おれ達はプッシーキャット

 俺がこの世界で初めてバスケットボールと言うスポーツがあると知ったのは、小学二年生の時だ。夕方頃、自宅でTVを見ていたらバスケットを題材にアニメ番組がやっていた。「ああ、このゴールは学校にもあるな。バスケットって言うのか」。何となしに見ていて、これ又何となしに明日からバスケをやろうと思い、珍しく朝早くに起きて校庭に行き、バスケをやろとしたら、すでに先客がいた。


「あれ? ミネじゃん。お前何してんの?」

「何ってバスケ。洋介ようすけこそ何で今日はこんなに早いんだ?」

「俺もバスケやろうと思って。ミネもしかして、昨日アニメ見た?」

「あ? ああ、見た。もしかしてお前も?」

「やっぱり! 考える事同じだな!」


 一年の時から同じクラスで友達の、鷹峰壮たかみねそうもどうやら俺と同じ考えであったらしい。ミネだけではない、五分後にはゴリポンもサトルも肥満体質のタマも来た。皆が皆、昨日の夕方のバスケアニメを見ていた。皆考える事は同じだったのだ。その日以来、朝の休み時間も、中間休みも、お昼休みも、そして放課後も、皆でバスケをする様になった。昨日まではドッジボールをしていたのにバスケットは一躍、俺達の主流の遊びとなった。それもバレーのボールでである。今思うと良く跳ねるし、良く飛ぶし、そして軽かったかれども、ドッジボールで使い慣れたバレーボールは良く手に馴染んだ。その時代、何故か俺達の小学校にバスケットボールは置いてはいなかった。今思うとゴールはあるのに不思議な話だ。それはともかく、俺も皆も一様にバスケットの虜になったのである。





「あーだりぃー。だりぃーだりぃー」

「朝からうっせーよ、翔」

「だってまだ月曜日だぜ? 早く金曜日に何ねーかなぁー。憂鬱の月曜日だわ、マジで」

「金曜日になってもまた走りに行くだけだろ。そっちも憂鬱だわ」

「あれ、もしかしてポリスメンに追われるのも飽きた?」

「飽きたつーか、何て言うかよ……」

「翔太君、憂鬱モードじゃん! 月曜日のせいか? 安心しろよー翔太。俺がお前のケツにいる限りお前は捕まんねーよ」

「運転してんの俺だろーが。そー言うんじゃなくて、何て言うかな。いつも俺らさ昼前には学校帰るじゃん? 来てる意味あるのかなーって」

「プール開きが来るまでは無いな」

「お前は女子の下着盗みたいだけだろ。何かよ、最近学校もだりぃし、走るのもだりぃんだよな。そもそも学校なんて昼には帰るんだぞ。来る意味あるのか? 来ても、こうやって授業さぼって延々と煙草吸ってるだけじゃねーか」


 星野翔太ほしのしょうたは、何処か苛立ちを隠せないでいた。変わりたくて、変わらない日々を望んで変えたはずであった。しかし、望んで変えた日々にさえも飽きてしまっていた。いいや、きっと本当は……。


「でも、帰っても俺達に居場所何てないだろ。酒臭い家にいるよりかは、まだマシだ」


 普段は陽気な上代翔かみしろしょうは何故かこの時ばかりは、何処か真面目な顔して遠くの方を見ていた。二人がいる使われていない視聴覚室に五月の風が舞い込んだ。乾いている様で、少し湿っている様な風が教室のカーテンを大きくなびかせた。そっと優しく煙草の灰を落としながら。


