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 アーイーの家は、垂れ下がったつる草を使ってよじ登り、大きく分かれた木の股からいちばん太い枝を伝っていってたどりつく、斜面の途中の岩棚だった。広がる枝振りよりもはるかに上で、さしものプラニチャの親父さんでも目が届かない場所だったわけだ。


 ていうか、本当にただの岩棚だ。雨風がどうにかしのげるだけのくぼみがあって、そこに柔らかいわらや小枝や枯草が積み上げてあるだけだ。あっちこっちに小動物や魚の骨が転がっていて、あまりいい匂いはしない。奥には手製の本棚のようなものがあって、そこに教科書や文房具が入っていたけれど、それ以外に人間の家であることを示すものが何ひとつない。


 ごつごつした岩場に、思わずかしこまって正座などしてしまう、僕。ひざが痛い。


 「ごめんね、何のおもてなしもできなくて。地図は確かに先生に渡してあったけど、本当に来る人がいるとは思わなかったもの」


 「……ここが、君の家?」


 「そうよ」にっこり笑って、さも当然とうなずく。「それより何の用?」


 「あ。え」どうにか口を開いた。「えっと、ロクシオ先生が、前の学校の資料がほしいって」


 「前の学校?」アーイーは首を傾げた。「そんなのないわよ」


 「ない……って」気まずい沈黙が流れた。えーっと、僕は、そんなに話が噛み合わなくなるようなことを言ったっけ?


 家とは思えない家のこと。転校生なのに、前の学校がないこと。さっきアホ呼ばわりしたこと。お茶も出てきやしねぇこと。ひざが痛いこと。差し向かいで、ふたりっきりで、話してるっていうこと。


 アーイーのヘンさには慣れっこのつもりだったけれど、頭の整理をどこからつけていいのかわからなくて、僕はぽかぁんと口を開けっ放しでアホ面下げていた。


 アーイーが嘆息した。「困ったなぁ」困ってるのはこっちだ。


 またしばらく沈黙があった後に、アーイーはつぶやくように言った。


 「どうしようかなぁ……ガソくんが、いちばんあたしのこと、わかってくれてるし」


 わかってねぇよ、と反駁したかったが、口に出てこなかった。


 「ここまで来ちゃったことだし、ガソくんには、話しておくことにするわ」


 びゅう、と岩棚を風が吹き抜けていく。アーイーの茶色の長い髪が涼やかに揺れる。ちょっと見とれてしまった。その話とやらは、聞かない方がいい内容じゃないか、と感じたけれど、結局好奇心が勝った。僕は目をしばたたかせ彼女に見とれたまま、開けっ放していた口をしっかりと閉じた。


 「いい? 今から言うこと、ほかの人には、絶対、内緒にしておいてね」


 小さくうなずいてみせると、アーイーは、少しにじり寄ってきて、顔を近づけてきて、どきどきしてしまう僕に、ちょっと真剣な口調でこうささやいた。


 「あのね、実は……わたしわしなの」


 「あ?」


 胸はどきどきしているのに、一本ねじの抜けた、すっとぼけた反応をしてしまった。ワタシワシナノ、という言葉の、どこを区切って聞けばよかったのかさえ、わからなかった。


 「だからね、」察したらしく、アーイーは区切って言ってくれた。「わたし、わし、なの」


 ……よけいにわからなくなった。


 「だからね、」アーイーは語気を強めた、「私は、鷲なの」


 文脈は理解した。彼女は鷲なのだ。She is an Eagle.


