赤いZ400FXと甲子園

 人生に後悔は付き物だ。どれ程後悔しない人生を歩もうとしても、必ず後から追いかけて来やがる。もうこれ以上は沢山だと泣きながら弱音を吐いてても、上から押し潰して来やがる。後悔しない人生を送るのが一番だがそれは無理だ。例えば、一度でも逃げたした“オレタチ”みたいな奴等には一生付いて来やがるんだ。まるで逃げ出した瞬間、後悔と結婚した人生みたいになっちまうんだ。下らねぇ人生さ。あの時逃げなければもっと別の何かと結婚できてたかもしれないのに。本当、下らない人生だった。だけどよ――。



『心を病んだ少年は、思春期に道を外れ少年から不良になったりする。反抗期も重なって少年はそれが良くない道と分かりつつも進みたがる。自分の中にギラギラとしたどう仕様も無いエネルギーが満ち溢れ、性欲も高まる。人生で一番多感な時期とも言えるだろう。溢れるエネルギーを何処にぶつけていいのかが分からず、大概は親や兄弟に当たり、時には同級生にも手を出す始末。それでも道を外れそうな時はいつも大人達が正そうとしてくれる。かつて、自分達もそうで在った様に。だが、“オレタチ”には其れを正してくれる大人達がいなかった』





 少年達が思春期に不良になるのは、皆それぞれの理由があると思う。一番は家庭環境かも知れない。他の皆は知らないが、俺の場合はこうだ。


 山岸家やまぎしけの次男として俺は生を授かった。家は金持ちでは無かったが、特別貧乏でも無かった。年が五つ離れた兄と、父と母の四人暮らし。猫も二匹いたな。俺が小さい時から、親は仕事で夜も家を留守にする事が多かった。家族四人が揃うのは土日くらいなもので、平日はいつも兄と二人で一緒に留守番をしていた。確かに親と中々会えず寂しい思いをしてはいたが、五つ離れた兄のお陰で孤独と感じた事は一度たりとも無い。

 俺のこの兄がまた面白い人で、とにかく言う事喋る事何もかもが面白い。大変口達者で、おまけに頭もすこぶる良かった。ついでに歌も大変上手く、兄の歌う歌を毎晩子守唄にして、俺は眠りについていた。勿論、スポーツも何をやらしても出来る人で、兄が中学三年の時はバレーボールの京都選抜にも抜擢されていた。尚且つ、通知表の成績はオール5ときた。どうやら絵のセンスもズバ抜けていたらしい。此処まで来ると最早意味が分らないが、文武両道とはこの人の為の言葉だと思った。最後の落とし処は、顔もかなりの男前な事。女子にもいつもモテモテだ。俺はそんな兄の事を大変尊敬していたし、又自慢の兄でもあった。親も兄の将来にはかなり期待していて、ゆくゆくは東京大学だとか、官僚だとか騒いでいたっけ。


 歯車が狂ったのは、父が会社をリストラされたぐらいであろうか? 四人で揃う土日もいつの間にか家族団欒の会話は無くなり、母は段々と料理を作らなくなった。その時ぐらいからか、兄の様子がおかしくなった。スポーツ推薦でバレーボールの強豪高校に進学した兄だったが、いきなりバレー部を休部したのだ。何があったのかは詳しく聞いてないが、先輩と馬が合わなかったとか、いじめられたとか後になって聞いたな。


 将来を期待された自慢の兄であったが、次第に非行に走る様になり親とは何時も喧嘩をしていた。その喧嘩もひどいもので、終いには母は包丁を持って兄を刺し殺そうとした時もあった。それも日曜日の真夜中で、俺がまだ小学六年生ぐらいの時である。夜中に叫び声と怒鳴り声で目を覚ました俺は、其の光景を目の当たりにしてとにかく必死に母を止めた。鼻を刺す強烈な匂いに気付いた俺は、リビングが母の排泄物だらけの事に気付く。どうやら兄が母のお尻辺りを蹴り、漏らしていた様だ。今でもあの光景と匂いは思い出したくも無い。

 兄も兄で悪いのだ。自慢の顔を活かして、女をとっかえひっかえと、毎晩部屋に招き入れていたのだから。毎夜毎夜、家中に響く女の淫らな声。中には半無理やりする事もあったらしく、その仕返しで女の彼氏なる者が家に押し寄せてくる事も多々あった。兄はいつも血だらけで帰ってくるし、さすがの母も我慢の限界が来たのであろう。


 昔から寡黙な父であったが、この時ばかりは声を大にして叫んだ。会社をクビになり、自ら会社を立ち上げた矢先に『兄の非行』である。何より一家の大黒柱としての不安と重圧もあったには違いない。いいや、きっとそうだ。だけど俺はこの時の父の言葉を今でも恨んでいる。


