第5話


 *


伊勢に、待っているようにと言葉をかけて、沙羅はもう一人の姉、蛍を助けに向かった。その後、行方知れずの透子を探す、という考えだ。

抱きかかえて落ちたところに戻ってみるが、しかしその姿は既になくなっていた。有り得ない。沙羅は焦って、伊勢の元へと戻るとここでもまた、伊勢もいなくなっていた。

「どうして!」

 叫ぶ沙羅は気が動転していた。だから、何度もこちらを呼ぶ声に、気づかなかった。

「――そこの者、落ち着け。こちらだ」

 そう言って現われた人物に沙羅はただならぬ雰囲気をまとって、詰め寄った。

「あなた、誰。私の大切な人たちをどこへやったというの。怪我をしてるのよ。動かしたの。あなたが?血も涙もない鬼だわ」

「だから落ち着け」

案内する、と歩き出した男の後を、沙羅は信用出来ないと睨みつけていた。しかし、男がこちらを振り返って、

「取って食おうとは思わぬ。色気の欠片も無い女なのに」

 という言葉に、腹を立てかけたが、事実は事実なので黙っておく。それに何度も言われ慣れているので、冷静であれば、特に何も感じなかっただろう。

沙羅は、やり切れない思いのまま追った。――もし姉たちが酷い扱いを受けていたら、この男の命を奪うところまで気が済まない。その後一生怨み続けてやる。

そこまで考えていると、湯気の上がる泉へついた。湯気?と思って近づくと、地面には手で掘られたような跡が残っている。泉はかなりの大きさで、湯気のお陰で周りを捉えにくい。暖かさに、体の芯が温まっていくのを感じた。

男は説明した。

「長い年月をかけて穴を掘り、そこに外の雪を持ってきて温めた。そして融解させて水を作り出し、泉を作った。なかなかの出来栄えだと思わないか?これは昔に――」

「説明の途中悪いけれど、皆は?」

焦れる沙羅に男はため息混じりにあそこだ、と指差した。指の先を視線で追っていくと、泉の中に入る三人の姿があった。見つからなかった透子もいる。

沙羅は慌てて三人の元へと駆け寄り、声を掛ける。皆顔色が先程よりもすこぶる良く、穏やかな表情をしている。沙羅は一瞬にして力が抜けて、その場に膝をつく。安心した。本当に良かった。

「皆……、透子姉様も……。ご無事で良かった」

 いつの間にか隣に来ていた男が、そっと呟く。

「少し寝かせてやれ。直によくなるから、心配いらない」

「この水は特殊なの?雪どけ水だから?」

「いや、雪水はあまり関係ない。我の地方神が生み出した熱によって、治癒力を得たのだ」

地方神、というのを初めて聞いた沙羅は、まずそれについて尋ねた。

「我はこの一角を担う神なのだ」

驚く沙羅は自分の耳を疑った。その様子に男は付け足した。

「嘘ではない。お前が求めて来た雪も、我が作っている」

重ねられた驚愕の言葉に、呆然とするしかなかった。自分たちが求めてやって来た、願いの叶う白粉は、存在したのだ。まさか。おとぎ話だと、沙羅は今の今まで信じていたのに。まさか、そう思い込んでいるだけなのだろうか。そう思って、自分の持っている知識を、男に問うてみた。

「――願いが叶う雪は、自ら光を放つ……のよね?私たちが集めた中には、その力はないわよね?」

「当たりだ。何故分かった?」

「本に書いてあって」

「ほう、その本は余程古い時代に書かれたものだろう……。成る程、書物は凄い力を持っている」

感心する神に、沙羅は他にも色々のことを問おうとした。が、神は少し待つように告げて、どこかへ行ってしまった。

やることが無いので、しばらくこの暖かさに酔いしれることにし、瞳を閉じて体を休めた。



「沙羅?」

目を覚ました透子は名を呼んだ。飛び起きた沙羅は、声が出にくいのだろう透子に近寄った。

「ごめんなさいね」

発音されたのは、またもや謝罪の言葉だった。透子は伊勢と全く同じように、声を絞り出し、話し始めた。

「私ね、すごく悩んでいたの。私には無いものについて、すごく、ね。蛍姉様の人を魅了する雰囲気、鈴音姉様の、相手を寄せ付けないまでの冷徹さ、母様の妖艶さ――。全て私に無いもの。挙げればきりがないわね、伊勢の頼りになるところも、貴方の無邪気さも、私にはないわね。――殿方はね皆こう言うのよ、私には何かが足りないと」