 ……僕はもういっぺんぽかぁんと口を開けた。


 「そういう反応かぁ……」アーイーはムツカシイ顔をした。




 アーイーの話はこうだ。


 人間は、もう魔法を使わなくなってしまったけれど、動物たちの世界では魔法が当たり前のように使われているという。彼女は、鷲の魔法使いなのだ。


 動物たちの魔法というのは、生存や捕食のために使われるものがほとんどだそうだが、鷲の世界は余裕ぶっこいていた。生態系のトップにある生物は、狼もそうらしいのだけれど、さまざまな種類の魔法を開発するようになり、今やその研究のレベルは全盛期の人間をも凌ぐところまで進化している。


 で、人間をもっと知るべきだ、という理由で始まった人間変身の魔法の研究が、今では暴走していた。


 「魔力が途切れると、元の姿に戻っちゃうのよ」アーイーは言った。「果たして鷲は、いったいどれほどの間、人間に変身したまま人間として生活できるか? っていう議論があってね、今までの最長記録は、二ヶ月」


 「……とすると、君は」


 「一年の記録に挑戦中。一気に記録更新して、尾羽が引っこ抜けるくらい仲間を驚かすのよ」


 僕はいろんな意味で嘆息した。その「意味」のひとつは、大人なら絶対信じないであろう嘘みたいな話を、彼女の行状に振り回されっぱなしの僕は、何ら違和感なくずっぽり納得せしめられた、ってことだった。


 「大丈夫、自信ばっちりだから! このまま行けば楽勝、楽勝!」


 つまり彼女のヘンな行動は、鷲としての行動だったということだ。気を張らなくていいときは、できるだけ鷲の行動基準に基づいた方が、魔力の消耗が抑えられるのだという。鳴けば鳥たちが逃げていくわけである。給食のときの態度は、僕は鷲じゃないからよくわからないけど、スズメを食ったというあたりは本当なんだろうな。


 子供になったのは、そういうヘンな行動を「子供だから」で見過ごしてもらえる確率が高いからで、その狙いは的中している。変身して、魔法で先生たちをだまくらかして転校生になりすましたのだ。だから前の学校の資料なんてあるわけがない。記録を達成したら、またいつかは元に戻らなくてはならないから、卒業というかたちで去っていきやすいこの学年を選んだ。頭がいいのは当然の話で、魔法使いともなれば鷲の知能は人間より高いのだそうである。


 そして彼女は鷲としてはとっくに大人なのだという。彼女のアダルトな魅力は早熟なのではなくて、ホントに大人な存在が子供のふりをしているだけなのだ。


 本当のアーイーは、


 「絶対、一年の記録を達成してみせるの」


 とか言いながらぐっとガッツポーズなどしてみせる、けっこういい性格したねーちゃんだった。ていうか、長時間変身記録に挑戦する魔法使い、というのも、鷲の世界じゃあ十分変人、いや変鷲なんだろうな。


 それどこじゃない。呆然としている僕の前に、突然、きゅいいぃぃぃと鳴きながら、わさわさわさっと巨大な鷲が一羽降りてきたのだ。「うわぁっ!」驚いてのけぞる僕を後目しりめに、その鷲はアーイーの腕に留まった。翼の差し渡しが僕の背丈よりも大きいとても立派な鷲で、目玉をえぐり出さんばかりの勢いで、かーーーっとくちばしを大きく開いた。


 その鷲に向かって、悪びれるでもなくアーイーが言った言葉、どんなだったと思う?


 こうだ。


 「あなた! ガソくんは敵じゃないから脅かしちゃダメ!」


 「あなた……って」


 そのあなた・・・はむろん二人称じゃなくて。まるで、母さんが父さんを呼ぶような。


 アーイーはにっこり笑ってその鷲を指差した。


 「コレ、旦那」


 「はぁ?!」


 「安心して、旦那はカタギだから。魔法使いじゃなくて」


 いや、そういうことを問題にしてんじゃなくて。


 「……結婚してんの?!」


 「当たり前じゃない! そうでなきゃあたしが留守の間、誰がなわばり守るのよ?!」


 僕の、謎の美少女に対する淡い憧れは、謎が解けてもろくも崩れ去った。謎は謎のままの方がいいときもある。僕はまたひとつ大きくため息をついた。


 変鷲アーイーはそんな僕を気にする様子もない。


 「だから、悪いんだけど、協力してね。協力してくんないと」彼女は屈託なく言った。「耳、かじっちゃうから♡」

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