「お前等、全員この家から出て行け!」


 お前等? 全員? そう、俺も含まれているのである。何故か俺も含まれているのだ。当時小学生であり必死に母を止めていた俺に、母の漏らした排泄物を掃除していた俺に、何もしていなかった俺にでさえ、父はそう言ったのである。

 父のその一言が俺は許せなかったし、泣き叫びたい程に傷ついた。確かに兄に比べれば俺は出来損ないだ。顔も普通だし、勉強も出来ない。でも『バスケ』だけは出来たんだ。ミニバスで全国優勝もしたんだ。俺も親に認めて貰いたかったんだ。しかし、父から出た言葉は非情な言葉であった。

 その日、兄はそのまま出て行くし、母はそのまま救急車に運ばれ、父は母に寄り添う事も無く寝室に戻って行った。かつては家族一家団欒の日曜日であったけれども、俺の中では最悪の日曜日となる事になる。何時しか、俺は家族が大嫌いになっていた。あの自慢の兄でさえも。もう二度と思い出したくもない、小学六年の日曜日の夜の事であった――。





 俺自身が兄の様に変わったのは中学生になってからだ。運がいいのか悪いのかは分からないけど、進学する中学校が荒れに荒れていた。こんな荒れた学校は映画や漫画の中だけだと思っていたが、実際に目の前にあったので大分驚いた。


「ぶっころす!」


 そんな物騒な言葉が聞こえてきたのは、入学式の次の日くらいだろうか? バイクの騒音がグラウンド中に響き渡り、俺も皆と一緒に野次馬の様に窓の外を見た。見ると、上級生と卒業生(多分)が誰かと喧嘩をしていた。よく見ると騒動の真ん中に、鬼みたいな人間が悠然と立っていた。鬼が十数人のクソガキ退治をしていた様である。後にその鬼が教師と知り、そしてバスケ部の顧問だと聞いた時には少し足が震えたのは内緒である。


「あー、生徒指導担当でバスケ部顧問の泉広洋いずみこうようだ」


 俺達は当然の如くバスケ部に入った。そして泉先生は初日の日、短い挨拶をした。何か脅されるのかとひやひやしていたが、何て事はない普通の挨拶で拍子抜けした記憶がある。だが、その後が大変だった。


「今年の一年は何でも全国を優勝した奴がほとんどとか聞く。ええか、よー聞けよ。どんだけバスケが上手かろうが俺がいいって言う迄は絶対に試合には出さんぞ。出たけりゃ死ぬ気で練習をしろ」

「はぁ? 何だそりゃ。俺等、先輩方より上手い自信あるんだけど? 勝ちたかったら俺等出せよなー」


 すかさず先生に口出した奴がいた。名前は上代翔かみしろしょう。翔は何というか手も早ければ足も速いし、おまけに口を出すのも早かった。彼はそういう性格なのだ。そして翔は、体育館の空中を舞うように飛んだ。いや、飛ばされた。やられるのも一番早いのは何時だって翔だ。後、かなりの馬鹿でもある。


「このクソガキが。俺はお前等みたいな調子に乗ってる奴が大嫌いじゃ。ついでに根性無しと自分自身に驕ってる奴もなぁ。お前等より上手い奴なんざ山ほどおる。ええか、もう一遍いうぞ。試合に出して欲しかったら死ぬほど練習せい。一日でも休んだら知らんぞ」


 泉先生はそう言って、何故か俺達全員を殴り飛ばした。正直意味が分からなかったが、今思うとそれが泉先生なりの不器用な挨拶だったのかも知れない。翔は馬鹿だから、懲りずに何回も先生に立ち向かっていた。

 先生の練習メニューは大変厳しく、本当に死ぬ気がした。一年は、練習のほとんどがフットワーク(六割が外回りのランニング)のみで、ボールに触る事は無いに等しかった。しかし上級生の練習風景をみていると効率的であるし、とても巧い教え方をしていると思えた。何というか、言葉では形容しづらいが今までには無かった教え方で、他の皆も泉先生の話を食い入る様に聞いていた。翔太に関してはメモまで取っていた。

 その頃、俺の家庭環境はもう最悪で、家の中は誰かの怒鳴り声と女の鳴き声しか聞こえなくなっていた。当然俺は家に帰らなくなり、悪い先輩達と運命という必然の如しと仲良くなり、導かれるまま夜の闇を彷徨う事となる。

 でも、この時はまだちゃんと学校に行っていたんだ。授業には出なくても、ちゃんと部活だけには行っていた。むしろ早く試合に出たかった俺達は、昼一番で体育館を占領してバスケの練習をしてたりもした。無論、泉先生にこっぴどく怒られはしたけどさ……。ああ、そういや、この時の先生は何処か笑ってたっけ。死ぬ気で練習してたからかなぁ。

