夏の轍
六月一日の昼過ぎ。俺は、段々と唸る様な暑さを肌で感じていた。気が付けば、いつの間にか蝉が鳴き始めていた。駅のホームで煙草を吸っていた俺は、改めてこの地元が田舎だと実感する。山々に囲まれている京都市だが、俺の地元はさらにその最北端だ。ようするに京都市の一番北の方にある。ならば涼しいのではないかって? それが暑いんだ。北でも暑い所は暑い。
昔は、辺り一面田んぼか空き地であったが、今は新築の家が立ち並ぶ様になっていた。何でも田舎暮らしが最近の流行りみたいである。こんな所に住んで何がそんなに嬉しいのかは分からないが、きっと人それぞれ何だろう。
「こんな何もない所に住んで何がしたんいんだ、この野郎共」
俺は吸っていた煙草を、遠くの方にある新築の家に向かって投げた。だが、俺から一メートル程離れた所で煙草は着地した。
「あらま、あの家まで飛んで行くかと思っていたんだけどな」
現実はこんなものである。新築の家が建っているその場所は昔、翔とよく遊んでいた場所でもあった。ガキの頃は舗装もされていない道が、気が付けばアスファルトに変わっていた。皆とクワガタを採りに行ったあの小高い山も、今は形すら無い。あるのは小高い丘の上に出来た高級住宅街である。団地生まれの俺だが、あの高級住宅街に住みたいと思った事は一度たりとも無い。俺は唯、返して欲しかった。俺達が昔よく遊んでいたあの山を、あの思い出を返して欲しかった。
だが現実は非情だ。この数年で、俺達の地元は様変わりした。市の開発計画だか何だか知らんが、ガキの頃とはまるで何もかもが変わっちまった。
「変わったなぁ。この場所も、俺も」。地元が変わって行く事にやさぐれていた俺だが、去年の夏迄はちゃんと学校に行っていたし、部活もしていた。大好きなスポーツの為に学校に行っていたと言っても過言では無い。それも今はもう辞めちまったけど。
「あれ、翔太じゃん。何してんだ、一人で」
二本目となる煙草に火を点けた俺に、声を掛けた奴がいた。名前は
「よぉ。俺は黄昏てた。明こそ学校に行くのか? 仕事は?」
「今日は午前で終わり。ってか、翔とお前から連絡あったから来たんだけど。何だ、大作戦って?」
「あー、行かなくていいよ。今日からプール開きだろ? 明は知らないだろうけど、そうなんだよ。で、翔が女子更衣室に行くんだとよ」
「ああ、成程。そいつは下らねぇな。島と洋介も?」
「うん。あいつらは女子の裸が見たいらしい」
「ははっ。相変わらずの三馬鹿トリオだな」
「全くだ。明はどうすんだ、今から」
「んー、ヨンフォアでもいじるかな。翔太は?」
「俺は暇。手伝おうか?」
「まじ。助かるわー。じゃあ俺ん家行こうぜ」
「おう、でも腹減ったわ。何か買ってから行こうぜ」
「ああ、それなら姉貴家にいるし何か作ってくれると思う」
「まじで!
「……翔太、もしかして姉貴に惚れてる? まぁいいけどさ。ついでに補足情報。最近、
「おおおおお! まじかよ! 早く行こうぜ明! 彩さんの手料理食べによ!」
「いいけど、ちゃんとヨンフォアの整備は手伝えよ?」
大好きなバスケットとは、一年前の夏ぐらいからずっと携わっていない。それで人生が楽しいかって? これが楽しいんだ。刹那に生きるのも悪くは無い。今さえ良ければそれで良いんだ。この一年間、ずっとそうやって誤魔化しながら生きて来たから。だからこれからもそうする。何より彩さんの手料理が食べられるんだ。今、俺は学校に行ってなくて良かったって本気で思っているよ。本気でそう思っている。
「いいか、お前等。絶対に足音をたてるなよ。とにかく近付く時は、抜き足すり足忍び足で行け」
声を殺しながら、翔は俺達にレクチャーした。こいつの眼は真剣である。そして俺達も真剣である。経験した事はないけれど、きっと敵地に潜入するのはこのぐらいの緊張感なのかなと俺は思った。なにせ、見つかれば学校社会的に死ぬのだから。絶対に見つかっては行けない大作戦を俺達は今から行うのだから。
