第2話
◆◇◆
「……様、……ミル様、……起きてください。……坊っちゃんがお呼びですよ」
アミルはノックの音で起こされた。眠たい目を擦りながら、ベッドから降りて扉を開ける。外には空色の髪の悪魔が立っていた。
「お早うございます、アミル様」
「んん、……ええっと、トーマさん、だ。――そうだ、わたし悪魔に拾われたんだった」
夢から完全に目覚めたアミルは、トーマに手を引かれて廊下を歩いた。昨日の広間を横切って、朝食室と札のかかった扉の前に連れて行かれる。トーマは流れるような動作で扉を開けた。
中は広間に比べれば、やや小ぢんまりとした落ち着きのある部屋となっていた。部屋の真ん中に置かれた長方形のテーブルには、一切のくもりもなく磨かれたフォークとナイフ、スプーンがが並べられている。純白のテーブルクロスに合わせて、鮮やかな紅の薔薇が飾られている。レイは扉から一番遠く離れた席に座っていた。
「よう。お目覚めだな、アミル」
アミルは彼に促されるがままに、彼と向かい合う席に座らされた。しかしこのテーブルは端から端までが非常に長く、目を凝らさなくてはお互いの輪郭も見えないほどである。せっかく色んな事を彼と話したかったというのに、これほど遠く離れていては話しにくいじゃないか、とアミルは少し不機嫌になる。
寝癖のついた髪をトーマに直してもらいながら、アミルは身を乗り出して話しかけた。
「レイ―、これから何するのー?」
「朝の食事だ」
「えっ、朝ごはんってこと?」
レイは向こうの方でぱらぱらと本を開いた。
「【食事】:人間が生命活動を行う上で必要不可欠な行為。一日に二、三回行う。また、他者との親睦を深めるため、食事を共にすることもある。――以上、『悪魔のための人間辞典』第××××項より」
本を閉じ、レイは立ち上がり、高らかに話し始めた。
「これを読んでおれは閃いたのだ。人間は食事を共にした相手に親しみを感じる。だとすれば、それは悪魔相手にだって同じことが言えるのではないか、とな。つまり、おれとおまえの関係性をより良いものにするため、おれは毎日、おまえと食事を共にすることに決めたのだ」
得意になって話すレイを、アミルはぎゅっと目を細めて見つめた。
「ん、ん? 何? 一緒にごはん食べるってこと? でも、レイはごはん食べなくても生きていけるって言ってたじゃない」
「嗜む程度なら、食えないこともない」
「えっ、なんて? 食べられるの、食べられないの、どっち?」
「だから――」
「もうっ、遠くてよくきこえない!」
ふてくされたアミルは頬をふくらませた。
「レイのお顔もよくみえないし、きこえないし、つまんない」
これを受けて、レイはやれやれと大袈裟にため息を吐いた。
レイが軽く指を弾いた瞬間、彼を乗せた椅子はぎゅんと床を滑るように素早く動き出し、アミルのすぐ右隣りに来ると動きを止めた。それに合わせて彼の前の食器も宙に浮いて移動し、再びきれいに配置された。
「これで文句はないな?」
レイは頬杖をつき、すぐ近くでアミルの横顔を眺めた。
「なるほどたしかにおまえの顔がよく見える」
アミルは、ぱぁっと花が咲いたように顔をほころばせた。
「うんっ、わたしもよく見えるよ!」
それからしばらくして、コツンコツンと扉を叩く音がした。レイが片手をひらりと動かすと、誰もいないのに扉がひとりでに開いた。これも魔法か。アミルはうんうん頷いた。
扉の向こうに立っていたのは、例の山羊頭の悪魔で、彼は蹄を器用に使って料理を手ずから運んで並べた。大小さまざまな皿の中に、赤、白、紫などなかなかに刺激の強い色のものも盛られていた。鼻が曲がるほどの刺激臭が辺りにただよった。アミルは思わず自分の鼻をつまんだ。形も変で、匂いもおかしい。こんなものとても食べられたものじゃない、とアミルは助けを求めてレイを見た。彼女の視線に気付いたレイは口を開いた。
「これが悪魔の料理だ」
彼は自慢げに紹介した。
「これらは全て、料理長のロジーが腕によりをかけて作った料理だ」
