第7話


 *


 先程、耳に届いた話しに、藤道は驚愕する。そしてすぐさま準備をし、父の下へと急いだ。

 すると、

「お前は藤道を、何だと思っているんだ!」

 障子が外れ、父の体が飛んできた。それを見て、何事かと状況を掴めない藤道は、ともかくも父へと駆け寄る。父はすっと見据えた。その視線の先には、拳を握った、叔父の家定がいて。何かを堪えるような表情のまま、歩み寄って来る。

「……藤篤、今のは藤道の拳だ。私はな、どんなに恥ずべきことだと罵られても、お前を殴ったことに対し謝罪はしない」

「叔父上? 何があったんで――」

「藤道、お前も悪い。どうしてもっと早く私に言わない? そうすれば事は早く済んだのだ」

 藤篤は立ち上がり、実の弟を睨んだ。

「しかし、お前が何より一番悪い。お前、家族を何だと思っている……? 藤道の行動に制限だと? 軟禁と大差のないことをしているではないか! 誰が人を縛る権利があるというのだ? 自分の兄ということを、ここまで恥じたのは、今、この時が初めてだ……!

 ――しかも何だ、ある所では藤道の気に入った人を捕まえ、処罰していると聞いたぞ。何だそれは。お前は神か? 仏か? ここまでお前が下劣とは……、見損なったわ……!」

「……偉そうに言うようになったな、家定。実の兄に暴力を振るうとは」

「先程の言葉に嘘はない。謝罪も、反省もせぬ」

 二人のおぞましい憤怒の世界に入れない藤道は、しゃがんだまま動けずにいる。

 ――その時、藤篤の視線が藤道の余所行きの服装に移った。珍しい、外に出てはいけないと言い聞かせているはずなのに。ここで、藤篤は怒りの矛先を藤道にぶつけ出した。

「藤道、お前は、どこへ行くというのだ! ここ最近は大人しくしていたというのに。ならぬ、ならんぞ、私は許可した覚えは無いからな。早く部屋へ戻れ!」

「――兄者、私の言葉何一つ聞いて無かったようだ」

 再び拳が落ちてきた。しかしそれは藤道の制止によって、宙に止まることとなる。

「退け、藤道」

「いいえ、退きません。貴方がやっていることは、私の為にはならない」

「――そうか、叔父の思いも全て水の泡か」

「そうではありません。ただ、私は穏便に事を進めるべく、我慢してきたのです」

 叔父から視線を逸らし、藤道は父親と向き合った。そして、自身のこれからの意向を告げた。

「どうやら十の内の一つ、牛車の到着予定がかなり遅れているようで。もし遭難していたら、食料が持ちません。乗車している者たちが命を落としてしまう前に、私どもが北へと赴くことにしました」

「しました、だと? 私は許可せぬ、ここで待っていろ」

「いいえ、私が行くのです。言い出した本人が行かねば、町民に示しがつきません」

 お前が示しと来たか。そう嘲笑う父親に、藤道は構わず彼が抱えてきた過去を口にする。

「私は夫婦仲を切る前、初めて涙する母上を目にしました。その時、貴方に言いましたね、〝母上を泣かした父上を、私は怨みます〟 と。私はまだ幼くありましたが、けれど貴方が悪いことを理解していました。家の主としてしてはならないことを、やってしまわれたこと。私の目は、貴方が恐れる程に強い光を宿していましたか、はは。――私を部屋へ閉じ込めたのも、全て私を恐れてではありませんか?」

 二の句を言えない父に、藤道は詰問する。

「今でも許してはいませんよ。その気になれば、貴方をこの中野家から追い出すことだって出来る。何故なら私は少なくともあなたよりは頭が働く。味方になってくれる者たちも大勢いる。こんなことを息子にして、皆が黙っているとは思えない。 

 けれどあなたは思っていた。私がこのことを口にするはずがないと。 

 あなたは行動を制限した。自分に抵抗するなと、すれば母を襲うと脅した。それで十分。

 私を操れると? ええ、確かにあの時まではそれで十分だった。けれど、今は違う。今の私を制せるはずがない。

 ――私には現在貴方をも越える財がある。嘘ではありません。隠れて作家となり、密かに金を稼いでいたのです。つまり権力がある。昔はなかったものでしたね。……これから私は母上の屋敷に、幸いにも住まわせてもらうことになりました。あなたの手は届かない。もう、貴方の力は私には及ばない」