「目標は、ざっと二百メートル程先にある女子更衣室。今、目標に標的達が入ったな……」
俺達は、プールのすぐ横にある女子更衣室から離れた校舎の陰に潜んでいた。翔が双眼鏡を取り出し、およその距離を俺と島に伝えた。何で双眼鏡を持っているんだとは聞かない事にした。よく見ると多分結構値が張りそうな双眼鏡だ。
「軍曹! 早く突撃の許可を! 何せ時間がありません!」
「あせるな、島伍長。焦りは作戦失敗の一因となる」
「ですが……!」
成程、そーいうノリか。俺も乗ろう。
「上代軍曹、しかしここから目標迄の距離はおよそ二百メートルほど。早く行かなければ女子の着替えが終わってしまいます。そうなれば俺達は楽園に辿り着けません! 楽園に辿り着けなければ、何故ここ迄来たのかが……これでは故郷のおっ母とおっ父になんて報告すればいいのです!」
「泣くな、山岸二等兵! 策は打ってある!」
「何で俺が二等兵何だよ! 島は伍長だろうが!」
「うっせーって、静かにしろよ! いいから俺に続け、行くぞ!」
俺達は上代軍曹の指揮の下、無事目標のすぐそこ迄来た。誰にも見つかる事無く、校舎裏を通り、体育館の裏道を突き進み、見事女子更衣室に辿り着いたのだ。
「軍曹、ここからどうするのです? 目標の正面扉は施錠されています!」
「真正面から行っても、犬死にするだけだ。さっき言ったろ、策は打ってあるって。あそこの小さい窓ガラス。あれの鍵を事前に開けておいた」
「さ、さすが軍曹! では私達はあそこから……!」
「ああ、そうだ。島伍長殿。思う存分見るといいぞ、ミヨちゃんの裸をな」
どうやって鍵が掛かっている女子更衣室に入り、どうやって小さな窓ガラスの鍵を開けておいたのかは知らないが、こいつの執念は凄いと思った。
「おい、島早く変われよ! もういいだろう!」
「待てって洋介! よく見えねーんだよ、眼鏡忘れたから!」
「何で忘れてんだよ! 俺も見たいんだよ、早く変われよ!」
俺と島は、人の顔一人分もない窓の面積を取り合っていた。
「あっ。……やべ」
「あ!? なんだ翔!? ってかいいから早く変われよ、島! お前見過ぎな!」
その時。俺と島の耳に、鈍く清々しい程の乾いた音が聞こえた。ふと、窓から目線を外し翔の方を見ると、翔の野郎は空高く飛んでいた。それも口から血を流しながら。その光景は何故かひどくゆっくりと見えた。脳がオーバークロックしたのかも知れない。
「い、
そう叫んだ島は、一瞬で泉に間合いを詰められ見事な上段蹴りを喰らい一撃でノックダウン。すかさず身構える俺だが、相手は人間では無く百九十センチメートルを超える鬼だ。どうする? と考えた瞬間、俺の記憶は飛ぶ。泉の一撃を鼻先にモロで喰らい、俺も空を飛んだ。人が殴られて空を舞う何て漫画みたいな話ではあるが、俺達の目の前には漫画みたいな奴が実際にいたのだ。事実、俺達は殴られて空を飛んでいる。
「お前等何をしとるんじゃあ!」意識が朦朧とする中、鬼の叫び声が聞こえた。時間にして三秒も無かったと思う。一人一秒で一発づつ。其れは早過ぎる敗北であった。
「煙草臭いのぉ! ええ!?」そう言って鬼は、倒れている俺達の腹部に一発づつ蹴りを入れた。俺も島も翔も、一斉に胃液を吐いた。昼飯を食べる前で良かった何ては言ってられない。死ぬ程痛かった。勝負はもうついているのに、追い打ちをかける何て人間の所業ではない。
「来い! 根性叩き直してやる!」鬼は、俺達三人の制服の首の襟を掴みながらずるずると引きずって生徒指導室に向かった。
昨今、教師による体罰が問題になっているらしいが、当時の俺達からしたら鼻で笑うしかない。鬼こと、