主の言葉を受けて、ロジーは深々とお辞儀した。山羊の手作り料理。アミルはごくりと生唾を呑み込んだ。
「まあとにかく食ってみろよ」
必死で断り続けていたアミルだったが、ロジーが期待を込めたつぶらな瞳で見つめてくるので、ついには覚悟を決め、手近にあったスープをすくってみせた。口に含む際にぷわんと奇妙な香りがしたが、飲み込めないほど不味くはない。アミルは少しほっとした。慣れれば美味しいかもしれない。
次にアミルは果敢にスープの具もすくって咀嚼してみた。が、これにはアミルの表情がみるみる険しいものになっていった。
「な、何これ……、も、もしかひて、む、虫……!?」
「悪魔が虫を食うわけないだろう。悪魔の珍味だ。――まあ形状は虫に似てなくもないが」
「え、わ、わたひ、これたべるの?」
「好き嫌いは良くないぞ。残さず食ベないと大きくなれないからな」
言われたアミルはしばらく我慢して咀嚼していたが、堪え切れずついには近くにあったハンカチの上に吐き出してしまった。
「人間の口には合いません!」
アミルは両手で大きくバツを作った。予想外の反応だったのだろう、レイは料理長を手招いて、こそこそと内緒話を始めた。
「どうやら食事を一緒に囲む作戦は、残念ながら失敗したみたいだな。……ロジー、おれは一体どうするべきだと思う? もしかしてここでの選択が人間の人格形成において一つの転換点となってしまうのか? 残さず食べろと厳しく叱りつけるか、仕方ないとが甘やかしてやるか、それとも――?」
山羊頭の悪魔は主に耳打ちした。
「いや、そう気を落とすことはない。おまえの腕は確かだ。そこは自信を持てばいい」
山羊頭はまたも耳打ちした。
「――何。人間の食事について勉強したいと? それは本当か? そうか、うむ。よく、よく言ってくれたぞ、ロジー。とても素晴らしい試みだ。おれは心から期待している」
側に控えていたトーマがアミルに囁いた。
「貴女の舌に合う食事が出てくるのはまだまだ、当分先ということになりそうですね」
アミルはがっくりと肩を落とした。
「森にあったまずい木の実ですら今は恋しいよ……」
「……では、人間の舌に合う料理をロジーが作れるようになるまで、私が人間用の料理を魔法でお作りいたしましょうか」
アミルは喜びに目を輝かせた。
「さすがはトーマさん! ぜひぜひお願いっ!」
一方のレイたちは、未だこそこそと内緒話を続けていたのだった。
◆◇◆
アミルの生活習慣は、悪魔たちの試みによって大きく変化した。
まず大きな変化として、レイが偶然人間の書物から【時間】という言葉を見つけ出したことから、アミルの生活に【時間】というものを組み込まれることとなった。といっても、永久の時を生きる悪魔にとって【時間】に対する理解は非常に乏しく、人間界の書物を頼りに【時間】という概念を知ることから始まったのであるが。
レイは屋敷内の悪魔たちに命じて、人間界から時を刻む【時計】なるものをいくつか持って来させた。これらを魔界で動かしてみたところ、どうやら魔界の流れる時間と人間界の流れる時間は完全に一致しているわけではなかったためにうまく機能しなかった。しかしこれで諦めるレイたちではなかった。
彼らの試行錯誤の末、【時計】はなんとか朝、昼、晩の三つの区分を針で指し示すことができるようになった。
森の中での生活では、ただ漠然と一日一日を過ごしてきたアミルにとって、時間で区切って生活することは、人に捨てられてからは久しい取り組みであった。慣れないながらも、アミルは尽力してくれた悪魔たちのために、何とかそれに順応しようと努めた。
朝になると、トーマが決まった時間にアミルの部屋まで起こしに来てくれる。
朝・昼・晩の食事はレイと共にとる。食事後などの空いた時間には、レイやトーマだけではなく、ミクリや他の悪魔たちもがアミルの遊び相手になってやって、屋敷内をのびのび駆け回った。元気で活発なミクリは、悪魔にしか使えない魔法をいくつも披露してはアミルを喜ばせてやった。