 本格的に学校にも部活にも行かなくなったのは一年前の夏だ。丁度三年が引退して、いよいよ俺達の代だと言う時に、俺はひどい事故を起こしてしまった。バイク単独の事故だったが……俺の後ろにはしまが乗っていた。

 幸いな事に、単独事故で第三者はいないし“怪我”は俺達だけで済んだ。命も何とか無事だ。この時の俺は分からなかったけど、お巡りさんや、通報してくれた人、救急隊員、そして親や先生にかなりの迷惑を掛けた事であろう。


 しかし、その“怪我”が厄介であった。……俺は右足首靭帯損傷、島は靭帯断裂。バスケをするには痛すぎる怪我であった。


 因果応報と言われればそうかも知れない。全ては自分が招いた結果だ。それでも、其処から這い上がってでもバスケをやり続ければよかった。部活を休んでいる間に皆に追いつかれたと思わなければよかった。あの時、バイクに乗らなければよかった。俺一人ならどれだけよかった。バスケが一番上手いと調子に乗っていたのは俺だ。驕っていたのも俺だ。だけど、結局俺は逃げ出したのだ。結局俺は、家からもバスケからも先生からも友達からも逃げてしまった。全てから逃げてしまった。結局、根性無しは俺だったんだ。





「なぁ、島……」

「おーどした?」

「俺さ、この集会終わったら石上いしがみさんに言おうと思う」

「言うって何をだよ」

「このチームを抜ける事」

「ははっ、また急だな。抜けてどーする?」


「……インタハーイに行く」


「え!? なになに、洋介インターハイ行くの!?」

「てめ、翔! 声でけーよ! てか盗み聞きすんな!」

「盗み聞きじゃねーよ、聞こえてきたんだ。なぁ翔太?」

「まぁな。ってかよ、ずっと待ってたよ。お前のその言葉」

「待ってた……?」

「皆、お前と一緒だったって事だろ。洋介、今日は俺とお前がケツ持ちだ。フォアに遅れんなよ? 最後の走り何だからよ」

「明……。アホ抜かせ、俺のベスパはフォアより速い」

「言ってろ」

「んじゃあ、最後の一っ走り行きますかぁ! 夏も、もう終わりだしなぁ!」

「だからお前は一々声がでかいんだよ、馬鹿やろう」

「バカじゃねーよ、バカにすんな」


 そんな俺達を見て、島は突然腹を抱えて笑い出した。「ははっ、お前等全員最高に馬鹿だよ。インターハイ行く前に先ずは、高校受験受からないとよ!」


「そりゃそうだ。大丈夫か翔太?」

「それはおめーだよ!」

「俺をこいつらと一緒にするなよ、島。それに今の一番の目標はこのチーム抜ける事だろ? 終わったら皆で石上さんとこ行こーぜ。最悪の場合、姉貴を出す」

あやさん、梶浦かじうらさんの元彼女だもんなぁ。ガンバレよ、翔太君」

「だから、うっせーって!」


「おうっ! お前等行くぞ! 全員事故んなよ!」


『うすっ!石上さん!』


 十五歳になる夏の終わり頃。2ストエンジンの音とカストロールオイルの甘い匂いが、再び俺達を包んだ。爆音を鳴らしながら俺達は南の街にへと繰り出す。ギララギラと光るテールランプやネオン管を見ながら俺は思う。この景色とこの音もこれで最後なんだと。情けない青春の最後の夏夜空が、俺達の真上を駆け抜けた。ふと気が付くと、足首の傷はもう疼かなかった。





「で、おめーら話って一体何だ?」


 八月十五日。集会終わりに俺達は石上さんにチームを抜ける事を伝えるべく、石上さんの前に整然と整列をしてしていた。時刻は朝の七時過ぎ。空はもう明るいし、太陽も既に昇ってきていた。いつもの溜まり場である駅のホームには、スズメの声が夏の朝と共に鳴り響いていた。のどかな田舎の風景ではあるが、下手をすればこれから起こる事はこの風景に似ても似つかわしくない程に一変するかも知れない。

 石上悟志いしがみさとし。中学の二つ上の先輩で、初めて知り合ったのは俺達が中学一年の時だ。同じバスケ部であったが、石上さんが部活に顔を出している所を見た事が無い。恐らく俺達と同じなのであろう。そういえば、入学式の次の日に泉先生にぶっころすと叫んでいたのはこの人だったな。

 聞いた話によると、昔はスポーツ少年だったらしくバスケも相当な腕前だったらしい。バスケ部なのに何故か野球部の試合に出て野球部より活躍したという逸話もある。性格はとにかく熱い人で、そして硬派だ。自分の信念を貫く人で曲がった事が大嫌いな人だ。その様な人が何故この様な道を歩いているのかは分からないが、とにかく怒らすと怖い。非常に怖い。後輩思いでいい人なのは間違いないのだが、一旦スイッチが入ると最早誰にも止められないレベルの人間となる。ゆえに憑いた仇名が、『切れたらヤバイ石上悟志』さんだ。そのままである。とりあえず、怒らしたらヤバイのだ、大変な目に遭うのだ。そんな人に、チームをいきなり抜ける何てこれから言うものだから果たしてどうなることやら。