中学二年頃から部活に行かなくなった俺達だが、しばらく泉との抗争は続いた。闇討ちを行った事もあるが、見事返り討ちにあう。腹いせに泉の車をパンクさしてやったがこれ又見事にバレて、結果血だらけになった時もあった。泉はとにかく強かった。二十戦中、零勝と二十敗。それが俺達と泉の戦績だ。人間では無かった。人の皮を被った鬼である。正に俺達の天敵である。絶対に勝てない天敵であった。いつからか、天敵と出逢わぬように学校に行っていたのだが、翔のせいで見事に会敵。屈辱の二十一敗目を人生の歴史に刻む事となる。
人の皮被った鬼こと泉広洋だが、人の心を持っている事に気付いたのも『六月一日プール開き事変』の事である。いいや、最初から分かっていた。泉先生が人である事は。
当時、変わっていった俺達を、誰もが見放していたし見捨てていた。上辺だけの有り難い説教にも飽き飽きしていた。家族の言葉ですら俺の耳には入って来なかった。中途半端に生まれの事を同情した先生を殴ったのは、ミネだった。中途半端な同情なんかいらない、半端な優しも愛もいらない。俺達は皆そう思っていた。俺達は人の皮を被った寂しがり屋の狼だと気取っていたのだ。
だが泉先生だけは違った。ミニバスで全国大会を優勝し、驕っていた俺達に強烈な一発を浴びせたのも先生であった。とにかく容赦が無かった。手は早いし、蹴りはやたらと重く、倒れても立てと言う。まるで根性論の塊の様な人間だ。しかし、その暴力の中には愛があった。俺達がどれだけ道を踏み外そうとも、真剣に正そうとしてくれる確かな愛があった。
当時は気付かなかったその愛に……もっと早く気付いていればなぁと、俺は今でも思う。
「明はさ、卒業したらどうすんだ?」
「どうすんだって、何も決めちゃいねーよ。でもまぁ、進学は無理だろ。働くかな。翔太は?」
「やっぱそうだよなぁ。俺も進学は無理だと思う。何せ勉強してーねーし」
「バイク乗ってるからな」
「ほっんと、それな。……初めてさ、石上さんの後ろに乗った時、コイツは何処までも何処までも行ける乗り物だって思ったもんなぁ」
「お前、初めてが石上さんの後ろだったのか。あの人運転荒いだろ」
「まぁな。普段の性格も荒くて熱いけどな」
「間違いねぇ。翔太、喉乾いたか? 何か買ってくるよ。ヨンフォア手伝って貰ってるし」
「おっ、いいのか? サンキュー。じゃあメロンソーダ頼むわ」
「はいよ。にしても、今日は暑いな」
「もうすぐ夏だかんねー……」
そう、もうすぐ夏が始まる。中学三年最後の夏が。空は嫌と思うほどに青かった。ふと、自分の手を見ると油とすすで真っ黒になっていた。油蝉の鳴き声が段々と耳に響く。それでも太陽は容赦なく俺達に降り注いだ。今年も又、俺の大嫌いな夏がやってきたらしい。
「あれ? 翔太君じゃん。何してんの? 学校さぼってるのかー若人よ」。空を見上げていた俺に、声を掛けた人がいた。「あ、彩さん! こんちわっす!」
名前は
「あ、姉貴じゃん。ちょーどいいや、何か飯作ってよ」
「明、あんた学校も行かないで何してんのよ」
「あ? 姉貴には関係ねーだろ」
「関係あるわ、バカ! 学校には行け!」
「あの……」
「あ、翔太君ごめんね。お昼ご飯作ってあげるから学校には行きなよ?」
「てめーには関係ないだろ」
「彩姉様だろ、明。つっぱるのはいいけどさ、学校にだけは行っときな。せめて中学だけは」
「行かなくても、卒業は出来るだろ」
「はぁー。冷めてんねウチの弟は。翔太君は必ず行きなよ? あんた等は、分らないだろうけど中学迄は大人もあんた等の面倒を嫌でも見なきゃ行けないのよ。それが義務教育ってもんだ」
「いいから早く昼飯作ってよ」
「はぁ。作ってあげるから、早く学校には行きなよ。どうせ今の君達に言っても無駄だとは思うけどさ、卒業したらもう二度と学校には行けないんだからね」
俺は、彩さんの言った言葉に何故か胸が苦しくなった。「就職なんかしたら、黄金の夏休みは二度と来ないんだよ?」