夜になると、アミルは自らの部屋に戻り、アミルは眠くなるまで人形と遊んだり、明日着る服を選んだり、トーマとおしゃべりしたりして過ごした。そして眠くなったら、トーマの語る不思議な物語をききながら、アミルは目を閉じ、眠りにつくのであった。
与えられる服はどれもこれもが綺麗で可愛らしく、ベッドはふかふか。お腹が減ったらトーマが魔法で食事を出してくれるし、ロジーが作る料理もほんの少しずつではあったが、上達していた。――このように確かにアミルの生活の質は格段によくなったのだが、アミルはこの変化に対してはそれほど重きを置いていないようでもあった。
アミルの周りで起こった変化の中でで何よりも、何よりも喜んでいたのは、自分はもう独りぼっちではないということだった。屋敷の中、どんな悪魔もアミルに優しく接してくれた。名前を呼べば、反応してくれるし、問いかければ、答えてくれる。そんな人間としては当たり前の活動が、アミルにとっては貴重で、飛び上がりたいほど嬉しいことだった。
そして驚くべきことに、この悪魔との不思議な生活は、アミルが同じ人間の家族と過ごしていた頃よりずっと、充実しているようにアミルには感じられるのだった。『一人』と『独り』は違う。アミルは頭でなく心から理解していた。自分を捨てた家族との生活は、確かに『一人』ではなかったが、絶えずささやかれる自分への悪口が、自分などいなくてもいいのだという気を起こさせた。それは、孤独だった。誰ひとりとしてアミルのことを見てくれた者はいなかった。アミルはいつも独りで、いつも寂しかったのだ。
しかし、今はどうだろう。この屋敷には人間は自分一人しかいないけれど、決して孤独ではない。レイをはじめとする悪魔たちは約束通り(約束を覚えているかどうかは少し不安だったが)、自分と仲良くしてくれている。それは自分が人間という珍しい存在だからということも、もちろんあるだろうが、それだけであれば別に必要以上に関わり合うことはしなくていいようにも思う。まだまだ彼らの考え方は分からないけれど、彼らから向けられる温かな情をアミルは感じ取っていた。そしてアミルはそれを疑うことなく、心から信じていて、彼女もまた同じ気持ちを返そうとしていた。
こんなにもおおきな変化を彼女にもたらしたのは、他でもないレイという悪魔の存在。意地悪で素っ気なくて、時々アミルの想像をはるかに超えた試みをしようとする彼であったが、それでもアミルは悪魔の中で、彼が一等好きだった。彼には遠慮なく物も言えたし、彼のためなら少しくらい怖いことでもやってあげたい気持ちを強くもっていた。アミルはアミルなりに、レイと一緒にいる時間に大事にしていた。
◆◇◆
そんな安定した生活が送れるようになってから、ある日のこと。
昼食の席でレイは突然こんなことを言い出した。
「そろそろおれの『人の子』もそれなりに様になってきたんじゃないか? そう思うだろ、トーマ?」
トーマは微笑みをもってレイに返した。彼は満足そうに頷いた。
「……となれば、だ。さっそく披露宴を開かなくちゃいけないな」
「披露宴?」
アミルは皿に盛られた料理を口に含みつつ尋ねた。
「それって何? レイたち以外の、いろんな悪魔がここにやってくるの?」
「そうさ、披露宴なわけだから。おまえを見にやって来るわけだ」
アミルは恐る恐る尋ねた。
「それって、こ、怖い悪魔も来るんだよね? わたしのこと知らない悪魔がいっぱい、……」
アミルは途端に不安げに瞳を揺らした。
「ううう。それってわたしも出ないとだめかなぁ、」
「おいおい、アミル。おまえはちゃんとおれの話をきいていたのか? いいか、披露宴だぞ? おまえ以外の何を披露するっていうんだよ」
「だって……」
「何を嫌がることがある? いたるところから悪魔がいっぱいくるんだぞ。賑やかでいいじゃないか。人間はそういう、群れてわいわい騒ぐのが好きなんだろ? だからおれたちも、」
「……そりゃ、レイみたいな悪魔ばっかりならいいけど」
「おれみたいな悪魔ってなんだ?」
「だから、その、怖くない悪魔とか」
「怖い悪魔って何だ」
