3-4 今まで見た空の中で一番綺麗だった。


 美緑は宿題を消化したり、彩楓や怜、愛美たちと買い物に行ったりして夏休みを過ごした。中学生のときよりも行動範囲が広がったせいか、とても充実した日々だった。


 やがて、フェアリーランドに出かける日がやって来た。集合時間は朝早かったが、どうにか無事に起きることができた。


 まだ寝ている家族を起こさないように、慎重に家を出る。

 程よく曇ってくれていて、ここ数日の中では一番涼しかった。それでもモワッとした暑さを感じる。


「おはよ」

 家の前で、優弥が待っていた。白いTシャツに紺のハーフパンツという、ラフな装いだった。眠そうな目であくびをする。


「おはよう」

 美緑は微笑んであいさつを返した。楽しい一日になる。そんな予感がした。


 まだあまり人の乗っていない電車を乗り継いで、目的地へ向かう。最寄り駅では、早朝ということもあって人は少なかったが、フェアリーランド周辺になると車内は満員になった。


「うっわ。人すげー」

 優弥の語彙力の低い発言に、美緑は苦笑する。


「感想が田舎者っぽい」と冷静な大地。

 寒色で揃えられた彼の私服は、見事に美緑のイメージ通りだった。


「そういえば、みんなここに来たのは初めて?」

 白いブラウスにジーンズという、動きやすそうな格好の彩楓が言った。


「私は初めて。ずっと行きたかったんだけど、なかなか機会がなくて」

 美緑が答える。


「俺も初めてだな」

「俺も」

 優弥と大地も口々に言う。


「そうなんだ。まあ、私も小さいときに親に連れられて一回来ただけだから、全然覚えてないけどね。あ、ジェットコースターに身長制限で乗れなくて悲しかったことだけはよく覚えてる」