「それも……そうだな。何か、悪かったな。お前ん家――」

「気にすんな。俺は友達に会いに学校来てるもんだからよ。まぁ、平日は大体いつも翔太ぐらいしか会わないけどな!」

「恥ずかしい奴だな、お前は。俺もそうっちゃそうだけど」

「お前も恥ずかしい奴だな。しかし、今日の洋介ようすけは遅いだろなぁ。月曜日だし」

「ああ、月曜日はいつも来るの遅いもんなぁ。しまのやろーはどうせ今日も寝てるだろうし」

あきらは仕事と。というか中学生なのに働けんのか?」

「何でも、親父さんの仕事先らしいぜ。解体だっけっか?」

「うげーきつい。五月でこの暑さなのによくやるねぇ。ローンはダメだなやっぱ」

「そーいや、プール開き明日じゃなかったか?」

「マジで?」

「確かな。まぁ、もう明日から六月だからな。梅雨だよ、梅雨」

「マジかよ。ってか梅雨とかどうでもいいから、そんな事はどうでもいいから! 翔太、明日全員に学校来るよう伝えろ! 『大作戦』を決行するぞ! いやっほぉーい!」そう叫びながら、翔は走りながら視聴覚室を出て行った。


「いや、待てよ何するつもりだよ!  ってか全員って誰だよ! “鷹峰たかみね”も呼ぶのか!?」

「“あいつ”はどうせ女のケツ追ってるだろぉー! 何せ背が高いんだから! だからタカミネってか、やかましいわぁ!」

 遠くから翔の独り言が聞こえてくる。もう校舎を出たらしい。相変わらず何を言っているか分らないし、相変わらず足の速い奴だ。俺は急いで翔を追いかけ、学校を後にした。





 俺が小学校三年生の時だ。俺は親に頼み込んで、地元から近いミニバスチームに入れて貰うことに成功する。ミネが先にそのチームに入っていて、学校で一番上手くなっていたのだ。悔しかった俺はすぐさま親に泣きつきながら説得に入った。ミネとは一番仲が良かったが、何事にも於いてミネに負けるのも一番に嫌であるからだ。

 初めてミニバスに行って、驚いた事が二つ程ある。一つ目は、本物のバスケットボールを持った事だ。球のサイズは小学生用ではあるが、九歳の俺にはあまりにも重すぎた。あのアニメの様に華麗にドリブルで相手を抜かしたり、鋭いパスを出す事すらままならなかった。ましてやシュート何てフリースローラインですら届かない。3Pシュートがどれだけ難しいかも分かった。ゴール下でさえ届かなかった事はここだけの話にしておく。とにかく、学校で使っているバレーボールとは勝手から全てが違うと言う事に気付いた。

 二つ目は、体育館中に鳴り響くドリブルの音とバッシュと床が鳴らすあの独特の音である。学校の体育館にもバスケットゴールはあったが、休み時間は空いておらずいつも鍵が掛かっていた。なので、いつも校庭の隅にある一つだけのゴールを使っていたのだが如何せんグラウンドであり、そして砂である。尚且つ何故かバレーのボール。要するに、先程も言った通り勝手から何もかもが違ったのだ。俺の目の前には本物のバスケットコートが広がっており、本物のバスケットボールは至る所で音を鳴らし、バッシュはこれでもかと言うぐらい木目の床と擦れあっていた。バスケットを始めた気になって一年、俺はと出逢った。


 ミネや俺に続いて、ゴリポンやサトル、後は肥満のタマもチームに入った。タマは太っているから、それ程までに痩せたいのかと俺はずっと思っていた。痩せたいのなら給食のご飯のおかわりを我慢すればいいのにと、突っ込みたかったが何も言わない様にしていた。食の話になるとタマは五月蠅いのだ。とにかく面倒くさい事になる。タマはとにかく食べ物の話になると、五月蠅いし、面倒くさい。

 勿論、俺が通っていたミニバスのチームには、他の近隣小学校の奴等も来ていて、しょう翔太しょうたあきらしまと出逢ったのもミニバスに入った時が最初である。皆、俺より先にチームに入っていて俺より段違いに上手かった。そして同学年の中でも一番上手かったのがミネであった。さすがミネだと思ったっけかな。でも、それと同時に胸がドキドキ(躍動)したのを覚えている。その日、本物のバスケを知ったその時、いつかは自分が皆を追い越して一番になると心に決めたからである。

 そして、三年の時が経った小学六年生の時。俺達はミニバスの全国大会で、見事優勝を果たす事になる。皆がお互いをライバルと認め、切磋琢磨してきたからこそかも知れない。とにかく俺達は群を抜いて強かった。それも知らず知らずの内に強く為っていたらしい。何だかんだで仲が良かったのもきっと理由の一つであるとは思う。その分よく喧嘩はしたが。

