第8話


 *


「私はね、神になりかけた女。だから神の力はなくとも、抗うことは多少出来るの。外へは出れない。代わりに外を覗くことが出来る」

 藤道は聞いた。鈴音の過去――、両親が亡くなり、噂に聞く神へと足を運び、何度も挑んでは返り討ちにされたこと。叔母に引き取られたが、そのことにより友達だった者からいじめられたこと。叔母は優しくあったが、自分の居場所までは作ってはくれなかった。自分の息子らばかりに、構っていたのだという。

 自然と足は憎い者へと向かい、何度も通ううちに彼が話しかけてくれたのだ。

「すごく恐かったけど、でも、温かかった」

 鈴音自身も、自分が人ではなくなる感覚があったという。例えば生まれつき悪かった耳が、徐々に良くなってかなりの距離でも声が聞こえたり、体がすこぶる丈夫になったなど。

 それを感づいた神はすぐに行動に移し、鈴音を人間の世界へ戻すことに成功した。

「私、拒絶されたんだと思う。いつまでも係わってくる私が面倒になったの。でも独りは嫌でしょう、誰でも。だから約束してもらった。伝説の雪を降らせてみせてね、と。――後から聞いた話、その雪が降ったのって過去から数えても重もないんだって。作るのも大変で、命消えるまで続く痛みと、半分の命を使わなければいけないらしいの」

「だからこの子は何度も命を絶とうとした。それを何度も助ける私たち。どうお思いになりますか、藤の宮様?」

 苦笑する店主に、藤道は黙考した。まさに自分が同じ立場ならば、全く同じ行動をしそうだと思ったからである。それに気づいたのか、鈴音は寂しそうに笑った。

「私と貴方は少し似ている。考え方が、ね。貴方は家族がいる。……私もね、こんな化け物と知っていても、母様がいるの」

 身分が違いすぎるのに、貴方と話が出来るなんて凄い。その横顔に藤道は思わず俯く。確かに家族はいる。やったことは正しいとは思う。けれど、後悔してないのは嘘だ。

「蛍、伊勢、透子、沙羅。この中の誰かが運ぶことになっているはず。あの寒い北の地を、食料もなく歩き続けているはず。――舞雪は歩く振動を受けないと消えてしまうから。……やはりね」

 私が悪いんだね。そう呟いて袂から小刀を取り出す。周りの人々が駆け出したのも虚しく、距離がありすぎて届かない。細い首に刃が向けられ、近付き、薄い皮膚を切った。



「鈴姉様っ!」

 どこからか飛び出した四人の女に、皆驚愕する。よく見ると、北の地へ旅立ったはずの三人と、従者の一人が鈴音を押さえつけていた。

「自ら命を絶ってどうするんです!」

 怒鳴る伊勢に、辛そうな表情の蛍。透子は抗う手足を必死に押さえていた。

 しばらく暴れ続けた鈴音は、体力がなくなったのか、肩で息をしながら妹分を睨みつけた。

「放しなさい」

「嫌です」

 三人の揃った返事に、鈴音は一瞬冷静になり、はっとして質問を投げつける。

「どうしてここにいるの、貴方たち……!」

「それは彼女のお陰で」

 そう言って、一緒に飛びかかった従者が頭を下げる。

「彼女、穴に落ちた瞬間外にいたから、木の枝の餌食にならずに済んだわけ。牛も元気だったから、壊れた牛車を降ろして私たちを運んだ。……と言って分かるのかしら」

 透子の言葉を受け、伊勢は続ける。

「神、と名乗る人に言われたんです。今一番何かに気づかないといけないのは沙羅だから、私たちは一足先に帰れと。町には強風が巻きついてましたが、神様のお陰で何とか帰れました。そこで家に着いたら鈴姉様と母様がいない。急いで追ってみたら、この状況です」

 最後は鈴音を責める口調で強く発音したが、鈴音は呆然としており、こちらを一切見ようとしない。

「伊勢のせいで壊れた牛車に乗る破目になって大変だったの。何せ半分無い状態だったから、雪混じりの冷たい風が横からひゅうひゅう、と」

 ふふ、と上品に笑う蛍に、あれは貴方のせいだったのね、と蛍が詰め寄る。

 瞬間、壁の近くにいた鈴音が吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。他の者もその場に尻餅をつく者や、所々にある木などにぶつかり、怪我をしている者までもいた。

「どうしたんだ!」

 鈴音は起き上がり、ひとりごちた。

「来た」

 