「その、わたしの嫌がることをしない悪魔とか」
「何だそりゃ」
「――とにかくわたし、悪魔でも人間でもいっぱい集まってる場所が苦手なの!」
アミルは「ごちそうさま!」と手を合わせると、そそくさとその場から逃げ去ってしまった。
残されたされたレイと従者の悪魔たちは、小さく集まってアミルの不可解な言動を分析し始めた。
「どういうことだ。さっきまであんなに元気だったのに。披露宴をやると言い出した途端にああなった……」
悪魔たちは口々に騒ぎ出した。それを制しながら、レイはそれぞれに話を聞いていった。
「披露宴が嫌だってことですよね? しかも大勢集まるところが苦手だって言ってましたね」「賑やかな場が嫌いな人の子なのではありませんか?」「なるほど。じゃあ、招待する悪魔の数を抑えて、なおかつ、レイア様のような悪魔を選べば……」
レイは首を傾げる。
「それなんだ、わからないのは。一体なんなんだ、おれみたいな悪魔というのは? それは、あれか、おれみたいな顔をした悪魔ってことか? となると、人間の生体に近い一頭二手二足の悪魔ということになるのか?」
主の言葉に、悪魔たちはさらにざわめく。
「なるほど、そういうことだったんですね! そうと分かればさっそく、招待状をお作りしましょう」「それにしても宴とは、久しぶりじゃありませんか?」「美味しい料理と素敵なドレス、そして豪華な披露宴。これがあればどんな人間もご機嫌になるにきまっていますよ、レイア様!」
レイは満足げに頷きながら、アミルの去って行った方を見やって、にやりと口角を上げた。
「待ってろアミル、おれたち悪魔が、豪華で豪勢な披露宴にしてやるからな……!」
◆◇◆
朝。アミルはベッドの中でうずくまりながら、扉がノックされるのを今か今かと待っていた。昨日は披露宴のことが気になって少しも寝付くことができなかった。不思議な物語を語ってくれたトーマに、さりげなく披露宴のことを聞いてはみたのだが、ただ一言「楽しみにしていてくださいね」としか答えてくれなかったのだ。
いつものアミルであれば、レイの申し出に喜んで応えてみせただろう。しかし、全くの見知らぬ悪魔と顔を合わせるということは、さすがの彼女でも恐怖心を隠し切れなかった。……もし、悪魔に痛いことをされたら。魔法でいじめられたら。他にもあんなことや、こんなことをされたらどうしよう、と次から次へと心配事が浮かんでくる。それに、この披露宴では他でもないアミルを披露するために開かれるのである。いつも一人で――独りだったアミルにとって、自分以外の何かと出会うというのはそれなりに不安を覚えることであった。
そんなことをつらつら考えていると、トーマの控え目なノックが聞こえてきた。
「アミル様、お目覚めですか? レイア坊っちゃんがお呼びです」
「う、ん……」
アミルはベッドの上でもぞもぞ動いた。普段であれば、ベッドから飛び出して、トーマに食事処まで連れて行ってもらうのだったが。
「アミル様?」
トーマは何度かノックをしたが、返事がなかったので静かに扉を開けて入ってきた。
「まだ夢の中ですか?」
「ち、ちがうよ」
アミルはシーツにくるまりながら、窺うようにトーマを見上げた。
「きょ、今日、……今日さ、披露宴の日だよね」
「ええ。アミルさまがお目覚めになったら始めると仰っていました。既に多くのお客様がお見えになっていますよ。さあ、アミル様も」
「……いっ、行きたくないなあ」
ぎこちなく笑顔を浮かべるアミルを見て、トーマは微笑んだ。
「そう仰ると思って、レイア坊っちゃんが色々と工夫なさっていましたよ」
「えっ」
「一度、お顔をお出しになってみてはいかがですか? レイア坊っちゃんも外でお待ちになっていますから」
促されるままにアミルはベッドを抜け出した。やはりトーマには、優しさの中に厳しさが――『いいえ』を言わせない雰囲気があった。
部屋の外では、レイが壁にもたれてアミルを待っていた。
「よっ、今日の主役がお目覚めだな。こっちだ、こっち」
