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村の半鐘が突然じゃんじゃんじゃん……と響き始めたのは、その日の夕食時だった。その鳴らし方は、村の大人たちを全員集める緊急の合図だった。父さんと母さんが、何事かと首をひねりながら出かけていった。この合図のときはふつう子供は関係ないはずで、僕は家に残って、ひとりで夕食を食べ続けていた。
ところがしばらくすると、僕の家に息せき切ってプラニチャがやってきて、食堂の窓をばんばんばんと叩いた。「ガソ、おい、ガソ!」窓を開けると、スプーンをくわえたままの僕に向かって、プラニチャは唾を飛ばしてまくし立てた。「おまえ、アーイーの家、知ってるよな!」
「あ……うん」
「それって、あのとき見せてくれた、地図の場所か?!」
「そうだよ」言っていいものかわからなかったけれど、プラニチャの剣幕に
「さんきゅ!」
プラニチャはそれだけ聞くと、来た道を取って返そうとした。あわてて僕は戸口まで追いかけた。「おぅいプラニチャ、なんで急にそんなこと訊くんだよ!」
「カインが悪魔に
「はぁ?」
「オレ、親父にくっついて集会に出たんだ。そしたらカインがいてさ、眼の色が、なんか変なんだよ。そんで、なんか、口の端からよだれ流してうなってるんだよ。カインの親って思い込みめちゃめちゃ激しいタイプだろ、で、昨日の今日じゃん、だから、アーイーのせいだって、アーイーが悪魔なんだって、火あぶりにして殺すって息巻いてて、でも誰も居場所を知らないんだ、それでうちの親父がガソに地図を見せてもらったことがあるって言って……」
だから、確認のために、プラニチャは僕のところへすっ飛んできたのだ。
「ガソ、おまえとアーイーがわりかし仲がいいのは知ってるけど、今回はヤバい」プラニチャは焦っていた。とにかく何か異常に巻き込まれていることにおびえていて、自然と舌の回りが速くなっていた。「カインのヤツ、マジで気が触れちまったんだよ。あの掃除んときの一件、親が聞いてたらしくってさ、もう完全に犯人扱いでさ、でも、やっぱり、オレもアーイーがなんかやったんだって思うもん!」
今度は僕が家をすっ飛んで飛び出す番だった。プラニチャとともに、村の広場へ走った。
いつもは市が立って、行商人の呼び声で賑わう広場が、まったく異質の喧噪に包まれていた。村中の大人が集まって、頭を抱えたり巡らせたりつきあわせたりしていて、そしてその頭は一様に同じ方向を向いていた。
「悪魔だ!」
「おぅお、なんということ……」
祭祀を執り行うために常設されている祭壇の上、嘆く大人たちの視線の中心に、いつもの様子からは一変してしまったカインと、その両親がいた。ブフじーさんの姪にあたる現祈祷師もいて、天を仰いで何やらもにゃもにゃ言っているが、効き目がありそうな気配はない。
「ア……ア……アァ、アァ、イィィィ」うなっているのか、アーイーの名を呼んでいるのか。プラニチャが言ったとおりの様子だった。眼には生気がなく、焦点が定まらないまま視線を虚空に漂わせている。その状態で地べたを転がったらしく、衣服や鼻の頭の絆創膏は泥で汚れていて、口の端のよだれの跡にくっきりと砂がついていた。その上に新たなよだれがこぼれている。「おおおぉぉぉ。ア、ア、アァイィィィ、クー、クー、くぅぅぅ食ぅ食うっ」
「あああああかわいそうなカイン」カインよりでっぷりしているカインのおふくろさんが、カインを抱きしめながらわあわあ泣いている。そのそばで、カインの親父さんは彼女を落ち着くようになだめていたが、めざとく僕を見つけた瞬間、今度は親父さんの方が一変した。
「ガソ!」カインの親父さんは、祭壇から飛び降り、人混みをかき分けて突進してきた。僕らはその勢いにびっくりして足を止めた。プラニチャの肩越しに、手がものすごい勢いで伸びてきて、僕は首根っこをふんづかまえられた。奥さんや息子と違いやせぎすで目の落ちくぼんだ親父さんは、睨みを利かせるとえらく怖い顔になる。カインも酒を飲んでいるときの親父には絶対近づかないと言っていた。「貴様よくも隠してやがったなぁ!」その剣幕、強圧的な態度に、僕のひざはがくがく震え出していた。今思うと何を隠したと言いたかったのかよくわからない。たぶんアーイーの居場所のことだったろう。
「やめてください、うちの子に!」僕の父さんと母さんが駆け寄ってきて間に割って入り、僕は母さんにぎゅぅっと抱きしめられた。
「落ち着くんだ、アダム!」プラニチャの親父さんもやってきて、カインの親父さんを羽交い締めにして動きを封じた。
「うるせぇ! て、て、てめぇらは息子がこんなにされて黙ってられるってのか、えぇ?!」カインの親父はばたばた暴れながらわめき、僕をまたその落ちくぼんだ目で睨んできた。「ガソどこだ。アーイーってな小娘の居場所はどこなんだ。言え! すぐ言え、今すぐ言え!」
「子供に当たってどうする!」格闘にも長けたプラニチャの親父さんが、そのごつい腕でカインの親父さんを地べたに押さえつけた。それから僕に向かって顔を上げた。「───それでガソくん、そのアーイーという女の子は、確かに地図の場所にいるのだね」
僕は母さんのおっぱいの下でこくんとうなずいた。木の上なんだって、とプラニチャがフォローしてくれた。
「わかった。……ともかく、行って話を聞かぬことにはな」思慮深く、発言力のあるプラニチャの親父さんまでが同調したとなっては、アーイーの立場はいよいよ危うい。
しかも、カインの親父さんは組み敷かれながらもまだ荒い息を漏らしていた。
「こ、こ、殺してやる。草の根分けても探し出して首根っこかっさばいてやる。山狩りだ。山狩りだ。狩るんだっ……!」
痛々しい叫び声は、村人たちを興奮させ、ざわざわした騒ぎをどやどやした騒ぎに変えるには十分だった。村人の多くは、特に学校に出入りしない独り者はアーイーを知らない。知っているとすれば、学校の屋根から集落まで届くあの奇怪な声でだけだ。彼女の存在は、得体の知れない怪異として受け止められていた。退屈な村にとって、化物退治という、ひょんに湧き上がったイベントになってしまったのだ。
血の気の多い連中は、久々に暴れられそうだともう腕まくりをしている。広場の一角では別の一団が、たいまつやら銃やらの準備を始めていた。
一方で、母さんのぬくもりが安心感を与えてくれて、それで僕はやっと考えをまとめられた。……まさかほんとうに、アーイーが魔法で何かやらかしたんだろうか。
山狩りは避けられそうにない。興奮する顔と、不安げな顔とが並んで、でもみんなが心に浮かべているのはカインのことで、悪魔を退治することで、退治しそこねたら村はいつか悪魔に攻め滅ぼされるんじゃないかとかいうとっぴなことで、アーイーがどうなるかを心配しているのはたぶん僕だけだ。もしこの集団にアーイーが捕まったら、思慮深い人が何人いたところで、どんな目に遭わされるかわかったものじゃない。まして本当に「化け物」だと知れたら……。
「ガソ、あんたは家に帰ってなさい……」
母さんが離してくれたのをいいことに、僕は広場を飛び出すと、いっさんに走り出した。むろん家に帰ったりはしなかった。アーイーの家、あの岩棚まで、日暮れ時の暗い山道をこけつまろびつ駈けに駈けた。幸い、誰も追ってこなかった。
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