第4話 炎の少年
その意思ひとつで、時に感情の高ぶりのままに、炎を生み出す能力。忌まわしき、異形の力。
大切なひとを、守るどころか焼き殺してしまった、呪わしき力。
その力と犯した罪故に、少年は故郷を追われ、放浪を余儀なくされた。
こんな自分をそれでも愛し、庇い続けてくれた姉に報いることもできず。多くのひとを傷つけ、恐怖と憎悪を一身に受けて。
こんな自分は、どこかで野たれ死ねばいいと思った。それを期待して、荒野を彷徨いもした。
けれど少年は死なず、ここに辿り着いた。
生き延びること、死ねないこと、それすら呪のように感じていた。──けれど、今は。
掌の上、踊るように揺らめく炎を瞳に映して、考える。
──ねぇ、キミ。キミはこの炎を、怖れるだろうか。
石壁の向こう、闇に囚われた少女は。その闇を払えるかもしれないこの炎を、忌むだろうか。
「キミは呪わしき予言のためにそこに封じられた。ボクは呪われた力のために故郷を追われた。そんなボクたちが出会ったのは運命だって、ボクは今、そう感じてる」
「運命……?」
「そう、運命。ボクはキミを解放するために、この力を宿して、ここまで旅をしてきた。そうなら……ボクのこの力にも、ボクという存在にも、意味があったのかなって」
一時見せた熱は鳴りを潜め、淡々とした声音で訥々と、少年は語る。
「キミを解放できるなら、ボクはこの、呪い続けた忌まわしい力を、許せるかもしれない。この力で──」
傷つけるばかりで、奪うばかりで、誰を守ることもできなかった、この力で。
「誰かを──キミを、救えたなら」
自分を、許せるかもしれない。
「……でも、わたしは。わたしは、ここを出ては生きていけない」
この牢に封じられてからどれだけの時間が過ぎたのか。少女には知る術もなかったが、おそらくはひとの身の一生よりも長い時間が過ぎ去った。
少女が今も、牢に入ったその時と変わらぬ姿で存在しているのは、この牢の中の時間が、彼女が封じられたその時から一秒たりと動いていないから。
封印の呪が解かれれば、押し止められていた時は一気に彼女を襲い、一瞬で食い尽くすに違いない。
外にはすでに、少女の愛した家族も守りたいと願った国もなく、ならば、少女がこの牢に囚われている意味もない。
けれど、少女には己にかけられた呪を解く術はなく、解けたとしても、それは少女の死を意味するだけ。
畢竟、少女には未来はなく、望んだところでどんな願いも叶わない。
「キミを生かすことは、ボクにはできない」
膝を抱え、絶望を噛み締める少女の背に、少年の声が降る。
少年の炎は、少女を縛る呪を焼き払うことはできるかもしれない。けれど、少年にできるのはそこまで。それ以上は、彼の力の範疇外。
「──でも、終わらせることは、できると思う」
決然とした少年の言葉に、少女は伏せていた顔を上げた。
涙の気配を残す瞳が、絶望の縁から希望を見るように、石床に映る少年の影を見つめる。
「終わらせ、る……?」
その言葉は少女に、抗いがたく甘美に響いた。今、この一点からどこにも動くことができず、こうして在り続けることが無意味と分かってなお死ぬこともできない少女にとって、どんな方法でも、どんな手段でも、この現状を終わらせることができるというのなら。
それは、暗闇に輝く希望のように感じられた。
「……ほんとう、に?」
震える声で問い返されて、少年は揺らめく炎を握り込むように拳を握った。
炎を生み出す能力、それ自体は呪われた力でも。火は魔を祓い、穢れを払う。潜在的に浄化の力を持つ。ならば、少年の炎にも。
塔と少女にかけられた封印の呪を、解くことができるかもしれない。
「確かなことは言えない。ボクは今まで、そんなふうにこの力を使ったことなんて、ないから。……でも、どうしてかな。できるって、思うんだ」
それは少年の直感でしかなくて、言葉で説明することは難しい感覚で、不確かな言葉だけで信じてもらうしかないけれど。
「決めるのは、キミだ。キミがこのまま、そこにとどまることを望むなら、ボクはそれを尊重する。……キミは、どうしたい?」
問われて少女は、窓を振り仰いだ。
少年の影に切り取られた窓から射し込む陽光に、遠い日の光景を思い出す。
かつて見た、王都の姿。白亜の街並みと、抜けるような蒼い空。通りを行き交う人々。
少女には手の届かない、美しい風景。
自分の存在がその美しい街を、人々の営みを、壊してしまうというのなら。そんなことは望まないと、自らを封じることを是とした。
けれど結局、国は滅んだ。街もひとも──少女が守りたかったもののすべてが、すでにない。
なのに自分だけが、残っている。──残された。
どうあがいても結局は壊れてしまうものならば、最後まで家族と一緒にいたかった。
優しかった父、温かかった母。別れの日、泣いてくれた弟と妹。美しき蒼穹と、白亜の都。そこに暮らすひとたち。大切なもの。愛しいひとたちと一緒に、あの美しい風景の中で、ともに眠りにつきたかった。
その願いはもはや叶わない。ならば、せめて。
光を見つめる少女の目から新たな涙が零れ、頬を伝って落ちた。その涙とともに、言葉も零れる。
「終わらせて」
随分と遅くなってしまったけれど。あの美しかった都に、そこに生きた人々に殉じられるのなら──
「終わらせたい。わたしを、ここから出して!」
叫ぶような少女の声を聞いて、少年はゆっくりと、塔に向き直った。
塔を見上げた少年の視線に呼応するように、石壁の一点に炎が生まれた。掌ほどの炎は瞬く間に広がり、塔の壁面を覆い尽くす。傾きながらもかろうじて均衡を保っていた塔が、火勢に圧されるように崩れ始めた。
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