透子は力無く笑った。何もかもに疲れ切った顔だった。

「沙羅も分かるでしょう。私には、感情が無いのよ」

「……え?」

「喜怒哀楽が、無いの。今まで嘘吐いて自分を作ってたわけよ。笑顔も練習して作った」

段々泣き笑いに変わっていき、全てを吐露した。

「無いけど、無いものを埋めたくて、私はたくさんの殿方とお付き合いし、愛を知ろうとした。作った笑顔を貼り付けて、相手の方に愛を告げてみせた。けれどもね、何か足りないのよ。皆にはあるものが、私には欠片も存在しないのよ。喜びも、悲しみも。沸きあがる感情がない。楽しい時に、楽しいと感じられない。――皆どうして笑ったり、泣いたりするのかな。どうして人を愛するのかな。私おかしいでしょう?心の中が……、いつも空っぽなの」

ここで何も口にしなければ、透子の為にならない。だからといって、慰めれば傷つけてしまうだろう。

沙羅は笑った。いつもの笑顔を必死に浮かべて、透子を見据えた。

「おかしいわ、透子姉様。それは妙よ」

「……そ、そうよね、私どうしたら……」

「どうするも、透子姉様はきちんと感じているじゃない」

あんまり唖然とされるので、沙羅は思わず声を上げて笑い出した。

「透子姉様、私を気遣ってくれたじゃない。泣きなさい、って優しくしてくれたじゃない」

「――だ、だからそれは偽物で」

「私の為に怒ってくれたじゃない。これら全部偽物なんかじゃあないわ。他人は欺けても、自分には嘘を吐けないもの」

咳き込む透子に、沙羅は肩に手をやって擦った。

「嫌な物を我慢する、隠す、相手に嘘を吐く。でもね、長い間自分を偽ることなんて出来ないのよ。いつかは自分が出てくる。それに、自分が他人と違って当然じゃない。皆同じだったら、存在する意味さえなくなるわ。

牛車で姉様、凄く楽しそうだった。あれをね、偽物でやることは絶対に無理よ」

表情を崩し始めた透子に、沙羅は優しく微笑んでみせた。

「伊勢姉様は貴方を大事だと言ったわ。私もそう」

「伊勢……、伊勢はね気づいたの。私が嘘つきだって」

「でも決して傷つけたりしなかったでしょう?」

頷いた時、涙も溢れ落ちた。そうよ、伊勢は一緒に笑おうって声を掛けてくれたのよ。透子は普段の上品さではなく、子供のように泣きじゃくった。沙羅はそれを温かい笑みで見つめていた。

――やはり、と沙羅は、伊勢の言葉に首を振った。この旅によってたくさんの悩みを聞き、一緒に何かを考えた。そして人それぞれの悩みを知った。……この時間が無駄なはずがない。

来て良かった、沙羅は心からそう思った。


「私、それなのに願ってしまったの。生きているのが辛いから、このままいなくなりたい……と。巻き込んでしまってごめんなさい……!」

「――大丈夫よ、姉様。あの雪には何も力など無かったから」

「ほ、本当?」

「ええ、勿論。私が透子姉様に嘘吐いたこと、ある?」

「ない」

沙羅は立ち上がった。透子の安らかな笑みを見て。疲れたのだろう、そのまま眠りに落ちた。

もう安心だと、沙羅はやって来た神に近づいた。 





 鈴音は、旅立った妹分を見送ることが出来なかった。鈴音は頼まれごとの為、留守にしていたのだった。店に帰って来ると、仲の良い沙羅の姿を探したのだが、見つからない。仕方がないので、近くに居た、話したことのない者に尋ねると、藤の宮の命により、北の地へと旅立ったと言う。鈴音は珍しく取り乱して、店主の下