壁は先程とは比べ物にならない程強く吹き、轟々とおぞましい音を立て始めた。辺りにいる者は既に立っていられなくなり、地面に突っ伏す。壁から噴き出す風に木々ももげる程に揺れている。

壁は土や小石などを巻き上げ、竜巻のように徐々に高くなっていく。鈴音はそこを目を細めて見つめるが、砂などが邪魔でよく見えない。しかし、薄ら人影が見えた気がした。

「向こうに沙羅がいるのか」

藤道の声にはっとして、隣に視線を向ける。何度もつまづきながらも、鈴音の近くへと歩みを進める。

「立っては駄目!吹き飛ばされる!」

 藤道はしゃがみ込み、鈴音にもう一度問うた。その声は冷静で、その目は真っ直ぐ壁の向こうを見ていた。

「沙羅はいるのか」

「……多分、いると思う」

 藤道は姿勢を低くしながら、前へと進んだ。鈴音はもう一度叫ぼうとして、その背中に感化されたのか、同じように進み始めた。

「自分に責任を押しつけてる場合じゃないわね」

 その言葉に藤道は笑みを零した。



ようやく辿り着いた町は、風の集まりによって全く見ることが出来なかった。沙羅は神の言う通りだった、と悔しさを顕わにする。

「ここまでする?」

「我の為を思ってのことだろう。思う、と言っても神の評判を落とさないように。――信仰してもらわないと力は無くなるから」

 納得する沙羅は、新たな壁を見つけた。

「ねえ、これって……」

 指差した先には地割れのようなものが存在しており、町の壁に近づくことすら出来ない。地割れは深く、広く。飛び越えることなど以ての外。長い橋でも架けてもらわないことには通れそうもない。

「どうするの!貴方、何か使えないの?目前にあっても、届かないじゃない!」

 冷静さがみるみる消えていく沙羅に、落ち着くよう注意する。

「力は前の神に預けて、あの場を守ってもらっているんだ。そんなものあったら既に使用している」

 体が崩れ落ちそうになる。しかしここで倒れては、二度とは立ち上がれない気がした。沙羅は足に力の限りを込めて耐える。胸に手を置いて、握り締める。布の向こうにある紙の感触がした。

「出来ることは、ある?私、やれることは何だってやらなきゃ」

「……ある」

 神はそっと背中の光を指す。沙羅も首を回し、光を見つめる。すっかり輝きが弱々しくなっていた。

 かけていた紐を取り、抱えると神が手にした。そして中にある玉を沙羅に渡して布を広げ、何らかの形にしようとしていた。初めて見た玉は、一度だけ目にした水晶のように美しく、丸かった。滑り落ちそうなほど表面が滑らかで、透き通っていた。輝きの色は全て赤色をしていた。

「雪なのに、赤……」

 少し可笑しくて微笑むと、それに応えるように光った。

「出来たぞ」

 そう言って玉を受け取り、紐の端を片手ずつに掴ませた。布は少し破った跡があり、引っくり返して笠のような形にさせていた。沙羅は全く考えが理解できず混乱した。どういうこと、と問われる前に説明する。

「この玉の一つを割り、風を起こす。そしてお前を浮き上がらせる。正面突破は無理だ。ならば上から越えるしかあるまい。残る二つ。どちらか一つでいい、割らずに地面に着け。割らなければいいから」

「風を起こすって……どうして?」

「舞雪とは、つまりは力を持っているかどうかなんだ。玉の形は、力を外へ逃がさない為。割れば力は噴出し、どこかへ散る。その散る衝撃を利用し、お前は飛ぶことになる」

「まあ。じゃあ私、空を飛ぶの」

 他人事のように笑う沙羅に、神は心配になる。どんなに衝撃が強いからといって、上手く壁に触れず越えられるかも分からない。触れる触れないよりも、本当に越えられるのか、という所だ。それを聞く沙羅は今一つ真剣みが感じられない。