そうだ。この一年間、ずっと胸に引っかかっていたモノが何か分かった。もう二度と来ないんだ、この学生生活は。俺達がこのまま卒業すれば何もかもここで終わってしまう。これでいいのか? 本当にこのままでいいのか? 何か大切な事を忘れてやしないか? でも、一体なんだった? いや、知っているさ。バスケットだろう。ああそうさ、俺の一番大好きなバスケットボールさ。畜生、畜生、本当何で辞めちまったかなぁ。もうすぐ中学最後の大会じゃねぇか、畜生。
油蝉の声は嫌と言うほどに、俺の耳に響いた。空は嫌と思うほどに快晴であった。季節は夏。昔は大好きな夏であったが、今では大嫌いな夏が俺の目の前に広がっていた。何故嫌いになったのかって? 今の俺に……あの時の体育館の音はもう聞こえ無いのだから。
「何で俺が“お前等”にこんな怒るか分かるか?」
『分かるかぁっ! ボケナス! アホンダラ! しねしねしね! いてまうぞこらぁ! 何上から目線やねんボケナスー! ぼけなすー! あほーあほー! この痛み末代まで忘れへんからなぁ!』
と、言えないのが現状である。顔の腫れ上がった俺達三人が言える言葉ではとてもではないが無かった。腫れすぎて体全体が熱く、頭も痛いし、あちらこちらがとにかく痛い。生徒指導室――通称、地獄の折檻部屋。其の部屋に入ったら最後だ。泉による指導の名の下、拷問と言っても過言では無い正義の暴力が待っている。入れば、三日は動けない体となるらしい。今の俺達のように。
「俺はな、“お前等にあいつ等”の様な人間にはなってほしくないからここまでやるんじゃ。あんな情けない奴等にはなるな」。何を言っているんだこいつはと思った。いや、言っている事は分かる。きっと石上さん達の事を言っているのであろう。あの人達もバスケ部のOBなのだから。
「“立派な大人”にならんかい。お前等の親がどれだけの思いで、お前等を産んだのか分かるか?」
あーあー、言っちゃったよ。結局、コイツも他の奴等と一緒だ。俺達の事何て何も分っちゃいねぇ。ミネがこの場にいなくてよかったな、泉広洋め。あ、そーいや翔の奴も確か……。
「親なんて糞なんですけど。酒ばっか飲んでる糞以下の糞何ですけど。どれだけの思い? 知るかよ、そんなの。先生よぉ、そー言うんだったら今すぐ俺の親父に酒飲むの辞めさせてよ。お袋叩くの止めて見せてよ。お袋にもう一度逢わせろよ、なぁ、先生。俺のお袋と弟は何処に行ったんだ? 教えろよ、なぁ教えろよ! 先生よ!」翔がそう叫んだ瞬間、彼はまた空を舞った。一日に二度も泉に空を舞わされたのは、きっと翔が初めてであろう。
「この俺がお前等の家庭環境の話何て知るかあ! 俺が云うとるはなぁ、お前等が生まれた瞬間の話をしとるんじゃ! ええか、よく聞けよ。お前等が本間に愛されてない子ならなぁ、お前等は生まれる前に殺されとるわい! 俺はそんな親を今迄何遍も見て来た! 親になる資格も無い子供をな! そやけど、お前等は今こうして生まれて立派に成長しとるじゃないか! 今のお前等の家庭環境なんて俺は知らん! そんなものは自分でどうにかしろ! お前等、もう子供じゃないやろうが! ……ええか、よぉー聞けよ。お前等のお母さんは死ぬほど腹痛めてお前等を産んだんじゃ。その横にお前等の親父さんもおったかおらんかは知らん。それでも今もお前等の母親と一緒にいるって事はそーいう事なんじゃ!」
どーいう事だよ。ほんと何言ってんだ、こいつ……。わけわかんねぇ。
「最後の試合には必ず来い。強制や。いいな、必ず来い」
泉広洋は、そう言い残し生徒指導室を出て行った。翔は相変わらず伸びている。最後の試合って……いつだ? 「七月二十二日。全中の地方予選が始まる」。島が俺の心の問いに答える様に言った。島の目は何処か澄んでいる瞳をしていた。眼鏡をしてないからだろうか?
