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 まぁそんなわけで、やはりアーイーはヘンなままだった。前の学校の記録は紛失したってことで、ロクシオ先生はやっぱりだまくらかされた。もっとも、深く突っ込む気もなさそうだった。いいかげんな教師だ。


 少し変わったのは、アーイーは何か困るとすぐに僕を頼るようになったことだ。うっとうしいんだけれど、かといって邪険にすると耳をかじろうとするもんだから、渋々つきあっていた。


 もうひとつ、クラス全体にあまりかんばしくない変化が起こっていた。クラスのみんながアーイーの不気味さに慣れてきて、彼女の行動を怖がらずはっきり不快感を見せるようになったのだ。


 「やめてよ、そういうことは!」そんな言葉が日常的に飛ぶようになって、アーイーはとまどいつつも、怖がられるよりはいいんじゃないのかな、とプラス思考でいた。そういう問題じゃないんだと言ってみても、彼女はクラスメートの反応に全然こだわらなかった。きっと、友達づきあいなんてどうでもいいんだ、鷲だから。


 そうしてクラス全体の雰囲気がアーイー嫌悪排斥に傾くと、ここぞとばかりに出張ってきた馬鹿者がいる。


 カインだ。あばた面で厚ぼったい唇、いつも目やにをつけたままの男で、クラス一の巨漢、というよりデブだった。食うだけ食って寝て、ただ怠けた結果だのに太ることに不平を言うような、同情の余地のないデブ。成績は最低だったが、悪知恵と力は持ち合わせていて、長い間クラスのボス、というよりは暴君として君臨していた。


 カインは、勉強も運動もよくできるうえに、暴君たる彼に対して敬意を払うどころか怯えるそぶりも見せないアーイーが嫌いだった。睨む視線には憎悪がみなぎっていた。誰かが好きで、気を引きたいからちょっかいを出すような、そういう繊細な思考は、カインに限っては絶対ないと断言できる。むしろようやく彼が年齢相応に理解しつつあったのは、学力の差が優劣を決めうる、という事実だった。学力を上げる努力なんて及びもつかない彼にとって、ボスの優位を保つためにできるのは、虐げることだけだったのだ。


 ただ今までは、アーイーには誰も近づけない、っていう雰囲気があったんで、彼も近づかなかった。カインは暴君だが、本質はそういう臆病者だ。その雰囲気が変わったのをこれ幸い、彼はアーイーをターゲットに据えたのである。


 ところがアーイーは並の女の子とはワケが違っていた。……そら、メスなんだけど、オンナノコじゃないもんな、最初から。


 机の引き出しに放り込んであったガマガエルは、素手でつかみ出すとちろりとなめて「まずい」と言って窓の外に放り出したし、背丈のあるロッカーの上に隠されていた教科書は、ぐるり首を一回しするだけで見つけ出すし、とにかくめそめそ泣くなんてことが絶対ないから彼の優越感はいつまで経っても満たされず、カインはずっといらいらして、ムカツクムカツクと日がなぼやいていた。


 そうこうしているうちに、またひと月が過ぎた。二ヶ月突破だ、とにかく新記録には到達したと、アーイーは胸を張っていた。


 一方でカインのいらいらは募るばかりで、それでヤツはついにヘマをして、別の女の子に仕掛けたいやがらせを先生にばっちり見つかってしまい、ねちねちと絞られたのだ。それもこれもアーイーのせいと憤るカインに、ロクシオ先生が与えた罰は、なんと一ヶ月連続の掃除当番だった。


 ロクシオのあほんだら。僕は絶叫しそうになった。よりによってその日からの一週間は僕の班が掃除当番なのだ。カインはその中に加わることになる。僕の班はすなわちアーイーがいる班だ。学期初めの頃、気味悪がられて他の班には入れてもらえなかったから、クラス委員のいる班に自動的に押しつけられたのだ。