「じゃあ今日リベンジだね!」

 美緑が言うと、彩楓は「うん! 何が何でも乗ってやる」と意気込んだ。




 フェアリーランド内は混雑していた。夏休み中なので、当然と言えば当然だ。

 気温は朝よりも上がっていて、歩いているだけでも汗をかいてしまう。熱中症に気をつけなくてはならない。


「最初どこ行く?」

 美緑がそう問いかけると、優弥がポケットからスマホを取り出した。


「今日の予定は俺に任せなさい。専用のアプリがあるのだよ」

 ふっふっふ。と不敵に笑いながら彼は言った。待ち時間などをリアルタイムで調べることができるらしい。すごく便利だ。


「あれ、これわかんねえぞ。んん? どうすれば混雑状況が見れるんだ?」

 優弥は困ったように、眉間にしわを寄せる。


「ちょっと貸して。……あ、これだ」

 結局、彩楓が優弥のスマホを操作して、効率的にパーク内を回ることとなった。しょんぼりする優弥がなんだか可愛かった。


 お化け屋敷は思ったよりも演出がリアルで、クオリティが高かった。

 彩楓がものすごく怖がっていたのが意外だった。


「無理。帰る。無理。ホント無理。帰る。ヤダって! えっ何で何でちょっと待ってホント無理だから待ってイヤアアアアアアアアアッ!」


 普段の彩楓からは想像もつかない声で絶叫しながら、隣の美緑に抱き着いた。それを見た優弥は大声で、大地は口を押さえながら笑っている。


 美緑も入る前まではビクビクしていたが、いざ入ってみると平気だった。自分よりも怖がっている人間がいると、逆に怖さが薄れてくるのだ。


 お化け屋敷を出たあとに「砂生の声、録音しておけばよかった」と呟いた優弥が、彩楓に蹴られていた。


 彩楓が乗りたがっていたジェットコースターに乗ることになった。彼女は、お化け屋敷での絶叫とは違い、両手を挙げながら楽しそうな叫び声を上げる。


 ジェットコースターから降りた後、四人は休憩することになった。大地が酔ってしまったのだ。


「大地、生きてる?」

 優弥が、ベンチで体を折り曲げるように座っている大地に声をかける。心配しているというよりは、どこか楽しそうな感じ。


「……かろうじて」

「まったく、中学のときの遠征とかでもバスでよく酔ってたよな。二年生のときの県大会なんかお前――」


「止めろ黙れ。それ以上言うと一年の冬にお前が顧問の頭に鏡で太陽光反射させてバレて怒られた話するぞ」


「全部言ってるし! お前こそ黙れよ!」

 酔ってはいるが元気そうだ。


「平賀くん、酔いやすいんだ。運動神経とはあんまり関係ないんだね」

 彩楓が言った。

「いや、別に俺、運動神経良いわけでもないし……。あー、気持ち悪い」


「私、何か飲み物買って来る。平賀くん、水で大丈夫?」

「うん。砂生さん、ありがとう」


「あ、私も行く」

 美緑も喉が渇いていたため、同伴することにした。


「二人っきりだね、大地。膝枕してあげようか?」

「うるせえ優弥。酔いが覚めたら腹パンな」


 悪ふざけする二人に美緑は吹き出しながら、彩楓と飲み物の売っている場所へ向かう。




 とても楽しかった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎて、オレンジ色に染まる空が切なさを連れてくる。


「最後、あれ乗らない?」

 優弥が指さしたのは、大きな観覧車だった。遊び疲れた美緑たちにはうってつけのアトラクションだ。ゴンドラから見える景色が、きっと綺麗に見えることだろう。


 二十分くらい並んで、やっと美緑たちの順番が回ってきた。

 優弥と美緑がまずは二人で乗り込む。その一つあとに、大地と彩楓。四人で一緒に乗るものだと思っていたので少し驚いたけれど、すぐに景色に目を奪われた。


「うわっ、綺麗。見て」

 上昇していくゴンドラから見える茜色の空は、今まで見た空の中で一番綺麗だった。夕焼けに照らされた街の様子が見える。空に近づくにつれ、相対的に地面が遠ざかっていく。


「ジェットコースターのときも思ったけど、下界を見下ろすのって楽しいな。権力者になった気分」


「何その最低な感想。もっとなんかさ、綺麗だなーとかないの?」

 せっかくの景色が台無しだ。


「俺はどっちかっていうと海派だからな」

「はいはいそうですか。……ってかさ、何で二人なの? 四人一緒に乗れたんじゃない?」


 流れに身を任せて乗ったら、いつの間にか優弥と二人で乗ることになっていた。意識しないように努めていたが、そう考えている時点で意識していることになってしまう。会話をするときも、声が上ずらないようにするので精いっぱいだ。


「せっかくならゆっくり楽しみたいだろ」

「別に、二人でも四人でも乗ってる時間は変わらないじゃん」


「ばれたか」

「バカにしてる?」


「してる。……もしかして、柳葉は気づいてないわけ?」

「何が?」

 優弥の言わんとしていることが、美緑にはわからなかった。


「なんでもない」

「ちょっと、教えてよ」

 はぐらかす優弥に、美緑は頬を膨らませる。


「だめ」

 意地悪く口角を上げてそう言った優弥に、美緑はドキッとした。


「お子ちゃまにはまだ早い」

「誰がお子ちゃまだって⁉」

「うわ。外、綺麗だなー」

「棒読みで話を逸らすな」


 ゴンドラはてっぺんに差し掛かる。

 頭を悩ませてみても、二人で乗らなくてはいけない理由は、美緑には思いつかなかった。


 地面が近づいてくると、余計に切ない気分になった。空はオレンジから藍色へ移り変わろうとしている。


 美緑と優弥は地上に降り立つ。

 大地と彩楓も、その数秒後に降りて来た。


「うっし、じゃあ帰るか」

 優弥がそう言って、四人で歩き出す。優弥と大地、その後ろに美緑と彩楓がそれぞれ並び、二つの列を成す。


「高いところから見る景色、綺麗だったね」

「……」

「彩楓?」

「え? あ、うん。そうだね。綺麗だった」


 彩楓は、心ここにあらずといった感じで遠くを眺めている。

 前を歩く大地も、観覧車に乗る前とどこか雰囲気が違うような気がした。まさか、観覧車でも酔ってしまったのだろうか……。


 この日に何があったのかを、美緑が知ることになるのはもう少し後だった。

 空の色が移りゆくように、四人の関係も少しずつ変わっていく。

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