「……石上さん、俺等チームを抜けようと思っています」

「ああ? 何言ってんだいきなりよ」

「すいません。色々と勝手なのは自分達でも分かっているつもりです」

 

 俺は意を決して、石上さんに思いを伝えた。すると石上さんは無言のまま煙草を咥え火を点けた。若干だが目付きが変わったのが分かる。これはヤバイやつかも知れない。


「本気で言ってんのか? お前等全員か? ぁあ?」


 さらに目付きが鋭く変わる。ヤバイやつだった。これはヤバイ石上さんだ。俺達は覚悟をした。肋骨は頑張って守ろう。歯は何本か折れるかも知れないが致し方ない。そういや、前に石上さんを怒らした違うチームの奴はまだ入院しているって聞いたな。入院だけは嫌だな。


「抜けて……抜けてどーすんだ。来年からはお前等の代だぞ。それを分かって言ってんだろーな」

「学校に、高校に行こうと思っています。チームの事は本当にすいません」

「高校にってよぉ、今からか? 洋介よぉ、お前今からいきなり真面目に生きますってか? だからチーム抜けますってか? そんな勝手な理由で抜けれると思ってんのか? おお、どうなんだよ!」


 切れたらヤバイ奴が俺の目の前まで迫って来た。これはヤバイ、ノーガード状態だ。ってか体が動かねー。硬直しまくってます、はい。


「い、イン、インターハイに行きたくて!」


 声が裏返ったし、噛んだ。駄目だ俺、きっと今日死ぬんだ。


「はっ、何だそりゃ。もう一回バスケやりますってか……立派な大義名分あるんじゃねぇか」

「えっ?」

「えっ? じゃねーよ」


 突然、笑顔になった石上さんは俺の頭を叩いた。その手は拳の形では無く、大きくて温かい手のひらの形をしていた。


「もう一回バスケやるって事だろ? そーいや、お前等小学校の時は全国優勝したんだってな。いいんじゃねーの? 何の意味も無く高校行くってだけじゃチーム抜けさすつもりはなかったけどよ」

「石上さん。じゃあ……」

「あ? そうだよ、いいって言ってんだ。俺から梶浦かじうらさんに話つけとく。ま、俺も前々から思ってからなぁ。お前等には単車より、体育館の方が向いてるぜ」


――そう、下らねぇ人生だ。だけどよ、コイツ等は“オレタチ”とは違う。まだまだやり直せるんだ。何もオレタチみたいに後悔と結婚する必要何さねぇさ。下らねぇ俺の人生だったけどこいつらを正しい道に導いてやる事ぐらいは出来る。其れが俺の人生の中で唯一下らなく無い事だ。


「なぁ、お前等。オレみたいにはなるなよ? 絶対行けよ、高校によ。次はもう逃げだすなよ? 逃げても良い事なんざ何一つねーからな。梶浦かじうらさんと話ついたらまた言うからよ」


『はいっ! ありがとうございました!』


「何で全員ハモってるんだよ、おめーら仲良しこよしか。にしても、まだ朝なのに暑いなぁ……。まぁこーやって、言ってる傍から夏は終わるもんだけどよ」


 これでいい、これで良かったんだ。俺はもう戻れない。そうだろう泉よぉ。これで俺も少しは“立派な大人”になれたか? まぁ、もう無理か。俺の背中にはもう立派な墨がはいっちまってるしなぁ。それでもよ、今日の事は天国にいるお袋にも胸張って言える事だぜ。それでは、これからは立派なクソガキとして生きて行こうじゃあねぇか。


「じゃあ俺は帰るわ。おめーらは絶対行けよな、甲子園」。石上さんは煙草を吸いながらそう言い残して、愛車の赤いZ400FXと共に朝日に背を向ける様に走り出した。



 平成十五年、八月十五日の朝。俺達は『切れたらヤバイ石上悟志』さんを怒らせる事無く、チームを抜ける事に成功する。何が石上さんを急に優しくさせたのかは分からないが、石上さんの去り際の姿と言葉は今でも忘れられない思い出だ。


 毎年夏の終わりが近付くと、偶に石上さんの事を思い出しては笑いそうになる事がある。夏の朝の石上さんの後ろ姿と、あの時言われた言葉をどうしても思い出してしまうのだ。俺達が目指すのは甲子園ではなく、インターハイだと。きっと皆突っ込みたかっただろうけど当時は出来なかった。何故ならあの時、皆泣いていたからだ。だから、今でも忘れられない石上さんとの想い出なのだと思う。

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