだよ。背高いし、目付悪いしなお前! そんな事よりさお前、肩いい? 投げるの速そうだよな! 俺のチーム入れよ! 今日の対戦相手あいつ等だからさ! やろうぜ、ほら早く!」


 断る時間さえ与えず、そいつは俺の手を引っ張って俺をグラウンドに連れて行きやがった。そしてその日、俺は初めてやったドッジボールで大活躍をした。今まで俺の悪口を言っていや奴等全員にボールを当ててやった。


「お前すげーな! そくせんりょくだ、即戦力! なぁ、ゴリポン!」

「うん! 凄いよたかみね君! あんなボール誰も受け止めれないよ!」

「たかみね? お前たかみねって言うのか? だから背が高いのか?」

(何言ってんだこいつ。名字と身長何の関係があるんだよ)

「俺はやまぎし、山岸洋介ってんだ。お前は? たかみね何だ?」

鷹峰壮たかみねそう……」

「おーソウちゃんか! よろしくな即戦力! あ、この顔がゴリラ見たいなのがゴリポンで、太ってるのがタマだ。で、あの冴えない奴がサトルな!」


 勝手に人の事を名前で呼ぶし、勝手に友達を紹介されるしで、俺の中で洋介に対する第一印象は最悪に近かった。いや、むしろ大嫌いなタイプの人間だ。何時もヘラヘラしているし、平気で人のコンプレックスを言いやがる。図々しいし、天然であほでばかだ。海と同じくらいこつの事が大嫌いであった。

 でもその日を境に、洋介は事ある事に俺に絡んできやがった。無視をしても何をしても俺を遊びに誘いやがるんだ。俺は段々とこいつの事が不思議に思えて来た。諦めない事もそうなんだが、何をやるにしても、何を続けるにしても、こいつの根拠の無い自信は一体何処から出てくるのであろうかと思った。珍しく一日へこんだと思ったら、次の日には元通りなのである。無尽蔵に湧き出るこいつの自信は一体何なんだ?

 あのアニメを見た次の日。案の定、洋介もバスケをしにきやがった。やがて俺はバスケに夢中になりミニバスの教室に通わして貰った。学校で一番上手くなると、洋介は悔しがって俺と同じミニバスのチームに入って来た。どうやら誰よりも負けず嫌いな性格らしい。きっと本人はそれを自覚してないが。



 自覚してないと言ったら、バスケの上手さもだろうな。あいつは多分気付いちゃいねー。洋介のおかげで、雨が嫌いではなくなったのもきっとあいつは知らない。そう言えば、雨を好きになったのもこの公園だったな。今日みたいに雨が降っていて、洋介と二人でさ。おっと、やっと来たか。



「――よお。相変わらず時間にだけはルーズ何だな」

「ごめん、遅れた」

「いつも遅れてんじゃねーか。もう慣れてる」

「そっか。ってか、お前何で屋根入らねーんだよ。ずぶ濡れじゃねーか」

「んな事はどうでもいいんだよ。なぁ、洋介。このボール覚えてるか?」

「それって小学校の時の……」


 俺達の目の前にはバスケットゴールがあった。ほとんどが錆びており、ネットは最早無い。一人寂しく、リングだけが残っていた。


「昔、よくこの公園で練習したよなぁ。ミニバス終わってからも二人で。1on1懐かしいよな。あの雨の日、覚えてるか? お前が俺に勝つまでって、結局夜の十一時超えてさ。次の日お互い風邪引いてさ。学校一緒に休んだよなぁ」


 あの頃、俺達の中心にいたのは何時だってこいつだった。


「ミネ、お前に話したい事があるんだ。聞いてくれ――」

「ああ“知ってるよ”。それより先ず、お前が俺の話聞けよ」


 初めて会った時、こいつは一気に俺の心の中心となった。常に皆の中心にいたんだ。ミニバスで全国大会に行こうと言い出したのもこいつだ。優勝しようと言い出しのもこいつだ。三連覇を成し遂げようと言い出したのもこいつだ。バスケを辞めて……皆が辞めたのもこいつのせいだ。それでも、俺に海を忘れさしてくれたのもこいつだ。あの日、四年前のあの日、雨が降るこの公園で笑いながらバスケをさしてくれたのもこいつなんだ。


「やろうぜ、1on1。その“汐らしい”顔、いい加減もとに戻してやるよ」


 あの頃も、今も、そしてこれからも、お前は俺の中心何だよ。皆の中心何だよ。思い出させてやる、お前にあの頃のお前を。根拠の無い自信に満ち溢れているお前を。お前が『山岸洋介やまぎしようすけ』って事を思い出させてやる。そして、そろそろ自覚しやがれ。


 は何時だってお前何だよ。なぁ、洋介。


 

 

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