もう一度人生をやり直したとしても、私は君を好きになると思うよ。

蒼山皆水

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 いっそ、全部壊れてしまえばいいのに。

 俺も、彼女も。

 そして、どうしようもないほどに残酷なこの世界も――。




 たくさんの祝福の中を、新郎の俺は背筋を伸ばして歩く。

 レンタルしたライトグレーのタキシードが重い。生地そのものの質量だけでなく、責任とか重圧とか、そういったものが染み込んでいるような、そんな気がする。


 ステンドグラスから射し込む神々しい光に導かれるように、一歩。また一歩。足を踏み出して前へ進む。


 打ち合わせやリハーサルなどで何度か入ったことのある空間のはずだったが、雰囲気はそのときと全然違っていた。

 今の式場は、幸せとか希望とか、そういった輝かしくてキラキラしたもので満ち溢れている。


 続いて、新婦である美緑みのりが入場してくる。純白のウェディングドレスに身を包んだ彼女は、誰もが見惚みとれるほどに綺麗だった。そんな月並みな表現しか出てこないけれど、招待客の視線も釘付けになっているわけで、俺の身内贔屓ではないと思う。


 聖書の朗読。祈祷。

 挙式はリハーサル通りに、つつがなく、滞りなく進んでいく。まるで、あらかじめ引かれた線をなぞるように。


黒滝くろたき優弥ゆうやさん。柳葉やなぎば美緑さんを妻とし、 病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、良いときも悪いときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」


「はい。誓います」

 俺は答えた。


「柳葉美緑さん。黒滝優弥さんを夫とし、 病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、良いときも悪いときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」


「はい」美緑が穏やかな微笑みを浮かべて。

「誓います」答えた。


 指輪の交換。

 美緑の細い薬指に、指輪をそっとはめた。


「それでは、誓いのキスを」

 神父のその言葉に、俺は体を美緑の方へ向ける。美緑も同時に、体をこちらへ向けた。


 いつも以上に綺麗な最愛の女性に、呼吸すら忘れて。

 ゆっくりと、美緑の顔に俺の顔を近づけていく。


 唇と唇が触れる直前、彼女のそれが小さく開いて。


「幸せにしてね。優弥」


 俺にだけ聞こえる声で言った。


 ああ、幸せにするさ。俺は心の中で答えた。

 無力感と喪失感を、微笑びしょうの仮面に押し込めて。

 彼女の唇に——そっと触れた。


 この時点ですでに、とんでもない犠牲を払ってるんだ。

 大切でかけがえのないものと引き換えにして、俺は今日、美緑を幸せにするためにここに立っている。


 誓いのキスを終えると、今日で何度目かわからない祝福の拍手が降り注ぐ。

 照れるように微笑んだ彼女は、誰が何と言おうと世界で一番綺麗で、俺はその姿を目に焼き付けるように見つめた。


 挙式は、予定通りに問題なく終了した。

 華やかな白い花びらのシャワーを浴びながら、俺と美緑はバージンロードを歩いて退場する。


 これ以上ないくらいに幸せな気持ちが募る。

 結局のところ人間は、矛盾を抱えた生き物で。相反する感情が同居する心は、懸命にそれを処理しようとする脳に抗って、引き裂くほどの痛みを生む。


 この先に待ち受ける悲劇に――俺は果たして耐えられるのだろうか。


 タキシードが息苦しい。

 俺の判断は正しかったのだろうか。

 何か、別の方法はなかったのだろうか。

 自問自答をすればするほど、答えから遠ざかっているような感覚を抱く。


 どんな選択をしようとも、すぐ先に待ち受けているのは、どうしようもないほどに残酷な結末で。

 でも、それはまだ、しか知らなくていい。

 今はただ、彼女の幸せを強く願う。

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