第3話 予言の末
「……残酷だ」
少年は小さく呟いた。
呪われた予言とともに生を受けた〈災厄の姫君〉。予言成就を阻むため、彼女は塔に封じられた。けれど結局、国は滅んだ。
ひとも街も──少女が守りたいと願ったもののすべてが遠い時の彼方に滅びて久しく、廃墟もすでに荒野に呑まれた。
残されたのは、塔に封じられた少女と、その想いだけ。
己の運命を呪うことなく、ひたすらに国と民の安寧を願い続けている少女にとって、その現実はただ残酷で。
すでに滅びた国を想い続ける少女は、あまりに哀れだ。
「──ねぇ、キミは。外に出ることを、自由になることを望まないと言うのなら、キミは。他になにを望む? なにか、望むことはないの?」
望むこと。哀惜さえ帯びた少年の声に問われて、少女はしばし、目を閉じた。
望むことは、ある。塔の外にあって彼女と言葉を交わしてくれる相手が、いるのなら。
訊きたいことがある。尋ねたいことがある。
ずっと、知りたかったことがある。
けれど──
「望みは……願うことは、ないの?」
迷う少女の背を押すように、少年が再び問いかけてくる。その声に促されるように、少女は唇を開いた。
「外は……外の世界は、どうなっているかしら」
沈黙の後に返された言葉に、少年は双眸を細めた。自ら問いかけ引き出した答であるにもかかわらず、少女の言葉に痛みを覚えた。
「ねぇ、あなたには今、どんな風景が見えているかしら? わたしが愛したあの美しい国は、あなたの目にも、美しく映っている?」
焦がれるような少女の声に、少年は応えることができなかった。事実も虚構も答えられず沈黙で返した少年のその沈黙は、少女にとってなによりも雄弁な返答だった。
「……やっぱり、そうなの?」
穏やかなままの少女の声が、震えた。
「やっぱり……わたしの国はもう、滅びてしまったの……?」
「──気づいて、いたの?」
気遣うような少年の声に、少女の目から涙が溢れた。
そう、本当はもう、とっくに気づいていた。察していた。ただ、信じたくなかっただけで。
王城の北、入らずの森に隠されたこの塔にあっても、王城の聖堂が鳴らす鐘の音は聞こえる。聞こえていた。日々の時々に鳴り響き、都に時を告げていた鐘の音。それが、いつの頃からか鳴らなくなった。
絶えた鐘の音から想像される事態が真実か否か、確かめる術は彼女にはなく。それが故に少女は、最悪の想像から目を背けた。背け続けていた。今日、この時まで。
それが欺瞞と薄々知りながら、気づかないふりを続けた。
だって、そうでなければ、
「わたしは、なんのために」
吐き出した声は、嗚咽に紛れた。溢れる涙が、とめどなく頬を伝う。
自分がここに封じられたことで、守られたものがある。王国の存続、人々の営み、誰かの幸せ。自分がここにいることでそれらが守られていると思えばこそ、永劫にも思える孤独にも耐えられた。
なのに、そのすべてが幻想だったというのか。
「災厄を招かぬためと願えばこそ、わたしは……なのに」
選択も決断も、無意味だったのか。
今でも憶えている。心に刻んだ祖国の風景、それ以上に。
別れの日の家族の姿。
父王の苦渋。母王妃の悲嘆。幼い弟と妹の涙。身を裂かれる思いで、心を割かれる思いで、別れた愛しいひとたち。その行為に、意味がなかったと。
どうあっても、どんなことをしても、迫る災厄を止められなかったというのなら──
「わたしは──なんのために、わたしは、ここで、国が滅びて後も。王族でありながら民と国に殉じることもできずに。無意味に生き長らえているのか……」
慟哭にも似た少女の叫びが、少年の体を、心を貫く。その衝撃が、少年にひとつの閃きをもたらした。──まるで、天啓のように。
気づけば、少年は呟いていた。
「ボクと、会うためだ」
崩れかけた石造りの塔。緑に覆われた地面に近い場所にある、小さな窓。その窓に屈みこみ少年は、鉄格子の向こうの闇に少女の姿を求めて目を凝らした。それらしき影が、身じろぎするように動いた気がした。その影に、語りかける。
「キミがそこで永い時を過ごしたのは、今、ボクと会うためだった。ボクが故郷を追われ、旅の果てにここに辿り着いたのは、キミと会うためだった。そうは思えない?」
「あなたと、会うため?」
急に饒舌になった少年に半ば圧倒されながら、少女は戸惑いがちに問い返す。
少年は熱っぽく続けた。
「そう。キミの孤独に、ボクの旅に、意味があるのなら。それは、ここでボクらが出会うためだった。そんな運命論は、嫌い?」
「……あなたは、どうして、旅を?」
少年の声にはまだ幼さが残っている。十二で時を止めた少女と、いくらも違わないように思えた。少なくとも、国を渡る旅にふさわしい歳とは思えない。そんな彼が、なぜ──
故郷を追われたと、少年は言った。
故郷を追われ、独りきり旅をして、この国に辿り着き、この塔を訪れた。
そして、呪われた姫に声をかけた。
なぜ。
少女の疑問に、少年はぽつりと答えた。
「ボクも、呪われているから」
呪われているから、呪わしき予言を受け、そのために封じられたという〈災厄の姫君〉が──呪のごとき予言のために呪をもって封じられた姫が本当にいるのなら。
訊いてみたいと、思った。
キミは、予言によって呪われた己を、あるいは己を呪った予言を、呪っているか、と。
問いたかった疑問には、問わずして答を得た。災厄を招くと予言された少女は、世界も他人も自分自身も、呪ってなどいない。予言も自らの境遇も憎まず、ただすべてを愛している。
少女と己との違いを噛みしめながら、少年は空を見上げた。
高く澄んだ蒼い空。その下に続く大地。その先にあるはずの、遠い故郷を思う。
二度と戻れないと知り、二度と戻るまいと誓った故郷だけれど、思い出すたび感傷と未練に囚われる。
ふっと、自嘲のように笑って、少年は自らの手に視線を落とした。守ることも掴むこともできず、壊すばかりで償いさえできない、この手。苦く見つめる掌の上で、炎が弾けた。
彼が呪われている、その証である炎が。
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