へと駆けた。畳の上でじっと本を読む姿に鈴音でも、あまりにも妖艶で見惚れてしまうが、すぐに言葉を紡いだ。

「母様、沙羅を、他の子たちを、どうして北へおやりになったの?」

「どうしてって?その命に背いたら、私たち処刑されてしまうわよ?」

「……だからって、あんな危険なところに?命を失くしに行くようなもの!」

「そういえば、貴方は北の生まれ、だったかしら」

 のんびりと答える母に、苛立ちさえ生まれてしまう。

「らしくない……。我が子を大切に思っている、貴方らしくないわ」

「そうね。言われてみればそうかもしれない」

 けれど。と微笑んでいた母は、すっと表情を消して、鈴音を見据えた。


「ねえ、鈴。これから貴方の特に可愛がっている妹分が、大変な目に遭う。貴方の大切な〝友人〟の手によって」

「え?」

「今からどこかへ逃げることは出来ないわよ。死ぬことは出来てもね」

「ど、どういう意味……?」

「貴方の心が決まったら、私の所へおいでなさい。迎えに行くわよ」

 鈴音は全く意味が理解出来なかった。何よりも、母のこのような表情を見たことが無かった。周りには不自然にも、誰もいなかった。先程声を掛けた者も、気づけばいない。この空間には、母と鈴音のふたりだけだった。

「沙羅は貴方の為に、今から死にかける。貴方は信じていなさい。それが、届くかどうかは分からないけれど」

「母様、きちんと教えて下さい、お願いだから……!」

「いいわよ? けれど、覚悟しなさい。今から話すことは、貴方の過ちを伝えることになるから」


 *


 鈴音は、藤の宮へ行く途中の橋から、川を覗いていた。願いが叶う雪の看板は既になくなっていた。川の流れは、急くように速く、落ちてしまったらどうなるのだろうと、ふと思った。

沙羅と話していたことを、思い出していた。年の離れた妹分とは、自分でも驚くほどにたくさんのことを伝え、聞いていた。沙羅の話が、特別面白いわけではなかった。ただ、一緒にいることが、すごく救われているように感じたのだ。

「沙羅、私は、弱い」

 貴方のように、強くない。そのことが、悔しい。


 母はまず、自分の立場から教えてくれた。

「貴方の友人と一緒の、地方神よ。ここの地方を任されている。伊勢の母親でもあるけれど」

 鈴音は、伊勢の母親であることを、薄々感じ取っていた。何故なら、ふたりの顔はどことなく似ていたし、母は特別、伊勢に対して優しく接しているように思えたからだ。そこに驚きはない。

「じゃあ……あの人と同じ……?」

「そう。彼の方が私よりも若いけれどね」

 驚く鈴音に、手早く事情を説明した。じっくりと話すよりも、手短に話し切って、ひとりで考える時間をあげようとしてくれているようだ。鈴音は感謝したが、あまりの驚愕の事実に、頭がついて行かない。

「貴方が彼に約束したことが、発端になって、彼は神であることをやめようとしている。そして、そのことで沙羅は生死を迷うことになる」

「え……!そ、そんな。どうして?どうして沙羅が選ばれたの?私じゃなくて、どうして――?」

「そりゃあ、貴方との約束の内容のせいでしょう。貴方が巻き込まれては、駄目なのよ」

 しばらく黙ってから、鈴音は問うた。

「……絶対に沙羅なの?他に北へ向かった者ではないの」

「鈴に近かった者が選ばれる。沙羅ね」

「私は蛍とだって仲が良い」

「沙羅は、あの中で一番子供だから……。色々な意味でね。彼女は一番成功率が高い。だから彼は、絶対に沙羅を選ぶ。他の地方神もきっとそう。私も、そう」

 沙羅には、神を寄せ付ける力があるのか。鈴音は思った。

「貴方が約束したことで、それが彼の使命になった。今回のことが成功すれば、彼は神の名を略奪され、消滅する。止めれば沙羅が命を落とす。――どうする?私は、貴方の答えに従いましょう」


 ――消滅とは、具体的にどういうことなのだろう。どれ程時間がかかるのだろう。彼と話す時間は存在するのだろうか。

 沙羅が、死ぬなんて考えるだけで辛い。彼が消えるなんて、思いたくない。


『二択しかないわよ』

 母の言葉は、酷だ。そんなの、選びたくないに決まっている。私はどちらを選ぶんだろう。こういう時、まるで自分の問題ではないような気がしてしまう。日々物事を、客観的に考え過ぎているから、それに慣れてしまっている。

「沙羅、貴方なら、どうしたい……」

 

 **


思い出すのは、いつもふたりで話し合った岩の上の自分。最初ははしたないと言っていたけれど、沙羅の髪が風にふわり、と揺れるのを見ていると、不思議と座りたくなって、それからずっと鈴音の定位置になった。