そう言ってレイが指さしたのは、昨日まで何のへんてつもない、ただの壁だった場所である。白い壁は、可愛らしいハート形の扉に姿を変えていた。レイは得意そうににやにやしていた。
「おまえが眠ったあと、こっそり作ってみた」
入ってみろよと言われ、恐る恐るアミルはドアノブを引いた。開かれた扉の隙間から、弾けるようにまばゆい光が幾筋も漏れだした。
アミルはあまりの眩しさに目がくらんだ。目の上に手をやりながら、ゆっくり足を踏み入れる。そこには、大小さまざまの宝石が散りばめられたドレスや装飾品がずらりと一面に用意されていた。アミルは一度その場に立ち尽くしたが、すぐにそれらの美しい物たちへ駆け寄った。テーブルの上には、大粒の紅玉の指輪に、金や銀の首飾り、翡翠の耳飾りに、花びらを模した桜色の水晶の髪飾り、絹のリボンが虹を描くように並んでいた。その中に、人間の言う【美】を模索した結果、まがまがしい骸骨の頭のついたブレスレットや目玉のついた鎖などもあった。それを見て一瞬ぎょっとするアミルだったが、しかしそれほど心に留めることなく、輝く装飾品たちを次々に見て回った。足元には、革や硝子の靴が一列に並べられていた。アミルはしゃがみ込み、食い入るように見つめた。アミルの瞳はきらきらと輝いている。立ち上がり、移した視線の先には、クローゼットに収納された美しいドレスがあった。赤、黄、緑、青、白、他にも多様な色があり、襟元やスカートの形など細かなところまでそれぞれに違っていた。アミルはクローゼットをのぞっこんでは、その美麗さに「ほう、」と溜息をもらし、自らの手で触れることもせずに、ただただ我を忘れて見惚れていた。
そんなアミルの様子を、レイは最初こそ満足げに頷いていたが、次第にじれったくなったのだろう、ずかずかと部屋に入って声を掛けた。
「な、すごいだろ? 人間界に行って、色々とおまえが喜びそうなものを勉強してきたんだ。これはぜーんぶ、おまえのものだ。さ、好きなのを選んでみろよ」
「わたしの……? え、で、でも、こんなのもらえないよ……」
レイの声に、夢から醒めた心地になったアミルは途端に気おくれしてしまい、すっかり俯いてしまった。
「こんなに綺麗なのに……わたしがつけたら、よごしちゃうかも」
レイは驚愕のあまり、しばし言葉を失った。
「何言ってるんだ、おまえのためだけに用意させたのに」
「だって、」
「どうした。気に入らなかったのか?」
「ち、ちがう! とっても気に入った! だけど、わたし、あなたから色んなものをもらってばっかりで――」
「そんなことか。人間は与えられないと拗ねるくせに、与えられすぎると拒むんだから面倒だな」
レイはやれやれと大袈裟に肩をすくめた。
「おまえは素直に喜んでいればいいんだ。それがおれにとって一番喜ばしいことなんだから」
「でも……」
見るに見かねたトーマが前に出て、アミルに耳打ちした。
「アミル様、考えてみてください。アミル様が一生懸命選んだプレゼントを、断られたとしたら、どのようなお気持ちになりますか?」
「えっ、……いやな気持になる?」
トーマはふっと微笑んだ。
「おんなじですよ」
アミルはすっかり納得して、ようやく今日身に纏うドレスや靴、飾りを選び始めた。右を見ても、左を見ても、部屋中綺麗な物ばかりで迷う。アミルは試しに腕を通し、装飾品を身に付けてはレイに見せた。すっかり浮かれているアミルの様子を見て、機嫌を直したレイは可笑しそうに見守っていた。アミルは思う存分、鏡の前で見比べて、今日の服装を決めた。
「出来上がりか?」
椅子に腰かけていたレイはゆっくりと立ち上がった。
「うんっ!」
「よし、じゃあ行こうか」
アミルは頬を赤く染めながら、レイの腕につかまった。
「レイ、ありがとうっ」
「……? 何か言ったか?」
彼には聞こえなかったようだった。
◆◇◆
彼が案内した部屋は、アミルのよく知る、いつもの屋敷とはずいぶん雰囲気が違っていた。だだっ広い空間に、目の痛くなるような豪華な飾りつけ。所々、アミルとしては、いかがなものだろうかと思うようなおぞましい飾りもあったが、どれもこれも素晴らしく、趣向を凝らした飾りつけであった。丸テーブルの上には、大輪の花がうつくしく活けられていた。