「考えたら上手くいくの?そうじゃないでしょう」

 確かに、と笑顔の沙羅に静かに笑い返す。

「私を選んだなら、最後まで信じて」

「……ああ、分かった」



「沙羅!」

 遠くでそんな声が耳に届いた。はっとして辺りを見渡すが、人の姿などいない。ましてや知り合いもいない。では、と壁の向こうに視線を移すが風のせいで何も見えない。

「沙羅!聞こえるか!」

 風の音に混じって、そんな声が確かに聞こえる。神と視線を合わせ、頷きあう。そして沙羅も必死に答えた。

「貴方は誰!」

 と言った瞬間、勘だが誰だか分かった気がした。すぐに今の言葉を掻き消すように叫んだ。

「私、今から飛ぶから!」

「飛ぶ?!」

 短い悲鳴のような声に、沙羅は一人頷いた。風が雪や砂を運んできて、目が痛くなる。

「そう!だから、受け止めてね!」

 しばらく返事が返ってこなかった。少し身勝手、というより言葉足らずだっただろうか、と沙羅は心配になったが、返答が聞こえた。

「……なら、沙羅から見て右、少し風が欠けてる所、見えるね?」

指示通り右へ視線を動かすと、隣よりへこんで見える。

「よく気づいたな。さすがに町全体を囲っていると疲れや力切れが起こり、ああ

いう風にずれが出来る。沙羅、あそこに向かって飛べ」

「う、うん!」

渡された二つの玉を懐に入れ、何度も確認する。本当ならもっと落とす心配のない場に入れたいが、ここ以外思い付かない。

「沙羅!足を上に上げて!背中から落ちてくるんだ、後はこちらが……」

途切れる音に、勿体なさを感じる。さらに安堵を感じ、すっかり安心していた。

「落ち着いているが、――もしかしたら体が無茶苦茶に切れて、死ぬかもしれないんだぞ……」

「神様、あまり死ぬなんて物騒なこと言わないで。――私はね、ずっと逃げてきたわけ。だからもう既に心は決まっているの。……貴方には感謝しきれないわ」

さあ、と促され神は頷く。助走して来た沙羅の足が地面を蹴った瞬間、神は思い切りひびに玉を投げ入れた。岩にぶつかり割れた舞雪は赤い光を放射し、衝撃を生み出した。ひびの中なので分散することなく、真っ直ぐ沙羅を持ち上げる。

「わっ」

笠型の布が上手く風を掴み、体が地面から空へと上昇していく。体勢を崩し、前のめりに浮かんでいくが、何とか体を丸めて声の通り足を宙に投げ出す。下手すればそのまま回転しそうだったが、重心を変えて風の届かない場所まで行く。

急に壁が上昇した風に見えた。丁度沙羅の肩が通過しようとしてた時で、肩に鋭い痛みが走る。あまり痛さに布を離してしまい、落下速度が上がる。反射的になんとか頭を上げて避けたはいいものの、すっかり体勢が崩れてしまった。何度か回転し、段々と近づく地面に初めて恐怖を覚える。

(藤道様、藤道様!)

