第2話 封じられた過去
少女は、この一帯を治める国の、王家の姫として生まれた。
しかし、祝福されるべきその誕生に際して、呪わしき予言を受けた。いわく、この姫は災厄を招く、と。
少女に授けられた予言はあまりに不吉で、誰もが予言の成就を恐れながら、同時に、予言の姫を害することをも恐れた。
その結果、少女はこの塔に封じられたのだ。
王家お抱えの呪術師たちが総がかりで、塔と少女に呪を施した。
時を止める呪法を。
予言成就を阻むため、少女はその身に流れる時を止められ、同じく時の流れから切り離されたこの塔に幽閉された。
すべては、少女が招くと予言された未来を違えるために。少女は世界から隔絶され、以来、行き場を失った。
冷たく暗い石牢の中、ただそこに在り続けるだけの日々。連続しているだけでどこにも繋がることのない一日を繰り返すだけ。過ぎゆく季節を窺うこともできず、流れゆく変化を知ることもできずに。少女は永劫にも思える閉塞を過ごしてきた。
その、未来永劫にわたって続くと思われた静寂はしかし、穏やかな声とわずかな影によって、不意に破られた。
それは少女が想像もしなかった、不意打ち。
「どれくらい、そうしているの?」
小さな窓の向こう、わずかな影しか窺えない少年が、石牢の中の少女に問いかける。
「分からないわ。もうずっと。ここでは時間が流れないから、あの日からどれだけ経ったか、分からないの」
石壁に背をつけて、少女は頭上から降る少年の声に応える。
「外に出たいとは、思わないの?」
窺うような少年の問いかけに、少女は穏やかに答えた。
「出られないわ」
望もうが望むまいが、少女がこの牢から出ることは叶わない。それが故の封印だ。
石牢の出入り口──かつて少女が入ってきた扉は、完全に塞がれている。ただ石を積んで塞いだだけではなく、幾重にも呪が施されているのだ。窓も同じ。嵌め込まれた鉄格子には封印の呪がかけられている。
そう語る少女に、しかし少年は続けて問いかけた。
「たとえば、その呪を解けるとしたら? それでも、そこから出たいとは思わないの?」
再度の問いかけに、少女はわずか、答に迷った。迷った自分を恥じるようにゆるく頭を振り、答える。
「思わないわ」
その返答が予想外だったのか、返される少年の声には疑問の響きがあった。
「なぜ? そんな暗い場所に閉じ込められて。世界から切り離されて。──なぜ、自由になりたいと願わないの?」
それは、少年にとっては当然の疑問だった。
少年から見て、少女はまさしく、囚われの姫だった。伝説に語られる、悲劇のお姫様。自身にはなんらの瑕疵なく、ただ予言に翻弄され、王国存続のために犠牲とされた。
そんな少女が、自らの境遇を呪わないはずがあるだろうか。自らに下された予言を、それを紡いだ者を、恨まないなどということが。
その予言さえなければ、彼女は暗く冷たい牢で孤独に囚われることなく、王家の姫として幸福な生を歩めたはずなのだから。
少年にとってその疑問は至極当然のもので、しかし少女にとっては、少年がそんなふうに疑問に思うことのほうが不思議だった。
「だってわたし、この国が好きだもの。家族も都も、そこに暮らすひとたちも」
彼女がここに封じられる前、家族は少女に優しく、温かかった。呪われた予言を受けた少女を、それでも両親は、弟妹は、精一杯愛してくれた。
そして、一度だけ希って降りた街で、間近に見た人々の営み。活気と笑顔。──それを、守りたいと思った。
かつて毎日のように思い返してはよすがとしていた記憶。今ではもう、ほとんど思い出すこともなくなったけれど。それでも、今の少女を支えているのは間違いなく、心に刻まれた、あの頃の記憶だ。
愛しいひとたち、守りたいと思った光景。
未来を奪われた少女に、唯一残された願い。
目を閉じればまぶたの裏に、今でも容易に思い浮かべられる。高く澄んだ蒼い空。その空に浮かぶ雲よりも白い街並み。都の辺縁に迫る、黒々とした森の緑。
美しき、彼女が愛した祖国。
「この国が、大好きだから。わたしにかけられた呪が解かれることで、それが壊れてしまうのなら。外になんて出られなくていいの」
「……外にもう、キミの愛した家族が、いなくても?」
少女を置き去りに、それだけの時間が流れたのだとしても。
「それでも、ひとの営みは途絶えずに続いているでしょう? 今、外で生きて暮らしているひとたちが、わたしの知るひとたちでなくなっていても。わたしはこの街を、この国を、壊してしまいたくないの」
「壊れないかもしれないよ。予言なんて、成就するとは限らない」
「しないとも限らないわ。封印の呪が解かれた瞬間に、呪わしい予言が成就するかもしれない。その時失われるのは、この国とそこに暮らすひとたちよ。わたしひとりの我が侭と引き換えるには、それはあまりに大きすぎる代償ではない?」
穏やかな諦念をこめて、少女は静かに語る。その秘めた強さに、少年は目を伏せた。
あぁ、なんて──自分とこの少女は、違うのだろう。
彼女の過去には、喜びがあるのか。〈災厄の姫〉と呼ばれ幽閉されながら、それすら是とするほどの、守りたいものが──己の命を賭して、存在を懸けて、守りたいと思えるものがあるのか。
それが羨ましく、痛ましい。
少女の言葉に、少年は自分が失ったものを思った。
少年の過去には、喪失の痛みが眠っている。どれほど時が経とうと薄れることなく、思い出すたびに血を吐くような痛みを訴える傷が。そしてその傷を、消えることのない後悔が、今も責め続けている。
──あぁ、なんて、世界は残酷なのだろう。
少年は、朽ちかけた塔の壁に背を預け、空を仰いだ。抜けるような蒼穹は、悲しいほどに美しい。
視線を転じれば、眼下には荒野が広がっている。
荒野を臨む小高い丘、森に呑まれたその中に、朽ちかけ傾いた塔がある。かつて王城があったのだろう場所には、わずかの瓦礫が残るばかり。それすら緑に覆われようとしている。
ここに街があり、人々が暮らし、国が栄えていたのは遥かに昔の話。国の滅亡すら、過去の物語。
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