 栄光の全国優勝を果たした俺達は同じ中学になり、同じバスケ部に入った。勿論、中学でも目標は同じである。“二度目の全国優勝”だ。小中高の三冠を狙うのが俺達の野望ゆめであった。


 しかし、何処かで歯車が狂った。要因は皆それぞれであるとは思う。だが、一因はもしかしたら俺にあるのかも知れない。


 栄光世代(勝手に命名した)と呼ばれた俺達だが、俺達の通う北辰中学ほくしんちゅうがくのバスケ部は半数以上が途中でドロップアウトし、気が付けばいつの間にか煙草を吸い、これまた気が付けばバイクに跨っては、あれよあれよと闇夜の中を我武者羅に走り回っていた。





 今日も八時起床。いつもの様に食パン一枚食べて、緑茶を沸かしてホッと朝の一息。段々と暑くなってきてはいたが、朝はやはり温かい緑茶に限る。緑茶を飲むと、体の芯が暖まる気がする。いや、心の芯か? 三階の自室に戻り、朝の一曲を聞く。今日も左耳のピアスが窓ガラスに反射して光輝いていた。お気に入りの兄の香水を勝手に拝借して、家を出て、いざ学校に。今日はいつもの公園には寄らなかった。お昼寝したい気分であったが、しょうから午前中には必ず来いとのメールが来ていた。



「で、翔君さー何するんよ」


 俺はとにかく眠くて眠くて仕様が無かった。午前中の公園でのお昼寝は俺の中での絶対のルーティーンであるからだ。それを怠ったのだから、それ程迄の面白みがないと午前中に学校に来た意味が無い。


「まぁ、落ち着けよ洋介。全員が集まってから言うさ」

「ってか、島と学校で会うのがすげー久しぶりな気がする」

「なー、俺も洋介と学校で会うのは久しぶりな気がするぜ」

「島は学校来なさすぎ」

「洋介は来るの遅すぎなんだって聞いたぜ」

「あー、あー、諸君! 私語は厳禁であるぞ! 特に今回は隠密での行動が試されるのだ。無駄口を叩くな、アホ共!」

「なぁ翔太。今日の翔、面倒くさいんだけど。何やるの今日? 大作戦がどうとかこうとか」

「あー……多分適当に流して帰った方がいいと思う」

「何だそれ。そーいや全員って明とミネもくんの?」


「ミネは呼んどらん! あんな女たらしな奴今回の作戦に必要無い! 大体、あいつ大学生の女の人と遊んでいるんだぞ! 中学生なのに! 意味が分らんし、けしからん! 消えて無くなれ!」