「最後の試合って、勝てば最後では無いだろう」。伸びている翔を二人で背負いながら廊下を歩いていた。
「でもよ、負ければ最後だ」。島も“踏ん張って”翔を支えていた。
「だから、来いって言ったんだろう。アイツは」
廊下にある窓ガラスから夕陽が射し込んだ。グラウンドからはサッカー部や野球部とかの掛け声が聞こえて来た。音楽室からは吹奏楽部の下手くそな演奏。いつの間にか夕方だ。
「出ろって事か? 俺達に?」
「まさか。ま、行けば分かるだろう。あいつの思惑に」
「
島の眼は何処か哀しそうに見えた。校舎を出てからというもの、島はグラウンドのずっと奥にある体育館の方を見ていた。
「野球部もサッカー部も頑張ってんねぇ。後一ヵ月で中学最後の大会だ。この下手くそな吹奏楽の音とも後少しでお別れ。夏が終われば、皆受験勉強ににまっしぐらさ」
「いきなりどうしたんだよ、島」
「
「んなの、わかんねーよ」
「なぁ、俺もわかんねー。お前がわかんねーだったら俺達もわかんねぇ」
「意味わかんねーよ」
「洋介。お前さぁ、もう『バスケ』やらねーのか?」
「……それが言いたかったのかよお前。帰るわ、じゃあな」。俺はどう仕様も無いくらいに胸が締め付けられた。一番言われたくない言葉を一番言われたくない奴に言われたからだ。“手前”はもう絶対に出来ないくせにさ。
俺が、島と伸びている翔を置いて帰ろうとしていた六月の夕方頃。俺は又しても会いたくなかった奴等と会ってしまう事となる。平成十五年の六月一日は、俺達に容赦なく物語を進めさせた。
「山岸……」
「……何だ、ゴリポンじゃん。サトルもタマも。久しぶりだなぁ、おい」
「学校来てたのか。その顔どうした」
「ああ? 何でもねーよ、転んだ」
「泉先生か。何したんだ、次は」
「だからちげーって! ころすぞ!」
「もう、迷惑は掛けるなよ。無茶もするな」
「なんで、お前は俺に上から目線何だよ、ああ!?」何処かイライラしていた俺を、島は必死に止めてくれた。でもゴリポンはそんな俺を哀れみの目で見ていた。その目に俺は余計と頭に来た。
「七月二十二日、“最後の大会”何だってな。俺達も行ってやるよ。負けそうになったら俺が出てやんよ」。俺は嫌味たっぷりに言ってやった。
「いらないよ」。一言、ゴリポンは俺にそう言い返して消えて行った。俺はその一言で余計に腹が立った。どう仕様も無いくらいに腹が立ってしまったのだった。
平成十五年、『六月一日プール開き事変』が勃発し、次の月には『七月十五日の復讐と化した蒼きプール政変』が起こる事となるのだが、今回も割愛しとくとする。割愛しといては何だが、この政変が俺達を変えた。絶対に行かないと決めていた、中学最後の夏に出席する事になったのだから。出席と言っても、向かう先は学校でもなければ教室でもない。西京極総合運動公園、その一角にある体育館だ。
俺達、
「顔いてー」
「明ちゃんの甘い顔が台無しだのぅ」
「うるーせーよ。お前の方がすげー腫れてんじゃん」。そう言われた
「なぁ、さっきすげー可愛い子いたんだけど。どっかのマネージャーかな?」
「何だと、島伍長! そいつは何処だ!?」
「翔、もうそのノリいいから。今日ぐらいはやめとけ」
「おい、二回戦始まったぞ。次も勝つかな?」
「どーせ、負けるっしょ」
「味方なのにひでー事言うなぁ、翔は」
「だって俺等いねーじゃん」。翔と翔太がそんな事を言っていた。確かに、それはそうだ。そうなのだ。でも違うんだ。
「ああ、タマのやろー! もっと当たれよ! 煩わしいなぁ! 今から行くかぁ?」
「やめとけ」
「……何で泉は、俺等にどうしても来いって言ったんだろうな?」明が気怠そうに、下のコートで行われている試合を見ながら呟いた。試合は劣勢。と言うか、第四クォーターで二十点以上の差がついていた。時間は残り五分。明らかに負けである。
やがて試合終了のブザーが鳴り、俺達の
ふと会場を見ると、ゴリポンは泣いていた。サトルとタマも泣いていた。俺もあいつ等の泣いている顔を見て泣きそうになったが、泣く資格は無いと実感する。泣いていいのは、三年間逃げず己に立ち向かい、身も心も鍛えた者達の特権であると思ったからだ。俺はなにもしていない。何もしてこなかった。何も為していない。きっとそれは俺以外の皆もそうだったろう。気付けば俺達はいつの間にか別々に席を立ち、そしてそれぞれの家路へと向かって行った。
泉広洋が俺達にどうしても伝えたかった事は、きっとこの思い何だろうなと思った。“後悔”。それに尽きる。誰もが思っただろうさ。あそこに、あの場面に、あの瞬間に俺達がいたらと……。だが、俺達はベンチにすら入れず観客席だ。三年前、凛と輝き咲いていた“栄光の花”はいつの間にか枯れていた。
一人で帰る家路の途中。俺はふと、地面に落ちている週刊誌を読んだ。『バスケの神童、
俺は、記事一面に載っている『そいつ』の顔には見覚えがあった。ミニバスの全国大会に行く前の地区大会決勝で当たった事がある。しつこく俺をマークしていたな。眼を見れば分かったっけ、負けず嫌いだと。
「……神童ね。此処にもいるかもしれないよ、神童がさ」。俺はポケットから煙草を取り出し、そのまま口には咥えずジッポごと夜空に投げ捨てた。
「行くか……インターハイ。きっとそんなに遠くは無い」
平成十五年七月二十二日の夏の夜。その日、俺こと
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