 突き放すような底冷えした声は、父親だけではなく周りの人々も、驚き、恐れた。

 鋭い視線に耐え切れない父は、視線を床に止めたままだ。それに気づいた藤道は

 場所を変えて父と視線を交わせた。

「貴方は、何に逃げるんですか?もう立派なご家庭を築いているというのに、藤丸とは全く会話しない。奥様と一緒に居る姿など、ここずっと見ていません。母上ではない愛する人を、大切にする義務が貴方にはある。――だけど、母上のことを決して忘れてはいけない。貴方が嫌でも母上を思い出すように、私はここに居たのです。だからこれからも、母上に謝罪の気持ちを持っていて。そうすれば」

「……そうすれば、どうなる?」

「私はこれから、貴方に何一つ干渉しません。言葉でさえ交わしません。二度と貴方の前には現われないことを約束します。――つまり、貴方を怨むことを止めます、だからといって勘違いしないで欲しいんです。私は許しはしません。間違えないで。 

 ――その条件が藤丸や今の家族を私たちの分まで愛すること。私にも一切干渉しないこと。そして母上のことを忘れないことです」

 黙る父親に、藤道は瞳を閉じて立ち上がり告げた。

「今までお世話になりました。今から私、中野藤道は、中野藤篤様との縁を全て切らせて頂きます」

「何……!」

 反応を返したのは、事の行き先を黙って見つめていた家定である。藤道はすっと相手を見据える。

「家定様、貴方にも大変お世話になりました」

「――それで、お前は良いと言うのか」

 黙って頷く彼に、やり切れなさそうに、拳を握り締めて問う。

「お前の望みは何だったんだ」

 藤道は目を伏せた。

「私の望みは、中野家の憎しみで絡まった糸を断ち切ること。私の愛する者が生きやすくなること。そして――、もう一つ」

「何だと言うのだ?」

「――家定様、望みはそう易々と告げれば叶わないと言うではありませんか」

 そう言って振り切るように笑った藤道に、家定は複雑そうな表情のまま俯いた。

「後悔するぞ」

「後悔、するでしょうね。でも、満足はしてます」

「……矛盾している」

「そうかもしれません」

「藤丸が悲しむぞ」

「彼を、宜しくお願い致します」

 一礼し、彼は背を向けた。これでやっと、藤丸は窮屈な思いをせずに済んだ。母のことも、ほぼ完璧に終わった。しかし、予想外のことが一つ。

「藤道様、牛車の用意が出来ました」

「ありがとう八郎、別にここへ残ってもいいのに」

「いいえ、どうかお側に置いて下さい。貴方のような素敵なお方に、私はついて行きたい」

「おかしな人だ」

 笑う藤道は、悲しみも寂しさも感じてないように思えた。八郎は笑い返した。

「ほら、明子様がお待ちですよ、早く片付けましょう」

「……そうだね」

 牛車は藤道を乗せ、歩き出した。その後を追うように人影が走っていくのを、誰も知りはしない。


 **


『さら様


 ここでは真実を述べたいと思っています。これが誰かの手に渡る可能性は否めませんが、自己満足の為文を隠し入れました。貴方には、知っていて欲しい。読まなくとも、私の真実を持っていてもらいたかった。誰よりも、貴方に。

 ――私は今、中野家を取り巻く闇を絶つべく行動しています』 

 そこには藤道の立場、今の現状やこれからやることが事細かく書かれていた。そして、傷つけたであろう自身の言動、最終的には出会ったことまで謝罪されてしまった。

 沙羅は込み上がる思いを胸に、力一杯唇を噛んだ。

『望みの叶う白粉、と全面的に出した理由は、二つ。一つは私の元父親の意識を他所へと向けてもらうこと。彼の望みは私の死でしょう。こういう言葉を使うのは良くないことですが、それ以外考えられないのです。