見知らぬ悪魔が大勢いる。アミルは思わず身を固くした。が、彼女の予想していたほど悪魔は多くはいなかった。至る所で耳慣れない悪魔の言語――【魔語】が聞こえてくる。
悪魔たちはそれぞれの手にグラスを持って、赤や白の液体を口にしていた。アミルはまるで自分が異世界にいるかのような気持ちになった。しかし、比喩ではなく、真実自分は魔界という異世界にいることに改めて気づかされた。
「これが披露宴、なんだね……」
「これでも数を減らしたのですよ」
控えていたトーマが囁いた。
「悪魔は人間ほど多くは存在していません。ですが、数百は超える悪魔がこの魔界には存在しています。まあ、実際に数えたわけではありませんから、厳密には違うでしょうが。――本日お招きしたのは、その数百魔の中でも、貴女が嫌悪感を抱かないであろう悪魔を、レイア坊っちゃん自らがお選びになった者たちなのですよ」
「どういう基準で選んだの?」
「主に人間型の悪魔ですね」
「そうなんだ、」
「よってロジーは今回不参加となりました」
それを聞いてアミルは、頭の中にぱっとしょんぼりしているロジーの姿が浮かんだ。一緒に生活していてわかったことだが、ロジーは意外と打たれ弱かった。悪いことをしてしまったとアミルは思った。ふと、食事の置かれたテーブルを見ると、ほとんどが悪魔用に作られたものであったが、その中に小さく、アミル専用の料理も置かれていた。後で謝りに行かなくちゃ、とアミルは思った。
突然、隣に立っていたレイが大きく手を叩き、皆の注目を集め始めた。
「注目!」
魔法を使ったのであろう、ちょうどレイとアミルが立っていた床が丸く切り取られ、ゆっくりと浮かび上がった。丸い床はそのまま彼女たちを乗せて、上へ上へと伸びていった。パチン。指を弾く音がした。その音を合図に、部屋の明かりが一瞬にして消えて暗くなった。それから間を置いて、またパチンと音がする。次の瞬間には、天井の方からスポットライトのような明るい光が射し込み、アミルたちを照らし出した。
急なことに驚いたアミルは、思わず彼の方へと身を寄せた。レイは一呼吸おいて非常に堂々とした口振りで話し始めた。
「やあ、諸君。よく集まってくれた。今日集めたのは他でもない、おれの育てた人間を皆にみせたかったからだ」
アミルはぴくりと肩を震わせた。
「みてくれ、」
場にいる悪魔たちの視線が集中するのが、下を覗かずともアミルには分かった。
「これがおれの育てている人間だ。名はアミル」
ここまで来てしまったら、仕方ない。アミルは一歩前に出て、一礼した。アミルは今、多くの悪魔の注目を浴びている。口を引き結び、なんとか耐えようとしたが、すぐに彼の後ろへと逃げ込んだ。
「おい、なんで隠れるんだ」
「な、なんとなく」
レイは呆れたように溜息を吐いたが、改めて皆の前に向き直って、
「このように、まだまだ大したことのない人間の子だが、」
彼はアミルを一瞥した。
「こいつは近いうちに、大物になるとおれは思っている」
アミルは不思議そうに彼を見つめ返した。彼が何を思ってそう言うのか、わからなかったからだ。レイは笑った。悪意のない、純なる心からの笑みだった。
アミルたちが降りてくると、下にいた悪魔は待ってましたと言わんばかりにわらわらと群がってきた。たちまちレイや屋敷の悪魔は取り囲まれ、質問攻めにあった。
【人間の子は何を食べるのか? 何を目的に生まれたのか?】【何の能力を持っているのか?】【それは良い時間つぶしになるのか?】――など、悪魔たちからの質問は尽きない。
アミルは群衆を避けてひとりになろうとしたが、彼女の姿をめざとく見つけた悪魔が次から次へとやってくる。アミルは側にいたトーマに助けを求めて、小さな休憩室まで案内してもらった。
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