第9話


       ∞


「ねえ君、知らないと思うけど、リラ知らない?」

「予想的中ですよ、ロロさん。知りません」

 どこかからの帰りなのか、杉田さんは眼鏡を掛けたままこの場へ来ていた。服装も質の良いものなので、結構良い身分であることが伺えた。僕が黙っていると、眠ったのと勘違いしたのか、コツンと頭をノックしてきた。

「何」

「いえ……。どうして凹んでいるのかな、って」

「リラがやったの」

 それ以上は説明する気が失せて、再び黙っていると酷く驚かれた。

「あのリラさんが、そんなことするんですか!」

「うん。会って二回目に」

「信じられませんねえ……」 

 リラ。彼女は現在、僕の隣にはいなかった。何故かは知らない。ただ、あれから一週間は姿を見ていない。きっと、戻るべき所に戻ったのだろう、なんて思うと、心がざわつく。気づきたくなくて、杉田さんにベンチに座るよう誘った。彼女が来ないので、仕方なく僕だけで鉄製に作り変えたものだ。完璧な完成度である。僕が座っても軋んだりしない。

「では、お隣失礼します」

 今日も今日とてメルに会いに来た杉田さんは、ここしばらく眠り続けているらしい姫君と、今日も今日とて会えなかった。僕が行けば、ケイが起こしに行こうとするので、あれからあの店を訪ねていない。何よリラリーがいないのに、過去へ行くことが出来ない。

「僕は、メルさんから〝だめなこ〟って言われるのがすきなんです」

「変な趣味だね」

 そう思われますか、苦笑した彼は勝手に続けた。

「実際僕は、確かに、出来損ないだったんです。一目惚れしたあの日も、まともな職業に就いていませんでした。頭がね、悪かったんです」

「話の腰を折るようで悪いけど、君、本当にメルのことが好きなの? 正気?」

「しょ、正気に決まってるじゃないですか」

「変なの。あの子のどこがいいんだよ。君、彼女の本性わかってないでしょ」

「メルさんは素敵な方です」

 言い包められて、反論するのも面倒だったので、また黙った。

 杉田さんは自ら過去を話した。メルと出会ってすぐに、彼女が背負っている重い使命に気づき、それを肩代わりしてあげたい。そう思ったと言う。――ほら、この時点で既に違う。メルは自らの意思で背負っている。それも、そのことを嬉しく思っているし、何より誰にもその使命を渡そうとしないだろう。メルの中に潜む、すべてを知り尽くしたいという巨大な欲望にも気づいていない。

 そして、その為には賢くあらなければいけないことを悟った。だから、人生で例のないほどに猛勉強し、何とか職業も手に入れた。単純な男だ。僕には真似出来ない。

 それから、ある程度高い身分まで昇りつめたので、メルの使命を受け取ろうとした。

「そしたら、怒られたんだ、はは」

 ――はは、じゃない。彼からメルが怒った時の様子を聞く限りでは、全然笑っていられない。拒絶されたのだ。

 メルはそのことを聞いた瞬間、叫んだ。二度と来るな、と。叫んだ途端、体に雷が落ちて、動けなくなった。そして何かの力によって、外に吹っ飛ばされて、ガラスの扉を閉められて、入ることが出来なくなったと言う。

僕は常連として『エデンの園』に通っていた時期があったので、その状況が何を意味するかわかった。そうなった人間のその後も。ガラスの扉は永遠に開くことはなくなるのだ。人間は、来る日も来る日もガラスを叩き、手の形が変形するまで叩き、叩き続けるのだ。諦めるという選択肢もあるが、多くの場合使われない。

しかし、杉田さんが言うことには、全く違う結果になったそうだ。

「ちょっとその時は、頭にきちゃって。一回家に帰って、翌日もう一度ガラスをノックしたんです。何だか大人げなかったな、って。丁寧に。そうしたら、一、二回無視されたんですけど、三回目でやっと開けてくれたんです」

「……ノックの回数は?」

「三回です。どの時も」

 メルさんも、謝ってくれたんですよ。あれから、まともに目を合わせてくれないんですけどね。ずっと伏せたまんまで。

 そう照れたように笑う杉田さんに、思わずため息が漏れる。ノックで許すメルもおかしい。

「それから僕は、彼女に常に僕のことを知ってもらいたくて、思考回路を繋げることにしました。今、考えていることも、メルさんにとっては手に取るようにわかっているんですよ」

「うあ、嫌でしょそれ」

「え、どうしてですか?」

不思議そうに首を傾げる杉田さんに、呆れ果てて、ただ一言だけ告げた。

「優しすぎ」

「ど、どこが――」

 慌てる彼に同情の目を向けながら、言い捨てた。

「メルの使命を背負う為、だって? 普通の恋愛では、そこまでしない。だから、だめなこ、って言われるんだよ」

「だめなこ、って言うのは、僕が現時点で満足させないために、言ってくれるんじゃないんですか……?」

「そんなの知らないけどさ……。一途すぎるんだよ、純粋すぎるんだよ、……重いよ」

 不安になった杉田さんに、今度は苛立ちまで覚えた。どうして君は僕にそこまで尋ねるんだ。僕は君の友達か何かか? 友人なら他にいるくせに、わざわざ僕に頼るなよ、僕を何だと思うんだよ。生身の人間か、まさか。君まで同じこと言うわけないよね。

「じゃあ、リラさんは重いと思ってるんですか」

「なんでそこでリラが出て来るんだよ」

「答えてください、リラさんをどう思っているのか」

「あのさ、君は僕を何だと思っているんだい? 僕は生身の人間じゃない、僕は――」


「ロボット、だろ。強制労働robotaからの派生語だ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ロボと少女の記録 黒坂オレンジ @ringosleep

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