 ――必死になる彼の裏で行動を進めるのは、普段の何倍も簡単でした。本当に何でも良かった。けれど、どうせなら、と。

 理由の二つ目は、貴方が雪が見たいと言っていたからです。……どうでしょうか、北の地は。私はここでやるべきことがあり、一緒には行けませんでしたが。

 ――私には今貯金があり、いざとなれば家だって建てられる程です。先程述べたように両親はいなくなるかもしれませんが。

 ……ああ、この先は次にしましょう。――二度と会えない、なんて言っておきながら、私はすごく身勝手ですね。

 あれは貴方に吐いた唯一の嘘です、から』



 **


「兄様、藤道兄様! 待って!」

 と聞き慣れた声に、藤道は牛車から顔を覗かせる。そしてすぐさま牛車から飛び降り、弟の前へと立った。

「どうして飛び降りるんですか!牛車を止めてと言ったんです!」

 ご立腹な弟に、八郎へと声をかけて履物を持って来させた。外は何事かと見物人が早くも集まっている。そんなことには全く構わず、藤道は慌てて説得する姿勢に入った。

「私はもう、中野家の子ではない。縁を自ら切ったんだ。今は名の無い人間。貴族の貴方が口を聞くなど、してはいけないのです」

「……それは、私のような者が兄と話してはいけないと、言ってるようなものです」

「だから――」

 藤丸は俯いたまま藤道へと歩み寄り、よそ行きの着物の裾を握った。

「私のことを思って出て行ったのでしょう……?私なら大丈夫です。だから戻ってきて。今日のことで父上は考え直しますよ、きっと。――私と貴方が兄弟のように話すことだって出来ますよ。だから、自分を犠牲にしないで、かえって来て下さい。……私は頭が悪いのです、貴方に歌や勉学など教えてもらいたい」

「藤丸様、もう、私の部屋の前で足音を忍ばせる必要が無くなるのですよ」

「兄様のいない部屋など、通りたくもありません!」

 首を振る藤丸は、弱々しく漏らすのだった。

「どうして、一人で全てお考えになって、しまうのですか。頑固者……、貴方は私の両親よりも、優しくしてくれた。血の繋がりのない、私にだって――」

「藤丸、貴方は私の大切な弟だった。これで、――最後だ」

「最後なんて、言わないで下さいよう……」

 藤道は牛車に乗り込んだ。弟の姿をこれ以上目にすれば、どんなに意思の強い藤道であっても、心が動きかねないからだ。

「出してくれ」

「――本当にいいんですか」

「いいから」

 藤丸にはあんな風に言っても、一生の兄弟だと藤道は思った。成長した藤丸を隠れて覗きに行く位は、許されるだろうか。



「藤道様、前を……!」

 切迫した声に、藤道は外に視線を向ける。目前には、なんと強風で作られた壁が立ちはだかっていた。唖然とする藤道は、瞬時に沙羅を迎えに行けないことを悟った。外へ出て壁へと近付き、手を伸ばしてみると、風に触れた指先がちり、と痛み血がにじんだ。顔を顰める藤道に、従者らはすぐに離れさせた。

「このままでは無理ですね……」

「こんなことは、今まであったでしょうか。風が……刃のように鋭く吹くことなんて」

「まるで我らを通さない為にあるようだ」

 藤道はらしくない程に焦っていた。確かに自分らも北の地で何らかの事故に遭うかもしれない。しかし、食料があるのとないのとでは、話がかなり変わってくる。沙羅に出会い、何とか生き延びて帰ろう。母の為にも。そんな風に思っていたが、これでは一歩も動けない。藤道は拳を握った。

「ここで突っ立っていては、意味がない……!」

 従者の手を振り切り、壁へと手を伸ばす。この勢いに乗り、壁を越えようと思ったのだ。しかし、両手が無残に傷つけられた所で従者に止められた。痛みよりも、怒りの方を強く感じていた。無力だった自分を変えようと前に進んだ結果がこれだ。冷静でない藤道は、体を突っ込ませてでも通り抜けようと考え、行動しようとしていた。