「ねえ、鈴姉様。――姉様は慕っている殿方がいる?」

「私?残念だけど、そういうのは少し苦手。分からない。私じゃなくて他の子に訊いたら?その方がずっと良いと思うよ」

「もう!鈴姉様だから訊いてるの!……私だって分からない、でもね」

「うん、うん」

「すぐ側にいたいわけじゃないけど、その隣に誰かがいるのは、許せない」

 思わず笑ってしまう。沙羅がいたって真面目に話すのだから、余計だ。あまりにも筋が通っていない。それならば、自分が隣にいればいいじゃないか。

「ははっ!それはさすがに勝手過ぎるよ」

「やっぱり?」

沙羅は照れたようにはにかんだ。何となく面白いので、質問してみる。

「どんな方?優しい方?」

「……身分や種族に拘る方」

それに、反応してしまう自分が居た。鈴音が声を発せずにいるのを、気づかない

沙羅は、次々に言葉を足していく。

「すごく字が綺麗で、良い香りがする方。きっと身分が少なくとも私より高い方。

まあ滅多に私より低い人はいないけれど」

「へ、へえ……。でもすごい、身分どうこうに拘られても全然平気なんだ」

鈴音が見ている方向は、話し相手ではない、地面だった。度々外れる視線に、沙

羅は今日こそ問い詰めようと、鈴音に近寄った。

「鈴姉様。私は平気じゃないよ。でもね、平気そうに見せてるとは自分でも思う。

どうしてそう見えるか。――私はどんなことがあっても自分を縛らないから。常識とかで諦めたりしないから。ね、姉様。貴方を縛りつけてるものは何ですか。どうして姉様はいつも、何かから目を逸らすの」

「縛り……?」

「どうして、もっと自分の意思を尊重しないの?本当にやりたいこと、あるんでし

ょう?何で無視出来るの?このままだと――」


「後悔して死んじゃう?」

さすがに不謹慎だと怒られるかな、と一瞬そんな考えが過ったが、沙羅はこちら

を見つめたまま、微笑んでいた。

「あのね、私一度命を失いかけたの」

 沙羅は昔を思い出した。沙羅の家は貧しく、身分の低い者として接せられていた。隣には同じ身分の男の子が居たので、よくふたりで遊んでいた。


ある時、顔の赤い、巨大な大人の男がこちらへと近寄ってきた。沙羅は誰だろうと自らも寄っていった。

「沙羅ちゃん!」

 遊んでいた男の子が沙羅の腕を取った。そしてそのまま逃げようとした。その男は、身分の低い者を苛めて気分を晴らすという最低な大人だったのだ。

 ふたりは走った。結果的にはその男を上手く巻いて、男の子のお陰で助かった。  

良かったと安堵した矢先、沙羅は深いと噂の湖に、足を滑らせて落ちてしまったのだ。

「今こうして生きてるから、助かったんだけどね、死ぬのは恐くなかったよ。むしろすごく穏やかだった……。何かから解き放たれた感じ。それから私、自由に生きようって決めた。だから、すごく幼くて、すごく平気。

 私が言いたいのはね、死ぬことよりも、もっと恐うことがあるんだ、ってこと。苦しいのも、空腹なのも、自分しか分からないんだよ?だから、しっかりして。自分を縛り付けないで。死ぬのも一度切りだけど、生きるのも一度切りなんだよ?」


鈴音はもう、何も言わなかった。そんな風に立派に生きている沙羅が、羨ましくて仕方がなかった。――沙羅は自分の身分の低さに、絶望したことはあるのだろうか。何故生まれたの、存在理由は、など考えたことなどないのか。

「沙羅みたいに強い人は、誰かを羨ましい、って思ったこと、ないでしょうね」

 すると沙羅は、こちらをじっと見据え、答えた。

「そんなことないよ? いつだって、あの方に釣り合う人は、命を奪いたいくらいに羨ましい」


 *


死ぬのは恐くない。沙羅が教えてくれたから。何が恐いのか、今やっと輪郭が

見えて来た気分だ。……もしかしたら、そう感じるだけで、何も存在しないのかもしれないけれど。

「母様」

私は、選択しよう。鈴音は笑った。

「沙羅は必ず帰ります」

これが最期の選択だとしても。



「このまま手ぶらで帰れば、お前らは処罰を受けるだろう?」

 沙羅は声の主を見つめる。確かにそういう流れになっても、全くもっておかしくない。むしろそちらの方が常識的にあっている。牛車は壊れ、今どこにあるのかも分からない。わざわざ集めた雪もきっとここの熱で融けてしまっただろう。