頭から突撃するかと思い、目を閉じた。


「待って、待ってくれ沙羅!」

懐から落ちた玉が弾け、沙羅は再び舞い上がり、地面から遠のく。

「ふっ、藤道様あ!」

力一杯目を瞑っていたことにより景色などまるで見ていなかったが、何かにぶつかって地面を滑る音にようやく目を開ける。

「まあ……」

「沙羅!」

抱き締められ、呆然とする沙羅は現実に戻った。

「無事かい?肩に傷があるようだ……。痛い、だろう。誰か早く手当てを!」

「沙羅!大丈夫?」

沙羅の周りにはたくさんの人が集まっていた。姉や母、見知らぬ顔も多くあった。

「藤道様……」

「沙羅、藤の宮様よ!このお方が誰よりも早く沙羅に追いついて、貴方を受け止めたのよ!貴方すごい速さだったのに、簡単に抱き締めてしまわれたのよ!」

「はは、言い過ぎだよ。もう一度浮いてくれなかったら、間に合ってなかった」

久しぶりに興奮したよ、と力無く笑う腕の中で、沙羅は思わず泣いてしまった。せき止めていた物が全て流れるように感じた。

「こわかった」

子供のように自分の思いを吐露してしまい、恥ずかしく思うが堪え切れなかった。

「わわ、大丈夫だ。凄かったよ、私の舞雪」

「……舞雪を知ってるの」

「鈴音……さんから教えてもらったんだ。あ、そういえば彼女は」

と呟いてから、それ所ではないことを知る。眉をぎゅっと寄せて腕を回しながら泣く彼女に、愛しげに微笑む。背中を優しく叩いてやると嗚咽が少し小さくなった。

「子供扱い、しないでよう」

顔を上げた瞬間飛んだ涙が、懐から覗いていた玉に当たり、目が痛い程に強く輝き始めた。

「わっ」

玉が空へと昇っていき、一際輝いて消えた。すると、その入れ替わりに雪が――光を身にまとった雪がちらちらと降ってきた。

「沙羅、雪だ……、それも飛び切り綺麗な雪。約束が果たせたね……」

涙の残る瞳に雪を映した。沙羅は静かに眺めた。とても美しい、心からそう思えた。

「私は貴方をお慕いしています」



「行ってしまうの」

 鈴音に神は微笑んだ。

「そうだ。神として失格だからな」

「――私はまた、一人だわ。また、親友がいなくなる」

 透け始める体を見つめ、困ったように神は笑う。

「我は消えても、死にはしない。遠くへ飛ばされるだけだ。……消える前に名前をつけて欲しい」

「どうして?」

「お前が会いたくなった時、その名を探して来ればいい。我は行く場所の目立つ場に名前を刻み、進んでいくから」

 黙ったままの鈴音に、雪はどうだ、と問う。すると首を振ってそんなことよりも、と口を開いて、また閉じた。

「何を言っていいのか、分からない」

「ならば、何も言わずともよい」

「でも」

「お前は一人ではないぞ」

 優しい声音に、鈴音は余計に何も言えなくなる。

「沙羅や他にもたくさんの妹分や、母がいる。友達もいる。お前から自分を閉ざしてどうする?たえず笑顔の奴は恐ろしいが、いつも無表情の奴も恐ろしい。周りを見て、まずは笑ってみろ。せっかく表情があるんだから」

 もう体の半分も残っていない神は、消えるのにこんなに遅いのは、他の神の仕業か、と苦笑する。鈴音は意を決して叫ぶ。

「紅、……これは、貴方の名前。私、すぐに探すから。待つのは嫌だから、遠回りでも会いに行く。だから、貴方も早く私の所に辿り着いて」

「……我を探している間に、親友の位置よりも上の場所を探しておけ」

「え?」

 神の姿は消えた。鈴音はしばらくそこに居た。



「この雪は望みが叶うものではないのね」

 大騒ぎする町の人々を見て、沙羅は少し笑ってみせた。未だ動く気配のない彼女のせいで、藤道はずっと地面に座ったままである。誰か知り合いが見れば、形相を変えて怒鳴られることだろうが、今はいい。藤道は頷いた。

「あ、そうだわ。藤道様、貴方謝りに行かなきゃ」

「誰に?」

「決まってるでしょう、貴方の家族に!」

 立ち上がり、怒った表情を浮かべる沙羅に、理解が追いつかず藤道は尋ねる。

「私はもう、彼らとは家族では――」

「何を、言って、いるの!駄目よ、家族がいるのに自ら縁を切るだなんて。馬鹿もいい加減にしないと、許せないわよ。ほら立って」

 手を借りて立ち上がる藤道は、嫌悪感を顕わにした。

「今行けば、私が言った言葉も全て無駄になる。愛する弟でさえ酷い言葉を言ってしまったのに。今更行けるわけがない」

「本当に賢いのかよく分からないわ。家族への言葉が元々無駄なの。……謝って全てが終わることはないでしょうけれど、許してもらえなくとも、何度も縁を紡いでいくのよ。――数少ない唯一の家族でしょうに」

 困ったように笑い、沙羅は藤道の言い訳を潰していく。

「鈴姉様はきっと神様の所よ。でも蛍姉様よりも鈍いから、違う方向に進んでるかもね。ともかく心配はいらないし、私の怪我は深くないから大丈夫って言ってらしたわ。お姉様たちとの再会は後ででも出来るし、今やるべきことがあるでしょう?」

 一息で言ってのけた沙羅に、参ったとのため息が漏れた。仕方なく牛車に乗り込み、行き先を告げる。

「――沙羅には敵わないよ」

「あら、かなわないと言えば、貴方の望みは叶ったの?ねえそれで、貴方の望みは何だったの?」

 藤道は先程の返し、と何も答えなかった。が、その視線が揺らがず沙羅に向けられていたので、何となく分かってしまった。

「私の望みも叶いましたよ?お返事はまだですが」

「普通、女性が先に言うものではないだろう……?」

「普通なんて知らないもの」

「……その嬉しいお言葉に、私の全てをもってしてお応えしようと思います。――愛の全てを込めて」

 二人は微笑んだ。風によって宙に浮いた雪が、憧れの空へと舞い上がった。



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舞雪 黒坂オレンジ @ringosleep

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