「貴方、命を落とす場面ではないと思うよ」

 風鈴のような澄んだ声が、藤道の耳に届いた。ふと声の方へ顔を向けると、女が二人並んで立っていた。

「お前、藤道様になんて言葉を……!」

「いいんだ。あなたは、誰だろうか」

 先程の声の主が歩み寄って名乗った。切り揃えられた髪に、町娘が着るには少し上等めな服。藤道と向かい合い、口を開く。

「私は鈴音。隣にいるのは母様。そこにある本屋の女店主」

「初めまして、かしら。藤の宮様」

 頭を下げる女に、藤道ははっとする。

「沙羅の――」

「そう、あの子の母でもある」

 笑みの形を作った店主に、惚ける。妖の類ではないかと疑る程に、独特の雰囲気を持った女性だった。鈴音は視線を壁に移して、やはりと呟く。

「ごめんなさい。これは全て私達のせいだわ」

「どういうことだ?」

「――それよりも健気な藤の宮様に訊きたいわね」

 笑いながら店主は問う。

「今回の騒動は、貴方のお考えによるもの、でしょう?狙いは沙羅。――どうしてって顔してらっしゃるわね。分かるわよ。純粋な心、と女のみを限定。牛車使いも女、周りに女を固めて殿方を一人も使いにはやらなかった」

 何も言えずにいる藤道に、健気ねえ、と店主はさらに笑みを深くした。無表情の鈴音も、少し笑顔を浮かべた。

「可愛らしい方」

 鈴音の評価に、藤道は赤面する。自分のくだらない目論見を見透かされ、どうしていいのか分からずにいるのだ。

「……沙羅が少し羨ましい」

 そう漏らして、刀のような風へと歩き出す。その行為に藤道は叫ぶが、その言葉に耳を傾けることなく鈴音は振り返り、背中から壁の中へと入っていく。背中、肩から腕へとのまれてから、体を起こし戻ってくる。

「え……」

 くる、と回転してみせた鈴音の姿には、傷一つすら存在しなかった。藤道は目を瞠って、自分の手元へ視線を移す。切り傷――中には深いものもあった。手当てをしてもらったので、白い布しか見えないが、その白には既に赤がにじんでいた。

「私だけ、特別なの」

「どうして……、いや、待ってくれ。なら、彼女を……沙羅を助けてくれないか!私には無理なんだ、頼む」

「残念ながら、通り抜けることは出来ないのよ」

 説明するから。その声に憂いの色が浮かんだのは、気のせいではないだろう。藤道は黙って聞いていた。



 *


「お前は鈴音という者を知っているだろう?我はここの神でいて、道に外れた者を案内するという使命がある。前に我が穴を掘ったと言ったが、あれは少し広げただけであの地下の穴は、元々存在するものだった。そこを塞いで道を作り、崖が見えない日は穴を開けここで休ませる。――お前らの牛車ももう少しで崖に落ち、命を落とす所だった。まあ、普段ならこんなことも有り得ないわけだが」

 神は話が逸れたな、と苦笑し、続けた。


「ある時、彼女は我の前に現われた。それもたった一人で。その日は春で、雪が融け始めた頃だった。我は問うた。何用だと。

 すると、彼女はこらえ切れない憎しみと、殺気を宿した瞳をして、我に襲いかかって来た。しかし、こちらとて神。人間が敵うはずもない。無礼だとそのまま殺してしまおうかと思った。すると、彼女は自分が一人なんだと叫んだ。

『あなたのせいで、わたしは孤独よ』

 舌足らずの幼い子は、それだけを言うと悲しみのまま帰って行った。次の日も、それから毎日ここへ足を運び、刀を向けてきた。二週間ほど経ってから、やっと彼女の言い分が分かった。

 つまり、吹雪の日、穴を塞いでいる時に二人の人間が上を通り、崖の存在に気づけずそのまま落下し、命を落としたというのだ。

『どうして助けてくれないの』

 それには理由があった。我はここの地方を任されてから日が経っておらず、千里を見渡す眼などの力がまだ使えず、ともかく人を休ませる泉を作るのに必死だったのだ。しかし、そんなことを説明したって納得するはずがない。

『わたしは一人。それが全てでしょ』

 謝れば、鋭く睨まれた。そしてまた、どこかへと去っていった。


 彼女が来てから、しばらくして千里眼も使えるようになり、我は以前よりも遥かに外を気にするようになった。彼女はきっと、二度は許さないと言いたいのだろう。そう考えたからだ。