「ちょーめんどいモードだ、これ」

「だな、帰ろうぜ島。翔太はどーする?」

「あー……俺も帰るかな」

「そうしようぜ。暇ならベスパ治すの手伝ってよ。ってか、全員って言ってたけど明は?」

「ああ、あいつは仕事だって」

「あらま、ヨンフォアお高かったのかね」

「まぁいくら身内から買ったとは言え、ヨンフォアだからな。それにあいつの兄貴ちょー怖そうだし、お金に五月蠅そうじゃん?」

「姉貴も美人だもんなー」

「あれは確かに結婚したいレベルだ」

「翔太には無理っしょ?」

「洋介にも無理だろ」

「おおおいい! ちょっと待てよ! 明が来ないって話、俺は聞いてないんだけど! なんで翔太に連絡があって俺には無い!?」

「知らねーよ。お前が面倒くさいからだろ。洋介、プラグ変えたらベスパ大丈夫っしょ」

「かなー。プラグ買いに行くか。ってかその前にガソリン入れて薄めないと駄目かなー」

「あ、じゃあさ、ついでに俺のGPZいじるのも手伝ってくんない? ホーンつけたいんだよね。六連ミュージックホーン」

「兄貴のじゃねぇのか? まぁ、いいけど」

「だーかーらー! 待てって! お前達よ、今日が何の日か知らないのか!?」

「ベスパ治す日」

「ホーンつける日」

「知ってるけど、知らね」

「六月だよ、六月! 夏がもう始るんだよ!」

「六月か。梅雨だな」

「梅雨だ。ホーンつけたい」

「俺は冬が好き」


「……この馬鹿共め! 良く聞けよ! プール開き何だよ! プール開き! 今日からプールが始まるのだよ! 今日の四限目の体育の授業でそれが解禁される!」


「何言ってんだこいつ。島、煙草もらっていい? きらした」

「いいけど、メンソールだぜ洋介」

「珍しいねー洋介コンビニ寄らなかったのか?」

「うん、今日は学校まで直行。翔のせいで」

「あいつさ、実は女子の下着盗みたいだけだからな」

「変態じゃねーか。俺はどうせなら女子の裸見たいわ」

「俺も! “ミヨ”ちゃんの裸が見たい!」

「島、なんか顔が気持ち悪いぞ」

「愚か者共。これだからアホは困る。お前達の想像力はもっと豊かにならないの? いいか、プール開きだぞ? 俺の目的は確かに女子の下着ではあるが、お前達の目的は、女子の裸なんだろう? ええ、そうだろうが島よぉ!」

「いやまぁ、そうだけど……」

「ならば話は早い! 頭を回転させよ! 俺の目的は女子の下着! お前の目的はミヨちゃんの裸! そして俺達が向かう先は『女子更衣室』である!」

「あっ! そうか! そー言う事か!」島が嬉しそうに叫んだ。

「そうだ! そー言う事だ! お前達は覗け! 俺は後から盗む!」

「ああー! なるほど! それ、凄くいいな!」。翔の熱弁に、俺の心にも火が点く。俺にも一人だけ、どうしても気になる女子がいたのだ。どうしても裸が見たい女子が一人いるのだ。


「行くぞ、お前たち。四限目はもうすぐそこだ。俺について来い。お前たちに最高の楽園を見せてやる」


 最高に恰好良い背中をした男の後を、俺と島は必死に追いかけた。そう言えば女子更衣室に向かう道中、翔太の姿はすでに無かった。芋を引いたのだ、あやつは。全く持って情けない男である。とにもかくにも、俺達は楽園に向け一歩、また一歩と忍び足で近づいて行ったのである。



 後に、俺達の歴史の教科書に載る程となった『六月一日プール開き事変』の結末を先に言っておく事にしよう。結果は大成功を目前にして、大失敗で終わる事となった。この日の失敗が『七月十五日の復讐と化した蒼きプール政変』と続く事になるのだが、今は割愛しとくとする。


――嘗て、情けない青春を謳歌していた俺達にも“天敵”はいた。それはいつも俺達を追う警察官でもなければ、中途半端な情をかけてくれる大人達でも無い。ましてや、嘘っぱちで出来た家族何かでも無かった。

 あの時の俺達の唯一の天敵。あの時の俺達を最期まで見放さず、全力で愛してくれた人。鬼の様な人間であり、また仏の様な心は一切として無かった鬼の中の鬼教師。身長は百九十センチメートルを超える巨体に似合わない紺色のスーツ。髪型は何故かアイパーで、顔は勿論のこと鬼である。名前は『泉広洋いずみこうよう先生』。紛れも無く中学三年の俺達にとって天敵その者であり、鬼でありながらも教師でもあり、俺達たち北辰中学ほくしんちゅうがくバスケ部の顧問を務めていた人でもある。

 『六月一日プール開き事変』のこの日。鬼教師こと、いずみ先生のおかげで俺達は楽園を確かに見たのだが、地獄の折檻部屋に行く事となった。だがこの日を境に、本当の地獄から抜け出す事を決心したのもまた事実でもある。皆、恐らくきっと甘いエンジンオイルの匂いに飽き飽きしていた。恐らくきっと聞きたいのはバイクのエンジンの音では無く、体育館に鳴り響くあの音なのだ。ゆえにである。俺達の歴史の教科書の中では。


 十五歳になる年の頃。中学三年の六月一日。梅雨襲う前の季節に、俺達はほんの少しだけバスケットを思い出していた。

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