 そしてアーイーは、掃除の意義を解さないのである。机を運んで、ほうきで掃いて、雑巾で拭いて、という手順にしたがう掃除の必要性をまったく認めなかった。大きなゴミだけのけときゃそれで十分じゃない、というのが彼女の言い分だった。彼女は何もかも鷲のルールでやっていたわけじゃなく、多くは人間のルールに従っていたけれど、受け入れないと決めたことは絶対受け入れなかった。そのひとつが掃除だったのだ。


 だから掃除時間ともなれば、さっさと帰っていくか、ずっと机に腰掛けて足をぶらぶらさせながら、ほうきに使われている笹の枝が自分の巣に使えないかどうか、しげしげと観察するくらいが関の山だった。


 当然、掃除当番なのに掃除しないんだから他の班員の心証がいいわけはない。でもまぁ、僕が班長ってことで、しかたないよアーイーだから、でどうにかとりなしていたんだ。


 そこにカインが入ってみろ。どうなるかは火を見るより明らかで、ついでにそこに油をたっぷりぶちまけるも同然じゃないか。




 思ったとおりの事態になった。


 「なんだよてめぇ、帰っちまうのかよ!」


 窓枠に足をかけて乗り越えようとしていたアーイーを、カインが怒鳴りつけた。


 「オレが掃除してんだぞ! なんでおまえがやんねーんだよ!」掃除してる正義マンは自分だけ、と言わんばかりだった。「掃除やってけよ、やってかねぇと、ぶっ殺すぞ!」カインは脳みそが溶けかかった声で叫んだ。コロスなんてのは穏やかじゃないが、二言目にはそういう単語が出てくるヤツだから気にすることはない。


 アーイーは窓枠に足をかけたまま振り向いて、何度かまばたきをした。すぐに自分に向けられたねじくれた敵意に気づいて、窓枠から足を下ろして、カインをにらみつけた。逆光になるからわかりにくいが───というより、彼女の場合、人間の姿だからわかりにくいのだが──総毛立てて、肌という肌を鳥肌にして、敵意を押し返した。


 「なんだよ、文句あんのかよ!」カインにはそういうふうに見えたらしい。


 「そうだそうだ、掃除やってけ!」あ、クゥニェのヤツ、カインにつきやがった。陰ではカインをぼろくそに言ってるくせに、あの日和見ひよりみめ! でもその日和見によって、クゥニェがそうするならってことで、僕とプラニチャ以外の班員は多かれ少なかれカインに同調し、アーイーに冷ややかな視線を投げた。逆にカインは味方を得て勢いづく。「おまえのおかげでみんな迷惑してんだぞ! わかってんのかよ!」


 「どうすんだよ」プラニチャが、後ろから僕を突っついた。「アーイーの世話役はおまえだろ。なんとかしろよ」


 「なんとかしろったって……」


 困った。いやがらせだろうが八つ当たりだろうが、学校生活において筋が通ったことを言っているのはカインだ。そして───筋が通っていようがいまいが、鷲のアーイーにはどうでもいい話で、彼女にはカインのやり方はただのコケおどしにしかならない。


 唇を噛みしめ、穴の空くほどカインをにらみつけるアーイー。カインは、アーイーが何も言い返せないのだと思って恍惚としてまくし立てる。「なんとか言ったらどうなんだよ!」そう言っておいて、もし言い返したなら理屈屁理屈正論暴論取り混ぜて十倍返しする要領をカインは心得ていた。そしてアーイーが逃げを打つか、手向かってくるか、行動を起こすのを待っていた。


 逃げればむろんカインの勝ち、手向かえば、やっぱり十倍返しでいびりぬいた後に「先に手を出したのはあっちです」と正直に先生に訴えてカインの勝ち。そうしてクラスのボスであり続けた彼は、自分が負けることなど───まして女の子に! ───まったく想定していなかった。


 でも、違う。いま絶対優位にあるのは、アーイーだ。彼女は攻撃の機会をうかがっているのだ。そうでなければ、あまりにスキだらけなデクノボーの獲物を前に、どこから引きちぎろうか算段しているのだ。

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