もう一度集めるとしても、その雪が本物でなければ意味がない。今、本物が存在することを知った沙羅は、貴族が暇つぶしに計画したことではないことを痛感し、本気で捜し求めていることを悟った。

失敗しました、では何かしらの罰があるだろう。勝手な話だが、そういう暗黙の掟のような所があるのだ。

決定権は位のお高い者にのみある。民の声を信じるとは考えにくい。嘘を吐いていると思われるやもしれない。

上から漏れた冷風が、沙羅の黒い髪を揺らせた。

「どうしたら、いいの……」

「そこで、だ。お前が舞雪になれ」

「まい、雪?」

そうだ、と頷く神に沙羅はいつものように子供らしく問うた。

「舞を踊る雪なの?楽しそう」

「……そちらの意味ではない」

神は泉を指差した。連れられて視線を向ける沙羅に一から説明した。

「地上とここは、お前たちが落ちてきた穴と繋がっている。あれは上手く塞ぐことが出来ない。だから雪で衝撃を緩め、落ちてもらっている」

「え、そんな!あの木は?あれのせいで私たちは――」

「まあ、あの木は我より前に居る神なのだ。無闇に無くすことなど出来ぬ。よって落ちた人を介抱することが、ここの地方神の使命となっている」

黙っている沙羅には構わず、話を続けた。

「あの穴から雪がちらちらと風により踊る。そしてここまでやって来る。普通ならこの暖かさに耐えきれず融けてしまう。しかし、本当に稀だが、泉に浸かり力を得た雪が舞い上がり、再び白色を持ってして、降ることが出来るものが存在する。舞雪とは舞う、というよりも舞い上がる雪、という意味合いで私は名付けた」

「それが……何?」

「それが望みを叶える力を持っているのだ。作り出しているとは、ちと語弊か」

 藤の宮が欲しがっているもの。本当にそんなものが存在するとは。沙羅は前にも言ったように信じてなどいなかった。信憑性がまるで無いからだ。

 神は泉を示して、中へ入るように伝える。

「雪の代わりにならばなれるだろう?水に浸かり、力を得ろ」

「私は人よ、雪にはなれない」

「ならば死しても良いと言うのか?お前の大切な者が傷ついても?本気か?それに――そんな危険を伴うわけではないぞ。どちらを選ぶ。選択の時だ。我はどちらでも構わん。地方神の務め、手伝うことはしてやるが」

 沙羅は迷う時ではないのも、選ぶべきこともよく理解していた。沙羅は迷い無く

神に頼んだ。

「では今からこれを」

「……どうするの」

「儀式の一つだ」

神はいつの間にか、包み袋を手にしていた。高価そうな質の良さげな紙だった。

それを開ける。中には、真っ白な、化粧に用いる白粉のような粉が少し入っていた。

沙羅はじっと、粉をつける神の指を見つめた。その指はそのまま、沙羅の額に

近づいて、触れた。それは、氷のように冷たくて思わず身震いしてしまうが、すぐに体温に馴染んで、特に感じなくなった。

指は額から、両頬、そして顎へ移って行った。沙羅はその様子を目で追っていた。

「それを、満遍なく塗りつけろ」

 言われてすぐに、顔を洗うように粉を薄く広げていくと、ほのかに顔が火照った気がした。別段血が通っているわけでも、照れているわけでもない。健康体である。

少し熱を出した時に似ているかもしれない。沙羅はそう考えながら、神に次の指示を促した。

沙羅は懐にあった食料などを外へ置こうとして、止められる。

「身体しか濡れぬぞ」

 それでも、もしものことがあっては絶対に嫌なので、黙って物を取り出して地面に置いた。

そして、そのままゆっくりと泉に入り、しゃがみ込んだ。不思議だったのが、これ程に湯気が出ているのに少しも温かく感じなかったことだ。訊くのも癪なので、怪我人しか感じられない温度なのだと決めつけた。――舞雪の代わりとは、そんなに簡単でいいのだろうか。えらく生み出すのが難しいと口にしていたはずだが。腑に落ちないが、反抗しても意味が無いだろう。

すると急に、熱湯のような熱さを感じた。何事かと思った時にはもう、それ以上は考えられなかった。

「いやっ!」

 何故なら、水面が割れて沙羅を包み込むように、手を広げて飲み込もうとしたからだ。

 反射的に、その場から逃げようとしても、体は命令通りには動いてくれず、その命を持った生き物のような水を受け入れようと、ゆっくりと倒れ込んだ。

 ぽちゃん、という水の音が辺りに響いた。


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