『俺を切らないのか』

 前の神が居ることにより、穴を塞ぎ続けなければいけなかった。我は首を振った。もうすぐ泉が完成し、我の目が見えない時でも死人を出すことがなくなる。

『木の棒とか、使わないの?手、痛いよ』

 彼女は言った。素手でないとうまく水が力を持ってくれないのだ。昔に学んだことの一つである。

『わたし、お手伝いできる?』

 最初のうちは断っていた。しかしあまりに熱心に言ってくるので渋々頷いた。だから泉の辺には手で掘った跡が残っている。我らはついに完成させた。

『あの枝が人の命をうばうことはない?』

『大丈夫、その為の泉だ。痛みはあるが、堪えてもらうことになる……。それに俺のはかなり細いから、傷は浅いだろう』

 彼女はついに前の神の声までも聞こえるようになっていた。つまり、人間ではなくなりかけていたのだ。我は危惧した。このままでは人の世界へ戻れない。

 焦った我はすぐに知り合いを訪ね歩き、ようやく彼女の将来を手に入れたのだ。

『上には、誰もいないよ。友達もいないよ』

 怯えた瞳を見ない振りをして、成長してもまだ小さな手に薬を握らせた。

 それから、彼女は何度もここへ寄ったが、我は何度も無視し続けた。そして彼女は以前に勧めた店に、勤め始めた」

「――それが、鈴姉様だというの」

 頷いた神に、沙羅は呆然としてしまう。

「貴方、それは酷でしょう」

「では一緒にいろというのか。我は生まれながらの神だが、彼女は違う。人間だ。たくさんのことを感じ、自分を探し、幸せを見つけるだろう。それが人の形だろう?我はその幸せを作るために存在する」

「ねえ、神とかそういうのじゃないと思うよ。人の中に幸せが必ずしもあるわけじゃないもの」

 沙羅は知っていた。鈴音の普段の姿、心を閉ざして冷たい視線でこちらを睨んでくる姿。それに羨望の心が籠もっているのも、皆知っていた。今でこそ少しは会話してくれるようになったが、すぐにどこかへ行って、命を落としかけていることが度々あるのだ。

「私は今、身分とかぶっ壊してね、思いを告げに行くの。だから人と神がどうとかも同じようなものでしょう」

 そうじゃない、神は問題がそこではないと正した。

「――問題は、渋った彼女との約束なんだ」

「どんな約束……?」

「……いつか、舞雪を降らせてみせると」

 沙羅はすぐに簡単だと笑みを浮かべた。貴方は舞雪を作れるでしょう?そう神の顔を窺えば、ひどく苦しそうにしていた。

「あれは伝説だ。前にも言ったが、水に浸かったものが再び舞い上がることなんて、非常に稀で簡単ではない。作れるとは言ったが、前に見たのは五百年も昔のことだったんだ」

 沙羅は言葉を失う。風が強く吹いた。

「……お前は今、舞雪の代わりとなっている。しかしそんなこと普通では有り得ない。人間はあくまでも人間だからだ。理由は背負う三つの魂。――とは真実ではなく、それは舞雪そのものである」

 姉達の魂ではなかった。今や輝きが小さくなりつつある玉。神はそれを見つめながら、言葉を紡ぐ。

「騙していたことは謝る。……しかし自然に作るものを、自らが生み出すことは禁忌とされているのだ。それもたった一人の人間の為などは、言語道断。――生み出したはいいが、禁忌のものに触れると、体が拒絶するようになっていて運べない。しかも我の力はまるで発揮されない。何より既にこのことは他の神たちに知れ渡っている。……我は必ず罰を受ける。しかし軽重が決まるのは雪を降らすか降らさないかによる」

 しばらく黙ってから沙羅は言った。

「つまり、私が運びきるか否かで、貴方の罰の重さが変わる」

「その通りだ」

 神は遠くを見据え、ぽつりと漏らした。「今頃、お前の町に大きな壁が出来ているだろう。お前を中に入れさせない為の壁が……。それもずっと続くだろう。お前が、死なない限りは」

 沙羅は驚いたが、心が揺らぐことはなかった。ならばやるべきことは一つではないか。しかし、気になっている点がある。

「二つだけ訊かせて。貴方は私に辿り着いてほしいのよね?罪が重くなろうとも。――最後に舞雪は私以外に運べないの?」

「背負う三つの玉。徐々に光が小さくなっているだろう?もう限界に近いのだ。我も二度は作れそうもない。最後の、賭けになる。辿り着いてほしい。……独りだと震えた彼女に、約束を果たしてみせたい。それだけなんだ」

 神の目は強い光を湛えていた。これを見て、沙羅は決心する。もはや、まともに動いてはくれない足を引きずりながら、前へ前へと進んでいった。


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